〜TAKAの自虐コーナー〜
《TAKAをぶっとばせ!》
produced by TAKA
先日、管理人様の許可を得られたことにより、これからこのページでは
不定期に様々なコラムを発表していきたいと思います。
堅い話から、ヤバ系の話(^_^;)まで何でも扱っていくつもりです。
興味のある方は、時々覗いてみて下さいね!!
「なお、こんな話題を扱って欲しい!」という要望をはじめ
私に対する、誹謗中傷、抗議、嫌がらせ等は下記のメールアドレスへ!!
取り上げて欲しいテーマ,質問,ご相談なども随時募集中です。
第一話「ある思い出」
私はその昔、目白にある椿山荘(フォーシーズンズホテル)の近くに住んでいました。
そして通っていたのが、椿山荘の隣にある小学校。
小学校1年生から高校の最後まで住んでいたから、計12年間住んでいたことになります。
自分の人生の中で一番長く住んだ所なので、すごく愛着があります。
小学生の頃は、よく椿山荘に忍び込んで遊んでいました^^;
そういえば、今でも覚えていることがあります。
あれは確か、小学校3年生頃だったでしょうか。
秋も深まったある日、友達と二人汚い格好でいつものように椿山荘に遊びに行ったときのこと
です。僕達は裏口のフェンスを乗り越えて中に入ると、本館の方に向かって、ずっと歩いていき
ました。すると日本庭園のところで、結婚式の後なのか盛装をした人達が、
みんなで記念撮影をしているところに出くわしました。
その日はすごく晴れていて、まぶしい光の中にウェディングドレスに身を包んだ新婦の姿がや
けに眩しく見えます。
その時はちょうど、写真撮影の合間らしく参列者は少しばらけて、思い思いの場所で歓談して
いました。
友達とボーっと皆の様子を眺めていると、近くに立っていた参列者の一人と思われる初老の男
性から話しかけられました。
「きれいだろう?」
私達はなぜか、少し気恥ずかしくなってしまい、何も答えずにもじもじとしてお互いの顔を見合
わせていました。
すると彼は
「君達も将来、あんな風にきれいなお嫁さんをもらえると良いね。」
私達は、そう言われたことによってますます気恥ずかしくなってしまい、何も言えないままその
男性にごまかすような笑みを浮かべ、しばらくその場に立ちつくしてしまいました。
その時、私は心の中で
「僕は一体、どんな人と結婚することになるんだろう?」と思いました。
そして同時に、何かもやもやした気分が心の底から湧きあがってくるのを感じました。
これが、私が初めて結婚というものを意識した瞬間かもしれません。
「結婚」って一体何なのでしょうか。
あの小学生の時に抱いたもやもやした感情は、今でもはっきり感じとることができますがそれ
が一体どういうものなのかは今になってもよくわかりません…
第二話「旅の本質」
我々は、常にどこかに向かって歩もうとしています。
以下の文章が、端的にその心情を表しているでしょう。
真夜中に、ひとり岸に立つ。いますこし待ち、そしてわたしは出発するだろう。
空自身もまた、すべての星とともに停止している。ちょうどこの同じ時刻、
世界のいたるところで港の暗い水を照らしているあの灯火におおわれた商船と
おなじように。空間と沈黙とはただ一つの重みとなって心にのしかかる。
突然の愛、偉大な一作品、決定的な行為、変貌する思想もまた、ある瞬間、
逆らいがたい魅力と重なったおなじ耐えがたい不安をあたえる。
存在することの甘美な苦悩、名を知らぬ危険のえも言われぬ接近、生きるとは、
してみればその破滅にむかって走ることか?あらためて、休むことなく、
われわれの破滅にむかって走ろう。
アルベール・カミュ「夏」(滝田文彦訳)
この文章は、人が「何ものかになりたい」と願う時の根源的な「衝動」を含んでいます。
「衝動」は時に強迫的な感情のうねりとなり、私達のアイデンティティーを揺るがし続けます。こ
れを「あせり」と言い替えても良いでしょう。
SPEEDの電撃解散の裏にも、このような感情があったのかもしれません。
近年の日本社会の閉塞感は、この「あせり」を顕著なものにしつつあります。
また、逆にその「あせり」から逃避するために、刹那的行動に走るものも増加してきました。(本
人達がそれを自覚しているかはわかりませんが)
我々には常に「進歩すること」が最善のことのように刷り込まれています。
だからこそ「空間と沈黙」に耐えられないのです。
そして、破滅に向かうかもしれないという危険を認識しつつも、どこかに向かって
歩き続けようとするのです。
しかし、それは果して真に私達が望んでいることなのでしょうか?
