Dargelos 2000 Weekly
(1999年12月 8日創刊第2號)
 特報『「函館港のイルミナシオンな映画祭」の夜は更けて雪は吹雪き!』
 こんにちわ。モビィ銛郎です。
 今月1日「日本少年2000系」の発売に乗じて晴れてネットウェブのいらかの上にこぎだして新参水兵となりました。
 とはいえ、いかんせん、まだネットウェーヴの大海というものがどういう性質のものかもわからず、私はソオダ室の内にて舵をにぎったまま、ちょっと、途方にくれていました。(このことについて書くと長くなるのでいずれまたの機会にゆずりますが、インターネットってなあに? で、僕はそこで何をしたい人なの? 誰とどうやって何ができるの? それらがまだまだ何にもわからない。ネットにふれながら毎日少しずつその迷を解きながら、皆さんに出会っていくのだろう…とおもう次第。)
 週一回ほどは汽笛を鳴らそうとはおもっておりますが、時おり、わがダルジュロ丸にも遊びにいらしてもらえたらLUCKY !! です。


●1999年12月2日(木)
 いよいよ明日が初日となった「函館港イルミナシオン映画祭」。さすがに今日は実行委員、運営委員、さらに東京各スタッフが揃い、山麓駅から山頂へロープウェイでフィルムの運搬、各会場の映写機、スクリーン等の設置。
 事務局では、最終的に決まった各ゲストのスケジュール表作り、IDカード作り等でそして土壇場になってではあるが僕と米田くんとでオープニングのジングル音作り等々、四方八方手をつくし、最終的に一段落したのは12時すぎ。僕と太田君と札幌からの飯田俊郎さんらで、大門へ出る。折から、激しく雪が降りつのり、深夜の函館の街は一面真っ白な雪に覆われた。
 一ト月前は、連日渋谷シネマソサティでの『港のロキシー』トーク・イヴェントに追われ、色々なことがあり、そのあとで、「港のロキシー」をスクリーンで見ると、あれほどがんばって作った作品さえ、何か馬鹿馬鹿しく見えた。心身ともの疲労が高まっていたからでもあるが…、そいつ、つまり、モリオのためにある「虚妄」という概念にドドドと溺れかけ、それでも泳ぐ。これからも、恐らく、その「虚妄」とよばれるに相応しい行動規範は、懲りずにドドドと溺れかけながらも、やっぱり続いていくのだろう。この函館での映画祭も同じこと。


●1999年12月3日(金)
 「'99 函館港イルミナシオン映画祭」がいよいよ開幕。今回初日の全プログラムは函館山山頂にて行われる。
 東京、札幌、青森そして全国各地から、ツアーや各自のルートで函館までやってきてくれたお客さん、そしてゲストの面々。全国から人々が集まってくるとドキドキしはじめる、それがたまらない。 午後3時からのオープニング・ティーチイン「北海道ロケの光と影」。映画北海道ロケの実情、各地域からの映画の発信等々の現状と今後の展望について。
 この映画祭の青函交流委員を務める飯田俊郎さんの司会で、函館・太田誠一、青森・川嶋大史、石狩・奥山直樹、札幌・ヒロ中田、夕張・澤田直矢、オブザーバー的に東京から武藤起一、あがた。パネラーが多すぎたきらいもあるが、なかなか中味の濃い2時間。
 午後5時50分から、オープニンング作品「千年旅人」、午後8時15分から「シナリオ大賞」受賞式、午後9時から市内の夜景を一望できる山頂展望台にてオープニングパーティ…、とここまで森田芳光、荒井晴彦、武藤起一、中島洋、辻仁成、YUMA、粟田麗、水戸ひねき、スプリングベル、そして大賞受賞者といった面々が登場。
 一応大御所や有名人も集まってはいるが、映画というメディアを通じて無作為抽出的に(ランダムに)人々が集まってしまう状態が生じてしまうことがこの映画祭の本当の眼目なのだ。
 モリオ自己流でいうと、あがた森魚という歌い手は、音楽という手段だけでは出会えない誰彼とない人々と烏合したい…という限りなく妄想に近い願望とエネルギーとによって、この映画祭を作り上げてきたはず。
 映画というメディアに、何かしら馬鹿げてさえいる虚妄や幻想を抱いている愛好者や、映画制作者たちに集ってほしい。映画祭の3日間は、天国でも地獄でもよい。集まった人々相応の人間的交流がそこには生じるだろう。慰撫されあうもよし。侮蔑しあうもよし。


