■2000/12/29 (金) 過積載と重心 かつて私は(今も?)、パイロットを志していました。
その夢の破綻はあっけないものでした。
視力の問題・・・・。それはレーザー手術で何とかなると思います。
重力の問題。
「お前がパイロットだと、体重で飛行機が前に傾いちゃうぞ」
・・・・・・!! んなバカな。500人も乗ってる鉄のかたまり。そんなんが空を飛ぶってのに、僕一人の体重
のせいで、んなことがあるわけじゃないじゃないか、と。
数年前、プロペラ機に乗りました。YS-11てヤツですか?
数十人乗りのその飛行機には、乗客はまばらでした。
フライトぎりぎりに飛び乗り、指定された座席に腰を下ろします。
・・・・しかし、飛行機はなかなか飛びません。 ぼーっと外を眺めていると、スチュワーデスの方が僕の
席へ近づいてきて一言・・・。
「あの、お客様。 左側の座席にお移りくださいますでしょうか?」
・・・なんと!!!!!!!!! 僕一人で、飛行機が右に傾くってか!!!
・・・・・・あとで聞くと、調布飛行場からのプロペラ機に搭乗する場合は、全員体重を申告するそうだ。
女性はやや少な目に書くらしく、スタッフはわかったもので、やや上乗せして左右前後の座席配置
を均等に配分する、と。
その後、前に傾きつつ飛ぶボーイング747ジャンボジェットの姿が、見えるようになったのです。
夢やぶれるのは、結構、簡単。
先日、3歳の子どもを連れて、ディズニーランドへ行きました。
「it's a small world」(そごう無き今、あの癒し系アトラクションの進退が気になるのは置いておいて)はボートに
乗って回ります。
そのボートが・・・・・・・・左に傾いているではありませんか!!!!
いや、これは左カーブだからだ、と思いつつ、右カーブを迎えると、まだ左に傾いている!!!!!
直進では浸水するのではないかとどきどきしてしまいました。
被害妄想でしょうか?・・・・・いや・・・・・・。
見ると、上がっている右列には、子どもが4-5人乗っています。左には大人が乗っています。
そりゃ傾くよ。
・・・・・・・でも、降りるときの他のお客さんの非難の目は、明らかに僕に向けられていました。・・・・・・・
・・・・・・おいおい、僕だけのせいなら、左前に傾くだろうが・・・・・・!!!!!
そんな抵抗も虚しく、先入観と偏見は、覆せるものではありませんでした。
。。。。。重力に涙。
■2000/12/26 (火) 学校警備員 午後4時。早い夕陽が冬を一層深く感じさせる中、中学校の校舎の片隅の鍵を開け、寒々とした小さな部屋
の灯りを点ける。ストーブの火が部屋を暖めるまでの時間は長い。
午後5時。部活動を終えた生徒達が思い思いの嬌声をあげながら校門を出て行く。
がらんと静まり帰った校舎の中を、つい先ほどまでの喧噪の余韻を感じながら、一部屋一部屋に入り、
丁寧に窓の鍵や室内を確認していく。
年代物の古い巡回時計と数え切れない鍵束が両手で揺れる。鍵がついた厚手の板が、最近やや重く
感じる。こうして翌朝、再び生徒が登校してくるまで、たった一人での仕事が始まる。
榎本茂雄さん、58歳。
―――小学校の方が良かったですね。草や木や花があって、動物もいるし。生徒はまだ人なつこいし。
私服というのも良いのかもしれません。制服だと皆同じに見えてしまって。―――
5年前までは小学校にいた。
その柔和な風貌から、「警備のおじさん」と慕われ小学生が周りに集まる姿が想像できる。
子供たちが警備員室に遊びに来ていた。
多感な中学生は、すれ違うときの挨拶すらままならない。
しかし、巡回で鍵を確認するときの、窓枠に込める力は、変わらない。
前任の小学校の庭には、兎や鶏、アヒルがいた。飼育係の子供たちの目が行き届かないところを、そっと
世話していた。
―――昔は八百屋から菜っぱの切れ端をもらってきていたものですが、今は兎用のドライフードがあるんです。
でもあれは、別に水をあげないとダメなんですよね。子供たちは、それを忘れちゃうんですよね。―――
病気になった金魚を自宅に連れて帰った。5年以上経った今、とうとう天寿を全うしそうだと、遠い目をする。
中学校には、事務室の脇の水槽に金魚が数匹いるだけだ。
毎朝、二種類のえさを丁寧に与える。
榎本さんがこの中学校に移ったのは、小学校の機械警備化によるためだった。
市内の小中学校は今、徐々に機械化が進んでいる。