現在の自分を振り返る間もなく、次から次へと何かを求め続ける…
その結果、時々ふと「自分は一体何をしてきたのだろう?」と空虚な気持ちになることは
ないでしょうか?
このように…
喜悦は、おそらく、以前と同じくらい激しいのだ。だが、それは以前
ほど深く私の中に浸み込まない。それは、私の心の中に以前よりは弱い
反響を呼び起こすのだ。ああ、もしも生命が私の前でその約束を萎縮さ
せるのを私が知らないでいられたら……私の心臓は二十歳当時ほど強く
は打たないのだ。
アンドレ・ジイド「コンゴ紀行」(根津憲三訳)
最近巷では「本当の自分探し」とかいう、どうしようもない風潮がとても流行っています。
「本当の自分」などというものが幻想であることに、この人達は早く気付くべきです。
このような人達は、アイデンティティーが崩壊している、あるいは初めから形成されていないの
です。
人間の「個」の概念というものは、他者との関係性の中からしか生まれ得ないものです。もし自
己を規定したいのであれば、他者との関係性の中から規定していくしかないでしょう。もし、「本
当の自分」などというものがあるとしたら私に教えて欲しい。
私達の時間を、そのようなものに浪費するのは愚かとしか言いようがありません。結局それは
「あせり」が別の形をとっただけで、何の解決にもなっていないからです。
きっと私達に必要なのは、「空間と沈黙」に耐えるということです。
そこには余計な言葉も感情も一切必要ありません。
何処かへ行く必要なんてないのです。
ただ黙って現実を見つめること。
せわしない思考と感覚から一切を解き放ち、「自由」になることです。
その先に一体何が待ち受けているのか、それはまだ私にもわかりません。
しかし、人間の持つ「根源的な生き難さ」から少しは自由になれるかもしれない…
そう考えるのは、いささか夢想的すぎるでしょうか?
第三話 「予防医学的視点とは」
T.はじめに
この文章は、私が保健所へ実習に行ったときの体験をもとに書かれている。そして、これらの
事柄は医学生だけでなく、一般の方々にもぜひ知っておいておいて頂きたい。 何故ならここ
に示す現実は決して他人事ではないからだ。将来に備えて今のうちから準備しておくことが、
いかに大切なことかを理解して頂き、そして、それを一歩進めて自らが主体的に「予防医学」と
いうものに関わっていって頂けるなら本望である。
U.保健所とは?
