リード作のご案内

 村上春樹の『カンガルー日和』には「バート・バカラックはお好き?」という短編が収められています。手紙書き方通信講座の講師である「僕」が、生徒だった人妻と一回だけ彼女が住む団地で会う話でしたが、その時人妻がかけていたのが「バート・バカラックのレコード」だということになっています。果たして、彼女はバカラックのどのレコードをかけていたのか。サントラなら映画名で、ディオンヌのものなら「ディオンヌ・ワーウィックのレコード」というはずですから、やはりオーケストレイションが中心のリード作をかけていたのでしょう。

 バカラックが自分の名前で出したアルバムは、いずれも彼のアレンジとピアノによる代表曲のインストゥルメンタルが主ですが、時折バカラック本人がボーカルをとることがあります。これが素晴らしい。曲の展開の難しさが本人の歌唱力を超えているため、上がるべきキーは上がらず、転調も出来ず、ところどころで消え入るようにかすれる、そのボーカルこそが聴きものです。あまりに名声と才能に恵まれたパーソナリティを支える、意外なまでの魂の謙虚さをそのボーカルに感じます。バカラックが本人の代表曲を全編弾き語りで歌うレコードがあったら、それこそが私が最も欲しいレコードでしょう。

 




Reach Out(A&M)

 A&Mにおける本人名義の一作目。黒いポロシャツを着てオーケスラ・リハーサルをする彼を捉えたフィルムをあしらった、センスのいいジャケットが印象的。しかし、内容はディオンヌやジャッキー・デ・シャノンといった歌手に提供したオケを半ば完コピで再演したものが主で、すごくは面白くない。いかにもA&Mらしい端正なオケで、良質のイージ・リスニングではあるけれど。

 原曲にないフレーズを最初に持ってきた「Alfie」は作者ならでは。「Bond Street」は「カジノ・ロワイヤル」の再演だけれど、音はへなちょこ気味かも。「Are you there」で、高いキーでメロディを奏でる電子オルガンが、フレーズが細かいために愛らしいフューチャリスティックな雰囲気を醸し出しているのは意外な効果。いや、狙っているなきっと。オリジナル曲の「Lisa」は女性コーラスが中心のシルキーなナンバー。

 そしてボーカル曲は「A House is not Home」。鼻歌で導入するところが泣かせます。ひそやかにつぶやくように歌うところはどうにかもったとして、声を張る段になると思いっきり外して声がかすれますからね。






Make it easy on yourself(A&M)

 アルバム・ジャケットはうつむいていて地味だけれど、実はブロードウェイ凱旋作の鼻高々作品。ヒット作連発の彼に、「ブロードウェイで成功しなきゃ、作曲者として一流とは認められない」と言って、うっかり発奮させたのは誰だったのか。

 そんな訳で、大半がミュージカル『プロミセス、プロミセス』のセルフカバーです。劇場の反響するオケではなくて、純粋にスタジオ・ワークに落とし込んだらどうなるか、というサンプラーの趣も漂う。ミュージカルの歌唱法に違和感を覚える人は、『プロミセス、プロミセス』のリファランスとして持っておくと妥当かも。それにしても、一つのミュージカルから六曲ものクラシックが生まれるんだからすごいよね。

 この時点では少し前の作品に当たる「Any Day Now」は途中、「北酒場」を思わせる展開が出てきて笑わせます。元ネタってことはないでしょうけれど。アルバムのオリジナルはフルートの導入部が印象的なオーケストラ組曲の「Pacific Coast Highway」、「Make it easy on yourself」では、いかにも作曲者がボーカリストにコーチする時のようなラフなボーカルを披露、「This Guy's in love with you」はほとんどハミングでコーラスに参加しています。







Burt Bacharach(A&M)

 本人の名前を冠したアルバム。全編アレンジが冴えに冴えていて、キャリア的にも絶頂期であったことが窺えます。それにしても、このジャケットのポートレイト!こうもフォトジェニックな作曲家が他にいたでしょうか。

