祐 天 寺

 渋谷から東急東横線の三つ目の駅に祐天寺というのがあるから、東横線に近い人はこの名前を良く知っていると思いますが、祐天寺そのものに就いては知らない人が多いのではないでしようか。最近、祐天寺を訪れ、その由来を調べてみました。

 祐天寺は、徳川家の菩提寺、増上寺の36世上人祐天が、高弟の祐海に遺言「一寺を創営し、未来の衆生済度のため備えよ」により、祐海が8代将軍吉宗の許可を得て1719年に現在の処に創立し、吉宗はこの寺を祐天寺と称することを許したという。 祐天上人は徳川家の帰依も深く、救いを求める人々も多かったという。

 江戸時代の目黒と言えば古典落語「目黒のさんま」を思い出すと思うが、将軍が鷹狩のとき、空腹で立ち寄り、出されたさんまを食べたとされる農家は、目黒駅の近くの茶屋坂あたりであろうと言われている。茶屋坂より江戸から遠い祐天寺の辺りは、人里があったのであろうか、そこに祐天寺は建てられたのである。 祐天寺について2,3書いてみよう。

●阿弥陀堂と仁王門 (将軍綱吉の養女竹姫の寄贈)
                                 

 祐天寺は浄土宗であるが、珍しいと思うがご本尊は阿弥陀如来でなく、祐天上人である。本堂には祐天と2世祐海及び中興の祖6世祐全の三上人の像が安置されている。その代わりと言うか、阿弥陀堂があって寄木造りの立派な阿弥陀如来像が置かれている。また、表門を入って直ぐ仁王門があるが、共に犬(いぬ)公方で有名な5代将軍綱吉の養女竹姫の寄贈によるものである。

 写真は仁王門で此処には山号の明顕山の額が掛かっているが、字が一寸見えにくい。仁王門の両側に持国天と増長天の像がある。これは日本の彫刻史上、最も有名な運慶の作であると言われている。運慶の作品は快慶と共に作った東大寺南大門の金剛力士像が最も名高い。
 阿弥陀堂と相対して鐘楼堂がある。この中の梵鐘と鐘楼は6代将軍家宣の17回忌に正室天英院が寄進したもので、以来今でも毎日正午の鐘を鳴らしている。


●大正天皇の御生母

 此処には祐天上人の墓の他、大正天皇の御生母柳原愛子(なるこ)の墓がある。写真はその墓である。柳原愛子は公武合体派の公卿柳原光愛の次女で明治3年宮中に仕え、その後、明治天皇の寵愛を受け、大正天皇の御生母

となった。今でも毎年命日には宮内庁から紫の袱紗をかけたお供えが届くそうである。墓は柳原家の墓と並んで立っているが、この女性が居なかったら昭和天皇も今の天皇も無いわけであるがら、その人の墓としては一寸粗末な気がする。

 更に此処には江戸時代に関西の「灘の樽回船」と木綿問屋仲間「白子組」が江戸に向かう途中しばしば台風などで海難にあい沈没した。その慰霊のため江戸の商業問屋仲間が建てた海難供養碑がある。

 この様な寺だったので昔、祐天寺は主に武士や金持ちのお寺で、庶民は近くの寿福寺に参ったそうである。
 

参照 祐天寺(寺のしおり)・ 目黒文化財めぐり・百科事典                 

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