まず私が、保健所に行って最初に聞いたことは「保健所は公衆衛生の実践の場である」という
ことと「Public Health Mindのもとでは医療も一分野に過ぎず、全体の関連性を見ていくこと
が必要である」ということであった。よって、私が注目したのは、よりマクロな視点からの「地域
社会と保健所の関わり」であった。つまり、保健所の個々の業務を見学する中で、保健所が直
面している問題全体を一貫する大きなテーマを抽出していこうとする試みである。本稿では私
が着目した点に対する現状と対策、そしてその中で果たすべき医師の役割について概説と問
題提起を行っていく。
我々がキーワードとしてまず挙げるのは「地域社会(コミュニティ)の重要性」と「高齢化社会
への対策」ということである。この二つは密接に相関しているので、このように分離して記載す
ることに異論があるかもしれないが、便宜上この二つに分けさせて頂いた。本稿ではこの二つ
のテーマを軸に、将来我々が目指すべき日本社会の在りようと、それに対する個々人の意識
の在り方を示唆する新たなキーワードを明らかにしていくつもりである。
V.地域社会の重要性
スマイル社会復帰センター
私が訪れたスマイル社会復帰センターは、回復途上にある精神障害者の社会復帰を支援す
るために以下のような業務を行っている。
@社会復帰のための相談…就労相談やカウンセリング
A通所訓練…印刷作業などによる作業訓練の他、昼食作りやレクリエーションなど生活技能
を身につけたり、こころをリラックスさせたりするプログラム。
B就労援助…デイケアや作業訓練を就労された方々に、民間企業などへの就労に向けて援
助を行う。
C社会復帰促進や自立生活支援のためのネットワーク作り
D社会復帰関連施策促進のための調査研究
このセンターに入所するには服薬していることが基本となっている。さらにデイケアを経験し、
ある程度他人とうまくやっていけるようでないと入所させてもらえない。入所するにはかなり厳
しい審査である。しかしそのような、ある程度他人とうまくやっていく能力を持った人達でさえ、
通所訓練を行っている人(常時24〜25人が登録)の中で、このセンターができてから4年経っ
ている現在、社会復帰が可能な人は年に一人づつ位の割合である。
このようになってしまう理由として二つのことが挙げられる。ひとつは、センターの居心地がい
いので離れたがらなくなってしまうということ。二つ目の理由は、外への開拓がなかなか進ま
ないということである。そして、特に二つ目の理由が問題になっている。つまり、民間企業に紹
介しても精神障害者に対する偏見から、受け入れ側が怖がってしまい、なかなか受け入れて
もらえないということだ。今までの社会復帰のきっかけは、センターの活動で食材を買いに行っ
たところの店が雇ってくれたり、スポーツ活動のときに来たコーチの家族が雇ってくれたなどい
ずれも地域社会の中で理解を示してくれた人に拠るところが大きく、センターとのつながりがあ
まり無かった所にアプローチしてもなかなか受け入れて貰えない。
よって、社会復帰には、地域社会の受け皿が必要である。それは、簡単に言ってしまえば、
地域住民の理解と援助の暖かい眼差し、そして偏見の克服によって作り上げられるものであ
る。現在は、このような受け皿が皆無に等しいので、これからは、医師などが中心となって地
域のネットワークを作っていくことが必要不可欠となってくる。このセンターの業務内容Cで述
べられていることが今後益々大きなウェイトを占めてくるということである。これは、精神障害の
みならずHIV患者などについても同じことが言える。しかし、「このような環境整備には、最低1
0年はかかるでしょう。」というお話からは、そうたやすい事ではないことがわかる。ここまでで
地域社会におけるネットワーク作りの大切さは御理解頂けたと思うが、この問題の重要性につ
いては後程詳細を補足していく。
もう一つ大切な点がある。これら地域社会のネットワーク作りに加え、さらに必要なのが民間
企業との橋渡しとなるような中間的な施設を作ることである。やはり、このセンターだけでは社
会復帰まで持っていくことは困難であるということで、もう一段階上の社会復帰支援施設が今
後必要になってくるだろう。
現在中野区をモデルにして東京都には似たような施設が作られ始めているが、理想的な環
境を作り上げるには、まだまだ時間がかかりそうである。
