ベルトーチカ・チルドレン  


そのスペースコロニーは今、「初夏」がプログラミングされているようだった。
四季を意識したコロニーは多い。植林された樹木の移り変わりが、住んでいる人々の気持ちを和らげるからだろう。この商業地区の街路樹として植えられているポプラも、新緑を日の光にきらめかせていた。
歩道に敷き詰められたブロックの上を、固いヒールのコツ、コツといった音が響いている。そのヒールの主である婦人は、大きな食品店の名の入った袋を抱える形で、腹部を隠しているようであったが、誰の目にも妊婦であることは見てとれた。既に7ヶ月を越えたところであろう。彼女は、ちょっと疲れた、という感じで、ふ、と空を仰いだ。さわやかな日ざしとは裏腹に、空はうっすらと雲が掛かっている。

(不自然だわ。)

婦人は地球生まれの地球育ちだった。この気候であれば、空は澄んだような青空でなくてはいけないのに、と思う。しかし、天井に広がる反対側の造形を隠すため、雲はどうしても必要なものだった。

(青い雲でも作ればいいのに)

彼女は、まだコロニーの生活に馴染めないでいたのかもしれない。

「あ..」

彼女が歩き出そうとしたとき、抱えていた袋から、黄色いリンゴが一つ、転げ落ちた。食品店の入り口の露店で購入した分である。

「いやだわ...」

リンゴは5個買ったのだから、1つくらいは捨ててもかまわないか、そう思いながら転がるリンゴを目で追っていた彼女は、それを拾う1人の青年をみた。

「大丈夫ですか?お持ちしましょうか?」

青年はリンゴを差し出しながら、ゆっくりと微笑んだ。

「あ、あなた...」

婦人は知っていた。その青年を。

「カミーユ?カミーユ=ビダン?」

カミーユと呼ばれた青年は、慌てたような素振りで彼女の言葉を制した。

「その名前では呼ばないで。貴女は?」

「ベルトーチカ、今はベルトーチカ=フェルリよ」

「あ.......。」

「思い出してくれた?それより、あなた、死んだという話だったわ」

「生きていますよ。このとおり」

「でも、カ...、なんて呼べばいいの?」

「シュリー=クライム、と名乗ってます。本名はカミーユ=ユイリーですけどね」

ベルトーチカは、ククっと、軽く笑った。

「籍を入れたんだ。ファさんと。」

直接会ったことはなかったが、ベルトーチカはファ=ユイリーの名前も存在も知っていた。

「いろいろ苦労をかけましたからね、彼女には。」

「ふーん...」

彼女は、腕の時計に目を落とした。待ち合わせの時間にはまだ間があった。

「時間、いいかしら。少し話が聞きたいわ」

「かまいませんけど、昔話なら、あまりアテにならないかもしれませんよ」

「なぜ?」

「記憶が、はっきりないんですよ、あの頃の」

カミーユは、先ほどベルトーチカがやったように、白い雲の広がる空を見上げた。


オープンエアのカフェテラスは、平日の昼下がりなせいか、人影はまばらだった。2人はさらに植え込みの陰にあたる席へと座った。
黒いエプロンをした給仕の少女が去ってしまうと、あたりに人の気配はなかった。

「4年、経ったかしら」

「そのくらいですね」

「で、シュリー=クライム君、なぜ名前を出しちゃいけないの?」

「いろいろと...知っている人が多いんです。自分が考えてたより、彼は有名人なんですよ」

カミーユは他人ごとのように言った。

「アングラな雑誌で、化け物か英雄か、そんな書かれ方をしてるの、ごらんになったことありませんか?」

確かに、とベルトーチカは思った。死んだ、という噂は、エウーゴが故意に流したものだったのかもしれない。彼は軍属ではなかったため、その素性も謎のままになっていた。死んでしまった人間の噂など、どれほど誇張されていてもおかしくはない。名前のせいで、女だったという書物も彼女は目にしたことがあった。

「了解したわ。今、何をしてるの?」

「学生ですよ。U.I.T.の。」

「あら、優秀ね。まさか、モビルスーツの研究を?」

「あれは、もういいです。パーソナル乗用マシンの研究をしてるんです」

「なんだか、柄じゃないわね」

「ミノフスキークラフトを動力源にした、パーソナル用ワッパって、面白くないですか?」

「そんなこと言ってないわ。あのZの基本設計者がねぇ。なんかもったいないってかんじ。アナハイムからお誘いはなかったの?」

「兵器は、もういいですよ。アナハイムにはちょっとお世話になってますけど」

「お世話?」

「両親、反逆罪で財産没収されてますから、文無しだったんですよ、俺。ファが軍をやめて看護婦の資格取るまでに、彼女の両親の遺産食いつぶしちゃって。そしたらブライトさんが..」