すでに半数以上が機械化され、榎本さんの同僚も、一人、また一人と職を去っている。
これも合理化の一環です。 そうつぶやく横顔は悲しく見える。
定年まで、あと二年だ。
今日も広い校舎の片隅の一室に、小さな灯が朝まで消えることなく点いている。
冬至を過ぎた風が吹く寒さの中に、機械警備の赤外線で囲まれた建物にはない暖かさが、
そこに見える気がする。
■2000/11/16 (木) タマゴかニワトリか。 「防犯」の腕章をした背広姿の男性達が道ばたで色々なヒトに声を掛けています。
そこへ通りかかると、その中の若い一人が近づいてきました。
「ちょっとすいません」
彼は、背広の内ポケットから黒い手帳を滑り出させ、「こういう者ですが」と話し始めたそうです。
実際の警察手帳は、ドラマで出てくるものとはちょっと違う、と聞いたことがあります。
実際の捜査も、ドラマや漫画や小説のように単純なものではない、ということも耳にします。
確かに、実際の操作の手法を厳密に再現すると(「踊る大捜査線」ではだいぶ忠実に、それをメインに描いて
いたようですが)、読み手にも複雑怪奇なものになってしまいますよね。
十津川警部を中心に、数人でさっと解決すればいいわけだ。
ドラマは現実を簡略化し、要点にポイントを当てて、おもしろさを引き出しているのでしょう。
そんな中で、「黒い手帳を背広の左の襟の後ろからちょこっと覗かせる」というスタイルは、どっちが先
なんだろう。
口の周りに丸くヒゲをはやした彼がほっかむりをして、唐草模様の大きな風呂敷をかついで歩いています。
・・・・・「あ、どろぼう!!」
イメージって、そんなもんかな。
聞き込みの警察の人達は、逆輸入なのでしょうか。
そういう文化も、あり。
■2000/10/24 (火) 変わるものと変わらないもの? サザエさんはかつて、次回予告のあとに、お菓子を喉に詰まらせていました。
エンディング曲の最後に、列になった磯野家一家が家に入っていくあのシーンは、暗くなった窓の外と相まって
夢の日曜日の終わりと一週間の始まりを感じさせ、切なくさせます。
そのシーンでの心のちくちく感は、昔からあんまり変わっていないなあ、と思います。
今のサザエさんは、僕にじゃんけんを挑みます。
コニーちゃんのじゃかじゃかじゃんけんでも、レモンガスのCMのじゃんけんでも、気付くとしっかり手をだしている
自分に気が付きます。
で、この勝率がすごいんだ、本当に。
あいこも負けもなく、現在全戦全勝なんです。 信じられないでしょ? ってどうでもいいって?
試験でこういう「勘」がつかえればいいのに、そういうときに限って、間違えた方をひくんですよね。
すでにジンクスみたいなものになっています。
ジンクスといえば、ここのところずっと「電車に乗り遅れ、次の電車が当駅止まり」です。
そういうことって、続くんですか? どっかで誰かが見張っていじわるしてるんじゃないんですか?
「あいつはこないだ電車のところで意地悪したから、きょうはサザエさんに勝たせてやるよ。これでおあいこだ」
とか。全然嬉しくない。
先日、当駅止まりの電車をやりすごし、次に電車が来るときに、アナウンスがありました。
「大変申し訳ありませんが、次の荻窪行きの電車は、車両故障のため、冷房が壊れております」
ついこの間まで、地下鉄の冷房率は低かったのに。今はわざわざ断るんだなあ。
まぁ、当然涼しいと思って乗ったら暑かったら、ぴりっとするからでしょうか。
日比谷線とか有楽町線とか、ホームに電車が来て、窓が開いていたり、古い車両だったりすると、
「あー、暖房車だー」と叫んでいたのは、それほど昔ではなかったような。
今や、冷房がない電車には乗れないまでになっている自分に気が付きます。
だんだん身体は甘くなっているのかなあ。
サザエさんのエンディングの何とも言えないノスタルジーは変わらないのに。
■2000/10/02 (月) コマ ひょうたんからコマ、ってあるじゃないですか。
あのコマ、はクルクル回る独楽ではなくて、将棋の駒なのですよね。
「ひょうたんからコマ」ていうと、倒れたひょうたんの先からクルクルとコマが出ている図(すでにもう出たあとに
クルクルまわっている、いや、もう回り終わって転んでるなあ)が思い浮かんでいました。
まさか、将棋の駒とは・・・・。 転がったひょうたんの先に王将がある図は、僕の人生の中にはありません
でした。 王将なら頑張れば出てきそうだし・・・・・。
また無知をさらけ出している?