W.高齢化社会への対策
ここでは高齢化社会への対策という、もう一つの視点からアプローチしていく。まず区民健診
を例にとってみると、区民健診を利用している人は年間約十万人であり、約11億円の健診費
用は税金から賄われている。一方日本全体を見てみると、2025年には65歳以上の人口が
全人口の四分の一以上となるという予測は周知の事実である。健診だけでなく今後、ますま
す膨れ上がっていく医療費や福祉にかかる費用等は一体どの財源で賄わなくてはいけなくな
るのだろうか?そういう不安が誰にでもあるだろう。
ヨーロッパの先進福祉国家においては、EUの通貨統合に伴って、財政赤字を縮減するため
に、社会保障制度のリストラが進んでいる。
福祉の充実した「大きな政府」から、個人の自立と地域の助け合いを重視する効率的な「小
さな政府」へ。どこの国も、高齢化に対応し、医療、福祉、年金など各分野で、合理化、適正化
に向けて改革を迫られている。日本も超少子化・高齢・人口減少社会を控え、橋本龍太郎前首
相も社会保障の構造改革を掲げている。
かつては経済的弱者として保護されてきた高齢者だが、最近は年金水準も向上して自立で
きるようになってきた。貧富の差はあるものの、低所得者に十分な配慮があれば、応分の負担
増はやむを得ないだろう。
構造改革のもう一つの狙いは社会保障制度の再編成である。身体介護や生活介助を必要と
する高齢者は毎年10万人以上増え、200万人を超えた。介護施設の増設を進めているが、
まだ40万人程度しか入所できず、大半を家族の介護に頼っているのが現状である。
そこで、日本ではドイツの介護保険を参考にした介護保険制度を平成12年度に導入するこ
とになっている。サービスを十分に提供できるのか、要介護認定は正確にできるのか、財政は
大丈夫なのか。様々な懸念や不安はあるが、保険料を払うことによってサービスを自分の選択
で受ける権利が生まれる。
一方、医療保険の抜本改革で、70歳以上の高齢者は、独立した医療保険に入る見通しで
ある。それは扶養されている高齢者も保険料を払う仕組みである。そして将来は、介護保険と
高齢者の医療保険が統合されて、医療と介護のサービスが一元的に提供されることになるだ
ろう。
このように、大きな視点からは様々な構造改革が推進されていることがわかるが、庶民レベ
ルでは今一つ、身近なことがどう変わるかが見えてこない。
そこで、先ほど述べたヨーロッパの福祉先進国の現状を見てみると、ある程度日本との相違や
問題点が明らかになってくるだろう。それをまとめると以下のようになる。
第一に、一口にヨーロッパといっても、それぞれの国に大きな差がある。その国の社会シス
テムはその国の文化に根差していて、採用するかどうかは、自らの決断による他は無い。
そして、日本国民が思い描くように、社会福祉国家が必ずしもばら色とは限らないということ
である。例えばイギリスはかつて「ゆりかごから墓場まで」といわれた。しかしその実態は、か
なりの資産を投げ出した後でなければ福祉の恩恵にあずかれない。
また、 意外に思われるかもしれないが、慈善という概念のボランティアは極めて少なく、大
部分の慈善施設は、有能なプロスタッフがどれだけ運営資金を集められるかにかかっていると
いう事実もある。これはお金があって、きちっとした制度の裏づけがあり、理念が遂行できると
いう、厳しい現実感覚があるといえよう。
その一方で各国において共通しているのは地域の中で支え合うコミュニティがしっかりしてい
ることや医療・介護のサポートが制度的にも行き届いていることである。
しかし、何よりも大切なのは、通りいっぺんに今のシステムに行き着いたのではなく、行きつ
戻りつ、幾多の変遷を経ていること。そして、むしろ各国とも今まで以上に、現状に対する危機
感を抱いているということである。「ヨーロッパは出来上がっているようでいて、そうではない」と
いう人もいる。事実はやはり試行錯誤の連続でもあるらしい。
しかしまたそこから学ぶことも多い。日本の未来は、どこを規範としたら良いのだろうか?その
答えは今しばらく出そうにも無い。
しかし、確実なポイントは二つに絞られる。一つは高齢になってもできる限り健康で、身体的・
精神的・社会的・金銭的な面で自立していられるようにすること(金銭的あるいは社会的な負
担は増えることはあっても減ることは無いと予測されるから)。これからは、自分の老後は自分