ブライト大佐は、さすがに彼の行方を知っていたのか、とベルトーチカは思った。

「A.E.と掛け合ってくれたらしくて、Zの設計料、みたいな感じで結構な額、振り込んでくれたんです。実は学費もA.E.の奨学生扱いなんですけどね」

Zの後継機種は今でも生産されていると聞く。アムロもそれに乗っていたな、とベルトーチカはぼんやり考えていた。

「そんなんで、A.E.には行かなくていいの?」

「ええ、契約ではそうなってます。HONDAって知ってます?」

「知ってるわ、レース用エレカなんか作ってる、伝統のある会社だわ」

「そこに入ることになってるんです。来年ですけど。」

「ほんとに優秀なのね」

ベルトーチカには、今目の前にいる青年が、本当にあのカミーユ=ビダンなのかと不思議な気持ちになっていた。あの当時は戦争をしていたせいだろうか、腺病質な気の短い少年の面影は薄れ、日常の穏やかなカフェテラスのに合う、優しげな好青年へと変化していた。
そんな彼の視線が、テーブルへ置いたリンゴ越しに、自分の腹部に向いていることにベルトーチカは気づいて、

「これ?気になる?」

彼女は自分の腹部をさすった。

「い、いえ。まぁ...」

「二人目なのよ。信じられて?」

「そんなこと疑ってどうするんです。」

彼の本意がそれにないことをベルトーチカは感じた。

「アムロ=レイとはどうしたのかって、それが知りたいんでしょ」

「...少しだけ...」

「私は、がんばったつもりよ」

彼女は誇らしげな笑いを浮かべて、ミルクティをすすった。


再び、不穏な空気がこの地球圏を取り巻いていることは、学生であるカミーユも知っていた。2年ほどまえから、ジオン再結成のうわさが流れ、連邦はロンドベルという外郭新興部隊を設立、そのけん制に動いていた。アムロ=レイは、そのエースパイロットとして活躍の場を移している。

「カラバでは、ずっと彼のサポートをしてきたわ」

「今は、関係ないんですか、カラバとは」

「もう、必要ない団体でしょ、あれも。アムロが軍に正式に復帰したころにはほとんど解散して連邦に吸収されたわ」

「そう、ですか」

「私は彼を愛していたし、彼も私を必要としていたのよ」

「.....。」

カミーユは、両手でカップを包み込むベルトーチカのしぐさを、かわいいな、と思った。透き通るような金髪は、以前にも増して輝いていたし、白くぽっちゃりとした頬も魅力的だった。

「でも、私は彼の内部まで入り込むことはできなかったわ」

「え...?」

「彼の心の奥底には、ララァが住みついているのよ」

ベルトーチカは、きゅっと眉をひそめた。その表情は、あの頃よく見せていた、堅のあるそれに似ていた。

「私は彼が戦場で戦っていても、恐くなんかない。何日も戻ってこなくても、1人で待っていることだってできるわ。だけどね...」

うわずっている彼女の声は、カミーユの胸を締めつけた。

「も、もういいですよ...ベルトーチカさん」

「私は、私一人を見てて欲しかったの。戦いの合間に、ふっと思い出してくれるだけでもいい。でもそれは私1人であってほしかったの。けど、それは無理だった...。」

泣いてしまうのではないかと、カミーユは思った。けれど、顔をあげたベルトーチカは母の顔に戻って、微笑んだ。

「だから、私はもうやめたの。あの人をララァに返してあげようって決めたの。連邦のエースパイロットをあきらめたのよ。偉いと思わない?」

強がっている、とカミーユは受け取りたくなかった。それを悲しく思っているほど、ベルトーチカは不幸には見えなかった。むしろ、子を宿して幸せに包まれているように思える。

「私たち、オールドタイプにはわからないことなのかもしれない。でも、あなたには理解できるのかもしれないわね、エウーゴのNo.1ニュータイプだったんですもの。教えて欲しいわ。あなたの中にも、フォウ=ムラサメは...あ...。」

