Tano Musicland
■とりあえず音楽?
 中学のとき、スイミングの友人から借りたテープをきっかけに音楽にハマる。その名もオフコース(爆)。誕生日に父から白い(爆)アコギを買ってもらい、練習する。課内クラブではもちろんギターを志願する。

 ある日TVK(テレビ神奈川)を見ていたら、流れていた曲にビビビときた。その名もTHE-SQUAREの「OMENS OF LOVE」。スク以来いわゆるフュージョンまっしぐら。カシオペアとか松岡直也とかシャカタクに。
 高校の時の進路で、どうしても音楽の裏方がやりたくなる。音響系学科のある専門学校に進む。

 シンセの仕組みが面白くて、鍵盤弾けないのにシンセを買う。“シンセを持っている”という理由で(爆)、専門学校の友人のバンドにキーボーディストで加入する。この友人は古屋"chibi"恵子というミュージシャンである。彼女はハモネプなどヴォーカルの教則本など多数だしている多彩な人(chibiサイトはコチラ)。

 専門学校の卒業制作は、学生がプロデュースしプロのミュージシャンを呼び、CDを作ること。うちの班は私の一押しで松岡直也の「Touch the New York Pink」をやることになった。なんと古川初穂さんがピアノ、古川望さんがギターである!! 臨場感を出そうとその場で一発録りだったのでスタジオは緊張したものの、ミュージシャン達の迫真の演奏を目の当たりにし感動しまくりでありました。

 音楽専門のビデオ編集スタジオに勤務。オンエアやパッケージビデオのオフラインエンジニアとして働く。スティングをやっているときに、ご本人がお忍びでやって来た。握手をしてもらったものの、ご本人の表情が怖かったのでビビる。T-SQUAREの仕事もあったので嬉しかった。この仕事は結構ハードで、5日間家に帰れないときもあった。
 しばらくしてCM制作会社に勤務。ロケないときは毎日家に帰れた。プロダクションマネジャーという肩書きだったので、テレビのADみたいなもので、何でも屋でした。

 結婚から出産を経て3人の子持ちに、90年代前半は音楽とはかけ離れた生活に。インターネットが盛んになる前、ダンナが買ったMac(Performa588)でパソコン通信を始める。
 8年くらい前、パソコン通信の子育て関係のフォーラムで(パティオだったか?)、ある一人が「バンドやったことある人」との書き込みに私含め3人反応する。それが主婦バンド結成の始まり。

 バンドで「やったことない楽器をやろう」ということで、私はドラムをやることになった。最初独学でやっていたが限界が来て、近所のドラムショップで数年習う。またしばらく独学になり、今はパーカッションを3年くらい習っている。

 何年か前に某所で則竹裕之さんと叩く機会があった。簡単な譜面だけが渡された。その場にいた他の人達が非常に上手いので、自分の出番になると真っ白になり大変緊張した。Synchronized DNAみたいに則竹さんと私が2人で叩いているというありえないシチュエーション! 何叩いたのか全く覚えていない!「手首がとてもやわらかいですね」というお言葉を胸に秘め、日々練習していくことにしまつ…(汗)。
 
●このアーティストのファンなのだ:カシオペア、メゾフォルテ、フルーツケーキ、シャカタク、松岡直也、プリズム、布川俊樹VALIS、Far East Club Band(小田和正さんのバックバンド)、T-SQUARE
それにしてもジャパフューばかりだけど、周りの私と同年代の女性でこういう趣味の人がいないのでちと寂しい〜。(涙)

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