で支えるといった「個人の危機管理」的な意識を持つことが非常に重要になってくると思われる
。我々は、「国が何とかしてくれるだろう」という考え方から抜け出し、もっと金銭的なことに対し
ても危機感を持つべきではないだろうか?また同時に、この点において、医療費の抑制と高齢
者の自立を支援する予防医学の重要性についても御理解頂けると思う。
もう一つはそういった高齢者を地域社会が援助し助けていこうとすることである。「個人の自
立と地域の助け合い」ということにもっと関心を向け、私達の意識を改革し、そして行動を起こ
すことを通して「協調的なコミュニティ」の基盤を作っていくべきである。我々が行動を起こすべ
き時期はもうすでに訪れているように思える。
以上より本稿でまず提示した二つのテーマの重要性や将来の我々が目指すべきビジョンに
ついての概略を御理解頂き、いくつかの点については問題提起がなされたと思う。最後に今ま
でのことをふまえた上で、今後保健所や医師が、日本社会の中で果たしていくべき役割につ
いて考察を加えていく。
X.予防の視点からの保健所の仕事
保健所の仕事としては健康的環境作り、地域全体の健康度を高めるという0次予防が重要
である。健康的環境作りとは、人々の健康を守るための最低限の枠組み作りであり、行政全
体からの観点から取りまなくてはいけないものである。そして、これがヘルスプロモーションの
考え方につながってくる。
保健所では、民間でできるものはできるだけ民間でやってもらい、行政は、民間ではペイしな
い部分をサポートしていくという形で地域社会に関わっていこうとしている。よって、最低限の枠
組みさえできれば、後はなるべく民間の中で、利用者の声をもとに改善されていくことが最も良
い形である。かつては、官主体の面もあったが、保健政策の面でも規制緩和が進み、現場が
活性化していくことは良いことである。これからは、地域社会が自らの手で健康的環境作りを
進めていく必要がある。
前述したような「個人の自立と地域社会の助け合い」を実現するには、地域住民の社会や健
康に対する意識改革とそれに伴う行動をベースとして、その活動の方向性を決める大きな枠組
みのみを行政が整備していくといったお互いの協力関係を構築していくべきだろう。
医師にこの構図を当てはめてみると、医師は行政との協力体制のもとで、個々の良心に基づ
いて病院や診療内容を利用者の声をもとに改善し、質の向上を目指していくという地域密着型
の医療を目指す必要がある。そうすれば、その結果として真に患者の利益となり、患者に信頼
される医療が実現可能になってくるであろう。
かつては、医師会に所属している医師同士の自浄作用や相互チェックにより医師としての高い
質を保ち続けていたため、患者(利用者)の信頼があり地域社会におけるステータスや教育効
果を保っていた。しかし、現在は内部の結束力が弱まり、自浄作用や会員同士の相互チェック
の機能が十分に果たされなくなってしまっている感がある。それによって地域社会から離れ、
患者の信頼も薄くなってきてしまっている。よって、このようなところからも改善していく必要が
あるかもしれない。
Y.医師の役割
WHO憲章では健康のことを「健康とは、単に病気や虚弱でないということではなく、肉体的、
精神的及び社会的に完全に良好(well-being)な状態をいう」と定義している。そしてそのこと
から、先進国ではQOLが重視されてきている。QOLの尊重において、まず基本となる重要なこ
とは、十分なインフォームド・コンセントによって、対象となる人々の理解と納得を得ることであ
る。
これからの社会において「個人の自立と地域社会の助け合い」を実現させる上での医師の役
割とは一体何であろうか?それはただ単に疾病のインフォームド・コンセントを行うというだけで
はなく、患者の信頼と地域社会に根差した視点の基に、身体・心理・社会・実存の4つの側面
を含むインフォームド・コンセントを行うことによって患者教育を行うことである。患者の信頼を基
に進めるインフォームド・コンセントや患者教育は患者本人にとっても、また地域社会にとっても
非常に効果的に働くだろう。
このように、患者一人一人の社会や健康に対する意識や取り組み方が変化することを助け
てゆき、ひいては地域社会全体の社会や健康に対する意識の変容の手助けしていくことが、
これからの医師の責務であろう。