「美術」について、

 

ここでは、「アーチスト イン レジデンス」と

「美術雑談」を中心に紹介してます。

 

 

■「アーチスト イン レジデンス」■

■「芸術と社会」■

  

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■「アーチスト イン レジデンス」■

 

■ は じ め に −−−−−

 日本では80年代の後半から、各地の自治体や企業で、芸術に対する支援活動ということで「アーチスト イン レジデンス」の研究が進み、90年代に入って、東京都の手によって、「アーチスト イン レジデンス」が多摩地区で実施されました。そのあと、埼玉県(彩の国さいたまAIR事業)、茨城県(アーカススタジオ)などでも実施されていました。民間では、埼玉県朝霞市の丸沼倉庫の社長が個人的にアーチストを支援しているものや、我孫子の菊川ジョイ・アトリエ等があります。         

  

 

 

アーチスト イン レジデンスとは

 

 「アーチスト イン レジデンス」を一言でいうと、アーチストに“宿舎”と“創作の場”と“作品発表の場”を提供、ある期間そこに滞在してもらって、創作活動を支援するものです。

「アーチスト イン レジデンス」は、アメリカやヨーロッパでは1960年代から70年代にかけて盛んになってきました。しかし、アーチストがどこかに滞在して支援を受けながら作品を創るということは、ヨーロッパでも日本でも昔からあったことで、別に新しいことではありません。

「アーチスト イン レジデンス」という名称も、特に決まったものではありません。時代が移り、新しいパトロンとア-チストとの関係とでも思っていただいたほうがわかりやすいかもしれません。    

 今までも、日本から海外のアーチスト イン レジデンスに行って、支援を受けていたアーチストはたくさんいましたが、日本では受け入れる施設がなかったということもあって、受け入れはしていなかったのです。アーチスト イン レジデンスは、今後の芸術分野における新しい海外貢献の一つという捉え方もあります。

 「アーチスト イン レジデンス」について、もっと詳しく知りたいかたは、美術手帖の1998年3月号をご覧になるとよいです。また、当方への質問もどうぞ。

 

   

ウイーンのアーチスト イン レジデンス(WUK)

 

アーチスト イン レジデンスの実際

 東京の日の出町と八王子市で実施したアーチスト イン レジデンスを紹介します。日の出町のアーチスト イン レジデンスは、町の西部地区が過疎化して廃校になった、旧日の出町分校の敷地につくったものです。最初は古い校舎が使えないかと調べたのですが、使用されていなかったため傷みがひどく、建て直しとなりました。分校時代の雰囲気を残してアーリーアメリカン風の建物となっています。

 この近所では、今も石灰岩が採れること、また近所で採れた大理石が国会議事堂の建物にも使われていること、古くは、鼠御影が江戸城の石垣の補修に使われたこと、そして、最近は、木が街の中心産業ということから、ここでのアート分野として彫刻が選ばれました。本当は、もっと巾を拡げてもよいのですが、施設や備品を揃えるうえで、ある程度限定した方がやりやすいようです。また、アーチストへの支援を考えると、個人ではなかなか施設や備品を揃えることや広い制作場所の確保が困難なアート分野を選ぶのがよいです。

 半年間の滞在期間中に制作した作品は、日本とアメリカのアーチストの作品は、この会場敷地内に、カナダのアーチストの作品は町役場に、メキシコのアーチストの作品は、町の高台にある市民公園に設置されました。設置場所は来日にしてすぐに決め、アーチストは、そのイメージを持って作品制作を行いました。

     

全 景         アトリエ内部(個室)       備品倉庫

 

    

フォークリフトを使って制作中   チェーンソーを使って木彫    イベントで行った彫刻教室

 

 

 

 八王子市のアーチスト イン レジデンスは、旧浅川支庁舎を使っています。地元の自治会が使っていたことと、何とか建物を保存したいという地元の要望もあって、修理して使うことになりました。修理といっても、床は補強し、屋根はすべて張り替え、宿泊棟となった部分については傷みが激しかったため土台だけ残して建て直しとなりました。

 八王子は、昔から織物を産業にしていたということで、テキスタイルをアート分野に選びました。国内から一人、アメリカから一人、フランスから一人、メキシコから一人、合計4人のテキスタイルのアーチストが来て、半年間ここで生活しながら、お互いに交流を深め、また刺激しあって、作品づくりに励みました。

