MYDUMMY BOARD オーナー紹介


http://users.hoops.ne.jp/momongya/image/dummyb.gif♪〓MOMO〓♪プロフィール


お時間のある方は↓へ。単純に業務履歴だけをご覧になりたい方・簡易版プロフィールは>>コチラ<<へ。


本名:百々政幸(ももまさゆき)
生年月日:昭和43年11月12日生まれ (さそり座)
 血液型:不明(まだ調べていない。推定A?)
 出身地:大阪府東住吉区(のちに富田林市に移転)
 棲息地:東京都
  Mail:momo@dummyboard.com
   URL:http://dummyboard.com

職業:
基本的にはフリーランスのシンセサイザー・プログラマー。※
仕事によっては一時的に所属する事もあり。
現在は非常勤で、かつて所属していた、有)プレストーン(http://presstone.jp/)のGrid Studioにて業務。

業務内容は、シンセサイザー・プログラミング、音楽制作、作曲、編曲、効果音製作、リミックス、エンジニアリング、サウンドプロデュース等、音編集、音源制作など...。
たまーーーーに音楽雑誌、専門誌等で楽器レポート、特集記事、CD・CD-ROM等のレヴュー記事の執筆等...。
稀に知人の伝手で専門学校の臨時特別講師、MIDIシステムプランニング、プチ・インペグ屋めいた紹介・セッティング業務、打ち込みバンドの機材オペレーション、セットアップ作業などなど。
いわゆる電子音楽に関する何でも屋さんです。(※今や死語とも言える職業名なので、実質何でも屋さんと言う方が多いです。本来ならシンセサイザーにまつわる音色作りからPCによるプログラミングなどを経てレコーディング、コンサートに付随する雑事やサポートをまかなう業務が主でした。)

趣味:
ネット検索。長文メールを書く。中古楽器屋めぐりと、人んちのシンセの音をメチャメチャにすること。
ジャンク品見物。ガラクタ集め。人が「まずい!」と言ったものを味見してみること。
レンタルビデオ屋、古本屋、リサイクルショップで時間を潰すこと。
街角ウォッチング。甘味処、ケーキ屋、喫茶店たむろ。
屋台のおでん屋で誰かれなく話しかけること。
新発売ジュース・怪しいジュース、ジャンクフードを試し買い。
可能な限り、イベントやバンドに乱入してはノイズを出しまくること。

好きなもの:
かっちょいい電子楽器、よくで来た電気製品、発展途上の機械。
アホなパソコンソフト。物が出来てゆく様子。仏像。古寺。路地裏。公園。駄菓子屋。
オッサンが集まる居酒屋。居酒屋のランチ。場末の喫茶店のモーニング。
工場の騒音。廃虚。取り壊し中のビルディング。武骨なロボット。重機。
ブルース・リー師父に関する本、映画。昭和演芸。古いCM。車寅次郎。工藤俊作。矢吹丈。赤塚不二夫。トニー谷作品。渋い名脇役。アングラ芝居。古いドキュメント番組。ナンセンスギャグ。等など…。

使用機材:
使用PC:
2015年現在:メインはWindows(OSはいまだXP)
サブでは初代G4

過去または継続で使用しているPC:
Macintosh Plus、SE/30、LC、IIsi、LC630、LC475、PowerBook 5300cs、G3/266(改500)
PowerMacintosh 6100、 6100(改G3/480)AV、Performa6210、7500(改G4/450、G3/266、G3/500)、8500、8500(G3/300)、G4/450
Atari 1040STE、1040STF、MEGA2、Stacy2
MSX(1、2、2+、Turbo含)SONY HB-F9S,Panasonic FS-A1ST、etc...
NEC PC8001mkII、8801、9801RX、9821
(メーカー不明)DOS-386SX、SHARP MZ-2000、 Mebius MN-5400D、SONY VAIO PCG-XR1SA PCG-XR7Z/K、TOSHIBA DynaBook SS3410、
Comodor MAX、 AMIGA A4000/40、などなど...。

