試写会備忘録
世界初のブータン映画は、監督も高僧なら出てくるキャストもみんな僧。監督は、ベルトリッチが『リトル・ブッダ』撮る時にアドバイザーを務めたことがきっかけで、この映画を撮ったそうです。なんかおかしい。 お話の方は、ワールド・カップに夢中になって、夜な夜な僧院を抜け出す少年僧が決定戦を僧院で見せろ!と高僧たちに直談判。はたしてお金を工面して衛星アンテナを借りて来れるか?というシンプルなもの。 いかにも純粋無垢な子どもたちがサッカーに憧れて‥という欧米狙いアジア映画然とした宣伝イメージとはうらはらに、「僧院のボーイズ・ブラボー」ってな感じで意外にもよかったです。普段は撮影禁止の僧院をエキゾチズムで撮る、というよりは、悪ガキいっぱいの全寮制寄宿舎みたいに描いていて。 子どもたちは全員いい味だしてます。本当に普通に悪知恵の働くそこらのガキ。でも、偉大な指導者の生まれ変わり(設定ではなくて本当に)だったりするのよね、実は。 こうした映画としては珍しく、ダイアローグにパンチが効いているのも吉と出た。「アメリカは?」「中国を恐れているからダメだな。むしろイタリアの方に援助が望める」「政治じゃなくてサッカーの話だよ」僧院の最高指導者にサッカーを説明する時、「セックスは?」「皆無です」「暴力は?」「たまにあります」「何でお前がくわしいのじゃ」で、高僧思わず苦笑いの巻とか。アニメの「一休さん」みたいですな。主演のジャムヤン・ロゥドゥ君がインド人レンタル業者に掛け合うシーンも楽しい。 僧たちが亡命してこなくてはならないようなチベットの事情もさらっと描いていて、好感度大。チベタン・フリーダムを観たら、あの映画の少年僧たちはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに熱狂することでしょう。『クンドゥン』『セブン・イヤーズ・イン・チベット』とかに納得のいかないあなたにも是非観ることをお勧めします。 パンフレット→ブータン観光案内 スーベニール→バター茶 「ロナウド」と自分で染めたランニング リファランス→『青春デンデケデケデケ』 |
実は私、エットーレ・スコラ監督は好きなんです。『あんなに愛しあったのに』(タイトルをいっただけで泣ける)とか『ル・バル』(ダンスだけで紡ぐ20世紀イタリア史)とか『マカロニ』(ジャック・レモンとマルチェロ・マストロヤンニで哀愁ウェルメイド)とか。 レストラン内部で繰り広げられるこの群衆劇に、今挙げた映画のような力があるかというと、ちょっと残念、といわざるをえないけれど、今回も安心して観られる出来ではあります。目が覚めるほどの料理はでないけれど、安い価格で手堅くおいしいものを食べられるビストロ・クラス。 レストランのお客の内訳は、マダムなママに「修道女になりたい」と言い出す娘、担当教授と不倫している女子大生、魔術師に騙されちゃう人生がぱっとしない公務員、四人の恋人と決着を付けようとする女性、インテリの二組の夫婦(実は不倫カップルあり)、携帯を手放さないキャリア女性、「妊娠してたら結婚しない、してなかったらする」と禅問答のようなことを恋人に言われる若い男、試験合格のパーティを開く予定がお客が来ないママと息子、典型的差別表現で表されている韓国人の家族(ひょっとしたら日本人じゃない?字幕いじってんな)、新作の芝居について討論する演劇人、全てお見通しの教授。 出きればこれらの人々のもつれた人間関係の糸が料理によってほどけていく、という展開だと嬉しかったんだけれど‥。そこまではいたらずに閉店時間になりました。 女子大生役は第二のソフィー・マルソーことお色気担当マリー・ジラン。今回はイタリア語吹き替えがオーバーでちょっとヘン。かわいそうに。それにしても見事なヒップだね。女主人のファニー・アルダンは相変わらずキレイで華がありますが、もうちょっと見せ場があってもよかったかも。 それこそ冒険しないで手堅く心温まりたい人にお勧めいたします。 パンフレット→「アルトゥーロの店」メニュー スーベニール→赤いハイヒール、靴下留め リファランス→『ギャルソン!』『バベットの晩餐会』 |
ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』リソースとしても有名な17世紀の宮廷恋愛小説を、設定を現代に移してポルトガルの最長老監督が映画化。試写室の年齢層がぐっと高く、重鎮なんだろなーというおじいちゃんばかりで取りあえず驚きました。 しかし驚いたといえば、映画の方に驚きましたよ。 もともと、翻案とはいえ「現代」でやるには難しい原作ではあります。無垢なまま結婚した少女がその直後に初めての恋を知り、忠誠を尽くそうとするあまりに心が奪われていることを夫に告白してしまうというプロットなのですから。しかも、それを苦にして夫が病で死んだ後も、相思相愛であるその騎士を退けてヒロインが隠遁生活に入ってしまうというラスト。 どう料理するのかなと楽しみにしていたのですが、冒頭のロック・コンサートのシーンからイヤーな予感がしてきました。 クレーヴ夫人が恋に落ちる騎士はロックスターに変更。それからしてひどい話ですが、演じるミュージシャンがいくらポルトガル本国ではスター!といわれようと、私には禿の親父にしか見えないんですよ。作っている曲もひどい頃のゲンズブールをもっとひどくしたような代物で、神秘性を強調するために(演技が出来ないから)ずっとサングラスをかけているんですが、禿にニット帽でスーツ、足元スニーカーというスタイリングのため限りなく松山千春でした。 そうした間抜けさもさることながら、ワン・シークエンスごとに字幕が入って物語の進行を説明するという手法のために、話がブツブツ切れてまったく連続性がなく、映画そのものにリズムがないことに閉口しました。監督に映画一本を一つのテンションで貫いて撮る力が既にないのは明らかで、ただ古くからのキャリアがあるというだけでこんなものにカンヌが賞をやってしまうのは問題じゃないでしょうか。 原作の捉え方が平坦なために、物語としての説得力もまったくない。当時の宮廷においては恋愛は政治の一環なので、それ故にクレーヴ夫人の純愛の通し方は大変に過激であったはずなのに、そういった背景は一切無視で「世間体」の問題にしちまうんですからね。表層的なモラルに潰される恋愛を描いた映画としては、スコセッシの『エイジ・オブ・イノセンス』の方が格段に上です。 そのモラルの「呪い」を娘にかける母親役はフランソワーズ・ファビアン。好きな女優さん(『モード家の一夜』!『男と女の詩』!)なのですが、やっぱりこういう業の深い役にはちょっと迫力不足の気が‥、他の人でやるとしたら、カトリーヌ・ドヌーヴ?(ってキアラのママだよ) 確かに、石像と緑のコントラストを捉えた映像には観る価値のある豊かさが存在はしていました。しかしこれくらいしっとりとした絵が撮れて、映画としてきちんとしたものを作れる監督なんて、ヨーロッパにごろごろいるのでしょうに。 あと、あのとってつけたような「社会性」はどうにかならないのでしょうか。有名な夫への「告白」のシーンの直後、ホームレスが夫婦に金を無心するところがあって、これって悪意かギャグだよなと思っていたら、クレーヴ夫人がラスト、アフリカの奥地でボランティアに励むんだから驚いた驚いた。不倫しているヒマがあったら社会活動を!ってことかい? しかし、キアラ・マストロヤンニはパパとママ、両方にそっくり!なのね。両方の顔の要素が相まってまるでルネッサンス時代の美人のような華やかさで、「ゴージャス」「ノーブル」という言葉さえ彼女への賛辞としては俗っぽいほど。ただ、そのあまりに破格な美貌ゆえに近代性を感じさせないのも確か(その割にはクレーグ・アラーキーの『NOWHERE』とかに出ているんだけれど)で、現代の映画の大抵の役が彼女のスケールには見合わないものなのではという危惧を抱きました。似合うとしたら、うーん、『昼顔』とか?(ママの役だよ!)『悲しみのトリスターナ』とか?(だからママの役だって!) そして、この映画でよかったのはマリア・ジョアン・ピルシェという素敵なピアニストを知ったこと。シューベルトがこの映画の主題に合う音楽かどうかは別として(そういうところからして監督の判断がズレている)、彼女の演奏シーンとキアラの美しい顔のためだけにでも、観ることをお勧めします。 (参考にコクトーが脚本を担当したジャン・ドラノワ監督作品の方を見たところ、こっちの方が全然よかったです。原作にはないエピソードを二つ取り入れて、観客にカタルシスを与えるところなんか芸達者。制作が61年で、『女は女である』『5時から7時までのクレオ』と同年に撮られたことを考えると、古色蒼然とした文芸映画ではあるけれど、どっこいオールドスクールの底力を見せていてなかなか。マリナ・ヴラヴィの清楚さは原作に似つかわしいし。キアラは耐える女は似合わない風情なんですよ) パンフレット→オリヴェイラのどこがそんなにえらいのかとりあえず教えて欲しい スーベニール→ダイヤのネックレス 銀の写真立て リファランス→『クレーヴの奥方』(ジャン・ドラノワ版)