最近のトピックスとして、ディスペプシアという消化器(胃)疾患があるそうです。
潰瘍とかいう器質的な要因はないものの、胃の調子が良くない、という症状だそうです。
今頃一つの概念として取りざたされていますが、よく考えれば、昔からある「腹わたがにえくりかえる」とか
「腹が据わる」(これは違うか?)とか「腹が立つ」とか、何らかの要因が胃に悪さをする、ということですよね。
ようやく医学が追いついたといえるでしょうか?
慣用句とかことわざって、誰が作ってるんでしょう。。。
猫にタマ、犬にポチ、と日本で最初に名付けた人はすごいけど、慣用句を作った人もすごいと思います。
「二階から目薬」なんて、意外とあたらしそうじゃないですか。
何かつくりたいですよね。「14階から着地」とか・・・盗作か?
20年後くらいにそれが広辞苑に載って、孫に、「この慣用句はおじいちゃんが作ったんだよ」なんつって。
・・・・・野望のスケールが小さいかなあ?
■2000/09/16 (土) 夏祭り 夕日が沈み、あたりは徐々に夜の帳がおりはじめる。
自転車を漕ぐ足をさらに強める。 自転車はさらに力強く進む。
遠くから、だんだん喧噪が聞こえてくる気がする。
音は大きくなり、夢のような現実の世界の入口へと導く。
太鼓、お囃子、夜店の呼び込み、発電器、親子の会話、子どものはしゃぎ声、小学生や中学生の笑い声。
すべての音が和音となって、ひとつの音となっている。
普段は暗く、近寄りがたいその神社が、今日一日は、永遠の楽園のように変わる。
夏祭り。
夜店を冷やかす。
ウインドーショッピング、という言葉が銀座に似合うように、冷やかす、という言葉は夜店に似合う。
夏祭りの夜店は幼い日々の憧憬をフラッシュバックさせる。
それは、今も変わらない光景によるものなのだ。
やきそば、お好み焼き、射的、お化け屋敷、見せ物小屋。
硬貨を握りしめて走り回ったあの日の舞台が、寸分違わず今年もここに創り上げられている。
全く同じ場所で、同じ視点で、同じ気持ちで夜店を覗いている自分に、ふと気が付く。
夏祭りは、人を、あの日の自分に戻してくれる。あの日の心を思い出させてくれる。
翌日、まったくその余韻を残していないその神社と、その何とも言えない寂しさは、夢が続かないと
いう現実を教えてくれる。 夏祭りの終わりは、いつも切ない。
お囃子の音がだんだんと遠ざかり、今年も夏祭りが終わった。
やぐらや夜店が去り、がらんとした境内に、秋の風が吹き抜ける日も近い。
■2000/09/11 (月) 秋に思う、片想いとは。 新進の作家 吉村達也氏が登場人物の言葉にて曰く
「初恋のイメージは、あくまで思春期に捕まえた恋愛の標本みたいなもの」
多くは実らない初恋。 成長し、その後初恋の相手と再会するべきか否かを論じたときに出てくる台詞。
初恋っていうのは一度きりしかできないもので、それは最大限に甘く切ないもの。
もしも当時はこの上なく理想像であった少年少女が、時を経てあまりにも当たり前の人になっていたら。
概して初恋の相手像は当時から全く成長することなく、そして時と共に、もっともっと美化され増幅されているもの。
永遠に美しい思い出として残っている初恋を、十年二十年経て再会してしまったら、ひょっとしたら
壊れてしまうかもしれないじゃないか、と。わざわざ壊すことはない、と。
片想い、いわゆる一般の恋愛もまた然り、か。
片想い、そしてその終演も、そのときの心の痛みも、思い出を美しい永遠の標本として残すために
ピンを刺すときの、一瞬の痛みなのかも。
■2000/08/29 (火) 思いは時を越えて。 ダイエットを目論んで入会したフィットネスクラブ。
最初の1ヶ月は、がんがん通ったものの、二ヶ月目から行かなくなり、ついに半年目に突入しました。
じゃぁ退会しろよ、て感じなのですが、実は辞めるに辞められない理由があるのです。
それは・・・・・1年契約の個人ロッカーを借りてしまったこと。。。(って、おぃ!! と自分でつっこみ)
ロッカーの契約はしてあるのに、会員を辞めるのって、なんだかイヤじゃないですか!!