 また、会期中は、日本の文化に触れたくてやってきたアーチストたちだったので、多くの人と交流したり、日本のお祭りを見に行ったり、美術館などへも積極的に行ってました。

    

全景(旧浅川支庁舎)   1階のアトリエ(共同使用)   織り機(標準的なもの)

        

子供達が見学      ワークショップ       スライドレクチャー

                                   

アーチスト イン レジデンスの実施           

 では実際に、アーチスト イン レジデンスを行なう場合、どのようにしたらよいのか?                                   

 「宿舎」と「創作の場」と「作品発表の場の提供」を基本に考えればよいです。宿舎は、創作の場と一緒にあれば使い勝手はよいですが、一緒になくても創作場所のそばにあればよいし、創作場所は使われなくなった学校でも、工場でも倉庫でも構いません。何も特別のアトリエである必要はありません。

 ただ、そこで彫刻を支援するには、それなりの装置と道具が必要になります。海外のアーチスト イン レジデンスでは、創作活動を行える空間の提供だけというものもあります。何を揃えるかの決まりがありませんので、支援する分野の選定と予算と合わせて、考えていけばよいことです。

 つまり、「アーチスト イン レジデンス」には決まったスタイルもルールもありません。自由に行えばよいのです。守ってもらいたいことはただ一つ、『アーチストの自由を尊重(創る自由と創らない自由)すること』です。           

 中にはすぐ、前例とか横並びとか言う方がいますが、アーチスト イン レジデンスをつくるのに、もっとも相応しく無い言葉です。自分の思う通りに、“○△□”のつくる、“○△□風”アーチスト イン レジデンスでよいのです。        

 埼玉県では、毎年県内の違う場所でアーチスト イン レジデンスを実施し、広く県内に普及を図っていました。1年だけということで、アーチスト イン レジデンスが根付くかどうかという課題はありましたが、市民と一体となって広く普及させたいという考え方は素晴らしいと思います。ところが、埼玉県のやり方はアーチスト インレジデンス本来のやり方ではないとの声があるそうです。残念なことに2000年の越谷のアーチスト イン レジデンスでいったん打ち切りとのことです。またの再開を願っています。

 アーチスト イン レジデンス先進国であるフランスで、100のアーチスト イン レジデンスがあれば100のやり方があると云われました。決まった やり方は無いので、自分のやり方でやれば、それがそこのアーチスト イン レジデンスになるということです。             

            
 

海外のアーチスト イン レジデンス

 

カルチェ

 海外のアーチスト イン レジデンスでも、美術手帖で紹介されていますが、パリの郊外にあるカルチェ現代美術財団のアーチスト イン レジデンスは、財団が所有する19世紀の貴族の広大な敷地を利用した施設です。カルチェの基本は「アーチスト イン レジデンス」「作品収集」「美術館」の3つですが、各々が別々に機能しています。

 アーチストの滞在期間は、1・2・3カ月。人数は4〜5名(通常は4名。5名の場合は、アーチスト4名と評論家1名)で、アーチストに義務はなく、まったく自由にやっています。アーチストは若い作家が中心です。また、アーチストに対しての支援は、往復の渡航費と一人1〜2万フラン(生活費・制作費・等)。設備的には広い空間(アトリエ)があるだけ装備も備品もありませんが、外のスタジオを借りることができます。ここで制作した作品を購入して展示することもあるそうです。

 ちょうどここを訪ねたとき,日本からドイツに留学して、ドイツからここに派遣されていた日本人アーチストに会いました。アートの世界では、もう国境なんて関係ないんですネ。

                   

カルチェのアーチスト イン レジデンス

    

敷地内(前方にレジデンス等)   宿舎兼用アトリエ(個室)    美術館       




CITE(シテ)