 「All Kind of People 」と「One Less Bell To Answer」という後のブラコン路線につながる手堅いミディアム・バラードでは、元スウィート・インスピレーションでディオンヌの従姉妹に当たる(ようするにホイットニー・ヒューストン母の)シシー・ヒューストンにボーカルを取らせています。

 白眉は六分以上にも及ぶ「Wives & Lovers」。オリジナルのワルツ曲をどんどん展開して流麗なオーケストレーション・バリエーションの技を見せてくれます。最後のワン・フレーズだけ弾き語りしてみせるところも憎いったら。「And The People with her」も素晴らしいインスト・オリジナルで、アレンジャーとしての面目躍如。「FreeFall」はギターが印象的なバカラックお得意の偽ボサ調で始まるナンバー、「Nikki」は愛息に捧げた美しい曲とアルバムのための書き下ろしオリジナルはいずれも名曲。

 「Hasbrook Heichts」で相変わらずの下手くそなボーカルも堪能出来ますよ。もしあなたがバカラックのリード作を何か一枚、と考えているのなら、私は迷わずコレをお勧めするでしょう。











Living Together(A&M)

 でも、私自身が一番好きなリード作はこれかも。ミュージカル映画『Lost Horizon』に提供した曲がアルバムの半数を占める74年作。しかし、『プロミセス、プロミセス』の時と違うのは、初のバカラック&デイヴィッドによる書き下ろしミュージカルフィルム!でありながら、映画が大コケしたため「凱旋」というより「リベンジ」の色合いが強いこと。この興行的失敗がもとで、ハル・デヴィッドと決別→権利問題とマネーが絡んだ長期裁判に雪崩れ込むのですから、私生活サイドでも辛い時期だったはずです。

 確かにソング・ライティングの腕は衰えてきていて、華やかな最盛期に比べると地味であんまりキャッチーじゃない展開の曲が主ですが、その分アレンジは「凝る」というよりも細心の注意が払われていて、味わい深い作品になっています。

 特筆すべきは、バカラックが「歌」に関して本気で取り組んでいること。内一曲はアルバムのオリジナルで、ジム・オルークのカバーでもお馴染み「Something Big」ですが、オリジナルを聴けば完コピに近いことが分かるでしょう。この曲のバカラックとしては珍しい点は、拍子がめまぐるしく変わることなく、一つのテンポに貫かれている点で、かなり本人が歌いやすいキーであることからして、バカラックが自分自身が歌うことを充分に意識して書いたことは明らか。(難しいフレーズは女声コーラスに譲っているけれど)

 三曲のボーカル曲はこれまでになく力が入っていてどれも素晴らしかったので、いっそのことこれは本人のボーカル・アルバムにするべきだったと思います。時期的なことも含めて、キャロル・キングの『つづれ織り』と対をなす作品になったかも?と、いいたいくらい今までの中で一番パーソネルな味わいがあって、「B.B、SSWへの道」という可能性も一瞬考えさせられるアルバム。結局、そうはならなかったからこそ、彼は特異でありつづけたのだけれども。



In Concert(A&M)

 再発アナログのために盤元はEMIになっているけれども、元々は「Live in Japan」のタイトルでA&Mから出された(多分)唯一のライブ盤で日本公演の時のステージを収めたもの。

 にわかに ライブ盤とは信じがたいほど抑制されて完璧なオケではありますが、お馴染みのフレーズが飛び出る度に客席からさざ波のように拍手が来るところが、当日の華やかさを物語っているようです。バカラックもスターな感じでMCをこなしています。「Raindrops Keep Fallin' on My Head」の歌唱には自分が見た97年の日本公演を思い出して涙ですが、最後「OK」と言ってるのか「おおきに」と言ってるのか分からなくて不安になる。

 そしてA面ラスト前のメドレーは圧巻。特に、「What's New PussyCat」から「Wives & Lovers」への流れは鳥肌ものです。


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