NAMの出産顛末記

2001.7.12 update
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3/26(日)40週2日

AM 4:30
 生理痛のような痛みで目が覚める。金曜日の検診でも「全然開いてないね」
 と言われていたので、「前駆陣痛かな」と思ってまた寝る。
 しかし、15分から10分間隔でだんだんおなかが痛くなってくる。
 しばらくしてトイレに行くと、ナプキンに出血しているのを見つけ、
 「これはおしるしか」と思い、もう一度時計を見ながら間隔をはかる。

AM 5:30
 突然、「じょぼぼ〜」という音がして尿もれのような感覚が…。
 隣にいるダンナをたたき起こして「破水しちゃったみたいだよぅ」と言うと
 あわてて起きてくれた。その間にも陣痛は10分間隔できている。

AM 7:30
 実家(車で5分)の母親に電話をして、車で来てもらう。まさか破水から
 始まるとは思っていなかったのだが、いちおう「破水の時はナプキンを
 あてて体を横にして車で病院まで行く」というコースをとることになった。
 病院につくと、なんと予定日が2日違いの近所のお友達も同じように
 陣痛で入院の支度をしていた。「同じ誕生日になるかもね」などと
 まだまだ余裕の二人。しかし、子宮口は0.2センチ。
 この日は大部屋に入院することになるのだが、私の部屋は実は婦人科で
 入院している人たちの部屋だった。昼間はまだ陣痛がそんなに強くなく
 階段を昇り降りしたりして、陣痛を促すことにした。でも全然痛くない。
 この時は微弱陣痛だとは思っていなかった。

3/27(月)40週3日

AM 2:00
 陣痛が少しずつ強まってきて、5分間隔になる。同部屋の人に気兼ねして
 声を出すのを我慢していたが、とうとうナースコールをする。
 お産が始まるかも知れないと言うことで分娩室へ移動。
 「これでやっと産めるのね」と思ってちょっと嬉しくなる。
 「こんなに陣痛って痛くないんだ、よかった」というのがこの時の感想。
 しかし甘かった。

AM 5:00ごろ
 一緒に入院した友達が、陣痛が強くなり、分娩室へ運ばれてきた。
 私はと言うと、陣痛は相変わらず5分間隔のままで、それ以上強くならない。
 みるみるうちに友達のお産が始まり、なんと隣の分娩台で彼女が出産した。
 彼女のお産の一部始終を隣で聞いてしまった私。お産の終わった彼女と
 陣痛の強まらない私とおしゃべりをした。「おめでとう〜よかったね」
 「ありがとう。同じ誕生日にしようね」がんばろうと思う私。
 私の陣痛はそのまま10分間隔に戻り、しかも破水も続いている。
 破水は感染症の危険があるため、内診はあまりしてもらえないのだ。
 陣痛がつかないと言うことで、午前中に個室に移動することになった。

3/28(火)40週4日

 一日中10分間隔の陣痛が続くが、陣痛の波が弱い。でも痛いことは痛い。
 この日からだんだん痛みのため食欲がなくなり、陣痛を逃すことが辛く
 なってくる。何度も破水する。看護婦さんに「こんなに破水しておなかの
 赤ちゃん大丈夫なんですか?」と聞くと、「羊水はどんどん作られるから
 心配しないで。NSTもつけているし、なにかあればすぐ対応するから」
 と言ってもらえた。それを聞いてちょっと安心する。でも陣痛は痛い。

3/29(水)40週5日

 食事ができないのでゼリー飲料やプリンなどでなんとかしのぐ。
 この日の午後の診察で「微弱陣痛」との診断を受ける。そのまま陣痛促進剤
 を点滴で入れることになった。これで少し陣痛を強めて子宮口を開かせるそう。
 促進剤が入ってくると、すごく痛くなってくる。しかし5〜6分間隔にしか
 ならない。子宮口はなんとか4.5センチまで開いてきた。でも痛い。
 促進剤を止めてもらうと10分間隔に戻ってしまうが、夜中から朝までずっと
 陣痛は続いているので、眠っては10分後に起きると言う状態が続く。

