Dargelos 2000 Weekly
(1999年12月29日創刊第5號)
 TOPICS『 大西みつぐさんの写真はいいぞ! そして葛飾 向島 浅草 』
 12月26日、Boxing day こそは、一年中で一番好きな日かもしれない。年も押しせまったその日、京成立石駅に集合で、カメラマン大西みつぐ氏と葛飾区一帯を中心に、語らいつつ 撮影しつつ雑誌「東京人」の取材をした。しあわせな仕事だった。そして翌々日12月28日は、東向島へ行き、帰路、浅草へ足を延ばしてまた少しのんびり。
 だが、その帰途チョイとばかり複雑な気分になる。銀座線渋谷行車中にて、とある大御所女優氏がキャラクター出演しているポスターが車内一面に。年齢を 超越した若さと魅力がそこにある。その女優氏を私がことさら好きとか嫌いとかいう次元ではなく、彼女が過日(去年だったか?)社会をゆるがしたささやかな事件に遭遇し、御本人は様々な被害をこうむったことであろうが、氏がその事件に対し女優というよりは、むしろ、一人の大人の女性としての姿勢のようなものを明らかに示さないまま、うやむやに今日にいたっていることを連想した。
 大人物たるものであらば、つかのま人の噂でたち消えていく程度の事象に、いちいち真剣に取り沙汰すべくことでもないのだろうが・・・ぶつぶつ・・・以下日記に続く。
          
                                         銛射モビィ銛郎
                                         @ Morry Mobby Moriroux


●1999年12月23日(木)
 南青山のオージャスにて雑誌デマゴーグの発刊記念イヴェントとしての、ポエトリーリ ーディングの夕。
 和久井孝司、サエキけんぞう、中川五郎、さいとうみわこ、マサ・ホシノ・ハル(むかしクリアグラフィック) 、青木マリ、……等々の面々。
 ひき語るものから、伴奏つきのものから、全く伴奏のつかないものまで、雑多。だが、やはり、ラップのように日常をとりまく社会的状況への率直な気持ちを叫ぶというのが主流といえるのか?
 僕のは色々考えたすえ、自分でも予期せぬ形を選んでしまった。一つは稲垣足穂の「雪ヶ谷日記」(冬のサナトリウム付)で、これはタルホ音楽会でもたびたび試みているもので、まぁ定番。それに対してもう一つは、散々考えたあげく、谷崎潤一郎の「小僧の夢」のドロシー(実はメアリー)の催眠術にあやかされていく少年のステージ に登るくだりを散文的にまとめたものを読む。
 この少年的マゾヒズムというか、ヒヤキンティティ的エキゾティズム憧憬をポエト リーリーディングの形で試みるとは思いも及ばなかった。書き下ろすも、題材をさがすも適材がおもいあたらず見当たらず、谷崎をチョイスしてしまったとは!!
 やや緊張気味。中川五郎ちゃんがいて、初めてURCレコードに行った日のことをまた思い出す。(12月 8日のエガリテのリニューアルお披露目パーティでの五郎ちゃん、早川義夫さんと話題になった、かって初めてURCに行った時の衝撃の初対面のこと)
 今日のバッキングは、クラリネット多田哲平、ギターエディ奥田、パーカッション川口義之。  ここ数日、プラネッツ・アーベントへの感想のメールが幾つかあった。感動を率直 に書いてくれたもの等々、ありがとう。アドレスのスペルに、プラネッツで定番の「い としの第六惑星」の歌詞に登場するspicaの綴りのものもあったね。


