(1999年12月31日2000年1月1日合併2000年お祝い號)
TOPIX & ad hoc 2000 Special Weekly Diary 1999年12月30日〜2000年1月3日
TOPIX『adieu 1999 & hello ad hoc 2000 』

20世紀週末黄昏圏周遊への誘い・・・とでもいうべきかな・・・

素朴には「ありがとう」を言いたいだけなんだけどね。
たかだかそれが、なんとも不自由なことなんだよね。
僕らの大好きだった20世紀つていう、一つの大きなデスクトップ上のカンバスが、もう絵の具を塗る余地を失って今あと一年きりの、お楽しみとなってしまった・・・というまでのこと、なんだけどね。妙に奇麗だよね、この20世紀の週末の黄昏圏に帳(とばり)の降りる頃つて・・。
 
          
                                         銛射モビィ銛郎
                                      @ Morry Mobby Moriroux


●1999年12月30日(木)
 ジョージ・ハリソンが自宅に侵入してきた暴漢に刺されるという事件。
心臓の2.5センチ脇を刺され危機一髪の災難。オリビア夫人の果敢な援護で犯人を取り押さえたとのこと。
 とはいえ、こういう犯罪は止めて欲しい。仮に悪ふざけだとしたら、なおさら悪質だ・・・などとありきたりの言葉しかいえないが、きっと、こういう犯人って人を嘗めてんだよね。万が一殺してしまったとしても、どうせ冗談でやってんだよね。祭騒ぎになればいいだけなんだから。
 希薄な根拠で存在し、希薄な根拠で殺されるのがポップ・スターの命ってとこですかね。
 さてかくいう私も、この年末は心臓2.5センチあたりに来ていましたね。『港のロキシー』周りの興行収益あんど年末支払。なかなかミレニアムにスリリングな1999のいよいよ大月隠(おおつごもり)ですな。


●1999年12月31日(金)
 何人かの人に、今年最後の手紙やメール。
 今年は(いや、今年も、なのだが)本当に手紙の書けない年だった。様々な意味合いから、特にこの人にこそは手紙書かなくては、という人に殆んど手紙が書けなかった。
 ことしは、『港のロキシー』の公開、そのサウンドトラック盤、鈴木惣一朗監修による『永遠の遠国』のCD化、そして鈴木慶一との『日本少年2000系』(付随して、はちみつぱい、ムーンライダーズ、雷蔵、ヴァージンVS、らとのセッションやライヴ)と、今年は、充実した仕事をさせてもらった。そしてそのぶん、充分に充分に多くの人々の協力を得た。にもかかわらず、今年は(はい今年も)それらの方々に、きちんとしたコミュニケーションや責任を取り切れないまま終わったものがあまりにも多かった。ひき続き、この続きを、すこしずつやっていこう。
ということで、やってきました1999年の大晦日。
 今年は、豊島区の宮沢家に上がり込んで、TVで「紅白歌合戦」や「ゆく年くる年」を観ながら、Y2K(2000年問題)の除夜の鐘を迎えた。 家庭的だんらんの中で、紅白を観ながら歌手たちを肴にワイワイやるという、昭和時代にはよくあった光景を、20世紀の終りにもう一度体験してみたかったから。
 もうここ何年も、年越しオールナイトライヴに出演するか、新年を迎える街をブラつくかしていて、家庭的環境(なんてものが無いのだが)の中で、20世紀の庶民らしく新年を迎えるなんていうことがなかった。だから、今年は、年越しという非常にプライベートなセレモニーに、お邪魔させてくれた宮沢家に感謝。
 かつ、よく考えてみるとわたくしの回りで、家庭的環境をもっている御仁は少ないですなあ。年末年始は里帰りという連中もいるし、ましてや年末年始に上がり込ませてくれる家庭的雰囲気のあるお宅は、指折り数える程にしかいない。
 そういえば、この宮沢家を訪ねるのも、ひょっとすると十数年ぶり。かって訪ねた木造の一軒家も改築され随分立派な新居になっていた。かっての木造宅には、終戦時の東京空襲で襲撃された際の傷痍弾の焦げ痕が残っていたが、それもまた歴史の彼方に消え去っていたというわけだ。
 20世紀はあともう一年あるわけだが、20世紀の本当の大晦日は可能だったら、日本じゃないどこか自分ならではの20世紀の週末の黄昏圏(とわいらいとぞーん)的な処へいってのんびりしていたいな。とかなんとか自分勝手なことばかり言いながら、僕にとっての20世紀最後の国民的年越し、かつ90年代最後の大晦日を一緒に過ごさせてくれた宮沢さんに感謝。