 CITE(国際芸術都市財団)はパリ市の中心にあり、画家、版画家、建築家、音楽家、舞踏家、等あらゆる芸術分野の人が対象で、280のアトリエにアーチストが滞在しています。CITEは1947年に財団設立、1965年からアーチストの招へいを開始しています。各部屋を各国機関や大学に分譲して、各々から派遣されたアーチストは、まったく自由に自分の研究や制作テーマに従って、6ヶ月から2年の範囲(平均1年)で滞在しています。また、作品を発表する展示室やホールも完備しています。滞在アーチストの年齢は、今まででの最低・最高は、8歳から82歳とのこと。アーチストに対して、ここでは規制はなく各自の自由を尊重しています。また、支援の基本は『平等』で、アーチストの個人的な希望は一切聞かないそうです。

   


WUK(ブック)

 WUK(WERKSTATTEN & KULTURHAUS)は、ウィーン市内にある、19世紀中頃にできた車輌工場の建物を利用した施設です。1970年代終わりに、それまでここを使用していたテクニカル学校が出ていった後、1981年から形態と組織を代えながら現在のWUKになったそうです。アーチストの活動の場であると同時に市民にも開かれた教室や展示もおこなわれています。130のグループ(シアター、音楽、演劇、絵画、工房、社会教育等)があって、1日500〜1000人の人間が出入りしています。ここは宿泊施設はなくアトリエだけを提供しています。生活費・制作費等の支援もありませんが、WUKの企画に対して提案内容が良ければ制作費の支援をすることがあるそうです。また、制作を義務づけていないので、作品の収集はしていません。

 




P.S.1(パブリック・スクール・ナンバーワン)

 「P.S.1」は、ニューヨークの一番古い小学校を改造した施設で、「アーチスト イン レジデンス」部門と「作品展示館」部門がありますが、お互い別の施設として機能しています。アーチスト イン レジデンスは、20カ国(地域)から、21名のアーチストが1年間参加(アメリカのみ2人参加)。渡航費・生活費などの支援費用は、派遣元が支払っており、アーチスト支援のために、「P.S.1」側は費用を使っていません。宿泊施設はないので、アーチストは派遣元の支援費用で宿舎を探しています。スタジオ内では、アーチストのやりたい方式を尊重しており、アーチストに国際交流や親善は期待していません。アーチストの年齢制限はなく今迄に80歳以上の人がいたそうです。

 

 

■国内のアーチスト イン レジデンス と 類似施設                    

 国内でも文化庁がアーチスト イン レジデンスを支援し始めたため、各地でおこなわれる様になりました。ここでは、国内で頑張っているアーチスト イン レジデンスと、類似施設を紹介していこうと思います。

 

あきる野市

 あきる野市にあるアーチスト イン レジデンスは、昔の五日市町の戸倉地区にあった旧戸倉の役場を改修して使っています。アーチストは海外から1名と国内から2名の計3名。アートの対象分野は版画で、毎年9月から11月という、気候的に一番いい時期を選んで実施しています。武蔵野美術大学の版画の先生が世話をしていますが、余分な費用が掛からないように頑張っています。アーチストに対しての支援としては、渡航費と月20万円の滞在費です。また、この施設の脇には湧き水があり、そばにはフルーティーな大吟醸で評判の造り酒屋もあります。戦国時代に北条家の武田家に対しての最前線であった、戸倉城もすぐそばにあります。

  

  施設全景          アトリエ内部         ワークショップ


浅賀正治氏

 茨城県では、彫刻家の浅賀正治氏がまったく個人で、自分のアトリエで隔年でアーチスト イン レジデンスを行っています。昨年3回目を実施し年の開催に向けて頑張っています。アーチストは、1回目と2回目はブルガリアから、3回目はジンバエブから招聘しています。招聘したアーチストは、浅賀氏と一緒に1カ月という限られた期間の中で、作品を数点作り上げるというすごいパワーです。

 極力、費用もかけないようにしているそうですが、一番費用がかかっているが、作品が完成したあとでつくる作品記録のパンフレットだそうです。

    

 

 

アーカススタジオ

 茨城県のアーカススタジオは、平成7年から守屋町の旧大井沢小学校校舎を利用し開始。文化庁や国際交流基金も共催というかたちで参加しています。毎年9月から12月まで開催。アーチストは、外国から5名と国内招聘1名の計6名。宿舎は、近所のアパートを利用しています。インスタレーションを含む現代美術が中心なので、特に装置や備品はありません。作品づくりに、これらの装置や備品類が必要な場県内にある東京芸術大学の取手校舎が協力するようになっています。

