北村孝一さんに聞く
庶民のもっとも頼りになる指針
──そうですね。それにしても、古今東西のことわざを収集しようとは、宣長も子規も顔色なしといったところ。ことわざの何が北村さんを魅了したのですか。
北村 ことわざは、庶民一人ひとりが生きていくうえでもっとも頼りになる指針だと思ったからです。これは日本に限らず、ほぼ全世界において。
もちろん、イデオロギーや宗教が強力な指針となることは論をまちません。けれど、どの民族、どの時代においても、それがすべてではない。それどころか、「生きて虜囚の辱めを受けず」のイデオロギーが尊ばれた時代であっても、「命あっての物種」ということわざは庶民の心に強く刻まれていたと思うんです。そして、肝心なときにどう生きていくか、身の振り方を決める際に非常に大きな力となった。
──北村さんのホームページ「ことわざ酒房」には「いろはカルタのページ」があり、芥川龍之介『侏儒の言葉』の引用から始まります。「われわれの生活に欠くべからざる思想はあるいは『いろは』短歌に尽きているかもしれない」。ことわざもしかりということですね。
北村 ええ。一元的、体系的、あるいは一時的に支配的な価値観と違って、ことわざは時代を超えて受け継がれ、多元的、非体系的です。本書で取り上げたことわざをとっても、「一石二鳥」がある一方「二兎を追う者は一兎をも得ず」がある。多様な価値観を提供するんですね。だからこそ、さまざまな状況に対して役に立つ。
芥川がいいたかったことも、結局、文学だの思想だのと難しそうなことを並べたって、生きていくうえで必要な思想は、子どものころに遊んだ、あの「いろはカルタ」のことわざに尽きているんじゃないか、ということだったと思うんです。
──ユダヤ、キリスト、イスラム教などの一神教的世界においても、同様のことはいえますか。
北村 断言はできませんが、やはり二重構造のようなところはありますね。たとえば、ポーランドのことわざに、こんなのがあります。「神に仕えよ。だが、悪魔を怒らすな」(笑)。これ、要するに、キリスト教が支配したあとも、もともとあった土俗信仰に配慮したということでしょう。ヨーロッパでもキリスト教以前は、古代ローマ、ギリシャがそうであったように、多神教でした。ことわざは、そういった歴史、価値観も内包して言い伝えられてきた。
それと、これも仮説ですが、これまで世界のことわざを収集してきた経験からいえば、どうやら「権力が未発達な社会にはことわざがあまり誕生しない」ということがいえそうです。
たとえば、アメリカン・インディアンの一部の部族にはことわざがわずかしか見られない。これに対して、いまから5000年も前に高度な都市国家を築き上げたシュメール文明には、すでにことわざが多数発生しています。「浪費癖のある妻はあらゆる悪霊より怖ろしい」とか(笑)。
要するに、ことわざとは、社会的なタテマエとは異なる見方を提供する一種の批評として生まれたんですね。本来的に多様な価値観を提供するものだった。
──説教臭い格言と違って、皮肉っぽいものが多いのも、そのせいでしょうね。
北村 格言というのは、上から正しいことを抽象的に語る傾向があります。それに対して、ことわざは共同体全体で共感できることを具体的に描いてみせる。
──してみると、本書が取り上げた西洋由来のことわざのなかには、国定教科書を通じて紹介するうちに、格言に変質してしまったものがありますね。
北村 ええ。「艱難汝を玉にす」などは、そうですね。これ、英語やフランス語の原文を直訳すれば、「逆境は人を賢くする」であって、人は苦難に遭えば自ずと頭を働かせる、といった程度の意味しかない。しかも英語の場合、「逆境は人を賢くするが、豊かにはしない」というユーモラスなバリアントまで存在している。
なのに日本では、これが「艱難汝を玉にす」とされ、国定教科書を通じて広められた結果、その意味するところは、「人は多くの艱難を乗り越えてこそ立派な人物になる」(『広辞苑』第5版)というところまで“高め”られてしまったんですね。
──その代わり、いまでは死語。「一石二鳥」なんていうちゃらんぽらんなことわざが、生きながらえたのに(笑)。
北村 苦難や忍苦の末に立身出世や人間としての成長があるという期待をもてなくなってしまいましたからねえ。
──今後も時代の変化とともに消滅することわざは増えるのでしょうが、はたして新しいものも生まれるのでしょうか。
北村 多様なマスメディアを通して、流行語のようなものが定着する可能性はあると思いますね。「亭主元気で留守がいい」とか(笑)。ただ、世の中が画一化されるなか、伝達も速いがすぐに消費されるという宿命を負いそうです。また、ことわざ自体、特定のものに偏って使用される傾向が出てきています。それにしても、数千年に及ぶ人類の生きる知恵、ことわざが消え去ることはないでしょう。
「ことわざ」を辞書で引くと、たいてい「昔から言い伝えられてきた」教訓、諷刺云々とある。しかし、そうともいえないことわざがある。西洋出自でありながら、翻訳・翻案といった文字化を通して、明治以降、人口に膾炙していったことわざだ。 プロフィールに戻る
本書は、そういったことわざを8つ選んで、それらがいかにして日本に定着していったのか、その過程を実証的に探ったもの。ことわざ研究がアカデミズムから排斥されつづけてきたなか、本邦初の試みといえる。ことわざを通して見るもうひとつの日本近代史としても興味深い。(光文社新書 本体720円)