2002年01/26公開 |
プレミア日本版に書いたレビューはこちら。 アン・ハサウェイがびしょ濡れでパーティ会場に来た時の、ヘザー・マタラッツオの台詞が泣けるんだ、また。そしてアン・ハサウェイが「あんたはクレイジーよ!」と言ったマンディ・ムーアにリベンジする時の台詞。「私はいつかまともになるわ、でもあんたはずっとそのままよ!」そう、真の悲劇とは押しつけられた価値観の囚われ人になることなのだからね。 |
2002年01/19公開 |
今年はしょっぱなから、ゴシック・ホラー・ニューウェイヴが続くね。本命は『ジェヴォーダンの獣』だそうだけれど、おいといて黒人ブラザーズ、ヒューズ兄弟による切り裂きジャックもの。 毒薬を染み込ませた砂糖を焼いてアブサンに溶かし込み、酩酊しながら推理する探偵。デップ、特殊俳優としての面目躍如の感があります。で、そういうキャラは孤独になりがちですが、今回は巡査部長が彼のブラザー役として出ていて、そういうところが黒人監督らしいと思いました。演じたロビー・コルトレーンがいい味を出していて、『ヴィドック』のムサ・マースクリにもこれくらい見せ場があってもよかったのになあ。 「切り裂きジャックはだあれ?」という問いの答は、まあ一般的に言われている三つの可能性の内で最も映画映えする派手なやつを採用してあります。デップとヒューズ兄弟は切り裂きジャック・オタだった(ヘンだよ!デップはおいといてヒューズ・ブラザーズに関しては!)ということだけれど、私も高校時代に一通り調べたので知っているのですと恥ずかしいカミング・アウト。 ヒロインで切り裂き魔に狙われる娼婦のヘザー・グラハム。デップとのコンビネーションはあんまりよくはありません。この二人が恋に落ちるなんてありえるのか、と思っていたら実生活ではちょうどこの時ロケ先のチェコで同じく『ロック・ユー!』のロケに来ていたヒース・レジャーと恋に落ちていたのでした。でも、最下層に堕ちながらも生命力の輝きを失わない、そんなスタンスの役はこの人にお似合い。シリアスな役としては、『ブギー・ナイツ』以来の好演じゃないでしょうか。 多少お話が甘い!とか、デップのラストはあれでいいのか!という欠点はなきにしもあらずだけれど、エレファント・マン登場!なんてシーンもあって、世紀末ロンドン暗黒サイドファンには絵的に充分楽しめる映画。1月19日に何か映画を一本、と考えているなら是非。 くわしくはこちらを。ジェイソン・リーがヒロインを射止める役ってところはステキ。 もっとも個人的な政治行為としてのセックス。のはずなんだけれど、とんがてないしまったりしてるしゆるいし。主役女子、素晴らしく太っています。ヌードになったらお腹が七段くらいありました。お洒落さんとエロ親父、両方を裏切る出来。それが確信犯なのかどうかも判断出来ず困る。 |
2002年01/12公開 |
20世紀初頭のヨーロッパ。イタリア貴族のアメリーゴ公爵は、アメリカ人女性のシャーロットと愛し合いながらも、没落した家系と城の維持のために億万長者の娘・マギーと結婚する。マギーと親しかったシャーロットが彼女の父親であるアダムの後妻におさまり、アメリーゴ公爵の義母となったことから、家庭のバランスは少しずつ崩れはじめる‥。 ヘンリー・ジェイムスの後期の長編、『金色の盃』を原作としたこの映画は、いかにもマーチャント=アイボリーのプロダクションらしいスキのない華やかな文芸映画に見える。しかし、シャーロットを演じるゴージャスな美貌のユマ・サーマンの演技と同じく、金紗をかけたようなその映像は少し奥行きがなくて窮屈な感じがしないか。 ヘンリー・ジェイムスの複雑なドラマをコンパクトにまとめるのは困難だろう。それでも映画の方は少しニュアンスが欠けすぎている。そのため、シャーロットの行動が陰謀に写り、企み事をした不埒なヒロインが最後に罰せられる道徳的な物語であるかのような印象を受ける。 シャーロットがアダムと結婚したのは、思うところがあってか、彼の理想に共鳴したのか、ただの成り行きなのか。恐らくはそのどれでもあり、どれでもないのだろう。しかし映画は、その曖昧な空気に決着をつける方向に回り出す。 ユマ・サーマンに比べれば、マギー役のケイト・ベッキンセールはなるほど野暮ったくていかにも純に見える。だけれど、マギーが善で、シャーロットが悪である訳がない。アメリカ的なイノセントが果たしてどのように人を傷つけるか、アイボリーは描かない。退廃したヨーロッパの社交界に馴染めぬ朴訥なアメリカ人親子に拠り所をがあるかのようだ。