だめライ的日々のひとりごと。
1999年11-12月の日記

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■1999/12/31 (金) 本を読みました。(1)

最近はまっているのは「宮部みゆき作品」です。短編は何度か読んだことがあり、その後、新聞連載の
「理由」で直木賞を受賞してから読み、はまりました。生粋の宮部ファンには悪いのですが・・・。
現在のところ「蒲生邸事件」がイチオシなのですが、最近色々読んでみています。そこで今日読んだ本について。
宮部みゆきは出す作品出す作品ことごとく受賞するという感がある作家であり、今回読んだ作品はその中で
初めての「日本推理サスペンス大賞」受賞作です。

――宮部みゆき 「魔術はささやく」 新潮文庫590円税別 ――

【それぞれは社会面のありふれた記事だった。一人めはマンションの屋上から飛び降りた。二人めは地下鉄
に飛び込んだ。そして三人めはタクシーの前に。何人たりとも相互の関連など想像し得べくもなく仕組まれた
三つの死。さらに魔の手は四人めに伸びていた・・・・・・。だが、逮捕されたタクシー運転手の甥、守は知らず
知らず事件の真相に迫っていたのだった。】

ページを繰る毎に人が死に、結局あまり納得できないつながり。そして現実では納得できない死に方。
・・・・・ここまで読者を挑発しておいて、これをなぁなぁで終わらせるわけにはいかないだろう・・・。
巷にあふれるこうした無責任な「事件」に慣れた読者にあるのは八割方が諦めであり、残り僅かが期待である。
この作品はその諦めを極めて良い意味で裏切り、その僅かな期待に応えてくれるはずである。
そしてそこで存分に味わって欲しいのがその期待の応え方が、いかにも「宮部流」なのだということだと思う。
宮部みゆきの「少年」の描き方、その「少年」を中心とした周囲の温かい「人間」の描き方が、一見非現実的な
ストーリーを現実に、そして感動へと昇華させてしまう。
初めて触れる読者にとっては一見強引な展開も、徐々に引き込まれ、そしてその手法と、あまりにも緻密な
構成に喝采を送らざるを得ないと思う。

■1999/12/31 (金) こつこつ。

ついに今年も終わりです。大晦日です。アッという間でした。

最近よく本を読んでいます。お薦めの本はHPの方になんとなく書いてあるので、ここでは今読んでいる本の
感想などを書いていったらいつの間にかシリーズ化してたりして。・・・そういうことはシリーズ化してから言う
コトなのかなあ。

曜日別カウントなどを見ると、木曜日にカウントが伸びているのがわかるのですが(まぁそういっても、そんなに
桁違いに多いわけではないのですが)、どういう理由なんでしょうね。

読んだ本の感想ってのを書くのは難しいですよね。細かいトリックや内容を述べるのは無粋だし、ルール違反
ですよね。でも、面白い本を読んだ後って、絶対何か言いたくなってしまいます。人に教えたい、っていう優越感
何でしょうが・・・。
「何だかすごい作品」を読んだ後には、それを読んだ人とそれについて語りたいと思うものなのだと思います。
それがその作品がすごかった、という証なのかな。と。
でも、こういうところでは、あくまでも読んでいない人に対して何とかその良さを伝えつつ、読んで欲しいな、そして
僕とそれについて話し合えたらいいな、ってことなんですよね。
だから、そんな感じで、適当に、でもまだ読んでいない人に気を遣いつつ、最近読んだ本について、徐々に
感想を述べていきたいと思います。

僕の雑感を読んで、僕が読んだ本を読んでくれる人がいれば嬉しいし、ぜひそれについて感想を述べあいたい
です。感想を述べあわなくても、もしその本を読んだり、もしくは読んだことがある人は、「あぁ、こいつはこういう
読み方をしたんだな。ふっ。」と笑ったりしてくれればいいかな。程度で。
あくまでも傍観者としての感想の範疇ではあるのですけどね。言うまでもなく・・・。

■1999/12/22 (水) ちょっとした幸せを大切に?

易者さんに手相を見てもらったものの、全く気持ちが癒されないまま、先日の試験の結果発表前日
になってしまった・・・。
まな板の上の鯉、人事を尽くして天命を待つ、運を天に任せる、というそれぞれなんだか
ホッとするような言葉が並ぶが、鯉じゃないし、人事尽くしてないし。でも一応任せちゃう?
天命待ってみちゃう? っていう今日この頃。

かつて塾で自分が数学を教えていた生徒から久々に連絡があった。
残念ながら今回内部進学で結果が芳しくなかったという。
今日の発表の後すぐに連絡をくれたのだが、自分の発表と交錯し、何だか饒舌になっている自分に気付く。
―― 一般入試があるよ。かえってこの二ヶ月勉強した方が選択肢も広がるし、自分にとって
絶対にプラスになるから!!

普段明るいその生徒がやや落ち込んでいるような電話の向こうの雰囲気に、語気をさらに強める自分。
そんな中、教わった数学は96点だったという。評価の対象に数学は入らなかったらしい。
結果はともかく、その数学の点数はその生徒にとっても自分にとっても、合格よりも格段に価値があるとわかる。
不得意科目であった数学が、得意であった他教科を押しのけている事実は、なによりも大きな自信になる
のだろう。

そんな生徒と話をしつつ、そんな生徒にアドバイスをしつつ、ふと自分を顧みると、切ない気持ちもあるものの、
何だか温かい幸せみたいなものを感じてしまった。
教わることも多いなあ。と。

