soft rock

ソフト・ロック! ああ、なんて矛盾した甘美な響きなんでしょう。

 「ソフト・ロック」は、六十年代末、ポップスがビート感を強めながらネクスト・レベルを探ってた時に出来てしまった、「間違えた子供」「徒花」みたいなもの。

 そして再評価のきっかけを含めて幾分、「呪われた子供」でもある。

 美しくて、涙が出て、でもなんだか笑える音楽。

 そんなわけでソフト・ロックを、 以下のようにカテゴライズしてご紹介していきます。

枠線の色によってジャンルが違うので注意を。


AまMORの連中がロックのビートを取り入れて、若者に媚びてみた

  フォーク・ロックの人たちがサイケデリックな小道具を導入した

  職業作家が自分のバンドで好きなことをやってみようと思ったが、「歌謡曲魂」の方が勝ってしまった

901実験的なポップスを作りたいと思っていたプロデューサーが「事故」を起こしてしまった

  道の向こうからヴァン・ダイク・パークス他の天才(天災)が歩いてきて、避けきれなかった

BRADY BUNCH PHONOGRAPHIC ALBUM(MCA)





 バブルガム・ポップスといえば、アーチーズ他の覆面バンドによるお子ちゃまテレビ主題歌や、ショウ番組で番組ホスト達が歌う当時のヒット曲の焼き直しが思い浮かびますが、前者は曲を作る職業作家たちがトレンドを意識するため、後者はカバーするヒット曲そのものが「サマー・オブ・ラブ」化するため、「お茶の間で楽しめるヒッピー音楽」というキャムプなものが生まれがちです。

 この『ブラディ・バンチ』も、お子チャマたちと歌のお兄さん・お姉さんたちが歌い踊るゴールデン時間帯番組ですが、楽曲の質が高いためにマニアが多いことでも有名。「Summer breeze」と「There is nothing more to say」というカバー・センスを見る限り、プロデューサーはGreat3の片寄明人と同じ趣味のようです。

 特に後者のカバーは圧巻。ミレニウムの曲のコードをメジャー・チェンジしたかのような健全歌唱で、ヤク中のチープなアシッド感なんか吹き飛ばすショウビズの毒を堪能出来ます。あと、子供がメイン・ボーカルだと歌唱をコントロール出来ない分、プロダクションがタイトになるのでアレンジは聞き所。(タイトといってもあくまで「お茶の間」路線ね)


MARK ERICMIDSUMMER'S DAY DREAM(REVUE)





















 拝啓 マーク・エリック様

 近年はいかがお過ごしでしょうか。

 あなたのことは、たった一枚のアルバムでしか知らないので、生きているか死んでいるかさえ分かりません。プロフィールさえ定かではありませんが、あなたが恐らく60年代末にRevueというレーベルから出した『Midsummers' day dream』は本当に素晴らしいレコードでした。

 ジャケットは『All summer long』で、内容は全編『Today』のB面のようなメロウな内容。あなたがいかにブライアン・ウィルソンをリスペクトしているかが分かります。リスペクトし過ぎて、独自の世界を切り開くことが出来ずそっくりさんになってしまったんですね。そういう意味では、あなたも天才に人生を狂わされた口だと思います。

 しかしブライアンそっくりさんとしてのあなたは天才です。バラードの曲の作り方やコード感のコピーぶり、そして歌声にいたっては、イタコのごときです。いや、ブライアンは死んではいなかったんですけど、この後ほぼ死んだも同然の時期が10年以上続くことを考えると、ブライアンのイノセンスは一瞬あなたの音楽に宿ったのかもしれません。あなたが1枚しかアルバムが作れなかったのも無理はありません。そんなイノセンスを持ち続けたら、人間狂うか死ぬかのどっちです。

 エイトビートの曲になると歌唱がもたつき気味になるあたり、なんのかんの言ってマイク・ラブはビーチ・ボーイズに必要な存在なんだということも再認識させてくれて、それもまたにくい。

 ところで、ルイ・フィリップスというフランス人のことは御存知でしょうか? 今はサッカー評論家の片手間に音楽活動しているような感じですが、エル・レーベルに所属していた頃は、あなたと同じくブライアン・ウィルソン・フォロワーと呼ばれていました。