●1999年12月4日(土)
 今朝方7時に「g」で最後に帰ったのは荒井晴彦氏だったらしい。「g」の経営者で映画祭の実行委員でもある高橋君が、朝7時までつきあわされて、これから、映画祭会場の仕込みがあるので、申し訳ないけど帰って下さいと、おひきとりねがったらしい。
 荒井晴彦という、近代日本映画の一翼を担ったデーモニッシュ(!)な存在が、映画祭第一夜に函館の片隅で夜の明けるのを見届けてくれた。今年の映画祭一番星。
 2日目の今日の目玉は、水戸ひねき「ホームシック」、大嶋拓「火星のわが家」、篠原哲雄「はつ恋」のいずれも公開先行プレミア上映の3本立て。この3本にはいずれも武藤起一氏が司会を務めてくれて各作品の魅力や、監督のねらいをユーモアを交え、たくみにひっぱり出して話に花を咲かせてくれた。武藤氏は、今やこの映画祭に欠かせない貴重な存在だ。金森ホールの方では、あがたの「港のロキシー」、スプリングベルとのライヴ付上映も。大スクリーン、大音量で見る「港のロキシー」うれしい。スプリングベルとのライヴも当然よし。
 夕方は、クリスマスファンタジーの点灯式。
 深夜は、太田誠一とモリオのトーク・バトルもあり…、と当然にしての濃い一日。荒井晴彦師匠、この日も朝7時まで。


●1999年12月5日(日)
 早くも三日目にして映画祭最終日。山頂では、インディペンデント作品に始まり、田辺誠一特集、青山真治「シェイディグローブ」塩田明彦「どこまでもいこう」そして、市川準「大阪物語」でフィナレーレ。
 金森ホールでは、柄本明、荒井晴彦の両氏をゲストにそれぞれの監督作品「空がこんなに青いはずがない」と「身も心も」の上映とトーク。地元の中高年層には、この二本立てが一番魅力的だったはず。観客と二人のやりとりも面白かった。
 本日千秋楽の打ち上げのフィナーレをかざってくれたのも荒井晴彦氏。淡々とにこやかに、もう映画祭の主かのような風格。一方、この映画祭3日間の日報新聞「イル・プレ」を作成してくれた、広瀬君、永澤君といった面々にも拍手したい。裏方で、あれこれやってくれた全てのスタッフの方々にもおつかれさまといいたい。


●1999年12月6日(月)
 今日は、3日間の映画祭明けのぽかんとした一日。夕刻ロープウェイ事務所に顔を出し、多少の残務整理。
 さて午後7時からはスタッフ打上げ。
 何と、3日間朝7時まで皆勤賞の荒井晴彦さん、まだ函館にいました。
 その荒井さんに加えて次作(?)函館ロケをにらんで、ロケハンで残っていた篠原哲雄監督らも参加し、打ち上げ。これが映画祭スタッフのほんとうのおつかれさん。


●1999年12月7日(火)
 午前11時33分函館発、スーパー北斗7号にて午後14時41分札幌着。そのまま駅から会場の十二使徒教会に直行。今日は、田口昌由さんのコンサートにゲスト出演。前回は成田山で、今回は教会。ステージのすぐ下に洗礼の儀式のための洗礼槽がある。年間に20〜30人の洗礼者がいるそうだ。田口さんのコンサートということで、僕はゲストとして6曲、スプリングベルの鈴木祐樹は2曲それぞれ演奏。映画祭の連日連夜の疲労蓄積にめげず、仲々のりのいい気持ちよいライヴ。はちみつぱいヴァージョン「赤色エレジー」、「日本少年2000系」新曲「1970ハネディアン」等々。飯田俊郎さんなど来てくれる。


●1999年12月8日(水)
 あれほど楽しみにし、また心身ともに労を煩わしてきた『函館港イルミナシオン映画祭』も、またたくまに終わりを告げ、昨日の札幌でのライヴゲスト出演も終え、今日は一週間ぶりの東京。束の間、そこにあったものや、そこに照らし出されていた現象たちの残照。それらが、僕等の認識の持ち方を形づくり、記憶を形成し、また新たな希望や妄想に駆り立てる。
 それにしても、映画祭期間中の武藤起一、中島洋、荒井晴彦、篠原哲雄、森田芳光といったゲストの面々の生真面目さや情熱たるやどこから来るのだろう。この映画祭に集い、語らい、この映画祭のため、そして映画の未来のため、なみなみならぬ愛情や情熱を示してくれた。そのエネルギーがこの映画祭という場にあって昇華されたことにかけがえのない喜びを覚える。     

          
                                         銛射モビィ銛郎
                                         @Moriroux



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