MUSIC SOFTWARE :
メインではPROTOOLS(スタジオではVer.10)、 同LE版(自宅ではVer.7もしくは6)、CUBASE SX 。時々DIGITAL PERFORMER、。
その他仕事の種類、作曲スタイル、周辺のシステムに応じて上項の機種と組み合わせでVISION、CUBASE、LOGIC等各種MIDIシーケンスソフトウェアを選別して使用。
したがって、カモンミュージック・レコンポーザ、TwentyFour、Notator、ProTools、YRM55、M、KoanPro、等がいまだに登場することも…って事もまれになってきたか…。(汗
その他、ハードウェアではヤマハのQX、QYシリーズ等の小型シーケンサ、シンセサイザ内蔵のシーケンサーで打ち込む事もあり。
大して拘りもなく…悪く言えば節操なく、良く言えば臨機応変に使用。
波形編集では現在はシーケンサー上で簡単に出来るようになったが、一昔前までは長くPeakを愛用。その前はAlchemyやTurboSynthなど諸々のソフトと行ったり来たり、画面上でパッチング作業であるかの如く併用する場合もあり。自称波形マニア。あと、異常なRecycler。(笑)<ギッタギタのビートを作るのに現在も愛用中。
     
EQUIPMENTS:
B級シンセサイザー多数。特にアナログシンセでのパッチ・ワークやデジタル過渡期の音源を使ってのトリッキーな音作り、エラー音やサンプルのコラージュ、各種ノイズ・外来音源の採集とこれらを操る事を得意とする。
比較的最近はKORG MSシリーズ(近年また脚光を浴びてきましたな。)、KORG monotronシリーズ、RolandSH-101、MonoPoly、Fender CHROMA PolarisII、JUNO106等を主力で使用することが多いが、他にはRoland SH2000、System100M、JUNO60、JUPITER6、JX3P、SH-7、MC202、MT32、U20、D110、TR-66、DR-55、TR-606、TR-626、TR-808、SVC350、S-330、W-30、XV-3080、JV-880、S-760、MS-1、MKS-70、AlphaJUNO-2 KORG 800DV、Δ、Λ、PolySix、Poly800、DW6000、DW8000、DSS-1、M1R、MR-16、KR55B、DDM220、KPR77、DS-8、168RC、1212I/O、 YAMAHA CS01、CS10、FB01、TX-7、TX-81Z、TG-33、TG-55、TG-100、DX21、PSR195、RX-11、MU10、MU5、DS2416、CASIO VL-1、MT-11、GZ-5、CZ-1000、CZ-3000、VZ-1、KAWAI R-80、K11、AKAI S612、S700、VX600、S1000、S3000i、S2000、S3000XL、S6000、ENSONIQDKS-8、DMS-8、ESQ-1、SQ-1R、Oberheim OB-X、Matrix6R、DPX-1、DMX、JuggBoxDPM48、SequentialCircuit Prophet600、DrumTraks、SPLIT-EIGHT、Alesis D4、E-musystemsDARWIN、UltraProteus、ProteusFX、E5000ULTRA MAM VF-11、Digigram VX-Pocket、Digidesign DIGI001、Samplecell StudioElectronics ATC-1・・・等などを愛用。見てお分かりのように(笑)売ったり捨てたりはした事が無く、しぶとく使い倒す性質なので、部屋は倉庫状態。
また、B級リズムマシン、Low-bitサンプラー愛好者でもある。
あと、壊れたFairlight CMI IIxとOberheim OBXがあるのだが、誰か治して…出来るだけ安く…まじで(泣)。
     

活動遍歴:
 そもそも音楽は不得意であったが、音楽好きの家族に囲まれ、ひょんな亊から入ったブラスバンド部(毎年夏に行なわれるたそがれコンサートに出演/これが初コンサート体験か?於:天王寺野外音楽堂)を経て小学・中学とエレクトリック・ポップ、電子音楽の洗礼を受け、親に買ってもらった電子ボード(電子ブロックの簡素版の様な類似品)、カセットテープレコーダー、借り物のシンセや電子オルガンなどを駆使し、とにかく遊び倒す。

 のちにノイズ、インダストリアルに傾倒し、小遣い叩いてささやか乍らも機材を徐々に買い始め、オリジナル曲を作りながらバンド活動に明け暮れる。また、友人と連れだって趣味の自作チャリンコで阿倍野、大国町、恵比須町、難波などの電気街に出没を始める。

 高校〜専門学校在学中より稚拙ながらも作曲活動を開始、各種ショーやイベント、ライブラリー等に作品を提供。梅田、心斎橋などの楽器屋に嫌がらせのように入り浸る。
 80年代末、卒業後、在学時からのバイトからそのままスライドで当時所属していた制作会社の命を受け、転勤という形で上京。シンセサイザー・プログラマーと言う職業に従事。当時、出来たばかりのJSPAに所属。
同時期に関西方面から活動拠点を移行しつつあった今や人気となってしまった数多のプレイヤー、アレンジャー勢と共に以後CMや番組はじめ、企業VP、イベント曲など多数作品に参加することとなる。

