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Zawaさん創作の道を歩む

 以下は、石沢さんが自分で作成した、陶芸旅行の記録でアル。

長文なんで、ちょっとした目次(リンク)を作っておいたケド、跳んだ先から戻るためのリンクを張ってないんで、目次に戻る時はCtrl+Homeなり何なりして下さいな。


      笠間・陶芸の旅 2000 ////////////石沢 雄二


  まえがき  ////

  6月 4日, 早朝,茨木県の宿泊先だった『館林プラザホテル』の客室で目が覚めま
した。
何故,こんな所に宿泊しているか,と言うと前日の6月3日に渡良瀬遊水池で気球搭乗
に成功した翌日なのです。気球搭乗に成功して緊張感が無くなったせいもあって今日
の朝まで記憶にないほどの熟睡状態でした。
この日は,もう一度,気球搭乗をした渡良瀬遊水池に向かって次回計画している陶芸
体験の準備の為にある人と逢うために車で向かう予定に成っています。
今日のホテルから見る外の空模様も前日と同様に快晴です,風も殆ど無風状態で絶好
のフライト日和です。
私達は,本日のフライト予定はないのですが,今日,お逢いする人が本日の早朝に体
験フライトをしているのです。
時計の針は,8 時を廻っています。本日の早朝のフライトも終了しているでしょう。
私と介助ボランティアの岡君, 田中さんの 3 人は,2 晩,お世話になった『館林プ
ラザホテル』を出発して,再び車で渡良瀬遊水池に向かいます。昨日は,夜明け前に
ホテルを出発したのに今日は,日差しが眩しいくらいの晴天です
。それにしても,眠い眠い,2度寝したら気持ちがいいでしょうね。
また,気球に乗りにこようかなという思いを胸に 2晩宿泊したホテルを離れます。
車の渋滞もさほどではなくて,順調に渡良瀬遊水池内の駐車場に到着,遊水池内の
上空では今日もスカイスポーツをする人達が上空に花を咲かせています。
ボランティアの田中さんが,昨日,私がフライトをした時にお手伝いしてくれた林田
さんに携帯電話で連絡してくれました。
電話での状況では,林田さん達のフライト予定も無事終了したので『遊水池近くのコ
ンビニに来て下さい。』との返事。
私達一行は,再び車に乗り込んで林田さん達との待ち合わせ場所である”セブンイレ
ブン”に向かいました。
数分後,待ち合わせの場所になっている”ヤマザキ・デイリー”に到着すると林田さ
んの愛車が,コンビに横の駐車場に停車しています。私達の車も同じ所の駐車場に車
を入れます。車内から外に出ると先ほどにも増して強い日差しです。まるで真夏のよ
うですよ。遊水池と比べるとヤマザキの建物の周囲は,コンクリートなので太陽の照
り返しもあってでしょうか,いっそう暑く感じます。
林田さん達は,強う日差しを避けてヤマザキの建物横の日陰で腰を下ろして休んでい
ます。昨日の気球搭乗の時よりもみんなかなりリラックスした気分でご挨拶。
昨日の気球搭乗時にパイロットを勤めてくれた  I氏や押田さんも早朝のフライトを
終えてヤマザキにいらしていたのでさっそく朝の挨拶。
皆さん,早朝のフライトを終えると皆さんコンビニに来るのが日課のように成ってい
るようです。
この渡良瀬遊水池の周辺では,ファーストフードのお店は,24時間営業ではなくて
午前10時にならないと開店しないお店が多いそうです。そんな訳で早朝に気球のフラ
イトを終えた人達は,機材の回収が終了すると皆さんコンビニ等に集まってくるので
しょうね。
おっとっと,又,話が長くなりそうなのでこの時,初めてお逢いした。大井さんのお
話に移りましょうか。?
大井さんは,陶芸家・陶芸教室の先生です。
何故,渡良瀬の地に来ているのか。?
きっかけは,気球準備をしている今年 2月頃,私のボランティアをしてくれている
田中さんと今回,気球登場のためのお手伝いをしていただいた林田さんがメール友達
でして,私が気球以外で陶芸をしてみたいことを田中さんが林田さんに話していたよ
うです。
此のお話を聞いていた林田さんから『私が,通っている陶芸教室の先生に石沢さんの
ことを話してみたところ是非,教えてみたい。』と言う返事が私の元に返ってきたの
です。
(人とのつながりって面白いですね。)
しかし,大井さんと言う人も,私が気球に乗る聞いて
『私も乗りたい。』と言いだし,渡良瀬の地に来てしまったのですから変わった人な
のでしょうか。?
この時が,コンビニの駐車場でお逢いしたのが大井さんとの初対面でした。
メール上では,何度かお話はしていたのですが,イメージ的には,真面目な文章の感
じでした。
(あくまでメール上)
実際にお逢いした大井さんの印象は,明るい,良く喋る,体力ありそうの三拍子揃っ
た感じです。反面,陶芸となると人が変わるかも知れません。

