試写会備忘 

夜になる前に

 ホモセクシャルであることが理由で投獄され、80年代にニューヨークに亡命した後エイズで死んだ、キューバの作家レイナルド・アレナスの生涯を描く。

 この映画については「プレミア」10月号で、賛否両論の「否」の方のレビューを書いているので、よかったらそちらの方を読んで下さい。

 「否」のレビューの際のポイントは、

 ・メインキャストにひとりもラテン・アメリカ系の俳優がいない

 ・キューバ訛りの英語で言語を通しているのに、時々唐突にスペイン語になる。特に、オリジナルのフィルムが残っているであろうニューヨーク時代のインタビュー・シーンではスペイン語になるところが、いい加減。

 ・映画の文法が混乱している。シーン毎に書き分けているというよりは、無自覚に撮っていてそうなったとしか思えない。特に、ニューヨーク・パートに移行する時、ドキュメンタリー・タッチになるところがぎこちなく、全体のリズムに乱れが生じる

 ・手持ちのエピソードを時間通りに並べてだらだら進行するところ、『バスキア』から何の進歩も見られない

 ・カストロ政権の描き方が疑問。弾圧を受けたアレナスの目線で追うならば、ゲイに対する弾圧等、独裁政権の暗部の描き方も納得がいくが、無神経にニュース画像を差し込んで実状を混乱させる。もうちょっと間違えるとアメリカ産プロパガンダになりかねない。

 ・つか、ラテンで踊っているシーンにルー・リード重ねてるんじゃねーよ

 というようなことでした。書けなかったことで付け加えると、各媒体大絶賛のジョニー・デップの二役ゲスト出演、あれいらない。いかにもデップのために場を用意したという感じで、必然性も何もなく場違いに華やかなだけ。幼少期エピソードで登場するショーン・ペンがプレス見るまで彼だと気がつかなかったほどの化けっぷりだったことを考えると、デップもまだまだなのかと思いました。

 恐らく、この映画を愛する人は、牢獄の中で蛍のように光る石鹸玉や、溶けだして降りかからんばかりのジャングルの緑、藍色にうねる海といった耽美的な映像美を堪能したのでしょう。でもね。ラテン・アメリカの美って、あんなにスタティックで目で止まるタイプのものじゃないんですよ。

 ただ、ああいった色つきセロファンのようなはかない美しさでキューバを描くなら、有効な視点は確かにあったはずです。あれはエキゾチズムとしてのキューバ、実体のないキューバなのだから、あくまでニューヨークで異邦人として暮らすアレナスを基点として描けば、郷愁が見せた幻としてあの映像美も機能したはずです。でも、アレナスの中にあったキューバがあれだとは考えられないんだけどね。

 だから、この映画の中でキューバが一体何なのか、そして弾圧される官能とは一体何なのかを如実に訴えているのは、ラスト・クレジットで引用されるキューバ映画『P.M』の映像に他ならない。オルランド・ヒメネスとサバ・カブレラ=イバンテが撮ったこの25分のドキュメンタリーは、夜に騒ぎ、踊り歌う人々を追いかけただけのものだが、「反革命的」だという理由で抹殺されたという。

 つまりは、カストロを脅かすほどの官能美はシュナーベルには撮れないということか。彼といい、ロバート・ロンゴといい、80年代ニューヨーク・アート・シーンは結局のところ、映画にはろくな結果を残さなかったというのが、私の正直な感想です。

 そうはいっても、映像美をそのものを否定する気はないし、ハビエル・バルデムは健闘しています。彼がもうちょっと英語が上手くなったら、ハリウッドにおけるロバート・ダウニー・ジュニアの席はなくなるかもしれません。そして『P.M』の映像は素晴らしいので、ラストにそれを見るためだけにでも、観に行くことをお勧めします。

スーベニール→石鹸玉  『聖書』メルヴィルの『白鯨』スティーブンソンの『宝島』カフカの『変身』フローベルの『感情教育』プルーストの『失われた時を求めて』

リファランス→『苺とチョコレート』

ブリジット・ジョーンズの日記

 ヘレン・フィールディングによる大ヒット・ライト・ノヴェルの映画化作品。

 増量とイギリス英語特訓を中心トピックスとしたレニー・ゼルウィガーの名演ぶりは、もうイヤになるほどみんな各所で聞いていると思うので、それはおいといて。監督がヘレン・フィールディングの親友で、しかも原作におけるブリジットの友達のモデルというのは、「原作と映画にスキマがあるなんて言わせない!」体勢ですごいとは思う。でも、原作と微妙に違うといったらどこなのか。

 それはもう、オースティンの『高慢と偏見』を読んだ女子なら露骨なくらい分かると思う。原作ではどちらかというと気弱なナード・タイプだったダーシーが寡黙なために誤解されるインテリ男に変身、かつ演じているのがBBCテレビ版『高慢と偏見』でダーシー(同じ名前なのだ)役をやったコリン・ファース。対するブリジットの上司・ダニーは原作と違ってダーシーと関係があり、ダーシーとダニーをめぐる嘘とブリジットの誤解をめぐるエピソードは、まんま『高慢と偏見』と一緒なのだ。

 つまりこれは、原作のブリジットが『高慢と偏見』うっとり女子なのにかこつけて実現した、『高慢と偏見』ヒロイン・ワナビーであるところの多くのイギリス女子の夢を実現したジェーン・オースティンごっこなのである。

 もともと原作からして、オースティンの系譜であることは間違いない。オースティンが何故そうもてはやされるかというと、イギリスには少女マンガが存在しないから。少女マンガが存在しない国には、ジョン・ヒューズの映画が生まれ、ヘレン・フィールディングの小説が生まれる。

