3500形(3520) 目蒲線

 1939年(昭和14年)にモハ1000形として、一挙に22両が川崎車両で製造されました。最初から窓の大きい近代的なスタイルでした。両運転台でしたが片運転台化改造に伴い半数を方向転換したので、床下機器の配置が海側と山側で逆になっています。
 台車は吊合ばり式でしたが、長軸車輪を用いていて広軌化できるようになっていました。 
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