上空の天気は,台風一過なのでしょうか。身体を指すような強い日差です。帽子がな
ければ辛いくらいです。

こんなに暑いところでは話も出来ないので『どこかのファミレスに行って朝食でも取
りながら話をしましょう。』と言うことに成りました。
大井さんは林田さんの車に分乗して行きます。私達は,林田さんの車を追いかけるよ
うに後続に続いて車を走らせます。
道路の渋滞も殆ど観られず,ほぼ数分でファミリーレストラン『デニーズ』に到着。
お店の脇の専用駐車場に車を駐車してさっそく開店時間まもない店内に入りました。
店内では,いつものように『何名様ですか。』と営業スマイルのお姉さんの声。
直ぐに8人掛け位のテーブルに席を案内されます。 
大井さんと林田さんのお二人は,私達(私本人とボランティアの田中・岡,両名)
と対面するように着席しました。
(まるで,お見合のような感じです。)
先にオーダーを済ませようと思い出されたメニューを広げます。
こんなに早い時間にファミリーレストランを訪れたのも久しぶりです。昼休みにはま
だはやい此の時間帯は,殆どの人がランチメニューの様でした。さっそく軽食を注文
します。テーブルについた皆さんの注文を終わってさっそく陶芸の話が始まりました
。とても明るい大井先生,教えることも陶芸教室で実際に教えているのに私にどうし
て教えたいと思ったのか,?
大井さんのテーマはどうも『福祉と陶芸』の様です。
『自己表現としての陶芸について何を作ってもいいし,たとえ全ての作業工程が自分
自身で出来なくても作品に絵を描くだけでもいいんですよ。』と語ってくれました。
自分自身も物を作ることが好きで,幼い頃から壊れてしまった時計を分解したり修理
する事を良くしていましたよね,興味もあったし物がどの様に出来ているのか見てみ
たかった。物を作っている時間がたのしい。
果たして陶芸では,同じ様な気持ちになれるでしょうか。?
陶芸も基本的な事は,あると思いますが,逆に『何を作ってもいい。』といわれると
なんだかプレッシャーに感じてしまうところも出てきます。
しかし,せっかく,人の手で生み出される物ですから実際に使える物を作り出してみ
たいし,いつか壊れてしまっても役に立つ物を作ってみたいですね。
制作した作品も又,自分自身なんですよね。
これから大井さんと一緒に陶芸を体験することに成りました。
後は,準備と場所です。
なにぶん,陶芸は初めての体験ですから今回一緒に同行してくれたボランティアの田
中さんと岡君にお願いして大井さんが陶芸を教えている新橋の陶芸教室で陶芸を体験
して貰うことにしました。  私が行ければいいのですが,  陶芸教室があるビルには
エレベータが無いので車椅子で出向くことが出来ません。
まずは,ボランティアのお二人に陶芸を体験して貰い,その様子を聞きながら
準備作業を進めようと思います。
本番の予定は,9月上旬の予定。場所は,茨木県笠間市・工芸の丘。
(大井さんの個展の日程が,10月上旬にあるので一ヶ月前に設定しました。)

大井さんとのお話も和気あいあいのうちに終わりました。
ファミリーレストランの外に出てみると梅雨の谷間とは思えない日差しが身体に当た
ります。
そういえば,大井さんも今日の早朝に気球の乗ったのでした。
いきなり,気球に乗りに来て1時間乗れたと話していました。
これは,かなり運がいい人だと思います。
天候に左右されやすい乗り物なのに殆どフルにフライトが出来たようです。
今週の週末は,本当に天候に恵まれました。
お別れする前に車椅子を見て貰おうと駐車場に停めてある車から手動車椅子を引っぱ
り出して貰います,丁度,気球搭乗用に足先を乗せている部分フットレストを取り外
した状態になっていたので車椅子としては,一番コンパクトな状態です。
問題は,車椅子が,現地の工房のテーブルと合うかどうかですよね。
肘を乗せている肘台はデスク型(肘台が短い形)なのでテーブルには邪魔に成らない
のですが,膝の高さが気になるところです。地面から膝上。大腿部上部までの高さは
約60センチ位です。
テーブルの件については,現地の工房と連絡を取ってみないと確認が取れないので大
井さんにお任せすることにしました。
とにかく,出来る限りの準備を整えて本番の陶芸に備えようと思っています。
大井先生とは,この場所でお別れです。
私達も気球搭乗を無事成功させて千葉の病院に戻ることにしました。
帰り車中では,程良い安堵感と疲れが交錯する感じです。本当に無事に予定をこなせ
て良かったです。思い出は,瞼の裏に焼き付けておきましょう。

 まえがきが,長くなりそうなので,この辺でとどめておきましょうか。?