 しかし、仕事としての音楽だけでは飽き足らず、本業をこなしつつも夜な夜な同志を募り、当時若手の映像クリエイター達数人と主に目黒、渋谷、六本木等都内クラブを行脚しつつライブスポット等を拠点に実験めいた電子音楽、即興パフォーマンスを追究、以後数年にわたり、不定形ではあるがライヴ活動を続ける。当時の仲間には現在活躍中のグラフィックデザイナーやプロデューサーも居た。
 この仲間達と当時在籍していた会社の空き時間に機材を使って開いた大掛かりなインスタレーションパーティでは、やはり同世代のイラストレーターや写真家達を招き、好評を得る。(偶然にもこの時の小島淳二氏らによる映像作品のモデルをしていたのが後に出会う福間氏の姉君であった。)

 この時期、在阪時、学生時代よりお世話になっていた小西(健司)氏の手引きで始めたパソコン通信にどっぷりのめり込み、当時未だ見ぬ稲見(淳)、福間(創)両氏をはじめとする電子音楽仲間や諸先輩とも中古とはいえ当時大枚はたいて購入したMacPLUSの9インチモノクロ画面の文字情報を通じて知りあう。

 これらのコミュニティからの延長線上で、小西健司率いるレーベル、I.B.M.(アイアンビートマニュフェスト)や、同じく稲見淳率いるCAVEの面々と通信網等を介して「PersonalDance」シリーズ、通信ソフトFirst-ClassをベースとするコミニュティXD-OsakaのExtraCD-ROM「XD-Submit」シリーズ等にも参加。現在もネットが高速・大容量化したのをいい亊にちまちまデータでやり取りをしながらの制作形態も展開。

 90年代に入ってからは怒涛のレコーディング三昧で前出のアレンジャー、プレイヤー諸氏に随行して老若男女様々なアーティストと知りあう時期でもあった。
以降、仕事上でもユニットで動くことが多くなり、中でも大阪時代から懇意であったアレンジャーの森俊之氏、エンジニアの小田真氏とで数プロジェクトかこなす中、ヴォーカルの弓田佳代(現在、これまた仕事では知り合いだったボーカリストKIKI率いるシューブというゴスペルグループに所属していることが発覚!世間は狭い。)とのユニットRossoを一時的に結成。ミニアルバム一作と幻のプロモーションビデオ撮影を遺し解体。
後述のAmbient7やF.E.O.D.、SoyuzProjectやDUMMYなど、若しくは変名で、イベント、CM、アミューズメントのBGM、ムービーの音楽等のプロジェクトをこなす事も多々あった。

 プライベートでは、友人につきあって江古田にある某大学のゼミに顔を出し、たまたまその日に納入された脳波測定のコンピューター操作を覚えてしまったため、翌週からゼミの貫先生にくっついてミュージックセラピーの実験の助手をしに朝から満員電車の中通う経験も…。
 94年秋。上京当時より小西氏及び4-Dが来演する度に機材面でのサポートしていたが、氏がP-MODELに加入するのと同時にP-MODELの機材サポートを開始。(後の「電子悲劇エノラ」ツアーまでを務める事になる。)この時機を前後してP-MODELに加入当初のナマ福間創氏と再会、意気投合。後にYapoosのレコーディングでライオン・メリィ氏の傍らにひっそり佇む山口慎一氏とも知りあい、何故だか鉄の音の交換会(笑)。以後ちょくちょく集まっては悪巧みをば..。