●2000年1月1日(土)
 20世紀最後の元旦。今年も誰に会うでもなく、静かでのんびりとした一日。
 「びっくりしたねぇ」とお母さんが元旦生まれの赤ちゃんに語りかけるニュース。
 なかなか生まれない、生まれない、と言っていたら元旦の0時1分に生まれたんだって。  
 あてどもなくTVあれこれ。「噂の!東京マガジン」「笑点35周年新春大宴会」「21世紀をになう君たちへ」「百年前に見た夢・20世紀はどう予測されたか」などなどを漫然と見る。「E・T」ところどころ。


●2000年1月2日(土)
 東横線大倉山O氏宅の新年会。O家とは家族ぐるみのお付きあいだが、長男のA君が頼もしい。16才で僕のツアーに同行し、いままだ17歳だというのに、することがいっぱいあって、カメラをいじったり、恋に悩んだりしている。こいつら、人生が長いんだろうな。妬ましいような惚れ惚れするような若さ。


●2000年1月3日(土)
 浅草へ初詣。
 初詣なんて、実に僕らしくないのだが、浅草という街が浅草たりえた大正、昭和期の興隆。今となってはおしはかるべきもない浅草のその庶民的な賑わいを、疑似体験とまでは言わずとも、確実に体得できるのが、恐らくこの、初詣と恐らくは、両国の花火大会ではないか。三初祭り、そして浅草サンバ・カーニバルといったものもあろう。けれども、浅草に人々が集う、浅草ならではのたいしゅうの集いはその二つにぐらいしかないのではないだろう。
 で、僕自身がそういう年中行事の中で足を運ぶのは、初詣ぐらいかな。まぁ、時には思いついては「浅草」という異国の旅人にはなるが。
 だから、これは、初詣そのものというよりは、僕自身が体得しえなかった浅草的雑踏への《疑似体験的出陣》以外の何ものでもない。その場所のその時間を年に一度ぐらいは体得してみたかったのだ。
 にしても、こうも賑わっている浅草仲見世通りにして、めったに会うはずもない人々何組かに偶然とはいえ出会ってしまうなんて、何なんでしょ。Lucky!!と日記には記してオコー!!ってことかネェ!? H!P!New Year !!

          
          
                                    銛射モビィ銛郎
                                  @ Morry Mobby Moriroux

サイ!!を投げられたし!!サイ!!を投げられたし!!
                      
『日本少年2000 系』お喜び慶一お楽しみモリウオ中の皆様へ贈る<すぺっしゃるアフターおまヌけ>キット      
ぽけっとスゴロク歌本付録「亜っと欄だむマドロス港らむショウ」さあさあサイ!!を投げられたし!!
(さてさて今年はLuis&TarphoのCentury骰子城で双六ゴッコかいな?
 なんせ!20世紀の怪人2人合わして200歳だもんなっ!!)
 
先あんずは目ん出度たく愛でたく「山ン本五郎左衛門只今退散仕る」
   (さんもとごろざえもんただいまたいさんつかまつる)と参りましょう!
そうとくりゃ夜明けに闇雲に「熱病はエル・パオにひろがる」を歌ってみよう!


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