 ま、所詮あなたの敵ではありません。いい線はいっているのですが、音楽に呪いが足りない。ブライアン歌唱法については、彼は自分の背の高さと同じだけ穴を掘って、そこにひざまづいてあなたに教えを乞わなければならないことでしょう。

 今年、あなたが憧れてやまなかった人は久々にコンサート・ツアーに出る模様です。どこかの会場の観客席には、ひっそりとあなたの姿があることでしょう。あなたは、自分の代わりに音楽の業を全て受けて、ボロボロになった男の歌を聞くわけです。

 その時あなたが味わうのが、苦さや後悔や憎しみではなく、ただ音楽の喜びであることを祈るばかりです。

MOJOMENSIT DOWNIT'S MOJOMEN(SUNDAZED)




































 多分、度重なる不幸さえなかったら、モジョーメンは60年代の終わりに活動した、そこそこ上手いフォークロック・バンドとして記憶されることになったかもしれない。

 しかし、運命はそれを許さなかった。彼等はポップス音楽史上最も悲惨な「ソフトロック・コーズ」になった。ヴァン・ダイク・パークスのマッド・ワークの犠牲になったのである。

 彼等の不幸は所属していたオータム・レーベルがリプライズに吸収されたところから始まる。

 普通なら、メジャーに移って活動の場が広がりそうなものだが、彼等は最後までプロデューサーとアレンジャーに翻弄されて散々な目に遭うことに。

 最初のシングルのプロデューサーには、どういう経緯かスライ&ファミリーストーンのスライ・ストーンことスライ・スチュワートが呼ばれた。彼がモジョーメンにやらせたのは、オールディーズの「Do the hanky panky」のファンク・バージョン。

 レコード会社の方は、「こんなもの売れるかいな」とろくなプロモーションをしてくれなかった。彼等のバージョンをもっとバブルガミーにしたトミー・ションデルのバージョンが全米で大ヒットするのはその少し後のことである。

 その後が決定打だった。モジョーメンは気の毒に、リプライズに期待されていたのだろう。よりによってレニー・ワローカーをプロデューサーにつけられてしまう。ツーといえばカー、ワローカーといえばヴァン・ダイク・パークス。

 翌日からモジョーメンはもう、レコーディング中に自らの楽器に触ることはなかった。スタジオにはスティール・パンをはじめとするよく分からない楽器が山ほど持ち込まれ、オーケストラが鳴り響き、メンバーは訳が分からず右往左往。ヴァン・ダイクにとって彼等は、ただ自分の音楽のコーラス要員に過ぎなかったなだろう。

 こうして、ソフトロック史上に燦然と輝く名曲、「Sit down,I think I love you」は生まれた。

 「Sit down,I think I love you」を聞いて思い出すのは、スーパー・バロックというメキシコの教会の様式である。ようするに、ヨーロッパの教会美術が誤解されて、装飾過多に陥った結果、ネクストレベルに達してしまった形。猛り狂うチェンバロ、弾けるバイオリンのピチカート、なぜかバロック調に迫りくるウッドベース。もうバッファロー・スプリングフィールドの元曲の面影なんかどこにもない。スティーブン・スティルスはこのバージョンがいたくお気に召していたという話だけど。

 天才の仕事は伝染するのか、ニック・デ・カロもいつものA&M的清楚さ溢れる均整の取れたアレンジをかなぐり捨てて、ヴァン・ダイクに応戦。共作アレンジ「Me about you」は、モジョーメンの頭ごしに二人が喧嘩しているようなものである。

 ちなみに、同時期と思われる、A&Mから出されたトミー・ボイスのソロシングル(プロデュースはレオン・ラッセル、アレンジはペリー・ボトキン・Jr)の「サイモン・スミスと踊る熊」のアレンジが、ほぼ「Sit down,I think I love you」と同タイプの解釈であったことを特筆しておきたい。

 「Sit down,I think I love you」はそこそこヒットしたが、録音段階で莫大なお金がかかったため、赤字になった。それでもヴァン・ダイクが気にすることなくマイ・ペースでシングルを作っていったため、モジョーメンはとうとうアルバムの予算をリプライズから出してもらえず、インディに都落ちすることに。活動はフェイドアウトした。

 こうして、一つのグループのバンド生命を犠牲にして、素晴らしい音楽が私たちに残された。ありがとう、ヴァン・ダイク! 天才は道に屍の一つも残していくものである。


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