 90年代半ばに差し掛かった頃、以前レコーディングに携わった、サックスプレイヤー朝本千可との再会を機に、当時請け負っていたとあるプロジェクトにて、エンジニア/リミキサーの池淵秀一らと知りあい、ダンス・ビートやアンビエントを主とするグループ「ANBIENT7」を結成。
アルバム数枚を制作、発表、松本コンチータやL.L.ブラザーズ等にも作品を提供し、渋谷FFDイベントにてライブデヴュー。当時の出演メンバーとしてピエール瀧、冴島奈緒、デミセミクエーバー等が居たが、殆ど無名での演奏にもかかわらず、絶賛を得る。
その日を境に都内各クラブイベント、レイヴパーティなどにも紹介され、意欲的に出演。ドイツのテクノユニットVALVAとも知りあい"CRAZY!!"と言わしめる。西麻布YELLOWではSVENVATHとも席を連ね、一曲30分という曲を書き下ろし、六本木ベルファーレではVirginCOLA国内販売レセプションパーティでのパフォーマンスも披露、プレスを音の洪水に引きずり込む。
同時に渋谷MO、青山ManiacLove、六本木CIRCLE等を主な拠点に、また、赤坂のインドネシアレストランジュンバタンメラ、バリ島のクラブ カフェ・ワリサン等で自らのレーベル(当時:A.L.P./現:A.M.S.)イベント"PURE"を立ち上げ好評を博し、釜山-鳥取・境港間の都市イベントの衛星中継での演奏、3日間にわたって昌原のスタジアムで行われた日韓共同大型音楽イベント”FOREVER PEACE2000”への参加(日本からはToshi、ハイロウズ、PlasticTree、Ambient7はAMSアーティスト、GTSと共に上田正樹グループで参加。)と二度にわたる韓国での演奏でも評判となる。現在も国内はもとよりアジアを中心とした海外での活動にも力を入れている。その他、リラクゼーション・グッズの大手グリーンフラスコとのコラボレートでオリジナルアロマオイル、インセンスとセットで、若手テクノアーティストを募って制作したオムニバスCDの発表や六本木WAVEで行なわれた某プレイステーションソフトのデモンストレーションとのコラボレートライブも話題となる。

 また、盟友Giulianoの所属するドラムン・ベース・ユニットでもあるLoveSoundSystem等ともひょんな事から出会い、DUZZLE-Tやサイケアウツといった面子と共にSONYのROARSレーベルが主催するドラムンベース・ユニットで構成された全国ツアーへのゲスト参加やクラブ・イベントへの参加、ブルース・R&B等の熱烈なファン層を持つボーカリスト、上田正樹氏とのセッションや、Ambient7の所属レーベルでもあるA.M.S.Recordsからリリースされているアジア各国のトップ・アーティスト達のCD作品、リミックス、ライブイベントにも多数参加している。
(現在朝本千可はバリ島にて事業&プレイヤー生活をしているが、帰国時にたまにレコーディングセッションセッションを重ね、2013年夏に、SweetBasil六本木 STB139にてMichael Veerapen、Diego Maroto、Valtinho Anastacio、Daniel Foong、Steve Nanda等早々たるメンバーとともにジャズセッションを行い、ここにノイズプレイヤーとして再びステージを共にする。)

 のちに、平沢ソロサポート時代に知り合ったドラマーの上領亘、予てから方々より噂に聞えていたギター・エンジニアの石塚伯広らが展開する”鴉”プロジェクトに参加、以後三部作を発表。その後、イベントなど交流を通じて、石塚とは池淵と共に即興ユニット「Ambient7000」を、上領とはプロジェクト「coexist」で作品を制作、ライブ等で発表。
 現在ヨーロッパをはじめ、国外にて主に活動中のオーディオスポーツの恩田晃ソロにも幾度となくセッション。ドイツのSoftlMusicからリリースされた彼の話題作PreciousMoments、及び彼がプロデュースするアーティストのアルバムやダブ・セッションBrokenPieciesにも参加。
 
 98年、激動多難のバブル期を乗り越え勤めた会社を辞め、フリーランスとなる。
ここ数年、国内外を問わず意欲的な動きを見せている稲見淳氏らと活動を開始したTIMECONTROLがAngus MacLise、Bill Laswell 等のタイトルも擁するベルギーのSubRosaレーベルと契約、1stアルバムを発表。同時に国内ではキングレコードから発売。2ndからはelectr-ohmよりリリースされ、現在も即興エレクトリックを主にダンサー角正之、ACTKOBE関連の面々とのライヴパフォーマンスを関西を中心に展開している。
 時を同じくして、元モダングレイの今井一郎氏の率いるデジタルサイケな爆音ロックユニットF.E.O.D.に参入。都内クラブ、ライブハウスなどで精力的にライブ活動をし、YAMAHAの主催するイベントでのレギュラー出演、UKSOUND主催のイベントへのレギュラー参加、globeのマーク・パンサーやKEIKO、元ダイインクライズのkyo、サウンドプロデューサーとしても著名な成田忍氏、ソフトバレエの森岡賢氏、黒人ラッパーとしても人気のDJアイク・ネルソン等多数アーティストとのコラボレートも果たし、そのアグレッシヴなステージで絶賛を得る。
 同じ頃DJ KRUSH 総合監修の通信教育講座「スーパーDJ講座」にDJチーム"流"と上領とともに参加、スタジオZAPPの機材を使い倒してのコラボレート。
 99〜01年、テクノ・ニューウェイヴ好きが高じて知りあった、RenovationPartyの面々とNEWWAVEJUNKIESなどさまざまなイベントを企画、都内クラブで展開。
また、イベント交流を通じ、VIDEOrODEOのROMIO率いるRockDoc(またはRockDock)へも準レギュラーで参加、彼の所属する、NEVENレーベルのイベントにも精力的に出演。

