試写会備忘録
J-WAVEのコラムはこちら。 私をはじめとする日本人インタビュアーに「『恋のエチュード』意識したでしょ?」と言われては、「むしろ粗野な人間が知性に目覚めていくという点で『華氏451』や『野生の少年』を意識した」と言い張って帰っていったデプレシャンだけれど、この発言は実はこの映画の本質を表す裏返しの言葉なのではと思う。 アイリス・イン/アウトによる場面転換や手紙を書くシーンと二重写しになるそれを朗読するヒロインといった『恋のエチュード』の形式をさんざん借りながら、「粗野な人間がうんぬん」といったことにこだわるのは何故か。そもそも、『エスター・カーン』はそんな映画なのか。 『野生の少年』といえば、試写でさんざんヌーベル・バーグ陣営からけなされて、「これは僕の話なんだよう」とトリュフォーが泣いてしまったという逸話が残っているけれど、ヌーベル・バーグの監督たちはトリュフォー以外はみんなインテリで中産階級以上の家の出なんで、小学校しかまともに出ていない不良少年のコンプレックスはみんなよく分からなかったのだ。トリュフォーは都会派じゃなかったから、仲間がみんな大好きなジャズも分からなかった。 「ジャン・ルノワールの持っている本質的な豊かさを認識していたのはトリュフォーであり、受け継いだのはある時期までのゴダールである」と言ったのは金井美恵子だったと思うけれども、ゴダールは認識していなかったのでそれを溝に捨ててボケた。という話はおいといて、知識層に対するコンプレックスがトリュフォーにあったとすれば、本能的に本質をつかみ取っていく野生といったものに対するコンプレックスがデプレシャンにはある、と言いたい。 ヒロインがズタズタになりながら、それでも舞台裏の人々の尽力でどうにか舞台をつとめるシーンがカサヴェデスの『オープニング・ナイト』にあまりに似てしまったように、『エスター・カーン』も基本的にはシネフィルの青年が作りがちな縮小再生産モードの映画ではあるのだが、デプレシャンが賢明にも「自分に何が欠けているか」認識しているために、吸引力を失わずにはいるのである。デプレシャンに欠けている全てを補うのは、ヒロインのエスター・カーンを演じるサマー・フェニックスの「抑制が利いているようで割と力任せ」な演技と存在感だ。 そっけないほど簡潔でタイトなアーサ・シモンズの原作の方を読めば、映画の方が小説の忠実な再現であることも分かる。そのタイトなテンションがデプレシャンの資質ではないことは、過去の『魂を救え!』や『そして僕は恋をする』を観れば明らかだ。自分自身を引き上げることが出来ないほど観念やプライドにスポイルされた青年の物語、『そして僕は恋をする』で最も粗野で教養のないヒロインの名前を、デプレシャンは「エスター・カーン」から取っている。妊娠したと勘違いした彼女がシーツを染める血から生理の到来に気がついて、シャワーで身を清めるシーンがあるが、何か肉体的な手応えをデプレシャンが欲しているように見える。 『エスター・カーン』の舞台場面が観客の視点ではなく、エスターの視点から描かれるところにも、我を忘れたヒロインの感覚を追体験することで何かを得ようとするデプレシャン本人の思惑が透けてみえる。 つまり、『エスター・カーン』は「粗野な人間が知性と自我を見いだす」映画ではなく、「生の歓びを体感するエネルギーに乏しい人間が、主人公の野生に追従することで本質に外側から辿り着こうとする」試みなのである。だから、ヒロインはエスターのようであって、実はこれもデプレシャンの私小説のバリエーションなのだとは思う。 それを支えるサマーに魅力があるから良かった。もしデプレシャンが『恋のエチュード』の様式を借りて身につけたことがあるとしたら、それは女性の撮り方だろう。 そんなこんなで是非観に行くことをお勧めします。 スーベニール→芥子の花束 リファランス→『オープニング・ナイト』 |
・J-WAVEのコラムはこちら。 ・別にオデュッセイアもスタージェスの『サリバンの旅』を知らなくてもフツーに楽しめると思います。手堅いコーエン・ブラザーの30年代南部脱獄物。誰かも言ってたと思うけれども、一番近いのは『未来は今』のパターン。 ・『未来は今』のヒロインは小柄なジェニファー・ジェイソン・リー、今回の(一応)ヒロインは小柄なホリー・ハンター。ああいう鉄火肌で背の低い女優が好きですね彼ら。雛形はバーバラ・スタンウィック? ・緑したたる「神話世界としての南部」とイカしたブルースとカントリー。ベビー・フェイス・ネルソンにKKK、そして悪魔に魂を売り飛ばした黒人ギタリスト(あの人ですね)。こういう「アメリカ史実と虚構をシェイク」っていうのは実はゼメキスの得意パターンなのだけれども、コーエンも上手ねえ。 ・しかし今回は何といっても、漫画のようなジョージ・クルーニーとティム・ブレイク・ネルソンの顔に尽きる。この二人の顔を堪能するためだけにでも、是非観に行くことをお勧めします。 スーベニール→伊達男ポマード リファランス→『ダウン・バイ・ロー』 |
