2002/01/28

 さて、『オーシャンズ11』ですが。

 私にとってこの映画が重要だとすればそれは、ブラッド・ピットがカードで騙す若手ハリウッド・スター達のために他ならない。『ドーソンズ・クリーク』のジュシュア・ジャクソン、『Get Over It』のショーン・ウェスト、『鬼教師ミセス・ティングル』のバリー・ワトソン、『チャームド』の次女ホリー・マリー・コムズ。しかもみんな本人役。私にとって「ドリーム・チーム」っていうのは、このシーンの面子のことなんだよ。


2002/01/25

 そんな訳で私の著書、『オードリーとフランソワーズ』(晶文社)は本日発売です。きっとお近くの本屋さんにあったりなかったりなかったりなかったりなかったりあったりすると思いますが、見つけて釣り上げてくれると幸いです。

 あと、2/17トークショウ詳細決定。「要電話予約」っていう文字で思考停止してます。それでも来て下さると嬉しい。ゲストは乙女ならみんな大好き!なイラストレーター杉浦さやかさん。ああもう、杉浦さんが見られるなら私ならば行くと思うね。もうひとつの特典はウェブにも媒体にも未発表のショート・ストーリーの冊子。ここでしか手に入りません。とりあえずABC自由が丘店の女性スタッフには大受けらしい。まあ、どんな内容か楽しみね!それと、しつこいようだけれど、当日『紙版ロマンティック・オ・ゴー!ゴー! 平成10-11年版』を売ります。『オードリーとフランソワーズ』及び『オリーブ』の「東京プリンセス」の原型である「20才シリーズ」が読めるのは、こちらのみとなっております。自分で自分の宣伝をするのは疲れる。

 しかし、「20才シリーズ」がなかったら今の仕事は存在しないので、私はつくづく「乙女は何を聞いたらいいんですかね?」と言ったピノコ嬢に感謝をしなくてはならない。その質問から生まれた「20才シリーズ」で、その「20才シリーズ」を晶文社の安藤さんと現オリーブの編集長の堀越さんがウェブ及び紙版で読んでくれたからこその単行本と連載。余談だけれど、同じく紙版を読んで下さった淀川美代子さんと初めてお会いした時はさすがに舞い上がりましたです。復刊号が出た直後、連載内容を誉めていただいてどんなにほっとしたことか!

 そんな事とは関係なく、PAULのパンはおいしいわね〜、もぐもぐ。


2002/01/21

 毎年恒例のクーレスト10に参加。アーカイヴの特別編からもいけます。昨年は山ほど映画を観た年ではありましたが、その大部分が試写だった故に、自腹でカネ払ってないものは入れませんでした。今年の目標はなるべく試写を減らして映画館で観ることです。とりあえず『オーシャンズ11』は先行レイトで鑑賞。


2002/01/15

 さて金井美恵子の『噂の娘』ですが、バーネットの「秘密の花園」の、原作には書かれていなかったイントロダクションのインド描写が引き延ばされているところを興味深く読みました。というのか、『プリティ・プリンセス』について書くために、リファランスとしてちょっと同じくバーネットの「小公女」に現代的な解釈を施した『リトル・プリンセス』を観たばかりだったので。

 両親にかまってもらえず、乳母ももてあまし気味なひねこびたメアリーに比べて、映画『リトル・プリンセス』で描かれている(当然、原作にはなくて引き延ばされている)インド時代のセーラは、仏像の頭部が横倒しになっている河のほとりや林で、「スパイスや焼けたパンの匂いがする」熱い空気を胸いっぱいに吸い込みながらシュミーズ一枚でインドの子供たちと走る健康的な少女で、父が戦地に赴くことになったためアメリカの女学校に預けられることになった時もいかにも名残惜しそうで、ようするに「清教徒的な価値観にまったくとらわれない、生命感に溢れた想像力豊かな帰国子女」なのでした。

