静御前の墓
   
静御前の墓は、栗橋駅入口信号を左折して約1km先にあるJR東北本線栗橋駅近くにある。
「旧跡光了寺」と「静御前之墓」の
門柱の立つ小さな公園
公園左手奥に「
静女之墳
ここへは、15年前日光街道を歩いたとき、5年前鎌倉街道を歩いたとき、そして今回、計3回訪れている。
いつもきれいに整備されていて、保存に力を入れていることが推し量れる。
静御前の墓(案内板要約):京都の白拍子だった静御前は、源平合戦で功績のあった源義経の寵愛を受けていたが、
その後義経は源頼朝の不興をかって奥州平泉藤原氏のもとへ落ちのびた。
静御前は、義経の後を追って京都を発ったが、途中現在の古河市で「義経討死」の報を聞き、
仏門に入り義経の菩提を弔いたいと京都へ引き返した。
しかし、病に倒れ1189年(文治5)9月15日この地の高柳寺で22才で死去したと伝えられている。
この広場が、高柳寺境内の跡で、高柳寺はその後古河市中田に移転し名も光了寺と改めた。
光了寺には、静が15歳のとき雨乞いの舞で後白河法皇から賜ったいう「舞衣」が伝わっている。
「静女之墳」墓石は、1803年(享和3)利根川氾濫の復旧工事を指揮した、
関東郡代中川飛騨守忠英が建立したもの。

余談:美人となるとついつい力が入り、長文になってしまいました。男の哀しさ?ではないですよね。