・ということで、この映画の構造について言いたいことはだいたい言ってしまったとは思うけれども、加えることがあるとするなら、ドアを開閉する音を上手に使っているなと思いました。 ・ただし、いくつかのシークエンスは削れる。あと20分短い方がタイトではあったと思う。 ・それと、「記憶というものは語り尽くされた物語に過ぎない」「映画もまたそうだ」というオチは、つい五年くらい前にあの人があの映画でやってはいるので、ちょっとインパクトが弱い ・それでも充分魅力的。フラッシュ・バック/フォワードって?というあなたに観に行くことをお勧めします。 スーベニール→ポラロイド写真 リファランス→『ユージュアル・サスペクツ』 |
・46年、スターリンは亡命ロシア人に特赦を出して、帰国することを勧告した。パリで暮らしていた医師のアレクセイは、フランス人妻のマリーと子供を連れてソ連に帰る。しかし、待っていたのは予想もしなかった厳しい生活。マリーは西側の人間ということでスパイ容疑をかけられ、パスポートを破棄される。 ・それから先は、「何が何でも本国に帰るわよ!」というマリーと、穏便にコトを済ませようとするアレクセイの厳しい戦いの日々。カトリーヌ・ドヌーヴの顔見せも含めて、純然たる、ある種古色蒼然としたタイプの大河ロマン。こんな話に感じ入るなんて、ウディ・アレンという人はすっごく真面目なんだなあと思う。 ・真っ正面から国家に戦いを挑んでいる内に、家庭内は大変なことに。それどころじゃないはずなのに、隣家の美青年とちゃっかり恋をしちゃうところが、マリーったらフランス女。演じるサンドリヨン・ボネールが渋くて、すっかり貫禄ある大人の女優になっていて驚く。 ・結局マリーは青年の亡命をそそのかした罪で強制収容所に入って、ボロボロになって帰ってくる。でもアレクセイの方は共産党の幹部入りまで果たして、その地位と特権を利用して妻を西側に帰すのだった。スケールの大きい愛情を抱いてたのは誰?というお話。 ・積極的に観たいタイプの映画か、と聞かれるとちょっと違うけれど、近年フランスの「作家」的映画は浮ついていて子供っぽく、作品以前といった問題点があるものが多いので、こういう作りがしっかりしている映画を観ると逆に安心する。 ・ロマンだけだと照れくさいけれど、政治が絡むと話が重みを増して安心するというタイプのドラマ好きの方に、是非観ることをお勧めします。 スーベニール→獣脂 リファランス→『愛と哀しみのボレロ』 |
・往年の西武デパートのコピーを冠にしたアレン作。銀行強盗のカムフラージュで始めたクッキー屋さんが儲かって、犯罪に手を染めずしてお金持ちになった夫婦は果たして幸せなのか。二人のバブリーな生活ぶりを見て80年代の生活を反省しなさいという意図のタイトルなわけですね。 ・皆さん、今更ウディ・アレンの映画に80点以上安打以外の何をお望みですか?外さない風俗、お馴染みのキャスト、趣味の良いジャズ、ニューヨークの街並み。でも「もういらない」って要素もあって、それは俳優としてのウディ・アレンだったりする。 ・アレンはどう見てもおじいちゃんの上、ホワイト・トラッシュに見えません。トレーシー・ウルマンが見事に下層のおばちゃんを演じているだけに目も当てられない。 ・でも、私が大好きなマイケル・ラパポートやジョン・ロヴィッツが間抜け強盗グループでおバカをやる前半はそれなりに楽しい。ウルマンが焼くクッキーが本気でおいしそうなのもイイナー。 ・ところがクッキー店のフランチャイズが成功する後半はいきなりのパワー・ダウン。ロビッツたちがもう出てこないのは反則だし、成金風俗もあんまり書き込めていません。 ・まごつく後半の売りは、「ヒュー・グラント初の悪役」らしいけれど、『ブリジット・ジョーンズの日記』を観た後では特に目新しくもなく、いつものにやけチャームもないので物足りないことしきり。エレイン・メイの素晴らしいコメディエンヌぶりでどうにかラストまで持っているのが実状。 ・アレンが唯一よいのはラスト・シーンの表情なのだけれど、そのシーンさえ目の色が薄くなるところが老いや死を感じさせて悲しくなります。本気で(俳優としての)後継者を探すべきなのでは。かつて主役に使ったセス・グリーンが育ってますけれどいかがですか? ・私が今一番観たい最新アレン出演作は、イメージ・アップに必死のニューヨーク観光局が作ったプロモ・ビデオ。老骨にムチ打ってマジソン・スクエア・ガーデンのスケート場で滑っているらしい。 ・とはいえ秋に恵比寿ガーデンシネマでアレン作品を観ることが習慣となっている人々には、過不足のない映画。決まり事を変えたくないあなたに見に行くことをお勧めします。 スーベニール→チェリー・シナモン・クッキー、ウィンザー公のコバルト色のシガーケース リファランス→『マダムと泥棒』 |