インタビュー
 『ことわざの謎』の著者

      北村孝一さんに聞く


以下は、フリーランス・ライター淵澤進氏によるインタビューで、同氏の許諾を得て掲載します。
(初出は、「この著者に会いたい」、『Voice』2004年4月号)



アカデミズムが疎んじたテ−マ
 ──30年ほど前、ことわざ集の翻訳を依頼されたのがきっかけで、ことわざ研究にのめり込まれていったそうですね。
 北村 ええ。当時、私は駆け出しの翻訳者で、たまたま最初の本が売れたこともあり、これならやっていけそうだ、と自信をもちはじめたころでした。そこに件のことわざ集の依頼。原著は分厚いものでしたが、若気の至りで「これくらいなら半年もあればできますよ」と豪語したものです(笑)。実際、英文は簡単でしたから、ただの英文和訳なら、それも可能だったかもしれません。
 しかし、ことわざの背後にある文化、習慣、意味といったことを考えはじめたら、これがわからないことだらけ。あらためてことわざについて基本的なことから調べだしたところ、日本では専門の研究者すらほとんど見当たらないことを知ったのです。そこで、やむなく国会図書館などで基礎文献に当たるうち、これはそうとうに打ち込む価値がある分野ではないか、と思えてきたんですね。
 で、専門の研究者がいないのなら、いっそのこと「ことわざ研究家」になってしまえ、と(笑)。運のいいことに、版元もそれを認めてくれました。結局、原著にはなかったアジア・アフリカなどのことわざも含めて『世界ことわざ辞典』(東京堂出版)としてまとめあげたのは9年も後のことでした。

 ──本書でも紹介されている戦前の代表的ことわざ辞典『諺語大辞典』(明治43年)の編者、藤井乙男氏などは、例外的な研究者になりますか。
 北村 ええ。その藤井氏にしても専門は江戸文学。あるいは、もうひとりの大家、金子武雄氏も古代文学が専門でした。おそらく、口伝えを基本とすることわざは文献至上主義のアカデミズムから疎んじられたため、専門の講座が開けなかったのでしょう。この事情はその後も変わらず、ことわざはアカデミズムから軽視されつづけてきました。
 そのなか、唯一のことわざ研究に取り組んできたのが柳田国男を頂点とする民俗学だったのですが、柳田国男の「ことわざ武器説」にしろ折口信夫の「神授の詞章説」にしろ、刺激的な仮説にとどまってしまったうらみがあります。なにしろ、私が興味をもちはじめた当初は、ことわざ資料を積極的に収集している大学図書館は皆無だったんです。
 ──脱アカデミズムの民俗学においても実証研究には至らなかった。
 北村 民俗学では、柳田によってことわざ研究の重要性は説かれたんですが、なにしろ、ことわざというのは体系性がありませんから、祭事や神事などと違って、いくら収集しても全体が見えてこない。そうしたことから、熱心になれなかったのでしょうね。また、外国のことわざをほとんど視野に入れず、あたかも日本独自の伝承のようにとらえてしまったところにも問題がありました。
 ──そういったなか、ことわざ研究会を組織して、海外を含むことわざ集の収集に取り組まれるわけですね。
 北村 ええ。金子武雄先生に監修を願った『俚諺資料集成』(昭和61年)を手始めに、『ことわざ研究資料集成』『ことわざ資料叢書』と。国内のものはほぼ網羅し、海外のものは海外会員の協力を得て集めました。
 ──日本の場合、いつごろから「ことわざ集」なるものが存在するんですか。
 北村 漢文のものは別として、室町後期のものが見つかっています。けっこう、ことわざを集めて記録する人は少なくなかったんですね。
 有名どころでは、本居宣長が丹念に記録しています。じつは全集にも収録されているんですが、これがまったく論評されない。あるいは正岡子規も記録していましたが、こちらは最初の全集からは落とされたほどです。アカデミズムの基準からして価値がないと思われたのでしょう。でも、ことばの大家である二人が注目していたという事実は重要です。

