Our Dairy Cup 28/08/2000 Election

 そんな狂ったドラマが起こる学校自体がどうかしているのではないか。と気がついたあなたは正しい。

 私が小(帰国子女のため途中転入)・中・高と通った学校というのは都内S学園から分離した学校の一つなのだが、自由思想を礎とする他の姉妹校(内一校はフリッパーズ・ギターを生み出したことで有名)の中でも最も先鋭的でヒッピー色が強いことで有名なところである。

 ヒッピー証明として、中学の時に家庭科の代わりに女子は染色と織物、男子は木工を学習することをサンプルとして挙げておきたい。「ここの生徒は大地震が来ても食うのには苦労しないが、食うのには苦労しないのは大地震が来たときだけだ」と言われていた。

 でも内情は、金持ちトライブが割とブイブイいわせている『アメリカ学園天国』的日常だった。当時の『オリーブ』『セブンティーン』掲載下位常連校ではあったが、何かの企画で常連校の特集を組んだ際、ウチの学校の女生徒達の平均小遣い値だけ著しく高く、(私自身はもうその時卒業していたにも関わらず)その慎みのなさには顔が赤くなった。

 そんな環境ではよほど意志が強くないと勉強なんか出来ないので、ポテンシャルは高いにも関わらずなし崩しに馬鹿になってしまう組と、なまじ勉強していないだけに受験で岡ひろみのように才能が開花してしまう組で卒業後の進路には驚くような差が出た。(例の先輩は後者だったんですね)そんなところもアメリカ学園物のようだ。

 私の友達はというと、その八割が音大と美大に行った。しつこいようだけれどフリッパーズを生み出した姉妹校の大学に行く生徒もあまりに多かった。一番ラクな道ではあったが、そのルートで進学したのでは常識とか社会一般のルールとかは一生身に付かないと思ったので、私はそれなりに勉強して都内で「3S1F」と称されるミッション系お嬢様大学の内の一校に行くことにしたのだけれど、これがまたすごい学校でね。っていうのはまた別のネタだけれど、「あの」高校から「この」女子大に行ったと言うだけでも、「数奇な人生」といわれてしまう私の選択。

 新進気鋭の勉芸評論家であるところの坪内祐三氏に言わせると、「学閥」というものは昭和三十年以降には「大学」ではなく「高校」で決まるそうだ。桐朋学園には赤川次郎・亀和田武・嵐山光三郎、日比谷高校には庄司薫・塩野七生・古井由吉、都立上野高校にアラーキーと立花隆・小椋桂、都立豊多摩高校に谷川俊太郎、橋本治、イッセー尾形。

 ちなみに私の高校のOG御三家は、岩下志麻・吉行和子・加賀まり子(中退)。

 中退組では他にちょう無頼派の杉田かおるがいる。彼女が小学館文庫から出した『すれっからし』は、私が考える芸能人自伝本ナンバーワン。小学校の時からパトロンがついていて「この娘はブスだから女優としてはやっていけない。芸者にして水揚げは私がする」などと言われ、その親父が破産した時は車で自転車に乗った彼女を追いかけてきて百万円の束を渡したり、強度のアルコール依存症で何週間も風呂に入らずに撮影現場に来るとか、初体験の相手は住所不定(ホームレス)の雀師とか、もうブコウスキーも裸足で逃げ出すそんなエピソードばっかりである。

 最近だと、『ファイト!』で有名な武田麻弓さん(やはり無頼派)が同級生だけれど、同じクラスになったことがないので直接話したことはない。

 ただ私は高校時代はオルタナ娘(ゴスっていってもいいのだけれども、渋澤とかを読んでいないんで資格がないのよ。えーと、でもスミスとかは聞いてた)だったんで、あんまり上の顔ぶれが示す校風には当てはまらない。

 何の話だっけ、そうそう今週土曜日公開の『最終絶叫計画』。

 監督・脚本を務めるワイアンズ兄弟は、『In living color』というテレビショウで有名な黒人コメディアン。これは土曜日の夜のテレビ番組で、まともに『サタデー・ナイト・ライブ』の裏番組である。どちらを取るかでキッズの間には派閥が出来たとか。まるっきり、日本の土曜八時、『俺たちひょうきん族』と『八時だよ!全員集合』の戦いである。人種ネタとか教養が要求される『サタデー』はたけしがいた『ひょうきん族』、上からバケツが落ちてくるようなコントばかりの『In living color』が『全員集合』か。

 『In living color』でたった一人の白人レギュラーだったジム・キャリーが、喋り主導の最近のコメディアンには珍しく体技の人であるのもそういう理由。彼は正しく「アメリカの志村けん」なのだ。という、「蘊蓄として機能しなさそうな蘊蓄」といういかにもウチのサイトらしい話で今回はおしまい。

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