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権威ある「メイフラワー・ドッグショウ」に優勝するために奮闘する人々を描いた偽ドキュメンタリー。神経質な弁護士夫婦が飼っているワイマラナー、犬と話が出来ると信じている主人のハウンド、実はレズビアンでトレーナーの女性と出来ている有閑マダムのプードル、ゲイの美容師カップルのシーズー、ホワイトトラッシュ夫婦のテリア、果たして栄冠を勝ち取るのはどの犬? 一見ワンちゃん好きにはたまらーん!!って内容だけれど、映画で品評されているのはおかしな飼い主たちの方です、もちろん。(でもあんまりにも犬が出てこなさ過ぎだとは思った)監督のクリストファー・ゲストは何てったって、偽ドキュメント傑作の『スパイナル・タップス』のメンバーですから面白くないはずがない。 キャストも私的には粒ぞろい。弁護士妻にイライラした女をやらせたら天下一品のパーカー・ポージィ、『アメリカン・パイ』からエディ・ケイ・トーマスとエッチしちゃう同級生ママを演じたジェニファー・クーリッジと、ジェイソン・ビックスのパパを演じたユージン・レヴィ。 両足が左足の(観ればどういうことか分かります)ユージン・レヴィが演じるホワイト・トラッシュ夫ももちろん面白かったけれど、その妻で行く先行く先で昔寝た男に出会う淫乱女を演じたキャサリン・オハラがもう最高!今までは「『ホーム・アローン』シリーズのマコーレのママ」という印象しかなかったけれど、これと『100万回のウィンク』(傑作!)の鬼ババで私の中での完全に株が上がりました。田舎のホワイトトラッシュの役をやらせたら、五本の指に入るかもしれない。って、それは誉め言葉なのか。 犬好き、あるいは周囲に行き過ぎた犬好きがいてうんざりしている人に是非観ることをお勧めします。 パンフレット→犬の秘密とドッグ・ショウ規定 スーベニール→テリア型の郵便受け リファランス→『スパイナル・タップス』
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『ブレアウィッチ・プロジェクト』公開から一年。バーキッツの村は便乗商売と観光客で盛り上がっていた。精神病で施設に閉じこめられていた過去を持つジェフ・パターソンもコフィン・ロックやラスティン・パーの家跡の廃墟を巡るツアーを企画する。第一回目の客として現れたのは、ゴス娘キムと自らを魔女と名乗るエリカ、『ブレアウィッチ』に関する学術書を上梓予定の大学院生カップル、スティーブンとトリステン。彼らはラスティン・パーの家で一夜を過ごすが、誰もいつ眠りについたのか、夜何をしていたか記憶にない。そうしている内にトリステンが流産を起こし、ツアーメンバーたちは急いで村に帰るが、彼らの周囲で奇妙な現象が起きようとしていた‥。 という、『ブレアウィッチ・プロジェクト』の一応続編。試写室に行ったら神主さんが画面に向かってお祓いしているんで驚いた。続いて上演前の解説で「この映画の制作に携わった人たちが足を折ったり、病気が長引いたり、屋根から落ちたり(←どういうシチュエーションで?)ということが相次いでますので、皆様にそのようなことが起こらないようにお願いしています」この仕込みが一番面白かったといえば面白かったです。 内容としては、酒に酔った勢いでやったことが写真なりビデオなりで記録として残っているとロクなことがない→その筆頭が裸踊り、というお話です。あと、村で子供に石を投げられるなどして苛められていた孤独なゴス娘が、然るべき男性から「キミはその黒い化粧を取った方がキレイだよ」と言われて、お化粧を落としたらあら美人!っていうストーリーでもある。いっとくけれど、私は別に嘘をついている訳じゃありませんよ。 狙いは分かるけれど、筋書きも演出もダメでねー。中途半端に幽霊とかを画面に出して説明している割に、その場その場でのショックしか狙ってないものだから、整合性がない。細かい嘘を積み重ねて大ネタに持っていった本家はやっぱりえらかったって思います。 そんなんだから、最後に登場人物たちがある罪に問われて警察に捕らえられ、「俺達が無実だってことを証明するビデオがある!」って再生したら、自分たちが事実として認識していたのとまったく違うことが映っているっていうラストも、ただ唐突なだけで生きないんですよ。「呪いでビデオの内容が変容する」っていう映画としては、もう全然『リング』の方が上! でも惜しいのは、このオチこそがちゃんと決まれば、「ビデオ画面で映っていることを人は真実だと信じてしまう」という意味での「ブレアウィッチ批判」として通用したのに!ってこと。「ドグマ95」にとどめを刺すチャンスでもあったかもしれない。なんてね。 『ブレアウィッチ・プロジェクト』の今後の展開が気になる人に、是非観ることをお勧めします。 パンフレット→登場人物達のプロフィールは調書形式にすべき スーベニール→清めの塩 犬の鳴き声の犯罪防止装置 フライドチキン リファランス→『ブレアウィッチ・プロジェクト』『リング』
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