試写会備忘録
和物再発掘、2001年はどうやら鈴木清順イヤーになりそうですね。 というわけで、80年代の浪漫三部作もめでたくニュープリントで再映。内の一本、『ツィゴイネルワイゼン』は内田百聞が原作の幻想譚。放浪のあげく死んだ友人の女房がやってきて、サラサーテが喋る声が一瞬録音されたツィゴイネルワイゼンのレコードを返して欲しいというのだが‥。という筋書きは気にしなくていいです。 清順の映画に話の整合性なんてないもの。グリーナウェイとか丸尾末広の悪いお手本になったようなイメージの嵐。眼球舐めるプレイってこれが元祖か。ただその絵に耽溺して貪って酔いしれるばかり。 原田芳雄は無頼で不埒でスケベな男がひたすらはまっているし、きっちりと三つ揃いを着た陸軍士官学校のドイツ語教師に扮した藤田敏八はまるで大正小説から抜け出してきたようだし、大谷直子は割ととんでもない役にも関わらずふくよかできれいなのだけれども、これはもう、芸術品のような楠和代と彼女の着物とそのバックにある洋館インテリアを楽しむ映画ですよ!素晴らしすぎます。 あのきつねか童女が笑ったような目! あのおかっぱ頭! 赤い斑点が妖しく浮かび上がるスレンダーな身体! レースのズローズ、三十年代風ローウェストの(おそらく)クレープ地の鮮やかな黄色いドレスにグレイの帽子に毛皮のケープとお召し替えがひたすら楽しい。特に丸山敬太のデザインの元ネタである着物はどれもとんでもなくモダンで美しい。芥子の花と英字(だよね?あれ)をあしらった帯だの、濃い紫と黄色の矢絣だの、ピンクと紫の菖蒲模様だの!ちょっと!どこでお買いになりました!って感じです。きっとセシル・ビートンもこの映画の彼女はお気に召すに違いないわ。 『陽炎座』と『夢二』はスケジュールの都合で試写が観られなかったので劇場まで駆けつけると思います、主に楠和代を見に。そんな訳で乙女の皆様、マスト・シー。是非観ることをお勧めしておきます。 パンフレット→楠和代の全ファッションのスチール写真 スーベニール→ケイタ・マルヤマによる「ツィゴイネルワイゼン」着物 リファランス→『田園に死す』(寺山修司)『コックと泥棒、その妻と愛人』(ピーター・グリーナウェイ)
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『ラン・ローラ・ラン』の監督の前作に当たる映画。 記憶障害の男が思いつきで盗んだアルファ・ロメロが事故を起こす。記憶障害の彼は事故を忘れてしまうが、その事故で娘を失った父親は彼の後頭部にある傷の記憶を頼りに犯人を捜す。アルファ・ロメロの本当の持ち主はスキー・インストラクター(ジェイ・ムーア似)。彼の恋人のルーム・メイトは、アルファ・ロメロの事故で意識不明の重体になった少女を看病する看護婦。そんな彼女が記憶障害の男と恋に落ちる。やがて、男が記憶を保存するロモ・カメラの写真から、不思議な相関図が浮かび上がる‥。 ルームメイト同士の女の子たちのお洋服はそれぞれ赤と緑限定・女の子の一人はマリリン・マニアで寝ているのはウォーホール・プリントのお布団、それにアルファ・ロメロとロモでこじゃれなアイテムは一通り揃っています。「初のロモ大フューチャー映画!」として煽ろうとしている気配も濃厚。しかし、何だかもったりしていて、出てくるのが美男美女でないところが、ドイツらしいというか。 でも一面の雪景色にミニマルテクノな音楽は映えるし、ゆったりしたテンポは逆に心地いいし、ロモで写真を撮りながらスケートで滑走するデートの場面にはそれなりのときめきがあります。サスペンス部分に関しては、ヌーヴェル・ヌーヴェル・ヴァーグの一番悪いところを受け継いでますが。底が浅いったら。 『ラン・ローラ・ラン』にも共通する雰囲気一発芸といった感はぬぐえないけれど、すっごく寒い曇りの日の午後に観たらはまりそうな良さもあることは確か。雪の気配がする日のデートに観ることをお勧めしておきます。 パンフレット→スチールも含めてロモ!ロモ!ロモ!って感じなんだろうなあ。実際にはちょっとしか出てこないんだけど。 スーベニール→ロモカメラ・「帰らざる河」のマリリンの紙人形 リファランス→『スウィート・ヒア・アフター』(アトム・エゴヤン)『ディーバ』(ジャン・ジャック・ベネックス)