 1999年 2月

 1999年の目標に気球搭乗と『陶芸』を掲げて始まった此の年。
もう, 此の年も2カ月が経ってしまいました。調べられることは,情報を収集してお
こうと動き出したのがこの時期です。
陶芸の最初は,確か『陶芸と温泉』だったんですよ。
情報収集は,『陶芸』『温泉』の両方で行うことにしました。
メール友達,ネット内,Web を頼りに集めた結果。
知人にも聞いて廻って静岡県川奈の『日下部陶芸』,どうもここはペンションも兼
ねているようです。
病院の同じ病棟の患者さんの中に『日下部陶芸』で陶芸を体験した方がおりまして,
その方に話を聞いたところ『建物の入り口に階段があって,介助者の人数が揃わない
と移動が厳しい。』と言う話でした。
それから群馬県の新治村にある『匠の里』で陶芸が出来るという情報が得られ
調べてみました。
『匠の里』は,陶芸の他にも,石工や,草木染め,わら細工など,モノ造りが体験で
きて楽しいところのようです。
三国街道(国道17号)沿いで,旅館が 7件ほどの小さな温泉郷です。
『金田屋』と言う旅館が老舗だそうです。
家族風呂はありませんが,温泉街に外湯が 4つあり。宿で鍵を借り,チップをいれて
入るそうです。しかし,温泉街の旅館は,全て和室の様で車椅子の私は,畳敷きの部
屋に泊まることは出来ません。
(温泉地=和室旅館)
その他にも福島県大沼郡会津高田町にある『焼き物の里』。
神奈川県箱根町仙石原 『仙郷楼』の情報が得られたのですが, 以外と問題が多くて
『陶芸と温泉』結びつけるのは,案外大変な状況になってきました。
此の後,情報がぱったり入らなくなり手詰まり状態に陥ります。

此の年,春先から続いた体調不良のお陰ですっかり病人に成ってしまいました。
ひたすらベットで寝込む日々が続いて行きます。

2000年のミレミアムを向かえても体調が安定しなくて困りましたが,春先近くなった
頃,やっと少しは,動けるように成ってきました。
(本当に長かった。)
体調面を考えると気球搭乗を先に成功させてから,陶芸に向かおうと思います。
此処で無理をすると取り返しのつかないことになったら大変ですからね。

3月上旬のある日,ボランティアの田中さんから1通のメールが舞い込んで来ました。
田中さんのメールの内容によると『私のメール友達の中に東京都内新橋で陶芸を習っ
ている林田さんという方が居て,林田さんに私が陶芸を体験したいことを話したら
陶芸の先生に私の事を話してくれたようです。』
このメールが大井さんと出会うきっかけに成ったのです。
偶然とは,恐ろしいもので田中さんのメール友達の林田さんという方,どうも気球に
も乗っているようです。この時のメールが縁で林田さん所属のバルーンチームの方と
のつながりが持てました。
大井さんともこの頃からメールを頂くようになって初めての対面を気球搭乗を終えた
翌日の6月4日にお逢いする予定でゆくまで話は,進んで行きます。

6月4日,”まえがき”でも書いたように渡良瀬の地で大井さんと初対面を終えて
私達は,無事,千葉県の病院に戻りました。
病院に帰ってから大井さんとのメール交換が続き大井さんと連絡を取りながら陶芸の
準備が徐々に始まりました。
陶芸を行う場所は,未だ正式に決まって居ません。
でも私の出来る準備をはじめることに ///
私の入院先のリハビリの先生でN先生という方がおられます。
N先生は,此の年の春に他の病院から私の入院している病院に赴任してきた方です。
此の先生,実は,陶芸をやられてキャリア 8年という方で色々話を聞くことが出来ま
した。以前,勤めていた病院では,患者さんがリハビリで陶芸を行っていたそうで病
院の敷地内には作品を焼き上げる窯も合ったそうです。
実際に患者さんがどの様に作品作りを行っているか。?
N先生曰く『陶芸は, 結構力のいる作業なので皆さん, それぞれ工夫をしています
よ。指のない患者さんは,長めのヘラを作ってそれを脇の下に挟んで作業しています
。道具を工夫して口にヘラをくわえて作業している人も居ましたが,石沢さんの場合
はどうかな,それに,皮膚の弱い人は,粘土で手がかぶれることもあるし一応,薄手
の手袋を切って指だけでもカバーしたらどうでしょうか。?』と言うアドバイスを頂
きました。
(結構,陶芸も大変そうだ。)

