20世紀を歩く
☆1969年・アポロ11号、月面着陸に成功☆


 1969(昭和44)年7月、アメリカが打ち上げたアポロ11号は、人類初の月面着陸という快挙を成し遂げて、地球へと帰還した。その年に発売されたのがこのお菓子、明治製菓の「アポロチョコレート」だ。見ての通り時代を強く反映したアポロ型チョコだが、現在に至るまで販売されており、人気の程を伺わせる。

 ところで、アポロ11号にストーカーがつきまとっていた話は意外に知られていない。
 あの時、月へと向かって順調な飛行を続けているアポロ11号に、まるでつきまとうかのように、別の物体が飛行していたのである。
 もちろん、人間の作った物体だ。その名は「月(ルナ)15号」。アポロ11号の打ち上げに先立つこと4日前に、突如ソ連によって打ち上げられた人工衛星だった。


 例によってソ連国営放送のタス通信は通りいっぺんのことしかいわないので、この衛星の目的についていろいろと取りざたされた。いわく、アポロより早く月について月の岩石を持ち帰るつもりではないか、もしかしたら有人なのではないか(この時点では無人機なのか有人機なのか分からなかった)、アポロの動向を観察するための衛星だろうetc.etc.。アポロを月の裏側で迎撃するのではないかと心配するアメリカのマスコミ関係者もいた。

 「ソ連は無人、有人いずれかの方法によって、来年(1970年)大阪で開かれる万国博には必ず月の岩石を出品できると確信している」(ソ連宇宙飛行士談)、「月15号の月周回軌道は(…)アポロの使命を妨害する恐れはない」(ソ連科学アカデミー総裁)、「ある目的のための機器を積んでいる」(タス通信)など、関係者のさまざまな発言も飛び交って、なにかやらかすぞと、世界中をやきもきさせた。そしてアポロと交錯こそしないものの、アポロにつきまとうように月周回を続けていたのである。

 やがて、アポロが、着陸船に積まれた上昇ロケットによる月からの離陸と、帰還用の母船とのドッキングというもっとも危険をともなう行程を無事にこなしたのと、ほぼ入れ違いに月15号はアポロから約800km離れた月面に着陸した。
 さて、いよいよ岩石かと思いきや、タス通信はこれをもって全計画完了という。「本当は軟着陸に失敗したのだろう」「政治的にはマイナスばかり」と評判は散々。結局、“一体何のつもりで打ち上げたのかさっぱりわからない”ということで話は終わってしまった。



 その中で唯一の好意的な見方があった。「月15号には酸素、水、食糧が積んであって、アポロが万一故障を起こして月から飛び立てなくなった時には、救援物資を積んで、軟着陸をする」というものだった。しかしこれは、なかばジョークとして語られたに過ぎなかった。
 もし本当に救援物資を積んでいたのであれば、米ソ対立が解けた時にブッシュとゴルビーによって、過去の微笑ましいエピソードとして語られたことだろうが、実際、米ソ(米ロ)が協力してミールを直すなどというようなことが行われるようになるまで、なお30年近くの歳月を要したのである。

 しかし、もしあの時、ジョークがジョークでなくなっていたとしたら、我々は「ルナ15号」というチョコを食っていたかもしれない。


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