試写会備忘録
・パッツイ・ケンジットがお局様として取り仕切るロンドンのオフィスにある日、派遣社員のジャニスがやってきた ・こいつが誇大妄想狂で、オフィスの人間関係の暗黒の人間関係はいつまでたっても理解しないわ、出すお茶はぬるいわ、仕事は失敗ばかり。でも、めげないの。というか、現実を見ていない人間ってめげようがないのよね。ちょっといしいひさいちの「ノン・キャリアウーマン」みたい ・実はジャニスにはヒッキーの母親がいて、いい治療を受けさせたいという目標があった。ヒッキーの母に妄想癖の娘。いいコンビだ ・彼女のように下っ端でパーな女は使えるぞと思ったのは、産業スパイのリス・エヴァンス。ほだされて本当の恋に落ちる都合のいい展開はお約束通り ・監督は自身も派遣社員出身。だから臨場感はあるんだろうけれど、映画には素人だからリズムが悪くてモタモタするし、画面が暗すぎる ・それでもきっと、多くの事務職OLが共感の嵐。なのかしら。いや、「ふざけんな!」と思う人も多いはず。特に仕事をきちんとやっている優秀な人であればあるほど、感情移入出来ないはず ・主演のアリリーン・ウォルシュはすっとんきょうな顔のコメディエンヌで、なかなか好感が持てます ・仕事で失敗してお局様にイビられてシュンとした日なら、それなりに元気が出るのか。そんな時に観に行くことをお勧めします。 スーベニール→スペイン語会話教材テープ リファランス→『ブリジット・ジョーンズの日記』 |
・この映画については一度評を書いていて、そちらを覚えている人もいると思いますが、『プレミア』の八月号で書いたレビューに、そのだいたいのエッセンスが入っているので、よかったらそちらをお読み下さい ・ただ、あれは賛否両論の「否」の方のレビューなんで、よかったと思ったところは抜いてはあります ・よかったところは、えーと、えーと、マーロン・ワイヤンズに尽きます。彼だけがヴィヴィッドで今を感じさせる存在。でもそれは彼の肉体とかキャラクターによるものであって、監督の演出による力ではないのが惜しい ・ダーレン・アロノフスキーはブルックリン出身ということで、『π』に引き続きコニー・アイランドや下町風景が出てきますが、今ひとつリアリティーが薄いのよね ・日本では「ダメ。絶対。」映画としてPG-15をゲットしたようなので、高校生くらいの皆さんに是非見に行くことをお勧めします。 リファランス→『モア』 |
・下町で銭湯を営む父親と知的障害者の弟のもとに、都会で働く長男が帰ってくる ・中国における銭湯はただの風呂ではなく、マッサージや足のタコ取り、将棋やコオロギ競技をする、「おじいちゃんのための一大レジャー・ランド」であることが判明。半裸で一日中なごんで過ごす、日本の健康ランドに近いものがある ・もうね、昭和ヒトケタ世代大泣きな、「日本が失ってしまったもの一覧表」みたいな映画なの。正直、あざといくらい。お父さんは「大地の子」の人だしさ、泣かない奴は鬼モードが映画から漂っているんですよ ・でもつい泣いてしまったのは、「日本から失われてしまったもの」一覧にコミュニティというのがあって、その幸せなコミュニティがまさに今、中国でも失われようとしているという残酷さ故かも ・弟も、銭湯の中では自分の役割があってよく働くし、みんなに愛されて幸せなんだけれど、兄についていって都会に行ったらどうなるの?って、小学生の時に見たら不安で眠れなくなるだろうし、正直、今でも不安で胸が痛くなった ・エキゾチックな風俗(銭湯)、いい顔をしたオヤジ(父と常連客)という最近のアジア映画のお約束は揃っているようだけれど、さすがに美少女までは出さないのね、と思っていたら、「風呂=癒し」という挿話にしっかり登場。しかもヌードで。こういうところはさすがにサービス過剰 ・都会のしがらみに疲れて、あの故郷へ帰ろかなモードの人に観ることをお勧めします スーベニール→格闘用コオロギ リファランス→『初恋の来た道』 |
・放浪の歴史は同時に、追放と排斥の歴史でもある。ルーマニアのミュージシャンはチャウシェスク批判のバラードを歌い、スロヴァキアでは強制収容所の番号の焼き跡がある老婆がアウシュビッツについて歌う ・安住の最終地点のようにみえるスペインでさえ、最後に居住区を追われるジプシーたちがいる ・その生きる根源に根ざした鮮やかさこそが、今の私たちに必要とされているのだろう ・ハンガリーで寒さに凍えて汽車を待つ親子のために、線路脇で歌って踊る「Kek Lang」という集団が素晴らしい。涙が出た ・大いなる移動というのは、それだけで映画的であり、常に移動する民族が映画向きでないわけがない ・文句はないけれど、同じメンタリティーを物語にした『ベンゴ』の評価がこの映画に比べて極端に低いのに抗議する意味合いで、あえて★印はつけていません ・最高の音楽を求めている人に、是非観ることをお勧めします スーベニール→アンクレット リファランス→『ル・バル』 |
・母の命日に久しぶりに集まった三人姉妹とその兄、そして配偶者たち。姉妹は酒宴の席で、初めて母の隠された恋を知ってショックを受けるが、それぞれに秘密にしている愛にまつわる悩みがあった ・美しいといえば、これほど美しい映画もないと思う。全てが強い光と湿気に包まれ、水に濡れてつややかに輝いている。『花様年華』でもいい仕事をしたマーク・リー・ワークス、ブラボー ・紫の部屋の壁に、ビーズのカーテン、バスルームを占領する水色の壺に植えられたプラントと鳥かご、雨の日のカフェ、溢れそうな井戸、庭先でしゃがんで料理の下ごしらえをする女たち‥みんなが夢見たハノイがここにある。私もベトナムに行った時、期待したのはこれな! ・ルー・リードの音楽さえも官能的に日の光に歪んで空気にたゆたう、その美意識は素晴らしい ・しかし、少女小説風にまとめた『青いパパイヤの香り』に比べると、話の方があまりにお粗末 ・監督は、ハノイの空気に見合った官能的な大人のロマンスを撮りたかったのだとは思う。結婚後も初恋の人を思い続けた母を断罪せず、姉妹達が自らの恋愛経験を通して愛に形はないことを知り、母を受け入れていくというような。 ・長女の結婚の裏に隠された物語は、その意味ではかなりヨーロッパの大人のロマンスの色も濃く、いいセンいってる。恋愛以外に「夫婦」という拠り所を確認する気丈さ、全てを受け入れるたおやかさが加わって、うまくいけばアジアならではのアダルトな恋愛映画に成りえたかもしれない ・それをぶち壊しにするのがラストの三女の一言だというのに、異論はないだろう。「ベトナムでの性意識だとここが精一杯」というのが監督の弁だが、ここに至って、何だってこの映画がその美しさにも関わらず、眠気を誘うほど空虚な部分があるのかが分かった ・画面の官能が、映画として動いていない、血肉レベルで染みていかないのは、撮る側も演じる側も、真に官能に身を委ねられない場所にいるからなのだ。その言い訳がラストに噴き出した ・それでも、非常に麗しい映画には違いないと思います。美しいものが観たい人に、是非観ることをお勧めします リファランス→『小早川家の秋』 |