 だってこれは、結局のところダイエットも仕事も成功しないままで、唐突に夢の王子様から「そのままの君が好きだ」と言われる話なんですよ!おまけに、浮気な上司と誠実で将来性のある男がブリジットを取り合ってケンカまでするわけで、それはブリジットに自己投影している女子は気分いいよね。

 でも私は見ている間、疎外感感じっぱなし。『高慢と偏見』ヒロインは、美貌では姉に劣るものの、才気煥発で風通しのいい考え方が魅力の女子で、ブリジットはそうじゃない。そうじゃなくてもかまわないけれど、陸奥A子ヒロインなら「ダメな私」とこつんと自分の頭を叩くところを、ブリジットは自己反省さえしない。映画の最初と最後で、彼女は何も変わらない。変わらなくていいのよね、だって「そのままの君が好き」なんだからサ−って、ここのところ橋本治調ね。

 私はオースティンも「そのままの君が好き」系マンガ、何もしないのヒロインモテモテって話も嫌いじゃないのだけれども、正直いうと『ブリジット・ジョーンズの日記』は原作からして苦手だった。続編二冊も読んだけれど、最後の方は正直地獄のようだと思った。

 おいらはブリジットには感情移入出来ない(アリーには出来る)し、友達になりたいとも思わない。こんな女は好きじゃない。自足できなくて悩むのは分かるけれど、この人は自分の内側に何も求めていないのだもの。棚ボタで救われることを信じているのだもの。

 しかしレニーはやはり魅力的だし、原作ファンには充分に楽しめる、コンパクトにまとまった作品であることは間違いないので、ついつい「ヤングyou」を買って癒されてしまうあなたには、是非観に行くことをお勧めします。

スーベニール→ペルリの下着

リファランス→『高慢と偏見』

クイーン・コング

 フェミでお色気という相反する要素を備え持つ女子ばかりの撮影クルーを引き連れた熟女な女性監督が、主演俳優を捜している時に偶然、髪型がレイフ・ギャレットで前歯をシャキーンと光らせて笑う脳天気な万引き少年をつかまえてフォーリン・ラブ。自分の映画のために拉致して、歌い踊るクルーと共にアマゾンへ連れていく。ところがそのアマゾンの奥地は巨大なメス・ゴリラを神と崇める野蛮な種族が住んでいたのれす!万引き少年は一瞬いけにえにされかかるものの、コングが彼に惚れて無罪放免。ところが、「これは売り物になるわ!」とふんだ女監督が生け捕りにしてロンドンに連れて帰ったからさあ大変。あわれなクィーン・コングは「猥雑で見るにたえないから」という理由で鎖のブラジャーとパンティを付けさせられて見せ物に。そしてもちろん、脱走劇。とりあえずロンドン塔にも登ります。万引き少年は「鎖のブラジャーなんて女性の尊厳を踏みにじるものだ、一致団結!闘争勝利!」とアジって、ウーマン・リヴ・パワーをクィーン・コング救出に利用するのでした。めでたし。吹き替えは広川太一朗と武藤礼子。

 うわ、書くだに楽しそうなんだけれど、試写室で襲ってくる睡魔と戦うにいっぱいいっぱいだったのは何故か。大まじめに大画面で見せられても困るってことか。きっとうっかり深夜テレビで暴力的な安売りCMインサート&色あせフィルムで見たら、大傑作として記憶に残ったに違いないのに。

 そんなわけで映画館で見る人には、是非とも10人くらいの人数かつビール持参で観に行くことをお勧めします。

スーベニール→鎖ブラジャー

リファランス→『ミスター・BOO』

恋は負けない

 この映画に関しては、もう応援団に徹して色々書いたのでそちらを参照して下さい。

 『プレミア日本版』に書いた評はこちら

 J−WAVE「So-net Cafe」のウェブマガジンに書いたコラムはこちら

 アメリカ学園天国の対談はこちら

コレリ大尉のマンドリン

・舞台は40年代ギリシア。でも、ギリシア人を演じるジョン・ハートとクリスチャン・ベールはイギリス人だし、ペネロペはスペイン人だ。そしてイタリア人役のニコラス・ケイジをはじめみんな変なアクセントで英語を話す。ある種のハリウッド作品では仕方がないこと。

・イタリアとドイツに占領された島。オペラとマンドリンが命で戦争とか本当はどうでもいいー。美女とおいしい酒があれば天国ー。という享楽主義者生きる歓びサイドのイタリア大尉と、レジスタンスに身を投じる粗野な幼なじみの間で悩むペネロペ。でも、どう見ても漁師であるはずのクリスチャン・ベールの方がインテリ大尉のケイジよりノーブルに見えます。両者ミス・キャスト。

・『恋に落ちたシェイクスピア』では舞台に対する愛情できちんと観客を高揚感に導いたマッデン監督、今回はかなり他人事だからイタリア兵にもギリシア人にも思い入れがなく、ただ名作ダイジェストのようにダラダラとストーリーが流れていくだけ。せめて最後にケイジを庇って死ぬ兵士のキャラクターくらいは掘り下げないと、お話が唐突に見えます。

・こういうお話はせめて、美しい陽光に煌めく島の描写とかおししそうな食べ物とかディテールに凝って目で楽しませてくれなければダメなんだけれど、映像もえらく平坦。

・ただ、二十世紀ベスト100に入る傑作といわれている原作の大筋をラクして理解しておくことは出来るので、読書が面倒な方には観ることをお勧めします。

スーベニール→金色の糸で鷹と花の刺繍をしたベスト

リファランス→『マレーナ』

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