7月2日,私は,東京都内でコンサートを観に行くために外泊した日です。
コンサートを観戦した後,大井さん達と新宿で食事をご一緒する予定になっています
。場所は,都内代々木にある代々木東京第一体育館,目的がコンサート観戦だったの
で場所を選べない事は仕方がないにしても代々木という場所柄,私には何て不釣り合
いな場所なんでしょう,帽子を被っていて良かった良かった。
(被ってなかったら恥ずかしくてしょうがない。)
一緒にコンサートを観てくれたボランティアの沖本さんと約2時間の公演を見終わり
,会場の東京体育館を出たのが 20:30 位でしょうか。?
会場の外は,もう真っ暗,予定より遅れて大井さん達との待ち合わせ場所になってい
る西新宿の中華料理店『東京大飯店』に車で向かいます。
待ち合わせの時間を過ぎていたので,携帯電話で大井さん達に連絡を取り,先にお店
に入っていて貰うことにしました。
数分後,西新宿の中華料理店『東京大飯店』に到着。
東京大飯店は, 6月の下旬にボランティアの岡君に予約を入れて貰ったお店です。  
(東口,靖国通り沿い,大きな段差は確か無くて,エレベーターには乗って予約した
テーブルまで行けます。行く時間が遅くなると,飲茶の種類が激減して,通常の料理
のみになるそうです...)
とりあえず,お店地下の駐車場に車を入れます。
地下で車の誘導をしている係の人の誘導に従って車を駐車。
(やれやれです。)
駐車場で車の誘導してくれた方の話によるとお店に駐車場は 22:00  までしか車を止
められないと話していました。 
『22:00に成ると駐車場の出入口のシャッターが下りてしまうので車はだせません』 
と話していました。
(お客さんが最後に出るまで待ってくれればいいのにね,ちょっと不親切。)
車を下りて急いでお店のエレベータに乗ります。
エレベータに乗った直後,一人の男性がエレベータ内に飛び込んできました。
押田さんでした。
押田さんは先に到着しているのかなと思っていたのですが,どうやら私達と同様に遅
刻してきたようです。とにかく4階のお店まで向かいます。
エレベータが到着してさっそくお店に突入。
車椅子でも割とゆとりがある店内で助かりました。
大井さんと林田さんはもう出来上がっているかな。と思いきや
私達を待っていてくれました。
さっそく挨拶を済ませて飲み物を注文。
とにかくお腹が空いたのでお店で有名なヤムチャをみんなで行き追いよく注文。
飲み物も運ばれてきたところで皆さんの再会を祝して『乾杯』
大勢で食事を取るってやはり美味しいものでみんなよく飲み,良く食べ,良く話しの
三拍子揃っています。心配だったのは,林田さんが風邪で体調が悪かったことと押田
さんが,かめだしの焼香酒をグビグビ飲んでいたことでしょうか。?
お腹も一杯に膨れたところで閉店間近の中華屋さんを出て一路,今日の宿泊先の
『京王プラザホテル』へ車で向かいます。
車中から見る新宿の夜の街並みは,久しぶりに歩いてみたいような見たくないような
感じでしたが,やはり危険かな。土曜日だし酔っぱらいにでもからまたら大変です。
ネオンが照らされている街並みを抜けて数分
東京都庁庁舎に程近い宿泊先の『京王プラザホテル』
車をホテル正面に乗りつけ,周りを見渡してみるとやっぱり真夜中でも偉そうに建っ
ている都庁の大きさが眼に付きます。
ホテルのロビーに入りフロントでチェックイン。
身障者対応の客室が8部屋在るホテルと聞いているのでその部屋の一つを予約してい 
ます。エレベーターで客室のある階まで案内されてさっそくお部屋に突入。
お部屋の広さもまずまずです。問題のトイレや洗面台も車椅子で使えそうです。
ユニトバスもシャワーチェアーか置いて在り助かりました。シャワーの長さも問題な
しで十分な長さがあります。残念だったのはシャワーチェアーに背もたれが付いてい
なかったのでちょっと座りにくい感じです。 去年宿泊した新宿の某ホテル T.H とは
随分違います。此のホテルは,合格点をあげられますよ。
お部屋に戻ってからは,殆ど飲み会状態です。
いつのまにやら,テーブルの上はお酒の瓶と飲み物・おつまみで一杯になっています
。しばらく,大人同士の談笑が続きます。
途中で林田さんが戦線離脱,風邪が治りきっていないので早めに他のホテルを探して
寝たいようでした。残念ですがリタイアは仕方ないですね。
残った人達で話が進んで行きます。
それにしても大井さんは,元気です。
『陶芸は,本能』と言い切る大井さんの作品は,その都度の作品に生かされているよ
うです,過去の作品を観ているとその時,自分が置かれている状況やその時どんな気
持ちでその作品を作っていたかを思い出すそうです。
私も少しは作品を制作して大井さんの気持ちを味わってみたいものですね。
せっかく製作するなら実際に使える物を作りたいです。
壊れてもいいじゃないですか。お飾りは作りたくないです。
気になる話として陶芸の粘土には,バクテリアの様なものが在るらしくて人によって
は手がかぶれるようです。詳しいことが解らないので後日調べてみようと思います。
一応,病院の皮膚科の医師にも確認をしてきます。

これから陶芸を体験する場所は大井さんにお任せして私は自分の出来る準備をしよう
と思います。工房は,現時点では予定通り茨木県笠間市の『工芸の丘』になりそうで
す。
時期は, 9月の上旬予定,テーブル等の高さについては調整が可能かどうか大井さん
が確認を取ってくれるとお話ししてくれました。
そして,週明けにもボランティアのお二人にお願いして新橋で行っている大井さんの
陶芸教室に足を運んで貰うことにしました。私が実際に陶芸を行うときの参考になれ
ばと思います。
(デジカメで画像も撮ってきてもらうことにしました)


飲み会も午前様の午前3時,最後まで元気だったのは大井さんだけだったでしょうか
。大井さんとは此処でお別れです。
ホテルからタクシーに乗ってご帰宅です。
ご苦労様でした。
大井さんが帰宅した後,ホテルの客室に残ったのは,押田さん。
だいぶ,飲んでるぞ。
ベットサイドに置いて在る椅子に腰掛けてはいるけれどいまにも熟睡体勢です。
私達も寝る時間が無くなってしまいますので早々にお風呂に入ってしまうことにしま
す。ホテルのお風呂は,シャワーチェアーが置いて合ってとても良かったのですが
やっぱり椅子に背もたれが付いていないので座ったときの安定感が今一つ良くありま
せんでした,その代わり壁に付けられていた手すりに捕まることが出来たので良かっ
たです。
お風呂も無事クリアーしてベットで寝る頃は午前5時頃, 長い夜が終わりを告げまし
た。(押田さんは,未だに椅子の上で爆睡中)
お休みなさい。