 また「父の代理戦争としての少女小説」ということでいえば、『リトル・プリンセス』の縦軸は「父と娘の狂おしい恋物語」に他ならなくて、それが証拠にいかにもナイーヴそうな父親を演じる男優はセーラの夢物語であるラマの王子とドラゴンに囚われたお姫様の物語のパートでは、肌を青く染めて王子として登場。極彩色に彩られたエキゾチックなこの物語パートは、クリーチャーのドラゴンを含めて、昨今ファンタスティック・アニメにキャーっと言っている乙女の皆様に是非観て欲しい。

 公開当時も話題になった「女はみんなプリンセスなのよ!」という台詞は、もちろん「セーラはパパのプリンセスだよ」という言葉に裏打ちされたもので、アメリカに向かう客船のキャビネットで、フェリーニの『そして船は行く』を思わせる作り物の銀紙の海をバックに父と娘は固く抱き合ってダンスをし、最後に原作を変えて生きている設定になりやがった父親と再会するとき、セーラは彼を抱きしめて「二度とあたしを離さないで!」と叫ぶ。これは現実ではありえない父と娘の恋愛の成就の物語なのだけれど、こんなにアムールの話を全面に押し出したのは、監督のアルフォンソ・クアロンがメキシコ人だからになんだろうなあ。

 思うところもあって、しばらくこの話はつづくかも。


2002/01/10

 下記のイベント、告知ページが復活していました。えー、私が考えるジャズ??? タモリかなあ。当日は「紙版ロマンティック・オ・ゴー!ゴー!」も何部か持っていく予定なので、未だ購入されていない方には手ずから売ります。です。

 ・金井美恵子新作『噂の娘』(楽チイ)と安井かずみ唯一の小説『エイプリル組曲』(これまた別のレベルで面白い)を併読中。わりと幸せかも。


2002/01/09

 告知ページが消えてしまったとことなので、イベント告知を。

1月14日(Mon)
至上の愛"#7
Start 16:00
\1500 (w/1drink)

at Salon

Lecture:菊地成孔『マイルス・デイヴィス講義』
Live:菊地成孔+大友良英
DJ:ROOTSY、salt water taffy、junne

  私は17:00〜18:00あたりに回す予定。かーなーりひさしぶりの上、客層が分からなくて大層心細いので応援に来てくれると嬉しいのだココロ。

・試写レビュー、昨年・一昨年の星取り表を乗せました。それに合わせて、落ち穂拾い的に今までレビューを書いていなかった何本かのメモ書きを追加。『スカルズ』『ファイナル・ディスティネーション』『エボリューション』『プラットホーム』『ノーラ・ジョイス』『スパイゲーム』『ムッシュ・カステラの恋』等々。星取り表及び試写備忘録のバックナンバーからいけます。


2002/01/05

 年明け早々、少女小説。

 モンゴメリーの『可愛いエミリー』を読みました。村岡花子訳で『赤毛のアン』を読んでいた者としては、「ほんのぽっちり」という表現が懐かしい。村岡ボキャブラリー。

 しかし気がついたのだが、少女小説の裏テーマって「娘による父親の代理戦争」だよね。特にアメリカ・カナダで顕著なのが、母親が駆け落ちして疎遠になっていた実家にヒロインが預けられるというパターン。父親というのが、ピューリタン的な思想からするとほんの少し享楽的で、理想肌の変革主義者で、志を半ばにして死んでいるのね、大抵。

 もちろん実家には妹であるヒロインの母を愛しながらも、そんな男と結婚したがために半ば憎んでいる厳格で保守的な叔母がいて、ヒロインは「あんな父親に育てられたからこんなひどい娘になった」と言われないように、父の名誉のために努力する。こらえきれず叔母が父を罵倒するとヒロインは激昂する。そんな激しい愛を知らない叔母ははじめてたじろぐ。『少女レベッカ』にもほとんど同じシーンが出てきたような気が。

 なにゆえ、父親の不完全さのために少女たちは戦わなくてはならないのか。エミリーの父親だって、不治の病に罹ったからといって森の奥で遺産を食いつぶしながら娘と二人きりで暮らすというのは、あんまりにも後ろ向きな発想だし、娘に対して配慮が欠けている。父親のナイーヴなところだけ資質として押しつけて、それをフォローする知恵はつけないままに放り出すんだから不親切。