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架空のジャズ・ミュージシャン・エメット・レイの一代記という形をとった、ウディ・アレンよる『道』といった趣の作品。 ジャンゴ・ラインハルトに深いコンプレックスを抱く破滅型奇行癖ありの天才ギタリストにショーン・ペン、その妻になる自意識過剰で作家志望の勘違い女にユマ・サーマン、ショーン・ペンに無償の愛を捧げる口がきけない娘がイギリスの新星サマンサ・モートン。もう。キャストを見れば一目瞭然、手堅いっていうか、安打も安打、大安打。いかにも恵比寿ガーデン・シネマ安泰って感じの出来です。 そういう話にありがちな痛い部分も、マイルドに提示されていて、安心して観られます。ヒリヒリしなきゃいけないのに、他人事のように観れていいののか?とも思うけれど、もはや、ウディ・アレンがそういう八十点作品を年に一度コンスタントに撮るってところに落ち着いてしまったから仕方ないのかも。 でも、悪くないです。彼のファンなら確実に満足できると思います。大好きな三十年代風俗とジャズ、ハリウッドやギャングネタを絡めた小話風の挿話、偽ドキュメンタリーのカメラの前に立つ本人やナット・ヘンホフ。『ラジオ・デイズ』や『ブロードウェイと銃弾』に連なる作品。ジャズクラブのオーナーの役で、ジョン・ウォーターズがちらっと顔を出すのも嬉しい。 風俗映画はファッションやインテリアを楽しめないとしょうがないんだけれど、ショーン・ペンとユマ・サーマンの役が服装の好みが派手という設定なので、お召し替えも目に楽しい。 赤いフリル・シャツに白いスーツなんて組み合わせをイヤミなくこなすショーン・ペンもいいけれど、今回は頬骨を強調したメークと髪型からして明らかにマレーネ・ディードリッヒを意識しているユマ・サーマンが、きっちりと着せ替え人形の役目を果たしてくれてます。白い薔薇を胸元にさしたアイス・グレイの男物のタキシードに身を包んだ登場シーンや、モノグラム・パターンの茶色のスーツにはしばみ色の革の手袋と黄色い狐のケープを合わせたスタイルなんて、もうパーフェクト。 でも、映画コスプレしがちな女子が狙うとしたら、サマンサ・モートンの方でしょう。ぶかっとしたセーラーシャツにフレアロングのスカートのシルエットがラブリー。普段被っている赤と黄色の渦巻き模様が入ったストロー・ハットとか、おめかしの時の葡萄の蔓の模様を刺繍した帽子とか、欲しくなります。 モートンはぽちゃっとしてすごく可愛い。ご飯食べているときの小動物的な風情は特に。ウディ・アレンは「ハーポ・マルクスを意識した」とは言ってますが、ジュリエッタ・マッシーナを重ねていることは間違いないです。ただ、あんなに哀愁漂う風情ではなくて、ドライにユーモラスでしぶとそうなところが現代娘。 もう間違いなく外れじゃない映画を観たい!と思うあなたに観ることをお勧めしておきます。 パンフレット→岩浪洋三さんがちゃんと三十年代ジャズについて解説してくれているのでそれで充分だとも思いますが、もうちょっと当時のミュージシャンの詳細なデータが欲しい。ドキュメントで証言する「ジャズ有名人」たちのプロフィール、三十年代ファッションの解説 スーベニール→エメットがステージ上で乗ろうとする金色の月のオブジェにちなんで、ラインストーンの月形ブローチ・モートン演じるハッティがエメットにプレゼントするヤギ革の手袋 リファランス→『カンザス・シティ』(ロバート・アルトマン)
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ルグランの軽快なピアノ曲に主演三人のポートレイトがカットバックされるオープニングからもうキラキラ!って感じです。カリーナはおそらく出演作中最も可憐なキャラクター。ピーコートにプリーツスカートとスクールなファッションが似合います。 「チューとかしたことあるのか」と聞かれて、「知ってるわ、舌を使うのよ」とべーっしたままキスを待ったり、「髪型がダサいぜ」といわれると、「あわわ」とお団子ヘアを慌ててほどいたり。 そんな乱暴なモーションをかけるのはクロード・ブッラスール。いかにも無頼な感じで、超ハンサムで文系キャラのサミー・フレイが横にいるというのにカリーナどうして?と思う乙女もいると思うけれども、女の子はいつだって自分と異質な方に心ひかれるものよね! てのか、この三人の関係を見ててグラックの『アルゴールの城』を思い出しました。奇妙な古城で男二人の濃密な関係性に食い込もうとする美少女の話なんだけれども、男二人が作り出す「磁場」に小説の女の子もカリーナも魅了されているんですよ。でも、その「磁場」は二人が揃わないと生まれないものであるにも関わらず、男子のどちらかと先に知り合いだと、新しく出会った男の方に発信源があると思いがちなんですよね。 