3/30(木)40週6日

 この日も午前中は10分間隔の陣痛が続く。水分補給とゼリー飲料でなんとか
 食事の代わりにしているが、体力は限界に近付いている。

PM 4:00
 陣痛が5〜6分間隔になってきたので、再度分娩室に移動する。NSTの
 モニターで陣痛の波をはかっているが、レベルが10くらいでも痛がる。
 あまり痛がるので、看護婦さんが先生を呼んでくれた(らしい)。
 先生の診断の結果、「無痛麻酔の投与を開始する」ことになる。
 個人病院なので、提携している麻酔科の先生を呼び出すのだ。
 まさか、この時から出産までこのままずっと分娩台に乗っているとは
 夢にも思っていなかった。

PM 7:00
 麻酔科の先生が到着する。硬膜外麻酔を背中からチューブで投与する。
 麻酔はすぐ効いてきた。体力が落ちていたので手足が震えていたのだが
 足がだんだんあったかくなり、陣痛の痛みが遠のいてきた。
 麻酔をしても陣痛はそのまま来るので、陣痛が強くなるのを待ちましょう、
 ということ。この後の夕食に、おにぎりを出してもらった。
 3日ぶりにお米とおかずとお味噌汁を口に入れることができた。
 「お米は日本人の命だわ〜」とその時思った。涙が出るほどおいしかった。

3/31(金)41週0日・出産日当日

AM 0:00
 ダンナが会社帰りに病院に来てくれて、「がんばれ」といってキスしてくれた。
 この時はじめて出産前に泣いた。

AM 6:00
 検温に来てくれた看護婦さんに、「陣痛が遠のいてますね」と言われる。
 モニターの様子では、1時間に1回(!)で弱い陣痛しかきていないらしい。

AM 11:00
 助産婦さんと先生がモニターの様子を見て、「陣痛が遠のいているから、
 麻酔をはずして自然な陣痛が来るまで待ちましょう」と言うので、
 「どうしても今年度(11年度)中に産みたいんです。早生まれに
 したいんです。帝王切開して下さい。」ととうとう告白してしまう。
 「今年度中なら明日(4/1)でもいいんじゃないの?」と言われて
 「4月は嫌なんです!!早く切って〜!」とくり返すと、「それじゃ、
 もう一度陣痛促進剤を使いましょう」とあっさり言われてしまった。
 「えっっっっっ?」またあの痛みを味わうのか?勘弁して〜!
 と言葉につまっている間に、麻酔の投与が中止されて自然の陣痛を
 待つ体制になってしまった。まず促進剤無しで陣痛がつくのを待ち、
 様子を見て促進剤を使うらしい。麻酔が切れはじめて、じわじわと
 陣痛を感じはじめる。い、痛い。でもまだまだだよね。
 ううっ、なんでこんな思いをしなきゃならないのよ〜!

PM 2:00頃
 ぷれままの掲示板で知り合ったお友達が分娩室に入った。彼女も促進剤を
 使って陣痛が強まり、なんとまた私は友達のお産を隣で聞いてしまった。
 彼女もすごい安産で、うらやましく思ってしまった。

PM 5:00
 自然の陣痛もあまり強くならないため、促進剤の点滴が始まった。
 「それじゃ促進剤入れますよ」の声と供に黄色い液体がチューブから
 私の体に入ってくる。そこから今までで一番痛い陣痛が襲いはじめた。
 陣痛を逃すことがどうしてもできない。付き添いの母が「ほら、深呼吸して!」
 と言ってくれるのだが、できる呼吸は「ハァハァハァハァ」だけ。
 陣痛の間隔は2〜3分間隔に縮まってきた。「ぐぐっ」と小さなボールのような
 ものが下におりていく感じがする。(実は赤ちゃんの頭だった)
 突然息みたくてしょうがなくなる。「息みたいよぅ〜(ハァハァハァ)」と
 言ってるのに、母には「だめっ!がんばって逃しなさい!」と叱られる。
 助産婦さんが「厳しいお母さんねぇ、ちょっとみてみましょうか」と言って
 内診してくれる。

PM 5:45
 なんと全開していた。「あらあら、全開してるわよ。もう息んでいいよ」
 えっ?全開?息んでいいの?やったー!今までの陣痛逃しがつらかったのが
 嘘のように、息むのがとても楽なのが不思議。
 立ち会い出産希望をあらかじめ伝えてあったので、「ご主人を呼んで下さい」と
 いわれるが、私はまだ産まれないだろうと思って、「まだいいです」と
 言い続けていた。しかし、母がダンナに電話を入れてくれていた。