数時間後の午前10時頃。
アラームが鳴り出す。
シーン,KO された K1 選手の如くお酒パンチを食らった人は,起きない。
先に起きてきた,岡君に『カーテンを開けようか。?』と頼む。
カーテンが開かれると其処はまさに満天の日差しが差し込む躍動する街・新宿です。
しかし,午前様の私達には,こたえること,こたえること。
カーテンが開いて客室が明るくなると何故か岡君が寝ていたはずのベットに誰かが寝
ています。
あれー,まさか。
それは,まさに押田さんでした。
どうも,昨日の夜中に爆睡していた椅子から岡君のベットに潜り込んでしまったみた
い。
岡君は,昨夜は床で雑魚寝しちゃったみたい。
悪いことしちゃったな。(反省。反省)

本日の予定は特に決めてはいません。
でも,ホテルのチェックアウトに時間が迫ってきているのでのんびりとはしていられ
ません。
身支度を整えて 10:30 頃, 京王プラザホテルをチェックアウト,一歩外に出ると午
前様にはちょっと辛い太陽でした。
私達は車に乗り込み近くにあるデパートに向かいます。
去年,早稲田大学を訪れたときに立ち寄ったパスタ屋さんが美味しかったのを思い出
し,もう一度食べたくなったのです。
デパートの駐車場付近に近づくと車がかなり列んでいます。日曜日のお昼時ですから
駐車場の在るデパートに車が集中するのでしょうね。
待ち時間が長くなりそうなので,押田さんとは此の場所でお別れすることになりまし
た。押田さんは,これからフィトネスジムに向かうそうです。
その後,やっとデパートの地下駐車場に車を滑り込ませてから御飯にありつけました
。(満腹に成るとまた眠気が襲ってきます。)
予定も無事完了。
ゆっくり車に揺られて千葉の病院へ向かいます。

無事,病院に到着後,時間があったので病院のオーバーテーブルを使ってもう一度,
実際に陶芸をするときの様子をシュミレーションしてみました。高さか合いそうなテ
ーブルを選んで電動車椅子をテーブルにつけてみます。すると右手にある車椅子のコ
ントローラの部分がテーブルに当たってこれ以上車椅子がテーブルに近づきません。
しょうがないのでコントローラ部分を車椅子から取り外すことにしました。
その結果,テーブルと車椅子の間に数センチの隙間が出来ます。
さっそく車椅子を近づけようとすると
田中さんが一言『これでやっちゃおうよ。』
嬉しそうに取り外したコントローラを握っている。
『素人に微妙なコントロールは,無理無理。』と言ってはみたものの後の祭りでした
。軽く前に行き過ぎた車椅子はテーブルにぶつかりました。
手をぶつけたヨー。
何とかテーブルと車椅子の状況も掴めてあとは当日までの準備に入れます。
みなさん,ご苦労様でした。

 あれから数日,陶芸を行うときの腕の固定をどうしようかと頭の中で試行錯誤して
いました。作業時間が長くなることを考えて左手はフリーにして最悪,疲れたとき上
半身を支える支持にまわしたほうが正解かも知れません。残った右手で実際の作業を
行おうと考えました。
右手の固定方法ですが,肘を固定して紐で吊る方法がいのではと思いつき。
二辺の長さが15センチの直角二等辺三角形の布を2枚縫い合わせる(一番長い一辺は 
肘を入れるところなので縫い合わせません。)
縫い合わせていない部分ぼ布に紐を通すための金具を取り付けます。
後は製作するプロテクターに紐を通し首に紐を掛けて肘を固定できればと思います。
プロテクターの製作は,病院のリハビリ先生が製作をしてくれます。
 8月に近づく頃,準備が急ピッチで進んで行きます。
陶芸の粘土で手がかぶれるという話はどうやらカビが原因のようでした。
しかし,陶芸を行った後のスキンケアをきちっとしていればそんなに心配はいらない
ようでした。念のためにお盆休みに東京の実家に帰る予定がありますので皮膚科の医
師にも聞いてみようと思ってます。
医師の確認も取っておきます。
それから数日後,千葉県内在住のボランティア・K.I君から続けて2度,郵便物が病棟
に送られてきました。封筒の中身を開けてみますと陶芸で使用するヘラが十数本入っ
ていました。陶芸の話をメールで書いていたので気を使ってプレゼントしてくれたよ
うです。(感謝・感謝)
大井さんからの連絡が入り陶芸本番の予定が決定しました。
9月2,3日。場所は当初の予定通り茨木県笠間市にある『工芸の丘』です。
リハビリの先生に頼んでいた右肘用のプロテクターも完成して着々と準備が整ってき
ました。
宿泊先のホテルは『イオ・アルフェラッツ』に決定,どうも工芸の丘から直ぐ近くの
ホテルのようです。