●1999年12月24日(金)
 ふしぎなクリスマスイヴ。
 夕刻、恵比寿オフィス「O」へ。
 そこで、新人アーティストのデモテープ。僕のデビュー当時のアルバムから意外な曲がカバーされ歌われている。高音の伸びのある声で、あがたもやもや的コバルト色の無国籍性が歌われていた。少なからず感動した。
 あがたの歌をカバーするアーティストはとても少ないし、デモテープとはいえ、あがたの作品を表現として対象化しようという意識(意志)の存在に触れたことが嬉しかった。 (ディレクション案を提示したM氏に感謝)
 帰途、恵比寿駅のベイキング・ショップの喫茶店にてあてもなく茶をすする。
 クリスマス・イヴなる恋人たちのそぞろ歩きの街、僕は静かに雑踏の中なる塊り。
 それはいかに揶揄されようともイヴとは、一年中で一番恋人同志が時をわかちあうに ロマンティックな一夜と定番化してしまっている事には違いない。
 だからこそ、クリスマス・イヴなるロマンスを僕はわかちあうことはない。僕には約束することもされることもない。その約束を荷うだけのリアリティを僕は任じ てこなかったから。
 いさぎよく生きるも、スノッブに生きるも、僕自らこのようにイヴのようなロマンティシズムを、分 かちあうだけの誠意をだれかに約して生きてきただろうか。
 などなどと……清らかにも、おぞましくも、妄想していると、向こうからコーヒーカ ップを持ってやってくる一人の女性、和田淳子。参りました。先日「ボディ・ドロッ プ・アスファルト」の撮影で御一緒させていただいたばかりの監督氏ではあります。
 すいすいと、私めがけてきて「偶然ですね。どうしてここにいるんですか。」ああ 、びっくり。「私、職場が恵比寿なんですよ」。やおら先日の「ボディ・ドロップ・アスファ ルト」の話題。しばし、突然つかのまイヴのお茶でした。ありがとう和田さん。
 で、今宵のイヴはやはりこの人でしょ。山田勇男。
 下北沢の「ふ」で9時に待ち合わせ。日本映画界の極北の王児山田勇男と、よしなしにイヴなる酒をくみかわす。うれしひ。
 で、下北沢は演劇の街であった。公演を終えた遊園地再生事業団の温水洋一、演出の宮沢章夫らが入ってくる。一方、NYLON 100℃の今江冬子らもまたやってくる。  
 「ごぶさたしてます」を口々にあいさつかわす。
 TVでは、NHK「20世紀の映像」の再放送。勇男くんと僕、なにとはなく、映像に入り込む。
 第二次大戦の悲惨なニュース映像とは裏腹に、僕らしみじみとなごむ。


●1999年12月25日(土)
 山田勇男さんから昨夜のイヴ飲みへの返礼FAX。いつもの書き文字で、楽しかった 、と。ありがとう。
 夜、青山CAYにてゲーンスブールナイト。サエキけんぞうさんのマネージ ャーの黒澤さんの送別もかねて有志が集うとのことだったのに、この私は、年賀状発送の残りやら、なんかだらだら片付けやらやっていたら、すっかり遅くなって、出席できず。倉科さんがプレゼントを持って合流。
 渋谷Deseoにて11PMから QYPTHONE 他の出演でHAPPINESS RECORDS EVENT。こちらには、ちょっとだけ顔を出す。


●1999年12月26日(日)
 恐らく夏休み最後の8月31日とこの12月26日、Boxing day こそは、一年中で一番好きな日かもしれない。
 午後12:30、キリリと冷え込んだ冬晴れの京成立石駅に集合。雑誌「東京人」の取材。カメラマン大西みつぐ氏の 東京散策撮影に、僕が被写体として参加。葛飾区一帯を中心に、大西氏と語らいつつ 撮影と取材をして、記事作成とのこと。担当記者は田中さん。
 ここのとこ、今日の予習も兼ねて、その大西さんの「MOLE UNIT N°10」を持ち歩いていて、ともかくすごくいい写真集。まるで僕自身かのような足取りと視線。こういう仕事はしあわせだな。夕暮れまで葛飾一円をぶらぶらと。久しぶりの無辜な遠足。


●1999年12月27日(月)
 いよいよ年も押し迫り、今日も日中年賀状とお片付け。
 部屋の中は、あいかわらず本とビデオとCDと玩具とガラクタで大掃除も新年の装いも別段ありうべくもない。あえていえば、日本少年2000系で使った資料を、部屋の片隅にぞんざいに追いやり、あらたな2000年に遊びたいブックや絵や音のでるオブジェに入れ替わったことぐらい。
 そうそう、一個だけ真新しいもの。「Guillaume & Philip Plisson」の、海の上に細くて尖った城こと「灯台」ばっかりの2000年カレンダー。毎月、世界各地の荒波の上に屹立する勇壮なそしてまた可愛らしく立ちすくむ灯台の数々の写ったカレンダー。これが可愛いい、かっこいい。これで我が部屋にも、夢と郷愁にあふれる2000年がやってくる。(我が偽母、森茉莉の「贅沢貧乏」ぶりに一歩前進だ!)
 夜、NCWの忘年会。篠原哲雄、大谷健太郎、上野彰吾、塩田時敏、武藤起一等々。