じゃぁ行けよ、といわれたらそれまでですね。 はい、その通りです。
そんなロッカーの中が、いまどうなっているのか、なかなかどきどきです。
汗をかいた靴とかズボンとか、6ヶ月経った今、どうなっているんだろう。。。
大きなきのこが生えてるくらいならいいけど、地球外生物が産まれてたり、サリンが発生してたりしたら
どうしよう。 考えると怖いです。 もう開けられないよね。
と、そんな話をしていたら、
「どーせずっと開けないのなら、1年後の自分に手紙書いて入れとけばよかったね」といわれました。
不覚にも大爆笑してしまったのですが。
一年後の自分へ。きっと今君は、ヒトがうらやむほどのナイスバディーになっていることでしょう。
ちきしょう、羨ましいぜ。 街の人々の眼差しが痛いことでしょう。 まるで大空を飛べそうなその身体の軽さ
がにくいです。
・・・みたいな。笑えますね。
タイムカプセル、というと、本ホームページのコンテンツでも話題になっていたのですが、1985年の
つくば万博のときに送った郵便の配達が、2001年の元旦からスタートするそうです。
16年後の自分に書いた手紙、うっすらと覚えています。
「好きな芸能人」に「ビートたけし」って書いたことと、「この内容じゃ、25歳の時にもらってもあんまり嬉しくな
いなぁ」と思いながら書いていたことだけは覚えています。 じゃぁ嬉しくないじゃないか。
小学生の時に、校庭の真ん中にタイムカプセルを埋めました。それは50年後に掘り返すらしい。
まだ物心ついてないときに何か書いて埋めたので、ちょっと期待。
でも50年後の自分を喜ばせてくれるような物を埋めるような粋な計らいをした覚えはないからなあ。
あんまり期待しない方がいいかなあ。
でも、でも。 時間を越えた自分からのメッセージに期待。
・・・その前にそれに応えられる人間になっておけって? 確かに・・・。
■2000/08/24 (木) お詫び。 かつて愛読していた雑誌は、「極力季刊発行」でした。
そんな雑誌には、「ごめんなさいコーナー」というページがあって、前号の訂正を一挙に掲載して
一気に謝っていました。そんな手作り的な雑誌が好きでした。
今や非常に人気が出て、「強力隔月発行」になり、ごめんコーナーも影をひそめているようです。
朝日新聞の社会面に、こんなコーナーができそうな勢い。―――「今日の異物混入」。
そしてその欄の下に、「食品会社からの今日のお詫び」。
今日のお詫び、といえば、1ヶ月以上日記が滞ってました。
削除されなかったなあ。びっくり。謹んでお詫びします。
連日の異物混入ニュースに、背筋が凍る思いです。
ごくごく飲んでいたジュースにハエが入っていたら、どーするのー?
―――ある人が缶のぶどうジュースをごくごく飲んでむせました。
その後何も知らずにそのジュースを回し飲みした隣のヒトが一言、「あ、これ、つぶつぶ入りなんだ?」。
うわー。何? 何が入っていたの?
ぶつぶつジュースってのも怖いけど、でもやっぱり、偽のつぶつぶジュースはもっと怖い。
そんなこんなで、いままで異物が入っていなかったことが不思議?
今まではただ気付かなかっただけなのかなあ。
ここにきて、やはり「知らないウチが花」てことを改めて実感します。
「ウソもばれなきゃウソじゃない」なんていってたとんでもないヒトもいましたが、納得?
ハエをわざとラーメンに入れて、店主に文句を付けてタダで食べる、という話もありますが。
お客さん「あ、おばさん、スープに親指が入ってるよ!!」
おばさん「大丈夫ですよ、熱くないですから」
どっちもどっち。
やっぱり、気付かないのが一番なのかなあ。
■2000/07/18 (火) 無知? ホントにふとした瞬間に、今まで知らなかったことを知る、というのはなかなか感動です。
快感ですよね。
目からウロコが落ちたり、膝をぽんって叩いたりしちゃうほどの発見だったりすると、
誰かに教えてあげたくなってしまいます。よね? そんなとき、この日記って、良い発表の場
かな、なんて思います。
・・・・・が、ちょっと待った。
ひょっとして、「そんなことも知らなかったの?」 てことばっかりだったら、ただ無知をさらしている
だけじゃないか。
「ねぇねぇ、知ってた、知ってた?」 に 「そんなこととっくに知ってるよ」 といわれる悲しさよ。
前置き長く、何を知ったかって、「海のシオ」には二種類あること。「潮」と「汐」。
シオザキさん、も「潮崎さん」と「汐崎さん」がいるものなあ。
で、「潮」は朝の満ち潮、「汐」は夕方の満ち潮なんだと。満潮干潮ですね。そうかー。
漢字がそのままだもんなあ。 感動。
「ピンキリ」の「ピン」が「1」で「キリ」が「10」だって知ったときも感動だった。
「ハッパをかける」の「ハッパ」を「葉っぱ」だと思ってて、先生が生徒の頭の上に葉っぱをかざしている
図を想像していた自分が、「ハッパ」が爆弾の「発破」だと知ったときもショックだった。
人生、そんなもん。
無知もよし。一つ一つ物を知る喜び。あぁ・・・なんて小さな幸せを噛みしめてみたりして。
え?それだけ? ええ、それだけ。