この緊張感のあるトライアングルは、誰かが破滅するか死ぬかしなければ解けないんですが、『アルゴールの城』では三人の内二人が、この映画でも一人が死にます。 カリーナの幼さに代表されるような、ここから先は(ゴダールの映画も・映画の中の人物たちも)失っていくばかりであろう光に満ちた映画で、しかも喪失の気配が濃厚なだけに切ないです。だからカフェでダンスに興じ、手をつないでなるべく早く!早く!ルーブル美術館を走り抜けようとする。短い間に何もかもを見てしまおうとするように。 無垢な子供たちの敗北とも取れるラストはせつないけれど、それでも物語が続いていくことを暗示させるおとぎ話調のオチは、ゴダールがこの時点ではまだ「何か」を、「官能」とか「歓び」と同義語の何かを信じていたことを感じさせます。 ちなみに試写では特別に、ゴダール本人の編集による予告編も流してくれました。モデルのはなちゃんがいたよと言うと、かならず「加藤紀子は?」と聞かれるのは何故か。 あなたが彼女のようなフレンチ好きじゃなくても、観ることをお勧めしておきます。 パンフレット→フランス映画社配給なので、こじゃれではなくヌーヴェル・バーグ本来の文脈で語られることにはなると思う。恐らくは山田宏一先生の解説。でも、スチールとかコマ撮り写真は多用してね! スーベニール→背の模様のエド・ツワキが下絵を描いて再現したアントワネット手鏡・レイモンド・クノーの小説「アントワネット」 リファランス→『冒険者たち』(ロベール・アンリコ)白水社uブックス『アルゴールの城にて』(ジュリアン・グラック)
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七十年代はじめのマンチェスター、フィッシュ・アンド・チップスの店を営むカーン一家はパキスタン人のパパとイギリス人のママ、そして七人の兄弟たちの大所帯。パパのジョージはパキスタンの伝統を子ども達に守ってもらいたいのに、子ども達はみんなソーセージもロックもサッカーも大好きで、民族衣装が嫌いな現代っ子ばかり。おまけに親が決めたパキスタン女性との結婚がイヤで、長男が家を飛び出して‥という、家族内戦コメディ。 ヨーロッパ映画においてはマイナーな、それも超地域限定の文化を背景としたドラマは説明事項が多くて大変だと思います。 七十年代のマンチェスターの下町文化。(どのようにスウィンギン・ロンドンが曲解されているか)そこに暮らすパキスタン・コミュニティの宗教観と風俗。当時のパキスタン事情。どのように周囲と拮抗しながら文化を守っていくかという問題。周囲のイギリス白人の偏見。そしてイギリス文化がどのように二世に浸透していくかについて。どのような違和感を持って家族に受け入れられるか、あるいは受け入れられないかについて。 おまけに大家族、兄弟七人のキャラも立たせなければならない。それだけで映画は終わってしまう。実際、話が核心に迫ったところで時間切れになってしまいました。 それは「家族内異文化」というだけではなく、「家族であることと他人であることの折り合いをどのようにつけるか」という、いまだに明確な答のでない課題であり、「第三世界の男性と結婚した経済先進国の労働者階級の女性」の問題であるはずです。でもね、後者は日本も他人事じゃないと思いますよ、もはや。 それでもお見合い結婚式の金ぴかのきらびやかさに代表される風俗は鮮やかで濃密でいなたくて魅力的だし、テンポも快調で楽しめる。少なくとも、『フル・モンティ』に代表されるイギリス労働者階級を描いた最近の英国ニューウェイブ映画や、マサラ・ムーヴィーが好きな人には確実に愛されるチャーミングな作品であることは間違いないと思います。 元々は大ヒットした舞台劇で、兄弟を演じる俳優たちの七人中が四人がオリジナル・キャストであるだけあってアンサンブルはばっちり。ただ同じ民族というだけでなく、ちゃんと家族に見えます。特に裏庭で踊り狂うおてんば長女はヴィヴィッド。ブリティッシュ・マサラ・ムーヴィーという後続がでなさそうなジャンルを体験するためだけにでも、観ることをお勧めしておきます。 パンフレット→政治状況やピーター・バラカンによる当時のイギリス風俗の解説はばっちり載っているのですが、もうちょっと服装文化の説明とかが欲しい。お見合い結婚の制度とか、セレモニーに使う道具や衣装アイテムの名称や意味とか。 スーベニール→フィッシュ・アンド・チップス・アラビア文字の腕時計 リファランス→『遠い声、静かな暮らし』(テレンス・デイヴィス)
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