お盆休みを東京の実家で過ごしてから
病院に戻った頃は8月も下旬に差し掛かってきました。 最終的な準備のために岡君が
病院に来てくれます。
大井さんが先生を務めていた陶芸教室の様子もデジカメで見ながら最終的な確認をし
ました。以外と粘土は堅いようです。

さあ,いよいよ本番です。


9月2日(土曜日)とうとう陶芸大会の朝がやって来ました。
病棟の窓の外を見上げると,今日も晴天。嬉しいな。それにしても暑そう。
いつものように,朝食を済ませて,一休みしてから車椅子に乗車。
出発する時間はお昼頃なので,いつものように昼食を食べ終わるまでは平常の病棟
生活。 お昼12時頃, ボランティアの田中さんがいつもの調子で病棟にやって来る。
(今日もラフな格好だ)
昼食を病棟で済ませた後,病室に戻り,田中さんと出発の準備を始める。
今日はどうなる事やら。

準備も早々に済ませて,午後12時半頃,後から病院の玄関で待ち合わせをしている
岡君と合流するために病棟を後にする。 時間が少し早かったので,岡君のPHSに電話
をかけてみる。
電話をかけてみると,もう病院の近くの中央公園に到着している事を確認したので,
私達も病院の玄関にそのまま直行する。病院の玄関にたどり着く事数分。
林田さんがひまわりのような笑顔で現れた。
(今日も元気そうだ)。
林田さんと無事に病院玄関で合流し,早速,公園の方へ車椅子を走らせる。
本当に今日もいい天気だ。
中央公園に到着してみると,今日のメンバー,大井さん,押田さん,岡君がちょう
ど車から降りて出てきた所だった。 挨拶も程々に,荷物を車中に積み,早速6人で車
に乗り込む。
車に乗り込んでみると,合計6人の乗車はさすがにちょっと辛いものがある。
(誰とは言いませんが)。早くも車中はピクニック気分。
マイクを持たせたらカラオケでも始まるかなという感じ。
これからどうなるんだろう...
運転手は今日もボランティアの田中さん。持参してくれたカーナビをセットして,
いざ出発。ここから東京までのルートは,実家の東京に戻るのと同じルートです。四
街道ICから東京方面に向かい。湾岸通りから中央外環を通って東北自動車道に乗りま
す。
渋滞もほとんどなく,順調に首都高速を抜けられた。
天気は快晴。今日は何度になるんだろう。
車中では,デジタルビデオカメラを持った林田さんが,運動会の父兄の様にはしゃぎ
ながらビデオを回している。ちょっとビデオが小さいかな。
その反面,大井さんは,ちょっとお疲れ気味。
そのまま順調に東北道に入り,一度休憩を取るために,サービスエリアに入り,休憩
を取る。
(ここまでは順調)。
。

茨城県に入った辺りで,ちょっと小雨のような雨がフロントガラスに降り注いだが,
ほぼ天気雨のような感じで,すぐに天気が回復。無事に常磐道の岩間ICで降りて一般
道で工芸の丘へ。
後はカーナビ君の指示通りに笠間市の陶芸の丘に向かって移動を始めました。一般道
に入ると,周りの風景は陶芸の看板だらけ。まさに陶芸の町にふさわしいたたずまい
です。
直接陶芸の丘には立ち寄らないで,今日の宿泊地のホテル『イオ・アルフェラッツ』
に向かう事にしました。このホテルを選んだのは,はっきり言ってここしかホテルが
無かったからでした。
(ちょっと内心不安)
とりあえず荷物だけでも下ろそうと思い, ホテルに立ち寄ります。 工芸の丘から約
300mくらい離れた場所に建てられてるようです。無事ホテルに到着して,車中から外
に出てみると,凄く暑い。全くこっちが焼き物になりそうな気分です。ホテルの駐車
場の横に車椅子で走っていると, 何とそこには墓地がありました。
(夜は涼しそうかな)
荷物をフロントに預けてから,早速現地『工芸の丘』に向かいます。車に乗ったかと
思うと, ほぼ1分で到着。 歩いても一緒だったかな。 ギャラリーロード沿いにある
『笠間芸術の森公園』内,北ゲートを入ると,うねりのある坂道。そこを無事のぼっ
た所にSさんが出迎えてくれました。車を停められる場所に誘導して頂き,無事に現
地到着。意気込みを新たに,車から降りていきます。車から降りてすぐに,『貸工房
・匠』に案内された私達は,まるで四次元の世界に突入した気分。それに比べて大井
さんはまるで飲み屋に着いたような慣れっぷり。
(でも,どこの工房へ行っても同じ感じなんだろうな)
早速手びねりの作業をするための部屋に案内される。

