1900系(1921) T1205W
交野線 星ヶ丘 2006年3月25日撮影
 1963年(昭和38年)〜1964年(昭和39年)、淀屋橋地下延長にともない製作された車両です。
 新造の25両に加え、1956年(昭和31年)〜1958年(昭和33年)に製作された1810系の編入車も含めた41両でスタートし、1965年(昭和40年)に中間電動車4両が仲間入りした。
 全車が空気バネ、正面腰部のステンレス帯でアクセントを付け、黒白縞入りの赤いロマンスシートが豪華ムードを誇っていたが、特急での活躍は長く続かず、1971年(昭和46年)に冷房付きの3000系テレビカーが登場したので、1972年(昭和47年)〜1974年(昭和49年)に3扉ロングシート化し、緑濃淡の通勤車に改造された。
 側面は1810系の窓配置を踏襲していますが、軽量型鋼の構体となりウインドシルはなくなって、いわゆるノーシルノーヘッダのスマートな車体になりました。前面は2000系スーパーカーの影響を受けて、前照灯2灯を左右の窓上に分けて埋め込む形になり、下部には「バンパー」が取り付けられました。車内は麻の布地模様の入った薄茶色のアルミ化粧板で明るくなり、シートは縦縞入りの段付きモケットの転換クロスで、T車はオールクロス、他は扉間クロスとなり、同じモケットの折り畳みパイプ椅子を積み込んでいました。テレビカーはT全車とMc1 のうち3両に取り付けられて登場しました。
 電機部品は1810系とほぼ同じで2種に分けられていますが、制御装置は新しくなりました。台車は上揺れ枕空気バネ方式のKS−70が採用され、その深々とした乗り心地は特急車にふさわしいものでした。しかし、空気ブレーキは1810系との関係からか、電磁直通式が採用されず自動ブレーキのままとなっていました。
 昇圧準備工事の際にモーターを75kWから90kWに変更し、前面にスカート取付、側面に行き先表示装置が取り付けられた。
 1985年(昭和60年)から冷房改造・車体改修工事が行われ、編成はすべて5連になって先頭は新タイプにそろえられ、同時に旧タイプは中間車化されたので、その独特のマスクを見ることはできなくなりました。新タイプの先頭車が1両不足となるため、旧タイプの1914を新タイプにあわせて前面改造し充当しています。
 旧タイプは前面の雨樋が一段下がっているのが特徴であり、ウインドシルがついています。新タイプはウインドシルはなくなってよりスマートになり、前面裾にはバンパーがついています。車内は格下げ3扉化改造時に通勤車と同じ緑のロングシートになりました。
 1985年(昭和60年)からの冷房改造・車体改修工事により、貫通扉は外開きの非常用になり、車掌側の2段窓は廃止され、運転士側と共にアルミ枠の1枚固定窓となりました。なお、トレードマークのバンパーは残され、標識灯が角形2灯式になってバンパーの間へ取り付けられました。冷房の取り付けによって側面2段窓の下段が固定され、保護棒が撤去されたためスッキリとしたものになっています。クーラーは4台ですが、キセは2台ずつまとめたものとなり、パンタは原形の菱形PT42をそのまま使用しています。制御装置は全電動車が8M1Cになり発電制動は撤去され、旅客車で唯一空気制動のみの系列となりました。なお旧タイプから前面改造された1914は、角形シールドビームになり、異彩を放っています。
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