●1999年12月28日(火)
 いよいよ年もおしせまり、今日は、東向島の中央株式会社へ。
 かって、引越先に収容しきれない少なからぬ荷物を預けたトランクルームがここ 中央株式会社。
 「オートバイ少女」制作時代の所属事務所「カンデンスキー」が業務休止後、その溝商ビル屋上ログハウスに、このわたくしが引き続き住んでいた頃の膨大な荷物を、さらにそこから引越する際収容し 切れず、この中央株式会社のトランクルームに預けたわけだった。
 昨今、映画「港のロキシー」製作費の精算等々で経費節減を迫られている折、月額 1万数千円なりのこのトランクルームも解約して荷物を処分しようということになっ ての下見。ダンボールに入った数十個の荷物をチェックし、年明け早々には撤収のめどを 立てることにする。
 帰途、東武鉄道交通博物館。色々な乗り物のなかで、段トツに可愛いのが、昭和26年製のキャブ・オーバ ー・バス。犬の鼻のように伸びた往年のボンネット・バスではなく、エンジン・シャ ーシーが車内の運転席脇に入り込んだヤツで、ともかく、バスの正面の顔が形容しが たいほど愛らしい。ブルーと赤のラインとクリーム色とに区分けられてたニッサン製 。ハンドルやクラクションも華奢でかわいい。車内座席で清らかにきわどく高校生のアベックひと組。
 そこから東武線で浅草、浅草の喫茶店にて原稿。
 さらにその帰途、銀座線渋谷行車中にて、とある大御所女優氏がキャラクター出演しているポスターが車内一面に。年齢を 超越した若さと魅力がそこにある。その女優氏を私がことさら好きとか嫌いとかいう次元ではなく、彼女が過日(去年だったか?)社会をゆるがしたささやかな事件に遭遇し、 御本人は様々な被害をこうむったことであろうが、氏がその事件に対し女優というよ りは、むしろ、一人の大人の女性としての姿勢のようなものを明らかに示さないまま 、うやむやに今日にいたっていることを連想した。 大人物たるものであらば、つかのまの人の噂でたち消えていく程度の事象に、い ちいち真剣に取り沙汰すべくことでもないのだろうが。
 女優氏とは限らない。音楽に携わる者、スポーツマン、政治家、宗教家、……いずれにせよ、社会と切り結ぶ事象に遭遇しても、その責任を曖昧にすることの 方が得策であり、また人格的に器が大きいということになり、結局世間を生き延びる 処世術たらんとでもいうことなんだね・・・。
 そのように、メディア上でモラルに反した人々が楽しそうにやっていると、どうしても、人間の生き方の矛盾のようなものを覚える。
 しかし、いかなルール違反も、非人間的ふるまいも、我々全体はそれを伴わせ呑みつつ前向きに生きていくしかないということなのだろう。
 だが、僕はきっとこんな勝手なロマンチズムを持っているのだろう。
 つまりそれがモラル、アンモラル、道徳、不道徳、暴力、非暴力、エロティズム、反エロティズム、いずれたれ、それらを行う者は、その行動に激しい希求性、厳しい求道 性のようなものを持っている者であってほしい。いやそうでなくてはならぬ。
 モラルに生きる者も、インモラルに生きる者も、それが止まれぬ本能にも似た過激で危急なものであってほしい。
 激しく恋人同志がほほずりしあうような、止むにやまれず道を踏み外すような、そんな一途なものであって欲しい・・・などと欲望する。恐らくそれもまたわたくしの凝り性のない妄想であるのだが。


●1999年12月29日(水)
 言葉を鉛筆で書くか、
 さもなくば、Mac等のコンピューター上で文字を書くのか。
 どっちが自然でリアリティがあるのか?!
 2000年を迎える今、
 たとえばそんなことに意識が行く。
 もう今さら何だという。だが、今さらである20世紀的営為を
 僕らは本当に過去、郷愁、としうるであろうか。
 ならば、現在的時刻的事件というものを、さらにどう認識し、進みうるであろうか?!
 20世紀から21世紀へ。
 あくまでもカレンダー上のナイアガラ瀑布でしかない。
 しかし僕らが一つのさりげない区切りとしての
 しめしをつけることを分かちあうときでもある。
 結局、生活をすることも、作品を作ることも、データの取り込みと、それの吐き出しという往復運動に他ならない。
 出会うべき情報とは出会い、出会うべき人とは出会い、日々が織り成されていくまでなのだろう。
 さて、今日は、吉祥寺でSprinng Bellの今年最後のライブだが、こんな年の瀬にやり残し案件がごちゃごちゃしていて、足を延ばせず。春山、鈴木両君には電話であいさつ。
 今年は、かなり皆勤賞もので足を運んだが、今日はご免なさいだ。
 春山君のBahaha Orchestraのプロモーションビデオ「ジェラモホ・メランカリー」が愛らしかったことも伝える。

          
                                         銛射モビィ銛郎
                                         @ Morry Mobby Moriroux


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