Our Dairy Cup

04/07/2000

Boyfriend is best?


 私のように音楽とか映画とか読書とかが好きで、尚かつちょっと前(かなり前)まで演劇も好きで、(でも今やときめいて劇場行くのはRSC来日公演くらい、とか傲慢に)という趣味指向の女子というのは大勢いると思います。

 そういう女の子たちが教科書に載っていないタイプの名盤を知っていたり、かなり「ムム!出来る」な趣味の持ち主だったりすると、わりと向けられがちな質問というのがあって-「それはかつて付き合った男の子の趣味?」というのがそれです。

 知り合いに「大学で最初に付き合った男子に本屋に連れていかれて、『現代思想入門』を買わされた」という女子がいたりして、ない話じゃない、というか、実際うじゃうじゃ聞く話ではあります。付き合っている男子の趣味に影響されがちな女の子というのは。

 しかし、自分に照らし合わせてみると、このささやかな個人サイトで披露しているような趣味に関していうと、「付き合った男子」の影響が色濃く出いているようなものを分かりやすく指し示すものは、本当に何一つない。ひょっとしたら根底にあるのかもしれないというようなことはあっても。

 別にボーイ・フレンドの嗜好を押しのける、という気概がなかったにせよ、私が男子にヒギンズ卿を求めなかったことは確か。

 唯一ハイティーンの時に付き合っていたかなり年上のボーイフレンドが「あれ読め」的なことを言ってたような気もするけど、私は「ふーん」とか「うん?」とか言いながら、右から左に流し、本を買ってもらってもちっとも読まなかった記憶があります。自分の勘所に引っかかるものが興味の全て、という恐ろしく小生意気な娘として。

 何年後かに本棚を整理していたら、あら買った覚えがない本が、読んだらこれが面白かった!ということはあるものの、もはやそれは本を買ってくれた人の顔印がついていない「自分の発見」として刻まれていたり。

 ボーイフレンドの影響をあんまり受けなかった原因の一つとして、、音楽が好きで文学が好きで映画が好きで!という女子が好きなタイプの男の子、顎が細くてメガネかけててニューアカな知識に長けています(80年代だったからね)、文化会系プリンス!というような子が、「ちっとも好みのタイプじゃなかった」ということが考えられます。

 ミドルティーンから二十代前半にかけての私は、理屈っぽい男の子なんて野暮の極みだと思ってました。---多分、今も思っている。論争したがりとかヤダヤダ、勉強は出来てもそういうオトコは頭は悪いのよ!という認識は親が大学の教師という家庭環境の成せるもの。今でも、頭でっかちで「筋を通せばこっちの勝ちだろ」と戦いをしかけて来る礼儀知らずの男の子は何というか、扇を片手でぴっと閉めてぱん!と叩きたくなってきます。

 ある種の女子が夢見がちな「年上のおじさま相手に小悪魔」願望も、かなり醒めるのが早かった。だって、私が素敵だと思うような年上の男性は、本来自分と器が同じくらい・あるいはでかいくらいの同年代の女性と付き合うような人たちで、「年下の少女相手に優位を楽しむ」男性なんて、自分より器が小さくてつまらない人だということは、割と簡単に分かったから。

 私はお喋りが楽しくて、例え球技が苦手であっても走るのが速い、といったような同年代の男の子が好きでした。そして、今までお付き合いした数少ないボーイフレンドの大半が楽器を弾く人だった、(しかもその大部分が絵を描くのも上手かった)ということが、私の憧れのベクトルを分かりやすく示しています。

 さて、その指折りすれば片手で足るボーイフレンドの中に、私の21才のバースデイにチェロでフーガを作曲してプレゼントしてくれた男の子がおりました。譜面はまだ私の手元にありますが、一度だけの演奏会では弾いている人間も聞いている人間も緊張の極みだったので、どんな曲かはまったく覚えていません。

 彼は本を読むのもとても好きな人でしたが、ほとんど自分で本を買っているところを見たことがありませんでした。「名作は図書館にある」が口癖で、一度に何冊も本を併読するのが得意でした。

 「ボーイフレンドに趣味の影響は受けなかった」と書きましたが、私の図書館利用率が高さと併読癖は、確実に彼に負うところが大だと思います。今も他の多くの本と併読しながら、一冊ずつ図書館から借りてきてはロレンス・ダレルの「アレキサンドリア・カルテット」をだらだらと読んでいるし。

 現在ようやく三冊目の『マウントオリーヴ』まで辿り着いた「アレキサンドリア・カルテット」ですが、複雑な恋愛と砂漠に近い街の熱気と策略と一筋縄ではいかない真実に酔っていると、思わぬところで覚醒させられたりします。例えば、「謙遜とは絶対的真理を追い求める者が最後にかかる罠」といった台詞。

 そういえば、「苦しみを失った魂は死せる」といったようなことを、件のボーイフレンドが言ったことがあって、「それは素敵なフレーズね」と感動したら、「何を言っているの、君が僕に教えたんじゃないか」と返されたことがありました。エリカ・ジョングの『飛ぶのが恐い』に出てきた、らしい。

 このエピソードが私の知識体系の本質を端的に表していると思います。言った(書いた)そばから忘れていく。

 忘れていく、といえば狭量な心の持ち主である私は、あんまり昔の彼氏の想い出に浸ったりすることはありません。基本的に今愛している人たちでいっぱいいっぱい。でも、例えば前にいったような癖を確認する時、今は失った絆が自分にもたらしたささやかな何か、を確認することはあります。

 ボーイフレンドを失っても何かが残るとすれば、影響を受けるようなフリをして男の子をちょっと得意がらせておくのもそう悪いことではないかも知れません、というお話。
 

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