でも結局、目の前の現実から逃げているのかな・・・。

■1999/12/15 (水) 手相をみてもらう。

昨日、試験が終わり、惨憺たる結果に暗澹たる思いで新宿の町を歩いていると、コートを着て
毛の筒の帽子をかぶった初老の男性に声を掛けられた。
―――見てあげるよ。
何かと思えば手相の易者さん。
かねてから一度やってみて欲しかったので、ちょうどいい機会とばかりに見てもらうことにした。
3000円。
うーん、手相を見てもらって、今日のできなかった試験について、文学的に論理的に慰めてもらって
この値段はちょっと痛いがよしとしよう。と、おもむろに腰を掛ける。

―――うーん、だんなさんはいい眉毛をしている。耳朶も厚い。お金には困らないね。
良く聞く会話だが、挨拶代わりに軽く褒められ悪い気はせず。

―――2000年はだんなさんにとって、大きな転機の年になるよ。なんてったって2000年だからね。
・・・・・。そうかあ。なんたって2000年だものなあ。

―――あなたは人がいいから、騙されることもあるだろう。気を付けなきゃいけないね。人のいいなりに
ばかりならずに、自分からいかなくては。恋愛も人生もそうだよ。だんなさんから積極的にいかねばね。
・・・そうかあ。確かに、声を掛けられて3000円払ってるだけでも人がいいなあ。騙されてるのか、今?

―――さて、では手相を見ますか。名前と生年月日を聞いて深く占いましょう。ちょっと高いけどいいかな?
・・・・・は?いくらですか?
―――2と3があるけど?
・・・・・え、2000円ですか?
―――いや、二万円。

3000円で軽く会話を交わし、さっそく本題の価格交渉に入り、この二万円を惜しむようでは将来
大物にはなれない。そういう見えないところが大事で、何ごとも深く根ざさねば倒れてしまう、という譬えを
織り交ぜ、15分間の手相見の半分以上を値段交渉にさき、結局「さっきと合わせて8000円でどうだい」
と言われたものの、占いをされずに終わったのでした。

試験の出来が悪かったのですが・・・という会話には
―――だんなさんには厳しいけど、2000年は大きな転機だからね。来年は頑張ってね。
との啓示。
僕の初体験はこうして新宿の夜の寒い風と共に幕を閉じたのでした・・・。

■1999/12/06 (月) やばいやばい。

冒頭に「せめて3日おきに」とか書いておいて、かれこれ一週間穴開けました。
最初からそんなに難しい課題を出すなよ、っていう感じだなあ。

言い訳のようですいませんが、来週月曜日火曜日に試験があるので、それまで自粛です・・・。
終わったらがんがんUPしたいなあ。

という、何だか息継ぎのような日記(じゃないな、これは)でした・・・。

■1999/11/29 (月) クロネコが遊びに来る。

最近ウチのベランダにクロネコガ来るようになった。
古新聞のホルダーに夜になるとやってきてぐっすり眠っている。
暖かいんだろうなあ。黒い体に黄色い目。
黒猫って前を横切ると良くないんでしょ?迷信で・・・。
黒猫を見ていてちょっと思い出したのでここで。。。

フランスの文学者ルナールは「ヘビ、長すぎる」と書いた。
人の多くはヘビに対して先天的に嫌悪感を持っている。安部公房はこれを「日常性の壁」の中で、
「人が日常においてその生活を容易に推測できないものに本能的な嫌悪感を抱く」とした。
自分の生活とは縁遠いものや種の特異的なものや少数のものはその対象になるらしい。

手塚治虫の名作「ジャングル大帝」の主人公レオは白いライオンである。白いライオンは当然
生活に不利であろうし、明らかに特異性がある。しかしレオに対して人が嫌悪感を持っているかというと
そうではない。嫌悪感どころか英雄である。

これを「ハンディキャップ理論」というらしい。体の色が白いレオが目立つがために獲物を逃しいやすい
という、その不利な生活状況にも関わらず他の皆と同じように生活しているということが、とりもなおさず
レオが「良い遺伝子」を持っていることの証そのものである、というのだ。
これはクジャクなどの研究をしていたイスラエルのザハヴィという研究者による「発想のコペルニクス的
転回」であるという。

「色」は様々な意味がある。人やものの様子を表すのに「色」という言葉が使われている。
「顔色を窺う」「お色直し」・・・。それぞれの色も何らかの意味を持つ。青、黒、ピンク・・・。

その人のカラー、ともいう。英語のcolorも「人格」「本性」といった意味がある。

十人十色。朱に交わって赤くなりたくないなあ。と思う今日でした。

■1999/11/28 (日) だめライ日記、張り切ってスタート。

だめライ的日々のひとりごと日記、張り切ってスタートです。
とはいえ、だめライなので、3日坊主にならないように、3日おきに更新したいな
なんて考えたりしています。

三日ってのは短い、ってことなのでしょうかね。そりゃ短いか。
三日天下は明智光秀の天下が三日だったことから。三日坊主も飽きやすくて何をしても
長続きしない人のことだそうな。
3って多いことにも使うよなあ。再三、ってたびたび、っていうことだし。
仏の顔も三度まで。二度あることは三度ある。三度目の正直。
三行半(みくだりはん)っていうのは、江戸時代に三行半に簡単に絶縁を記したかららしいが。

対照となるものが大きいか小さいかで3という数字が用いられているのだろうなあ。
長い月日の中、3日は短いし、
少ないチャンスでは3度は多いものね。

小学生の頃の一年間てホントに長く感じたけど、最近「時が経つのがはやいなあ」と感じます。
対照といえば、人はそれまで生きてきた月日の長さと比べて時間を感じるそうです。
この二十数年間に比べているから、月日がはやく感じるのかなあ。

はやく過ぎゆく時の中でも、満足できる有意義な毎日が過ごせるといいなあ。
ひとまずこれから三日間が楽しい日々でありますように。

■1999/11/28 (日) だめライ的日々のひとりごと。 オープン

だめライ的日々のひとりごと。 がオープンしました



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