 続いて仕事の現場を通じて公私共に既に旧知の中ではあった現Yapoosメンバーでもある福間創、山口慎一等と数年前より組まれた何度かの実験的セッションを経て、ようやく同メンバーによるSOYUZPROJECTなるユニットを当初NWJの実験バンドとして結成。テスト始動ののち早々にライブ活動やCDリリース、執筆、制作業、果てはゲーム音楽等など精力的にこなし、楽音のポップさのみならずヴィジュアル面も重視した躍動的なステージで話題を席捲。都内クラブを中心に新たな顧客を獲得、プレヴューリリース盤3枚、各種メディアに楽音を提供後、自主レーベルS.D.F.(SoyuzDataFact)より「ElettoricoStradaCD」を発表する。(2005年脱退。2014年11月、同プロジェクト終止の儀に山口と共に参加。同日解散。)
また予てから交流のあったことぶき光氏の作品mosaic via post」へも音断片を提供。のちに原宿FABにて行われた同イベントにも参加する。

 NWJがきっかけで意気投合した元マザーグースのCUE(現undoに在籍)と音響系セッションユニット現DUMMYの前身、Gewalt!!結成。後に彼のプロジェクトSpiralGardenへも参加。更に不定期にフロントマンを加えたパフォーーマンスユニットDUMMY?も展開。

当時彼の持つUNDO STUDIOを本拠地にDUMMYとしてのみならず、音源製作チームとして様々な作曲家やプレイヤーを交えながら各ジャンル・各方面に楽曲提供やアレンジなどスタジオワークを数多くこなし、作品を残す。

本業のシンセプログラミングでは本名、MOMO、DUMMY等のほかに、NARASAKI氏との制作プロジェクト「qwerty」として活動。「アクエリアンエイジ」の劇伴制作を行い、驚いた事にサウンドトラックが好評を得る。

04年、バンドとしてのSOYUZPROJECT活動休止と同時にライブ活動をDUMMY中心に行い、稲葉雅巳と共に第二期NEWWAVEJUNKIESをバンド中心のイベントに展開、大御所・若手バンドを無差別に交流の場として解放。

DUMMYに山口慎一正式参加、準レギュラーにベーシストKAZAMAを招き入れる。

05年、石塚伯広氏の呼びかけによりヤマジカズヒデ氏率いるpharmacyに加入。男前なロック野郎に囲まれてリアルタイムエフェクツやループ、ノイズを放つ!

これらの交流から、自らのユニットDUMMYへ準レギュラー参加でドラマーとしてTELL氏を招き入れる。
 06年、TELL氏、ymot氏らと共同で新宿URGAにてミュージシャンによるミュージシャンの為の無差別セッションイベント[MOnday_Of_MOTLEy_TEchnOLOgisT]を実験的に展開。非常に面白き発見の場となる。

また、F.E.O.D./RockDocで一緒だったタニウチヒロシ、pharmacy/DUMMYメンバーのTELL両氏よりの召喚でLOCO-APESに参加。夏の中国・関西ツアー、長野オートキャンプ場での屋外トランスイベント他、都内ライブハウスで活動。

更に石塚’BERA’伯広氏、romio氏の召喚でVIDEO rODEOにも参加。初夏・秋の初台DOORSイベントにて演奏。

同時に約20年近くの構想を元に小西健司氏の提案で馬騎尚寺の活動を開始、様々なリミックス作品にも参加。

都内テクノイベントに参戦。

2010年より参加バンドを減らして活動の場を限定し、本業以外の制作を制限。バンドのバックサポート業務は継続。

2011年 この年の4-D+プノンペンのサポートで多くの人々と再会。これを機に石塚伯広、上領亘らとの制作活動も再開。
ことぶき光(実はこの日の前日に突然プノのセットアップも頼まれたのであった。w)との交流も復活。
以後、プノンペン活動にもサポート。
2012年 当然プノンペン仕事だと決め付けてかかっていた突然のことぶき氏からの依頼に駆けつけた現場がきっかけで、いきなり冨田勲仕事もサポート…と思いきやいきなりオペラシティのステージに…。(汗


 

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               ・・・随時各WEBサイトまたは告知のページにて。
     


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