テロそしてアフガニスタンの空爆、そして最近東京でアフガニスタン復興の国際会議が行われた。キリスト教国でもイスラム教国でもない日本が世界の平和のために優れた外交を発揮してもらいたいと思っている。
アメリカがなぜテロを受けるのか。それにはパレスチナ問題が多く係わっているように思われる。それでインターネットでパレスチナ問題を見ていたら、インドの聖者ガンディーのパレスティナ問題に対するレターがあった。
イスラエルが独立したのは第2次大戦後の1948年であるが、その10年前、1938年(昭和13年)にガンディーは既にパレスティナ問題の本質を見ぬいていました。そのサイトは以下であるがその文を此処に載せておく。
http://qasim-ryd.hoops.ne.jp/gandhiyogen.html
若い人はガンディーについて知らないかもしれないので、知りたい方はMohandas K
Gandhi をクリックして下さい。
1938年は既にパレスティナ問題の本質を見ぬいていました。
これは彼の当時のレターです。
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ドイツでのユダヤ迫害とパレスティニアでのアラブ・ユダヤ問題について、ガンディー
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私の意見を知りたいという手紙が多く寄せられたので、これはそれに対する
回答です。
この質問は非常に難しいのですが、私は躊躇せず、敢えて自分の意見を言う
ことにしました。
私はユダヤ人について、同情の念を持っています。
南アフリカで彼らのことをかなり良く知るようになったのです。
彼らの中には、私の生涯の友人になった人もいます。
この友人達を通して、私は彼等の長年にわたる迫害についての多くを
学ぶことができました。 彼等はキリスト教の[不可触民]だったのです。
キリスト教徒の彼等に対する扱いはヒンズー教徒が「不可触民」と接する
のと、非常に近い。どちらの場合でも、非人道的な扱いを正当化するために宗教的な制裁が
使われたのです。
そんな訳で、彼等との友情は別として、私には彼等を同情する普遍的な理由が
あるわけです。
しかし、私が彼等に同情しているからといって、私は正義を無視するわけ
にはいかないのです。ユダヤ人のための国家建設という叫びは私には
大したアピールにはなりません。
聖書に彼等を制裁しろと書いてあるとか、
パレスティニアへ戻ることを彼らが心から追い求めていること。(だけでは正当な理由とはならないでしょう)
なぜ、彼等は他の民族のように、自分が生まれ、生計を立てているところを
自分の国にしてはならないのか?
イギリスがイギリス人に属するように、また、フランスがフランス人に属するように、パレスティナはアラブに属するのです。アラブ人にユダヤ人を押し
付けることは間違いであり、非人道的行為です。今日パレスチナで起こっていることは、いかなる倫理規定によっても、正当化されることはできません。
委任統治は、先の戦争での制裁以外のなにものでもないのです。
誇り高いアラブの人口を減らし、そこにユダヤ人を入植させることにより、
パレスティナを部分的に、あるいは完全にユダヤの国に作り変えるという
ことはまさに、人道上の犯罪でしょう。
ユダヤ人は自分が生まれ育った国がどこであろうと、そこで、公正な扱いを受けるよう、正々堂々と要求することができるはずです。
フランスで生まれたユダヤ人はフランス人でしょう、これは、フランスで
生まれたキリスト教徒がフランス人であるということと全く同じ意味なの
です。もしユダヤ人がパレスチナ以外にどこにも家も持っていないとしても、それが、彼らが現在住んでいる場所を強制的に捨てるべきであるという考え方に
なるとは思えません?それとも、彼らは、思うままに生活できる、家を2箇所持とうと欲しているのでしょうか?自分達の国家を建設したいというこの叫びは、
ドイツ人にとってユダヤ人を追放するもっともらしい理由を与えることに
なるのです。しかし、ドイツ人のユダヤ人迫害は歴史上で類を見ない行為です。
過去の専制君主達はヒットラーほど気が狂ってはいなかったと思います。
彼(ヒットラー)これを宗教的な熱意をもって行いました。彼は、
どんな非人道的行為であっても、人道的と見なされ、現世、来世ともに報酬を受けることができるといった、排他的で好戦的な愛国心を中心とした、
新しい宗教を提唱したのです。狂った、しかし大胆な青年の罪は、信じ難い蛮行を彼の民族全てに及ぼすことになったのです。もし人道主義の名のもとに、
戦争が正当化されることがあったとするならが、まさに、ドイツに対する戦争がそうでしょう、これは、ある民族に対する無慈悲な迫害を止めるためでしたから。
私は、しかし、戦争での如何なる解決も信じていません。従って、この戦争の賛否を論議することは私の意図するところではありません。
ユダヤ人に対して犯されているような犯罪のためであっても、仮にドイツとの
戦争がなければ、そのドイツと手を組むことはないでしょう。
正義と民主主義を支持する国とその両方とも敵であるとみなす国の同盟はあり得ますか? それとも、イギリスは武力による独裁とそれと同じことを
意味する行為へ向かっているのでしょうか?