貸工房内は外観の鉄筋コンクリート風の建物と裏腹に,内観はログハウスのようなた
たずまい。貸工房で働いている職員の方も非常にラフな格好。入り口を入ってすぐに
電動ろくろが並んでいる光景が見られます。さぁ,本番です。先ずは作業テーブルの
調整から。テーブルを見てみると,少し低い感じを受けたので,早速ブロックを敷い
て高さを調整してもらいました。それから電動車椅子をテーブルにつけてみます。や
っぱりちょっともう少し近付きたいかな。電動車椅子のコントローラーをすかさず取
り外して,テーブルに近づいてみます。よかった,ばっちりテーブルに車椅子が納ま
りました。テーブルと車椅子の調整も終わって,早速本番です。私の前に手びねり用
のろくろが設置されて,気分はもう人間国宝。先ずは工房の方のお手本が始まります
。用意された粘土は約1kg。この量の粘土で,2つの作品を作る事ができるそうです。
工房の方のお手本が始まりました。
ちょっと甲高い声で『まずは板作りから』と話し出す。隣では,林田さんがデジタル
ビデオを回し始める。手慣れたように粘土を”ごにょごにょ”とこねたと思ったら,
あっという間に器が完成。続いて,粘土が板状になったかと思うと,周りの縁をひね
ってお皿が完成。私達一同は呆然と見ているだけです。最後に,コーヒーの缶を使っ
て板状にした粘土を巻き付け, 底を付けたらあっと言う間に器の出来上がり。
(簡単に見えたけども,果たしてできるだろうか。?)
職員の人が,私達に粘土を置いてくれます。『後はご自由にどうぞ』だって。
そこから最終準備に移ります。右手を固定するためのプロテクターを肘に装着。右肘
を半固定にするためです。そこから装具に紐を通して,首の周りに通すようにして結
びます。これで右肘が90度の状態で固定されました。
はてはて,何を作ろうか。迷ったあげく,灰皿とコーヒーカップを作ってみる事にし
ます。最初に作り始めたのが灰皿。板状にした粘土を丸くカットして,そこにひも状
の粘土を一段重ねていき,作業開始。最初はろくろを回しながら右手の指で作業をし
ていましたが,意外と粘土は硬く,早くもグロッキー気味。ちょっと指では辛いかな
,と思い始めた時『口でやったらどうなるんだろう。』
試しにやってみよう。
そこで取り出したのが, ボランティアのK.I君が私のために送ってくれたプラスチッ
ク製のヘラです。(なんでも持ってくるものですね。)
早速いつものようにプラスチック製のヘラを口でくわえてみました。なかなかいいの
がない。形というよりも,口にフィットするものがない。色々試したあげく,緑のヘ
ラは口にフィットしてたので,これで作業を続ける事にしました。パソコンで慣れた
割り箸さばきがこんなところで役立つんだね。最後にテーブルに置いてあった木の棒
を使って,灰皿の縁に溝を掘る。第一作目の灰皿も無事完成。
灰皿が完成した後,焼き上げる前に作品に塗る色をサンプルの中から指定して,
無事一作目の作業を終えます。ちょっと疲れた。休憩タイム。
一度工房の外に出て一息付く。外はまだ暑くて,今日は一体何度,と思うような
日差しが降り注いでます。
続いて二作目の作業に移ります。二作目はコーヒーカップ。この作品も灰皿と同じく
,丸い板にした粘土の上にひも状の粘土を重ねていきます。作業は灰皿と似ているの
ですが,高さがかなり違ってくるので,果たしてこれもできるのだろうか。一段目,
二段目と,順調に積み重ねていきます。三段目辺りから体力の限界。気持ちも衰え,
まるで大相撲,横綱千代の富士引退記者会見のような雰囲気。四段目辺りを重ねた辺
りで,今日の分は終了。
(本当は全部重ねたかった。)
明日また作業する事にします。そろそろ工房を後にして,ホテルに戻ろうかな。
外に出ると,日差しが随分低く,少し過ごしやすい感じになってきました。周りの
建物を少し見学して,大きい登り窯も見学。最後に周りの景色と周りの人との記念写
真を撮影して, 工芸の丘を去ることにしました。
(みなさんご苦労様でした。 でも,私達には第2ラウンドが待ってます。)
宿泊先のホテル,『イオ・アルフェラッツ』に戻って,早速チェックイン。
客室の準備ができるまで,フロント付近のソファーで待たされる。
数分後,客室に通された私達は,早速お部屋チェック。いつものようにベッドの位置
を確認して,バス・トイレを視察。バス・トイレはとても広くて,快適そうです。洗
面台も一応車椅子でOKかな。でもバスはちょっとラブホみたい。なんでシャワールー
ムがガラス張りなの? それに浴槽の上の景色が随分いいみたい。やっぱりラブホ...
..?
荷物も片付けて,早速夕飯を食べにみなさんと出かけます。
車で公園通りを北上。目的地は笠間稲荷神社裏手の日本料理屋『量深』。車を笠間稲
荷近くの適当な場所に駐車して,車を降りる事に。神社に入るとここは結構凄い砂利
道。 これぐらいなら通れるだろう,とそのまま電動車椅子で突き進む。
(タイヤ替えたばっかりなのに大丈夫かな)
ここで神社を横切るようにして裏道にでてみると,気持ち悪い暗闇。おまけにこんな
トコに病院まである。ちょっと夜は来たくないかな。目的地の料理屋さんは,比較的
簡単に見つかりましたが,まだ準備中。
お店の人が来るのを待ってる間,隣の駐車場で病気らしき猫がいるのに気が付く。だ
いぶ弱っている様子で,ちょっと可哀想でした。その猫に大井さんと林田さんが優し
そうに話しかけてました。 (男にもあんなに優しいのかな...)
そうこうしてるうちに,ご主人がお店に向かって歩いてくるのが見えます。甲高い声
で,『今開けまーす』と,言われて猫のいる前を通り過ぎます。『その猫病気なんで
すよ, 病院に連れていったんですけど,これでもよくなった方なんですよ。』。
(優しい主人でよかったね。)

