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タイトル: FFXの「負け」
投稿日付: 2001年 08月 30日 16:15

 映画の「FinalFantasy」も公開されるので、ちょっと慌てて書いてます。
スクウェアはFFXに到って、あることで負けたというお話。

 元来、世界の命運を左右するクリスタルをめぐる物語であったこのゲームは、クリスタルが登場しなくなってから、双璧である「ドラゴンクエスト」に対抗する路線としてビジュアルの美化に勤めてきた。
 もちろんストーリーも練りに練られたものではあるが、やはりの華々しいのはイベント毎にあるビジュアルシーンであり、戦闘中の「召喚獣」や魔法の効果エフェクトなどであることは賛成してもらえると思う。
 そしてスクウェアは10作目にしてついに、フルCGポリゴンと全ての台詞を音声としたイベントシーンをもって「感情」までもCGキャラクターが演技すると豪語した。

 だが、ここに「負け」があると私は思う。9作目までと違い、10作目のポリゴン・キャラクターの動作は、アイドルのトレースだからである。つまり、CGのみで「人間の演技」を作り上げることが目指されていたのに、結局「人らしい動き」は「人から取り入れる」しかなかったのである。
 確かに静止画像であれば、バーチャルアイドルのテライユキを上げるまでもなく、キャラクターグッズとしてのポスターなどに耐えられる存在感は持っているが、同キャラクターがB'zの「Ultra Soul」をBGMに泳いで見せた福岡世界水泳国際大会のTVコマーシャルでの不自然さは隠しようがない。

 もとより人体は、かなり大きな「揺らぎ」「遊び」などを持った構造となっていて、1人の人が三歩あるくにしても、手の上がる高さ、足の運び、足首の傾きなどは一定ではないし、手の指一本曲げるにしても、手の甲の側の筋から下腕、上腕までの筋肉や筋を使うわけである。さらに人が違えば文字通り千差万別である。
 さらに付け加えるなら、その動作をする当人は一切、数値的なことは意識しない。手を振るのに角度が何度であるかなどいちいち意識して関節に指示を出すわけではない。

 しかしCGは、ゼロから作り上げられた「プログラム」つまり「数式」の塊であるから、手を上げるなら関わる関節に対して全て「どう上げて何度、曲げるのか」を指定してやらなければならない。
 たとえば「FFX」オープニングのヒロインの踊りは、足の位置、体のむき、各関節の曲げる角度、手足や体の向き、クビの角度、髪の毛の揺れ、肩の高さ、手の指、口の開き方、眼球ごとの視線の向き、目じりの状態、まばたきのタイミングと回数、そして同様の精度で衣服や足元の水の表現、日差しの向きと影の状態など、数え上げればキリがないほどの数値パラメータによって実現されているのである。

 ゲームを通してみれば、それらを各キャラごと、各シーンごとに全て入力して指示しなくてはならない。スクウェアがFFXに付いて言ったように、感情の起伏などを表情などによってビジュアル表現するには、キャラごとに感情に対応したくせや表情を全て(怒ったときの皺と笑った時のしわも当然違うはず)描き起こし、イベントシーンごとにコンマ秒レベルでコンテを切り、CGアニメーションにしてから修正を施し、FFXに当たって言えば声を当てるアテレコ作業も必要なのである。
 プレイ時間が最短(サブゲームなどに関わらず、本筋のストーリーを最も効率よく消化した場合)でも50時間以上かかるといわれるゲームでは、イベントシーンに限ったとしても膨大なはずで、すべての登場キャラクターに対して前述のような詳細な情報を構築するのは、「ソフトウェア開発」ということを考えた際に量的に無理があるのはお分かりだと思う。一人のキャラクターに対して、人に見えるだけの上記のようなパラメータを白紙から設定するだけの時間と人力(データ入力だけでなく、設定を考えることも含めて)に際限がなくなってしまうからである。

 それに対し実際の人物をトレースすればそれほど膨大なデータではなく、数十から数百のパターン(当然個人のクセも含む)を取り込んで組み合わせ変えることで、画面的にはキャラクター別に、個性的な演技を構成できることになる。
(念のために書くと、FFXでのこの「動作データ」は従来のゲームとは比べ物になるはずのない膨大なものであるはずで、そういう意味ではFFXは悪く言うことは出来ない超大作ではある。)

 だが一方で、強引にやってしまった例が、劇場版「FinalFantasy」であろう。
 キャラクターの演技はFFXと同様に動作モデル俳優がいると私は思うのだが、それにしてもその他の画面に見える物体などについては、一つ一つの物体について上記のようなデータが作成されたはずで、画面のクオリティーと並んで制作費の莫大さはプロモーションの自慢の1つである。
 劇場版は実際にはいままでなない、人体をシミュレートするレベルでCGキャラクターを構築しており(全身が骨格と筋肉のつき方から設計されている)、それについては劇場版の公式ホームページのCGアニメーションのコーナーに詳しい。

 とはいえCG技術でビジュアルの「リアルさ」を追求してきたFFの売りである「ムービー」が、コンピュータ上での演技に関してデジタル情報だけではなく、アナログな存在の「リアルな人」の情報を組み合わせなければならなかったところに、冒頭で言った「負け」があるといえないだろうか。
 だがFFXや劇場版で蓄積された情報は、開発会社という体制の中で再利用などされるであろうから、今後の画像メディアで「あれ?これってCG?」ということは増えていきそうである。

◆蛇足◆
 日本のゲームから作られるハリウッド映画はろくなものがない(ゲームと関連がほとんどなかったり、ほんとにどうしようもなかったり)というのが定石ですが、FFの場合はすこし事情が異なり、常識では出るはずもないほどの制作費が工面されて、それなりのものが完成してしまったわけです。
 作品自体がどうだかは公開されて見てみないとなんともいえませんが、「FFシリーズって、ビジュアルは良くなっていくけどRPGとしては選択肢が少なくて・・・」と以前から言われていることから、実は非常に皮肉な事態だなと思っています。
 RPGは設定された物語を演じるだけなのか、ゲーム世界の自由な住人として考えて冒険することを楽しむのか、という点で、そのうち何か書こうかなと思います。
 いつになるかわかりませんが・・・(爆)。これも予告と違うし(大爆)。

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