偽善、それは博愛主義という仮面をかぶった弱さでしょうが、妨げられな
ければ、暴力は如何に効果的に働くのかを、ドイツは世界に示しているのです。
さらに、そのありのままの姿が如何に醜悪で、恐ろしいのかも見せ付けています。
ユダヤ人はこの組織的で恥知らずな迫害に抵抗することができますか?
彼らが、自尊心を維持し無力でないがしろにされたという絶望を感じない
方法はあるのでしょうか? 私はあること思います。誰でも、神を信じて
いる人は、無力、絶望を感じることはないはずです。もし私がユダヤ人で
あって、そしてドイツで生まれ、そこで暮らしているのなら、私はドイツが自分の故郷であると主張するでしょう。たとえ、背が高い異邦人(ユダヤ教から
見て)であるドイツ人が私を撃つか、あるいは地下牢に投げこむと挑戦してきたとしても。私は追放されること、あるいは差別を甘んじて受けることは
断じて拒否するでしょう。私は仲間のユダヤ人が私のレジスタンス運動に
参加するのを期待して待ちはしない。最後には他の連中も私の例に従うこと
を確信していますから、、、、中略、、、、、、
さて、これからパレスチナのユダヤ人について語りましょう。
ユダヤ人のやり方が間違っていることは疑う余地はありません。
聖書の概念でのパレスチナは地勢的なものではありません。それは彼等の心の中にあるのです。
しかし、もし彼等が地図の上でのパレスチナを彼等の国とあてにしているのであれば、英国の軍事力のバックでパレスティナに入るのは間違えです。
宗教的行為はいかなる場合でも、武力のもとに実行することはできないのです。
彼等はアラブ人の好意によってのみパレスチナに住みつくことができるのです。
ユダヤ人はアラブの心を変えようと努めるべきなのです。
彼等の心を支配している同じ神がアラブの心も支配しているのですから。
彼等は、ほんの少しの武力も行使せず、無抵抗不服従運動をアラブの前で展開するべきなのです、たとえ、それによってアラブに撃たれるか、死海の中
に投げこまれたとしても。そうすれば、彼等の宗教的な祈願は世論に受け入れられるでしょう。英国が武力行使しないようにするだけで、アラブ人を説得する
方法は山ほど出て来ます。そのままの状態であれば、ユダヤ人はなにも悪いことをしていない民族を略奪したイギリス人に同調していることになるのです。
私はアラブの行き過ぎた行為を弁護しているわけではありません。
アラブも、また、こうしたユダヤ人の不当な侵略とみなされる行為に対し、
非暴力主義の抵抗を選択すれば良かったと思っています。
しかし、誰もが納得の行く善悪の基準に照らしてみればアラブの抵抗運動
の方に勝ち目があると言えるでしょう。
自分達が「選ばれた民族」であると主張しているユダヤ人に、それが正しい
主張であることを、非暴力主義の方法を選択することで、証明させては
どうでしょうか? どんな国でもその国を愛すことによって、それが自分達の
祖国になるのです。でもそれは決して侵略行為では実現しません。
パレスティナもそうです。
ユダヤ人の友人がセシル・ロス著の「文明へのユダヤの貢献」という本を送ってくれました。この本はユダヤ人が世界を豊かにさせたことの記録です。
文学、芸術、音楽、劇文学、科学、医学、農業などの分野での有能な人々のことを考えれば、ユダヤ人は嫌悪されるか、または、庇護されるといった
形で、西洋の「カースト」として取り扱われる必要はないでしょう。
すぐに人非人と見なされるような、神によって見捨てられた人間である
代わりに、彼等、ユダヤ人は神が選んだ人間として世界の注意と敬意を集めることができるのです。彼等は文明への多くの貢献しましたが、さらに、
非暴力運動というすばらしい貢献をもそれに、加えることができるのです。
1938年11月20日
マハトマ・ガンジー著:私の非暴力:パレスティニアのユダヤ人
ナバジバン出版社 1960年 から抜粋 * *
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