PM 5:55
 5分前に電話を受けたダンナは、速攻で会社を出たらしい。

PM 6:00
 内診している助産婦さんに、「7時頃には産まれるかもね」と言われて、
 嬉しくなったのもつかの間、ここでもトラブルが…。「あら?回旋異常だわ」
 「…回旋異常ってどうなるんですか?」「そうねえ、3〜4時間はかかるかな」
 げぇっっ?まじ?あたふたしている私をしり目に、助産婦さんはこう言った。
 「でも息み方次第で早く産まれるかもしれないから、がんばってね。」
 息み方次第か…。てことは、がんばればこの苦しみから逃れられるのね。
 あっ、息みが来た。「(ん〜っ)!!!!(ハァハァハァ)」さらに助産婦さんが
 こう言った。「回旋異常って、おなかを押すとおりやすいのよね」
 「それじゃ、おなか押して下さい!」「でも先生の許可がいるのよね」
 「それじゃ、許可をもらって下さい!(泣きそう)」「ちょっと待ってて」
 外来で診察をしている先生に内線で連絡を取る。「…回旋異常なんですけど、
 おなか押して下さいっていってますけど、どうします?…はい、わかりました。
 もうちょっとがんばってねって、先生がいってるから、がんばって」「!!!」
 すぐにおなかを押してもらいたかったのに、やってもらえないならそんなこと
 言わないでよ〜!そしてこれから先の1時間、私があまりにも「おなかを押して」
 「先生に連絡して」とうるさかったため(かどうか真偽のほどは不明)に、
 なんと分娩室にひとり取り残されてしまったのだ。だれもいない分娩室でひとりで
 息んでいる時は、「もう二度とこの病院では産まないぞ」と心の中で誓っていた。
 (でも実は看護婦さんがそばにいて、何度も私の様子を伺っていたらしい)

PM 7:00
 ダンナが病院に到着した。私の必死の息みで、3〜4時間かかると言われたのに、
 すでに赤ちゃんの頭が見えているらしい。気がつけば周りに人がいっぱいいる。
 助産婦さんが先生に内線をして「お産になります。来て下さい」と言っている。
 しかしこの頃の私は息むのに精一杯で、「ダンナさんが来ましたよ」と言われても
 何も答えずに「(ん〜っ)!!!」と目をむいてふんばっていた。(ダンナ談)

PM 7:30
 先生がやっと様子を見に来るが、「外来があとひとり残ってるからちょっと待ってて」
 と言って去っていった。おいおい。どーするんだよ。助産婦さんが何度も内線で
 先生を呼ぶのが聞こえる。実は私は外陰部に静脈瘤ができていて、お産の時に
 静脈瘤が破裂すると大出血を起こすことがあるらしく、先生がいないと困ると
 助産婦さんがさんざん先生に来てくれるように促していた。

PM 7:45
 再び先生が来る。私は「早く切開してくれ〜!」と心の中で叫んでいた。
 先生が術着に着替えながら「次の息みで産みましょうね」と言うので息みまでの間に
 深呼吸をして落ち着いた。息みが来た!「(ふんっ!)」ときばること5回。
 一度の息みで5回もきばったのは最初で最後だった。「おなか押して!」と
 言われて看護婦さんが二人、左右からおなかを押す。ばちん、と音がして
 会陰切開したんだなとわかった。すると…。

PM 7:48
 おまたから「にゅるっ」という感じで、赤ちゃんが産まれた。「産まれましたよ」
 と言われて「どっちですか?」と私が怒鳴ると、「女の子です。ほら」と言って
 見せてくれた。ああ、女の子だ。手足は?指は?顔のパーツは?一度に確認する。
 看護婦さんが「お母さんに似ているわね」と言ってくれた。そうか、似てるのか。
 先生が分娩室からダンナの実家に電話を入れてくれた。「女の子が産まれましたよ」
 赤ちゃんの産声を聞かせることができてよかった。
 私はもう興奮していて、先生におまたをちくちくぬわれている時もしゃべっていた。
 それから産後二時間は分娩台で安静にするのだが、それでも私はダンナとずっと
 しゃべりまくり、ビデオ撮影までしていた。産褥婦がビデオデッキを持って撮影
 するなんて、あまりいないだろうな、と思っていた。

 2000年3月31日午後7時48分
 NAM家長女誕生
 身長 51センチ
 体重 3080グラム

 ずっと待ってたよ。うちに生まれてきてくれて、ありがとう。
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