人生に「完璧な盃」を求める彼らは傲慢であってしかるべきなのに。ま、アイボリーは基本的のお上りさんヤンキーではあるんだけどね。 『ある貴婦人の肖像』のニコール・キッドマン、『鳩の翼』のヘレナ・ボナム・カーターに比べては気の毒かもしれないけれども、ユマは今回荷が重すぎ。恋人と共にいるためならどんな手段も辞さない女の悲しみと、アダムとマギーの親子の絆からはじかれている孤独な感じが欲しかった。感情移入を許さないルックスが凶と出たか。あと、彼女がそうまでして手に入れたいアメリーゴを演じるジェレミー・ノーザムが今ひとつ魅力に欠けるので説得力がない。 それでも、アイボリーの映画が好きな人には相変わらず目に楽しい作品であることは、間違いがないでしょ。1月12日の土曜日に映画を一本、と考えているなら是非。 ファミレスでくっちゃべっている若者をただ明け方まで追うだけで、すっごく面白い映画を撮る監督もいる。多くの人は自分でもそれが出来ると間違える。 電動紙芝居!それはそれでいいのだけれど、身体性が極端に希薄。アクション・シーンに問題アリ。 |
2001年12/8公開 |
くわしくはこちらを。 |
2001年12/1公開 |
くわしくはこちらを。 モニカ・キーナが養父にレイプされた翌日にかけているハート型サングラスが露骨にロリータ意識しているとか。 その養父が見ているテレビ番組は中流階級ではなくホワイト・トラッシュが好きなものばかりだとか。 学園の女王様の時はコルセットで高々と上げて胸を強調しているのに、犯罪者の娘としてつまはじきになるとノーブラになっちゃうとか。 キーナは学園の勝ち組にしては身長が低すぎるのが難。何せ彼女、センチに換算すると153cmぐらいしかないんだもの。それに足が太すぎる。柳型の眉にふちどられた瞳なんて、ルックスがパーフェクトな美女っぽいだけにちょっと今後の展開はしんどいのかもー。 何故だか彼女がななめ掛けしているチープな青空プリントのバックに泣けました。書き損ねた散文的な要素はそんなとこ。 |
もう世界中大フィーバーの『ハリー・ポッター』、皆さんは既に原作を読んだか、朝のワイドショーであらすじをしつこくくわしく聞いたかどちらかだと思うので、あえてここでストーリーはくり返しません。 映画の方は監督がクリス・コロンバスというだけで安打も安打、大安打であることがあらかじめ決められていました。皆さんの予測通り。誰も文句がつけようのないダニエル・ラトクリフ君のルックスから想像できる通りの映画ではあります。それでもディズニーが嫌いというタイプなら、「幽霊がホログラムじゃ闇の世界もせいぜいがアトラクション止まりで原作のイマジネーションを壊すし、子供達の想像力も育たない、つーかある種のグローバリゼーション?」と怒ってもいいだろうし、そもそも白人至上的な原作に異議をとなえる人もいるだろう。それはどんなヒット映画にもいえること。 確かに『ハリー・ポッター』は風俗を含めて非常にパブリック・スクール讃歌っぽいところがあります。現実世界でははぐれっこでも、ハリーは生まれながらにしてエリートですからね。それと、これだけ強大な力の持ち主でありながら、闇の部分をまったく持ち合わせていないパーソナリティーも考え物か。普通はゲド戦記『影との戦い』とか『スターウォーズ』とかダークサイド関連で悩むものなんですが。ま、7部作のラストは大変暗いということなので、ぼちぼちそういうところも出てくるんでしょう。「闇の魔術との共存」なんてナウシカ的な展開になるような予感も。 「別世界エリート」という意味でいうと、多くの監督を押しのけてクリス・コロンバスが監督の座を射止めたのは、あまりにも熱心なポッタリアンだったからという話ですが、何故そこまで彼が原作に熱狂したのかよく分かる気がします。ようするにこれは、『グレムリン』なんて愛らしいようでダークな脚本を書いて、天才少年として映画界に迎え入れられたコロンバス自身の自伝でもあるんですよ。きっと。『グレムリン』を書くような少年が現実世界で人気者であるわけがなかったのだから。 この後すくすくと成長することを義務づけられているメインキャストの少年少女三人は危うげなくチャーミング、ハーマイオーニ役のエマ・ワトソンは美女に育ちそうです。悪役少年のドラコ・マルフォイは今後に期待。まだ悪を気取っても歯が浮く感じなので。そしてアラン・リックマンについては色々と思うところがあるのですが、それは『シャンプー台の向こうに』について書く時にでも述べたいと思います。 |