2200系(2224) R0910N列車 普通
京阪本線 大和田 2006年3月25日撮影

2200系 K1007A列車 準急
京阪本線 大和田 2019年11月24日撮影

2200系(2224) R0910N列車 普通
京阪本線 大和田 2006年3月25日撮影
旧塗装車

1.概要
 各駅停車用高性能車としてうまれたスーパーカー2000系に続いて、経済性を重点にした急行用として1964年(昭和39年)〜1968年(昭和43年)に製造されました。Mc-T-M-Tc の4両編成を基本形にして登場し、98両が製造され、4〜6連で急行・準急の運用についていましたが、7連化されるときに半端になったTc車3両がT化されて2000系に編入され、4M3Tの7連×13本と2M2Tの4連×1本の95両にまとめられました。

2.車体構造
 車体は18.7mの鋼製車体で、片側に両開き式扉が3カ所設けられています。
 車体断面形状は2000系同様卵に似た独特な断面形状となっています。
 先頭形状は上部両端に大形のヘットライト2灯を有し、中央に貫通扉が設けられています。

3.車内設備
 座席はロングシートが採用されました。

4.主な機器
 制御装置は抵抗制御方式が採用されましたが、後に一部界磁添加励磁制御に換装されました。
 主電動機は当初130kWでしたが、昇圧後は155kWとなりました。
 制動装置は、発電ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキが採用されましたが、制御方式変更車は回生ブレーキ併用電磁直通空気ブレーキとなりました。
 駆動方式は中空軸平行カルダン方式が採用されました。
 台車は電動台車はKS-73系列、付随台車は側梁緩衝ゴム式のFS-337系列が採用されました。

5.主な履歴
 1974年(昭和49年)からの昇圧準備工事中に、2600系の3連ユニットが2200系併結用になり、結局4M3Tの7連×14本となりました。昇圧後に8連運転をするため、増結用T車が5両新造され現在の100両所帯になりました。
 車体は2000系2次車に準じた窓配置で、卵型断面のモノコックボディですが、パンタが連結面側になり、前面床下に京阪で初めてのスカートが設けられ、貫通ホロの吊具がなくなってスッキリしたのが特徴でした。2000系の高加減速方式をやめ、大出力電動機によるMT編成となり、加速度 2.5Km/h/s・減速度4.0Km/h/s の設定は以後の京阪通勤車の標準となっています。
 1974年(昭和49年)からは昇圧準備工事と冷房化が行われ、4台のクーラーを搭載、パンタが下枠交差式のPT48に交換されました。走り装置は4M1Cであったものを8M2Cの親子方式に改造、MT交互に編成されていたものをMMユニットに編成替えが行われました。
 1984年(昭和59年)〜1988年(昭和63年)にかけて改修工事が行われ、先頭車の前面貫通扉が外開き非常扉になり、車掌側窓の2段窓をやめて1枚化され、これまでの京阪電車の顔のイメージを一新しました。改造時期によって標識灯が旧形のままのもの、角形2灯式になったもの、正面窓の取り付けをHゴムからアルミ枠にしたもの、と変化しています。他に乗務員扉の取り替えや側面方向幕が変更されています。
 走り装置は8M1Cに再改造され、京都側M1車に制御装置・大阪側M2車にCPを2台搭載・MGは各ユニットのT2またはTc2に搭載されています。途中からは添加励磁制御を採用して直巻電動機の回生ブレーキ車もできています。
 1993年(平成5年)に事故による破損で先頭車2270号車の貫通扉が、2400系と同タイプの物に交換されました。
 1998年(平成10年)に回生効率向上のため一部の編成が回生ブレーキ車と発電ブレーキ車の混結編成で運転されました。
 2007年(平成19年)より廃車が始まりました。
 2008年(平成20年)から塗装変更が開始されました。
 2017年(平成29年)より前照灯がLEDに交換開始されました。

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