「朝夷奈切通越え」 | ||||||||
朝夷奈切通:国史跡。鎌倉七口で、最も高く険阻な路。 1241年(仁治2)、鎌倉幕府が執権北条泰時の陣頭指揮のもとで、物資の集散地の六浦港との重要な陸上交通路として開通させた。 |
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7:44、入口出発。 山道に入り、このところ雨も降らないのに、すぐ道は湧水で泥道。 |
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ドロドロの階段状道。 ポツンと、野仏像。刻印で、「延宝三」と読めるので、1675年建立だと思う。長い間、おつかれさま。 まだまだ続く泥道。 |
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足元も悪い。巨大は切通壁に磨崖仏。 ここは頂上に、「神奈川県・横浜市」境界石柱が立ち、鎌倉市(十二所)と横浜市(金沢区朝比奈町)の境界。 |
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巨大な切通の間の坂道を下り、落石防止柵、急勾配の坂。 | ||||||||
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分かれ道は左手の坂を下る。ちなみに右手の道は、熊野神社へ。 道は石畳?イエイエ砂袋敷の道です。要所に砂袋が敷いてあり、鎌倉側のような泥道はない。 唯一の、下る人に見える「落石注意」看板。下り道には落石注意看板が多く立っているが、全て上ってくる人のため。不思議。 |
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最後の巨大切通を通り、正面に横浜横須賀道路高架、 そしてその高架を潜る。 |
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左側に、多分改修でここに集められた6体の野仏像など。その先に切通出口のバリケード。 | ||||||||
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