 父親の癒せなかった悲しみ、果たせなかった希望、償えなかった罪。そうした業を受け継ぐのは娘であって、息子ではない。そのことに関しては、ユング派の女性学者として有名な M-L・フォン・フランツの『メルヘンと女性心理』にくわしい。

 前に少女小説のヒロインは「作家志望」であることは許されても、「作家」になることは許されないといったことを書いたけれど、こうも言いかえることが出来る。少女小説のヒロインたちは、思春期の輝かしさを父親の代理戦争で消費してしまうため、自己実現を果たす前に力尽きてしまうのだ。

 それで、結局は自分と年の離れた男性と結婚することで落ち着くのだけれど、これはもちろん父親が本来するべきだった役割を果たしてくれる男性がいるはずという作者の願望に過ぎない。

 父親の代理戦争というと、ビクトル・エリセの『エル・スール』なんかもそうだけれど、実はもうすぐ公開の『プリティ・プリンセス』もそうだったりする。

 いかにもディズニー制作のファミリー映画然とした作りだし、監督はゲイリー・マーシャルだし、クリティックの現場では誰も相手になんかしなわけよ、相変わらずこの手の映画は。でも、少女小説に必要不可欠かつ重要な要素を三つくらいぶちこんでいるので、私としては無視するわけには!

 ドジでさえないはぐれっこヒロインがいきなりプリンセス!何でこの設定が成り立つかというと、ヒロインは母子家庭なんだけれど、離婚した父親というのがヨーロッパ小国の王位継承者だったから。学生結婚したものの、王国のために家庭を捨てた父は志半ばであっけなく事故死しちゃうのね。

 ヒロインがどこか自分に対してやけっぱちで自信がないのは、生前たまーに会う父親とのスタンスが取れなくて愛情が確認出来ないっていう要因が実はでかい、というところを父親について語る短いシーンでこそっと示すところはやっぱり上手な職人監督。そして父親に愛されていない女の子というのは、家庭内で既にプリンセスではないわけね。でも結局、ヒロインはこの存在感が薄いにも程がある父親のために腹をくくらざるをえなくなるんですよ。

 その他の少女小説要素に関しては「未来のレトロスペクティブ」でしつこく取り上げるつもりですが、あたしゃ既に制作が決まっている続編にもひそかに期待してるんですよ。

 作家になることはあらゆる理由で回避できるけれど、王位を継承することは回避出来ないのだから。そして、代理戦争をサバイブして自分自身になりえた少女の物語を、私達は未だ持たないのだから。

・映画コーナー、更新してあります。『金色の嘘』についてのレビュー。

・女子ばかりの新春アニメ大会に参加しました。漫画がいっぱいあるお宅だった。エストニアの幻想アニメを見つつ、岡田あーみん『ルナティック雑伎団』読んでたんだけれど、お母さんがそれこそ『可愛いエミリー』に出てくるキャラに似てるんで驚いた。ヒロイン女子のナイーヴな男子の親友(続編ではもう一人の友達を入れてラヴ相関図に発展と予測)の母親なんだけれど、息子が可愛がっているっていう理由で飼い猫二匹殺しちゃったりする危ないキャラ。息子と母というのも根深い問題だわ。みんな否定したいだろうけれど、人生で最初の異性だからな!


2002/01/01

 あけまして。

 昨年、心の中でつぶやいた言葉ベスト1といえば、「大人になると心が死ぬのよ」(ブレックファスト・クラブ)でしたが、今年は「傷つくことに弱虫なんて乙女がすたるもの」(はいからさんが通る)に標語をチェンジして前向きにやっていこうかなあと思っています。乙女の皆様はとりあえず正月三ヶ日は衛星第一でオードリー・ヘプバーン三連チャン、というのが正しいのだろう。

 今年もめげずにソフィスティケイテッド。

 皆様にとっていい一年でありますように。

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