立寄りー 源義賢の墓
源義賢の墓 五輪塔
源義賢:平安時代末期の河内源氏の武将で、源為義の二男。(長男は、義朝)
京にいたが、南関東で勢力を伸ばしていた義朝に対抗すべく、父為義の命で北関東に下りこの地に館を構えた。
1155年(久寿2)、義朝の子の源義平によって居館の大蔵館を襲撃され、大蔵合戦の末討死した。享年30才前後。
源義賢の墓:祠には、義賢ゆかりの人たちが供養のため建立した県内最古の五輪塔が収められている。
五輪塔:密教の宇宙観より、上から空、風、火、水、地として、五大の考え方をあらわしている。
墓の中の五輪塔は、火輪部と水輪部のみが当時のもので、空輪部と地輪部は後世に補われ、風輪部は欠損している。