SWEET BOOK REVIEW

『ファミリー』をめぐるファミリー Family around the Family


 久しぶりにエド・サンダースの『ファミリー』を読んで、改めて傑作だと思った。そして改めてケネス・アンガーの『ハリウッド・バビロン』との相似性に驚かされた。

 チャールズ・マンソンによるシャロン・テート殺人事件のドキュメント。圧倒的な量の事実を主観を加えずにそのまま書いていくドライな文法。話が核心に迫る急におどけてみせる手法(ウー・イー・ウー!)。

 殺人もパーティーの一環だった黄金期のハリウッドのスキャンダルを描いたケネス・アンガーと、エド・サンダースの関係は、シャロン・テートが主演した『人形の谷』と、後にシャロン・テート殺人事件をエピソードに入れてラス・マイヤーが撮った『ワイルド・パーティー』の関係よりも濃い。何しろ、ケネス・アンガーその人が『ファミリー』の登場人物の一人なのだから。

 「サイキデリク・ミュージック。麻薬。フリー・セックス。ターン・オン。チューン・イン。ドロップ・アウト。自由の政治学。平和行進。プロヴォ。ゲリラ運動。コミューン。長髪。アンダー・グラウンド・スーパースターの概念。占星術。オカルト。クラッシュ・バッド。そして、デイグロ・アート。」(文中より)まさにラヴの夏。

 マンソンはスパーン・ランチという農場でファミリーのメンバーと映画を撮りまくっていた。まるで小ハリウッド。そしてすぐそこには規模を縮小しつつもまだ神話的存在であった映画スター達が存在した。

 「ファミリー」に全財産を食い尽くされたデニス・ウィルソンと、マンソンのレコーディングに協力したイクイノックス・プロダクションのテリー・メルチャー。前者はいわずと知れたビーチ・ボーイズのメンバー、後者はドリス・デイの息子である。

 50年代的健全さの象徴、ドリス・デイ。実は同時代のボンテージ・アイドルだったベティ・ペイジそっくりだ。ルックスもスタイルも底抜けの明るさも。嘘だと思うなら、ドリスを黒髪にしてみればいい。影と同質の光。アンダーグラウンドとメジャーシーンの境目のないカリフォルニア。

 「カリフォルニア・ドリーミング」を歌ったママス&パパスは髪に花を差して裸足で生活していたわけではない。ビバリーヒルズに豪邸をかまえて毎夜パーティーに明け暮れていた。

 ジョン・フィリップスはポランスキー夫妻と親友で、テリー・メルチャーからマンソンのレコーディングにも誘われていた。ピーター・セラーズ、ウォーレン・ベイティ、ジェーン・フォンダとロジェ・ヴァディム夫妻。みんな『ファミリー』に登場する。

 ラス・マイヤーがシャロン・テート殺人事件にヒントを得て作ったのが『Beyond the vallay of the dolls 』。その邦題が『ワイルド・パーティー』。同じく『Wild party』という映画を70年に撮ったのはジェイムス・アイボリー。みんなすっかり忘れているけれどアメリカ人だ。ファッティ・アーバックル事件にインスパイアされたまだ見ぬこの映画こそが、私にとってのアイボリーの最高傑作だ。

 ファッティ・アーバックル!『ハリウッド・バビロン』のオープニングを飾る殺人者。サイレント時代の人気コメディアン。『キートンのコニー・アイランド』で見た彼にはデブでお笑いということから考えられるマイルドな要素がまるでなかった。暴力的でシュールな芸風。今ならギャング・スターになりうるキャラ。

 『Wild party』でアーバックルらしき芸人に殺される愛人の役をやったのは、ラクウェル・ウェルチ。彼女が主演した『マイラ』の監督、マイケル・サーンも『ファミリー』の登場人物の一人。

 彼のデビュー作、「ジョアンナ」のヒロイン、ジュヌヴィエーヌ・ウェイトは後にジョン・フィリップスの恋人になった。ポランスキーのお気に入りだった彼は、スケジュールが違えばマンソンに殺されていたかもしれない。

 しかし、マイケル・サーンの息の根を止めたのは『マイラ』だった。性転換した主人公はハリウッドおたく。彼女(彼)の考えは常に、黄金期のハリウッド映画のシーンによって表現される。「いかがわしい映画」に神聖な映画のシーンを使われたハリウッド人種は激怒した。以後、マイケル・サーンは90年代に復活するまで一本も映画を撮れなかった。