 5年間は、このスタイルで行われてきましたが、これからは“まちづくり”に視点を移し、スタイルをかえていく計画とのことです。

   

 

 

丸沼芸術の森

 埼玉県朝霞市にある丸沼倉庫の須崎社長が私財でつくった芸術関連施設です。1985年に日本の陶芸作家にアトリエを提供することから始まったそうです。「日本人アーチストに提供のアトリエ」「アーチスト イン レジデンス」「美術館」「陶芸教室」で構成されていますが、市街化調整区域に入っているため、施設はすべて仮設のプレハブ建物となっています。

 日本人アーチスト支援は、滞在期間最長10年。分野は様々な美術分野。毎年新年にアーチストから自分の取り組みの論文とデッサンを提出してもらっている以外特に条件はないそうです。制作の備品類はすべて本人の持ち込みになっています。

 アーチスト イン レジデンスは、1994年から開始。半年毎に2名を招へい。滞在期間は半年。「日仏アートフォーラム」の関係から、毎回フランスからはアーチストを招へい。アトリエとマンションと光熱費と滞在費(月10万円)を提供。アーチスト イン レジデンスだけで年間1千万円前後の費用がかかっているけれど、すべて須崎社長もちだそうです。なお、アーチスト イン レジデンスは、現在中止とのこと。日本人アーチストに対しての支援は当面継続予定。




清春芸術村

 山梨県長坂町の「清春芸術村」は、日野春村、秋田村、清春村が合併して、長坂町が誕生し、その後、小中学校の統廃合が進められ、1975年(昭和50年)に廃校となった、旧清春小学校敷地を銀座の吉井画廊の社長が買い取り、「清春芸術村」を誕生させたものです。

 敷地内には、パリの集合アトリエ「ラ・リューシュ」を模した会員制の貸しアトリエや、白樺美術館、梅原龍三郎画伯のアトリエ、ルオ−礼拝堂、レストラン(ラ・パレット)が揃っています。

 アトリエはキッチンやベッド等が備わった宿泊施設にもなっています。別に、版画の工房や陶芸工房も用意されています。実際の利用のされ方は、長期滞在というより、普段は都市で活動している作家が息抜きを兼ねて、一週間とか二週間やってくるというのが多いそうです。




美麻遊学舎

 長野県美麻村の「美麻遊学舎」は、1999年に火災で焼けてしまいましたが、こんな施設があったということで紹介します。「美麻遊学舎」は、1976年(昭和51年)に廃校となった、旧美麻南小・中学校の木造校舎を版画家の吉田遠志先生が自分の作品を制作するために広い場所として購入。そこを息子さんの比登志氏が宿泊設備や、陶芸、木工、ガラスなどのアトリエを備えた「美麻遊学舎」として整備して開設しました。美麻遊学舎は、作品制作の場として、またいろいろなプログラムを組んで学習の場として活用されていました。現在再建のために頑張っているとのことです。




能登島たくみの里

 「石川県能登島のたくみの里」は、能登島大橋の完成で離島対策補助金が打ち切られ、町では自力の道を探って学校の統廃合で空き家になった旧向田小・中学校の校舎を利用して、1984年に川崎のガラス工房を誘致したことから始まりました。もともと石川県は工芸が盛んですが、陶芸や塗り物では客が呼べないと、当時あまり目立っていなかったガラス工芸に注目したそうです。現在、ガラス工房とガラス美術館、そして対岸の和倉温泉などが一体となった観光資源として石川県の観光地として育ってきています。ガラス工房のアーチストは、旧校舎を利用した宿舎に寝泊まりして、週に1日は自分の作品制作に励んでいます(他の日はここの売店で売っている作品を制作)。

 


ガラス工房

 北陸3県(福井、石川、富山)では、お互いに相談したわけではないのですが、大きなガラス工房ができていて、ガラス作家を目指す若いアーチストたちが頑張っています。ガラスというと小樽や、滋賀県の長浜(黒壁)が有名ですが、ガラスというのは、美術品としても工芸品としても身近なところにあり、他のアート分野より親しみやすいのではないのでしょうか。また、ガラス作家は吹きガラスの場合、制作過程を人に見られても意外と気にしませんし、作品の完成結果が早く見られるところなどが人気のヒミツではないでしょうか。そういうところからガラス工芸はまち起こしの核になりやすいのかもしれません。ガラス作家を目指す人はまだまだ増えているようですし、これからも大きなガラス工房は寒い地域を中心に、増えていくのではないでしょうか。

