20世紀を歩く

☆1958年・タロー、ジロー生存☆

 1958(昭和33)年2月、前年に引き続き二度目の越冬を試みた南極越冬隊は、悪天候のため観測船「宗谷」が接岸できず、越冬を中止。カラフト犬15頭を置き去りにして撤収した。天候が回復したら、犬を迎えに行くつもりだったが、結局、隊員を収容した「宗谷」はそのまま引き上げ、基地は一年間無人になった。
 置き去りにしたカラフト犬についてはあまり触れてはいけない話題だったが、翌59(昭和34)年の1月14日、第三次越冬隊が上陸、15頭のうちの2頭、タローとジローの元気な姿を確認し、劇的な対面を果たした――というのが、映画「南極物語」でもおなじみのタロー・ジロー生存の感動話。

 そのタローは現在、札幌市の北海道大学付属博物館を、ジローは東京都上野の国立科学博物館を、それぞれ奥津城として剥製になって鎮座している。また、北海道稚内市の稚内市青少年科学館には、タローとジローの幼年時代の愛くるしい写真のほか、南極観測隊に関する展示がなされている。


 だが、タロー・ジロー以外の、殉職した13頭の存在も忘れるわけにはいくまい。

 東京都港区の東京タワーには「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」という犬の像が建っている。銘板は59(昭和34)年だが、恐らく生還判明前に建立計画がたてられたと思われる。


 また、大阪府堺市の大浜公園にはカラフト犬の慰霊像が立つ。まだ、生還判明前の時点で建立されたこの慰霊像は、去りゆく観測隊員に向かって吠え続ける15頭の姿を彫り込んでいる。

 1958(昭和33)年7月の建立当時には、南極越冬隊員らが参列し、盛大な供養が営まれたが、タロー、ジローの生還が判明し、時と共に人々の記憶から薄れていったのか、1983(昭和58)年、映画「南極物語」の公開当時には、ゴミ置き場の脇に忘れ去られたように放置されて、週刊誌ダネにもなった。1987(昭和62)年、コンクリ像からブロンズ像にかえて建立しなおし、現在も大浜公園にある。

 どちらも今となっては、ほかの13頭への供養塔といえようか。


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