 その『マイラ』にセックスマニアの女流スカウトとして登場するのが、メイ・ウェスト。ケネス・アンガーも彼女に敬意を示して、『ハリウッド・バビロン』で1章割いている。彼女がパーティー・シーンで歌う名曲「シークレット・プレイス」を作ったのはジョン・フィリップス。

 ファッティ・アーバックルを演じたジェームス・ココは『いちご白書』にも出演している。主演はブルース・デイビットソン。『夢のサーフ・シティ』では、ジャン&ディーンのディーン・トーレンズを演じている! このテレビムーヴィーには最後に本物のマイク・ラヴとブルース・ジョンストンがゲスト出演する。

 ヒロインのキム・ダービー。シャロン・テートが『サイレンサー/破壊部隊』のヒロインなら、彼女は『ナポレオン・ソロ/ミニコプター作戦』のヒロイン。この映画でキムの義母を演じたのは、何とジェーン・クロフォード。このハリウッドの「魔女」が死んだ時、ケネス・アンガーはブラヴォーと拍手した。

 『いちご白書』でブルース・デイビットソンの友人役を演じたのは、アルトマン映画で有名になったバット・コート。小山田圭吾そっくりのルックス。彼が主演したアルトマンの『バード・シット』のサントラはMGMから出ているにも関わらずルー・アドラーのプロデュースで、オード・レーベルの人脈で作られている。『ギミー・シェルター』のメアリー・クレイトン、ペギー・リプトン、ジーン・ペイジ、そしてまたしてもジョン・フィリップス。

 『バード・シット』でバット・コートは空を飛ぼうとして地面に叩きつけられた。彼自身も人気の絶頂でシナトラのコンサートの帰りに自動車事故で「叩き」つけられている。

 (シナトラの「ファミリー」から、ディーン・マーティンの二人の息子をこちらのリストに加えてもいい。ディノ、ディシ&デシのディノ・マーティンは、ブライアン・ウィルソンに『レディ・ラヴ』という名曲をもらっている。その弟はカール・ウィルソンのプロデュースでアルバムを出した)

 青春スターとしてのバッド・コートのキャリアはそこでストップした。リハビリに長い時間がかかり、ショウビズに戻った時は既に彼の席はなかった。

 同じくアルトマン映画でデビューした青春スターがデニス・クリストファー。アルトマンの『ウェディング』では『ローズマリーの赤ちゃん』のミア・ファロー、そしてディノ・マーティンと共演している。

 ひょろ長い手足と金髪とそばかすいっぱいの笑顔の、まさしくアメリカン・ボーイ。その名も『カリフォルニア・ドリーミング』という映画で、ウェスト・コースト・ジャズに憧れてシカゴから「上京」してくるイノセントな若者を演じた。もっとも、時すでに79年だったので、彼を待っていたのはサーフィンとビーチ・バレーだったが。

 その彼が翌年の『フェイド・TO・ブラック』では冒頭から「カリフォルニア」という病、もっと言うと「ハリウッド」という病に侵され切った顔で登場する。深夜放送でモノクロ映画をチェックすることだけが生き甲斐の映画マニア。

 この映画でデニス・クリストファーはアンソニー・パーキンズの悲劇を繰り返した。精神異常者の役があまりに巧かったため、二度と青春スターには戻れなかった。

 ベラ・ゴルシの吸血鬼やミイラ男の扮装をして(自分で懐中電灯を持って効果をつけているのが泣かせる)、自分を苛めた人間を殺していく彼の心理を表すために、『マイラ』と同じく黄金期のハリウッド映画がフラッシュバックで使われた。 最後に彼は、『白熱』のジェームズ・ギャグニーの死に際の台詞を叫びながらチャイニーズ・シアターからの追突死を遂げる。彼がオートバイを乗り回しながら80年のハリウッドを見て言う台詞が「ケネス・アンガーに見せたいぜ」。

 かくして明るい陽射しの狂気は神話の母体から小集団へ、小集団からより弱い個人に君臨していく。チャールズ・マンソンは時代の熱にうかされて、それを事件に体現してみせただけで、所詮主人公ではない。パンドラの匣は開けられ、殺人はもはやスターの特権ではなくなってしまったのだ。

 しかし、あれだけ非情なケネス・アンガーがチャップリンについて語る時だけしんみりしたように、エド・サンダースもビーチ・ボーイズについて書く時だけはシニカルな仮面を捨てざるを得なかった。彼らの音楽を紹介する時の、リスペクトと愛に満ちた1文。パンドラの匣の底に残った小さなイノセンス。

 デニスもカールも失った今、ブライアンならそれに「イマジネイション」という名前をつける。けれどそれはまた別の話。


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