  

福井県「金津創作の森」  石川県「牧山ガラス工房」  富山県「富山ガラス造形研究所」




アーチスト イン レジデンス 考                    

 最近は国内でもアーチスト イン レジデンスが増えてきましたが、自治体関係がつくるものは、どうしてもハコものをつくるという意識が抜けていないようです。文化と公園は市民の反対が起こりにくいので、ハコものとしてアーチスト イン レジデンスをもってきたということです。そのいい例が、施設を有名な建築家に依頼したり、建築コンペを行ったりしていることです。アーチスト イン レジデンスは、使われなくなった学校でも、工場でも、倉庫でも、何でも構わないのです。また、新築するにしても有名な建築家に依頼する必要はまったくありません。海外の例でも、既存の使われなくなった施設を活用しているものが多い様です。アーチストにとっても、有名な建築家がつくったありがたい施設よりも、汚しても傷つけても気にならない自由に使える気軽な施設の方が嬉しいのです。アーチスト イン レジデンスが普及してくることは良いのですが、こういう状況が次々に起きてくると、アーチスト イン レジデンスそのものが税金の無駄遣いとして非難を浴びてくるのではないかと心配しています。あくまで、アーチスト イン レジデンスは、施設をつくることではなく、活動そのものなのです。

 

 

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■「芸術と社会」■

 芸術のパワーってすごいですネ。芸術って極めれば国を大きく見せてくれるものです。スペインの、ピカソやガウディ。イタリアのミケランジェロやラファエロ。今でも国を偉大に大きく見せています。軍事力と違って、好感をもたれる国力誇示ではないでしょうか。    

 芸術活動って、「世の中や社会の様々な声や考え・・・・見えないものや聞こえないものを創りだして、見えるもの、聞こえるものにして、人々に訴えかけていく」ものだと思うのですが、最近の作品を見ていると、独りよがりで社会から遊離したメッセージの伝わらない(無い)ものも多いですネ。いくら見る人がイマジネーションを働かしても、キャンバスに線一本だったり、立方体の石を積み上げただけの彫刻だったりでは、無理というものです。いくら抽象画といっても、強いメッセージのある作品は考えが伝わってくるものです。    

  上手な絵といい絵がありますが、上手な絵は、訓練を積めば描けるようになりますが、なぜか学校の学習成績と比例するらしいのです。正しく表現できるかどうかということらしいのです。ただ、いい絵は、まったく学習成績とは関係ありません。そして、美術の世界で評価されるのはこのいい絵なのです。 最近の美術学校の入学試験では、学力でも、実技でも女子が良い成績を収め、美術学校は女子大みたいになってきているようです。ある美術学校の学部では、卒業生の1/3は作家を目指して頑張っている。1/3は自称アーチストの花嫁予備軍。1/3はプータローとのことです。美術学校がだんだんカルチャースクール化していくと、先生方はかなり危機感をもっている様ですが、それにしても男子のなさけなさばかりが、目立つ様です。

 昔は美術学校に進むというと、どうしようもない道楽者の様に思われていた面もありますが、現在のように価値観がかわり混沌とした時代になると、一般の学校をでた人よりは、美術学校でデザインを学んだ人の方が社会的な応用力があるのではないかと思います。まず学生時代から、人と違うことを考え実施することをトレーニングさせられます。人と同じであったり、まねをすることはまったく認められません。また、自分の考えを人に伝えるためにプレゼンテーションのテクニックも磨かされます。そして、デザインの世界では一人で仕事ができるわけでなく、いろいろな人の協力が必要なため、プロデュースの能力も身につけていかなければなりません。そして何よりも、学歴とか学閥とかよりも、常に新しいことに目を向け自分の能力を高めていかないと仕事ができないことを、学生時代からイヤというほど知ることになります。

 この後も、芸術と社会の関係など、思いつくままに書いていきたいと思います。  

 

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