プログラマの憂鬱[第1回]

■ やはり、昔のようには...

結論を最初にいうのもなんですけど、やっぱりプログラマ(特にゲーム類)を目指すなら昔のほうがよかったですね。最近になって、痛いほど痛感しています。

ここ数年で(Windows95出た頃からだな...)ハードウェアの性能が格段に上がってポリゴンぐりぐりなゲームがパソコン上でも楽しめるようになりました。そして、ユーザーへのOSの普及によってソフトも出しやすくなりました(昔のゲームは、FDDにOSを入れて売ってたもんなあ。個人じゃ、そんな芸当はできんかったのう...)。 さらにさらに、安価な統合開発環境(デバッガ付)が出てきたおかげで理論的には誰でも手軽にソフトウェアを開発して配布できるようになったわけです。

現在の利点と言えることをここまで並べても、昔がよかった言うのにはわけがあります。パソコンの進歩とともに、ゲーム専用機(プレステ、ドリー等)もまた進歩しました。そして、現在に至るまでに多くのソフトウェアが発売され普及していきました。 そのために、昔、スーパー○リオが全盛期だったころには別にグラフィックや音楽が貧弱でも売れていたものが、現在ではグラフィックや音楽は昔のまま止まってしまっているようなものではとても売れるものではなくなってしまいました。要するに、時間の経過によってユーザーの目が肥えてしまったのです。人々が、めんこやベーゴマで遊ばなくなってしまったように、古い感じのゲームには目を向けなくなったのです。懐かしむのは、子供のころからゲームをやっていた人がほとんどでしょう。

昔は、グラフィックや音楽が貧弱でもよかったということはある程度プログラムができる奴が一人いれば十分開発ができた、ということになります。昔のソフトウェアメーカーは数人いれば経営が成り立ってました。ところがどっこい、現在では数人月程度の開発能力ではユーザーを満足させるものが作れないのです。ユーザーを満足させるものを作ろうと思えば数十人、いや数百人の人を動員しなければできないでしょう。とってもじゃないけど、個人ではそんなことはできません。すべてを完璧に一人でできるような人間はどこにもいないのです。

同人ショップを回ってみて、ソフト開発の結論の一つをかいま見ることができました。数人で、かつある程度ユーザーに認められるだろう作品を提供していくための方法。それは、グラフィックの強化に走ることです。すなわち、美少女ものと呼ばれるものです。売っているもののほとんどがこれです。なかには、絵だけが入っているだけの代物もあります。ゲーム性があったとしてもほとんどが、AVG風のやつでその他のジャンルはほとんどないといっていいほどです。ちなみに、日本のソフトメーカーの多くはそっち系でしょう。パソコンが進歩したとはいえ、数年前の技術だけで済みそうなものが現在の主流を占めているような気がします。(画力は上がってるけど...)

よく、敷居が低くなったとは言われますが、それは全体の平均レベルが上がったということです。それと同時に、ユーザーの許容レベルもまた上昇したのです。そこまで達するためには、最新の技術の習得や、訓練をさらにつまなければならないでしょう。しかも、高度になりすぎて普通の人には到達できないこともあります。ユーザーの許容レベルはどんどん上がっていくのに対し、個人の開発能力は頭打ちになってしまう。その分だけ、現在は昔よりも不利なんです。なんか、敷居が低くなった分狭くなった感じです。

アニメの画風の進歩や、ゲームの進歩なんかを見ていると、専門家と一般人の格差がかなり広がってきているなと思います(プログラマも、グラフィッカーから見れば一般人)。 やはり、専門家同士で集まって互いの欠点を補い合うようなことをしなければ、一生満足のできるソフトウェアなんて作れないと思います。

- 1999年6月9日 -

[戻る]