 庶民のもっとも頼りになる指針
 ──そうですね。それにしても、古今東西のことわざを収集しようとは、宣長も子規も顔色なしといったところ。ことわざの何が北村さんを魅了したのですか。
 北村 ことわざは、庶民一人ひとりが生きていくうえでもっとも頼りになる指針だと思ったからです。これは日本に限らず、ほぼ全世界において。
 もちろん、イデオロギーや宗教が強力な指針となることは論をまちません。けれど、どの民族、どの時代においても、それがすべてではない。それどころか、「生きて虜囚の辱めを受けず」のイデオロギーが尊ばれた時代であっても、「命あっての物種」ということわざは庶民の心に強く刻まれていたと思うんです。そして、肝心なときにどう生きていくか、身の振り方を決める際に非常に大きな力となった。
 ──北村さんのホームページ「ことわざ酒房」には「いろはカルタのページ」があり、芥川龍之介『侏儒の言葉』の引用から始まります。「われわれの生活に欠くべからざる思想はあるいは『いろは』短歌に尽きているかもしれない」。ことわざもしかりということですね。
 北村 ええ。一元的、体系的、あるいは一時的に支配的な価値観と違って、ことわざは時代を超えて受け継がれ、多元的、非体系的です。本書で取り上げたことわざをとっても、「一石二鳥」がある一方「二兎を追う者は一兎をも得ず」がある。多様な価値観を提供するんですね。だからこそ、さまざまな状況に対して役に立つ。
 芥川がいいたかったことも、結局、文学だの思想だのと難しそうなことを並べたって、生きていくうえで必要な思想は、子どものころに遊んだ、あの「いろはカルタ」のことわざに尽きているんじゃないか、ということだったと思うんです。
 ──ユダヤ、キリスト、イスラム教などの一神教的世界においても、同様のことはいえますか。
 北村 断言はできませんが、やはり二重構造のようなところはありますね。たとえば、ポーランドのことわざに、こんなのがあります。「神に仕えよ。だが、悪魔を怒らすな」(笑)。これ、要するに、キリスト教が支配したあとも、もともとあった土俗信仰に配慮したということでしょう。ヨーロッパでもキリスト教以前は、古代ローマ、ギリシャがそうであったように、多神教でした。ことわざは、そういった歴史、価値観も内包して言い伝えられてきた。
 それと、これも仮説ですが、これまで世界のことわざを収集してきた経験からいえば、どうやら「権力が未発達な社会にはことわざがあまり誕生しない」ということがいえそうです。
 たとえば、アメリカン・インディアンの一部の部族にはことわざがわずかしか見られない。これに対して、いまから5000年も前に高度な都市国家を築き上げたシュメール文明には、すでにことわざが多数発生しています。「浪費癖のある妻はあらゆる悪霊より怖ろしい」とか(笑)。
 要するに、ことわざとは、社会的なタテマエとは異なる見方を提供する一種の批評として生まれたんですね。本来的に多様な価値観を提供するものだった。
 ──説教臭い格言と違って、皮肉っぽいものが多いのも、そのせいでしょうね。
 北村 格言というのは、上から正しいことを抽象的に語る傾向があります。それに対して、ことわざは共同体全体で共感できることを具体的に描いてみせる。
 ──してみると、本書が取り上げた西洋由来のことわざのなかには、国定教科書を通じて紹介するうちに、格言に変質してしまったものがありますね。
 北村 ええ。「艱難汝を玉にす」などは、そうですね。これ、英語やフランス語の原文を直訳すれば、「逆境は人を賢くする」であって、人は苦難に遭えば自ずと頭を働かせる、といった程度の意味しかない。しかも英語の場合、「逆境は人を賢くするが、豊かにはしない」というユーモラスなバリアントまで存在している。
 なのに日本では、これが「艱難汝を玉にす」とされ、国定教科書を通じて広められた結果、その意味するところは、「人は多くの艱難を乗り越えてこそ立派な人物になる」(『広辞苑』第5版)というところまで“高め”られてしまったんですね。
 ──その代わり、いまでは死語。「一石二鳥」なんていうちゃらんぽらんなことわざが、生きながらえたのに(笑)。
 北村 苦難や忍苦の末に立身出世や人間としての成長があるという期待をもてなくなってしまいましたからねえ。
 ──今後も時代の変化とともに消滅することわざは増えるのでしょうが、はたして新しいものも生まれるのでしょうか。
 北村 多様なマスメディアを通して、流行語のようなものが定着する可能性はあると思いますね。「亭主元気で留守がいい」とか(笑)。ただ、世の中が画一化されるなか、伝達も速いがすぐに消費されるという宿命を負いそうです。また、ことわざ自体、特定のものに偏って使用される傾向が出てきています。それにしても、数千年に及ぶ人類の生きる知恵、ことわざが消え去ることはないでしょう。



『ことわざの謎--歴史に埋もれたルーツ』

「ことわざ」を辞書で引くと、たいてい「昔から言い伝えられてきた」教訓、諷刺云々とある。しかし、そうともいえないことわざがある。西洋出自でありながら、翻訳・翻案といった文字化を通して、明治以降、人口に膾炙していったことわざだ。
 本書は、そういったことわざを8つ選んで、それらがいかにして日本に定着していったのか、その過程を実証的に探ったもの。ことわざ研究がアカデミズムから排斥されつづけてきたなか、本邦初の試みといえる。ことわざを通して見るもうひとつの日本近代史としても興味深い。(光文社新書 本体720円)
                  

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