ようやく,お店の準備も出来たようで私達はお店の中に突入,。
店内には行って直ぐ横にあるお座敷にみなさんは座って私はお座敷の段差の所に車椅
子をつける。
取りあえず,運ばれてきた飲み物で『乾杯』
お疲れさまでした。
天ぷらが美味しかったですよ。
食事中,大井さんの疲れている様子が眼に付きましたが,大丈夫でしょうか。

満腹で料理屋さんにお別れしてホテルに戻ります。
これから私はお風呂タイム。
丁度,シャワーチェアーも借りられたので安心してバスルームに入ります。
ガラス張りのシャワー室に三人の男達,ちょっと無口には成りたくない心境でした。

21時頃,林田さんが客室の扉を突き破って乱入。
大井さんは,ベットでひと休みのようです。
以後,永遠と大人の会話が続いて行きます。
0時頃でしょうか。
押田さんが『大井さんを見てくると言って』出て行きました。
押田さんの手には何故かデジカメが,///
最初は,みんな笑っていたけれど,なかなか帰ってこない。
(まさか)
心配をよそに数分後,やっと戻ってきました。大井さんも一緒です。遅くなった訳は
,大井さんの寝ている様子をカメラで取っているところ,大井さんに気がつかれてし
まったらしく, そのままマッサージをしていました。だって,ここから大人の会話2
の始まりです。
何時まで続いたろう。
それにしても暑い日でした。最高気温は39度のようでした。


9月3日,9時頃起床,陶芸最終日を向かえました。
ホテル内:ふ羅布と言うレストランで朝食を取る事になっているので早めに起床です
。客室から外の景色を見おろすと今日も暑くなりそうな予感がします。
着替えを済ませて 1F のレストランに集合。
みんな元気に朝食を食べています。
大井さんの元気が今一つなのが気になります。

さあ,此処からが陶芸の第2ラウンドです。
再び工芸の丘に足を踏み入れた私は,昨日のコーヒーカップの続きを行います。
二日目だからでしょうか,準備をして作業体勢に移るまでの時間はさほど掛かりませ
んでした。しかし粘土が一段と堅くなっています。布を濡らして製作途中の粘土に被
せておいて貰ったのですが,それでも指で押すとかなり重いです。時間を掛けてやっ
と紐を重ねてゆき外枠をヘラで修正していったところ器らしい姿になってゆきました
。残りの行程は,大井さんに修正していただき取っ手を付けて完成です。ようやく二
作目が出来ました。色は黒い色を指定しました。
つかれたけど面白かったです。
焼き上がった作品が出来上がって送られてくる頃は,10月の下旬から11月の上旬だそ
うです。楽しみに待っていましょう。
貸し工房を出てから今回お世話になった方達と記念写真を撮ったり,お土産物を見た
り,工芸の丘にあるミュージアムを最後に見学して楽しい時間はあっという間に過ぎ
てゆきました。それにしても此の二日間は暑かった。
又来られることを期待して笠間を去ることにします。

帰りの道中も6名で車に乗り込みます。
大井さんはこれから水戸市に向かうそうなので途中JR友部駅でお別れです。林田さ
んも常磐道の千代田PAで両親と合流するのでお別れになります。
みなさんご苦労様でした。


 最後に....

子供の頃,美術の授業なので変わった絵や作品を作ったことはありませんか。?
『何でこんなものを作ったのだろう。  』と首を傾げたことがありませんか。  ?
私も中学生の時に一度だけこんな経験をしたことがあります。
頭の中は,なにも考えていないのにこれが人の評価を受けたりしました。
大井さんは,陶芸は本能と話していました。
本能って誰にでもあります。本能を作り出す意識はどうやって生み出されるのか,
五感や経験によって培われてゆくものでしょうか・。
陶芸も古代の人々にとっては土器や水を溜めておく瓶だったのかもしれません。
それが長い歳月を掛けて世界中に広がっていったのでしょうね。
壊れてしまっても何度でも作るのは,人の生活にとって必要不可欠なものだったから
でしょう。人間には必要な物を生み出す力が存在するのです。
受け継がれてきた能力は,使わないと損ですよね。
私が粘土に触れてみて思ったことは,思い通りにならない事と時間を掛ければ作品が
なにかしらの評価を与えれくれる事です。
焼き上がった作品を見ていると二度楽しめる陶芸でした。


 楽しいことは,いいことだ。
 楽しいことは,沢山やりたいですね。
 大井さんに感謝,笠間市『工芸の丘』方にも感謝しています。
 一緒に同行してくれたボランティアの岡君。田中さん。
 林田さん,押田さんにもこの場を借りてお礼申し上げます。



                                                        石沢 雄二

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