いけないことを口走ったようにベルトーチカは口をつぐんだ。

「フォウ?」

「え?」

まるで、知らない言葉を反芻するように、カミーユはフォウの名前をつぶやいた。それはベルトーチカにとって意外すぎる反応だった。

「まさか、覚えていない...?」

「すみません、あの頃のこと、所々覚えてないんです」

だとしても、フォウ=ムラサメのことを彼が忘れているはずはないと、ベルトーチカは思っていた。アムロのいう、「繰り返してしまった過ち」という言葉を彼女は忘れていなかった。それはフォウの遺体を葬ったとき、その墓標にすがりついて泣くカミーユに向かって発せられた言葉だ。アムロにララァが染みついているように、カミーユにもフォウが入り込んでいるはずだ、と彼女は思うのである。
しかし、目の前にいる青年には、そんな様子は全くと言っていいほど感じられなかった。ベルトーチカは少しだけファを羨ましく思った。

「そう...。この話はこれで終わりにしましょう」

「...。そういえば、ベルトーチカさん、なんでこのコロニーにいるんです?」

カミーユは、話題を繕った。


「主人がね...」

ベルトーチカは、ごく自然にその言葉を発した。

「シーン=フェルリ、というのだけど、連邦軍の人間なの」

「意外です。あなたがまた戦争をする人を選ぶなんて」

「そういうことは、覚えているのね」

ベルトーチカは、まだ娘だった頃の自分の生き方を好いてはいなかった。

「別に、殺し合う人ばかりが軍人とは限らなくてよ」

「あ...、」

「裏方をやっている人間がいてこそ、あなただって戦えた、そうでしょ」

カミーユの頭に、複葉機でヒッコリーまで誘導してくれた、当時のベルトーチカの姿が思い浮かんだ。あの頃、カミーユは彼女のことが嫌いだった。そして彼女に慕われていたアムロ=レイも、好きになれなかった。ずっと忘れていたことが、ぽつりぽつりとパズルを埋めるように浮かんでくる。それはあまり彼にとって嬉しいことではない。Zガンダムのコックピットの細部まで思い出しそうになるからである。

「いつ、結婚されたんですか?」

カミーユは話を戻そうと、そう言った。

「2年前になるわ。ネオ・ジオンの戦いが終わって軍の立て直しが済んだ頃」

ロンドベル結成のころだな、とカミーユは思う。

「そう、なんでここにいるのかって話よね。子供と、それから私の健康診断のためよ」

サイド1にあるこの17バンチコロニーは、学園コロニーとも言えた。カミーユの通う工科大の他にも有名な医大もある。ファは今ごろその中の診療室で働いてるはずだった。

「明日には月に向かうわ」

「でも、なぜ宇宙に?」

「簡単な話よ。彼の宇宙勤務に付いてきただけだから」

ベルトーチカはとうに空になったカップに手を伸ばすと、縁についた口紅を指でぬぐった。

「地球で、待っててあげないんですか?」

「宇宙に、出てみたかったのよ」

偽りのない、彼女の気持ちだった。

「子供たちにね、宇宙を知ってほしかったの。そして私も」

ベルトーチカは、いとおしそうにゆっくりとお腹をさすった。言葉に反応するように、微かな胎動があった。そのしぐさを、カミーユは美しいと思う。

「そう、俺、最近ファに笑われることがあるんです」

「え?」

「俺、子供は嫌いだ、なんてよくいってたくせに、今はなんだか子供、欲しくって」

「ま、いいじゃない。宝物よ、子供は」

「卒業するまで待ちなさいって、言われました。その子は、男?女?」

「調べないことにしてるの。でも、きっと女の子よ。最初の子よりおとなしいもの」

「女の子か。いいですね。俺も女の子がいい」

「?」

カミーユは少し遠くを見るように微笑んだ。

「夢とか、フとした時に現れる女の子がいるんですよ。ヘンでしょう?赤ん坊から10歳くらいまで、姿はいろいろ変わるんですけど同じ子なんです。会ったことがあるのかよくわからないんだけれど、俺のこと呼ぶんだ、『カミーユ』って。ファはいつからロリコンになったのって、笑うんだけど」

「ふふふ...その子って、緑の瞳をしてて、涼しげに笑ったりしない?」

少しイジワルをしたくて、ベルトーチカはそう言った。

「どうしてわかるんです?」

ベルトーチカは絶句した。そういう取り込み方もあったのか、という驚きである。フォウ=ムラサメは仮の名前、そして仮の記憶。彼女の命がサイコガンダムとともに四散したとき、カミーユの中に入り込んできたのはNT研に汚される以前の、純粋な彼女の姿だったのかもしれない。

「凄いのね」

「え?」

「その子、あなただわ。あなた自身なのよ」

(人類は、まだ捨てたものじゃないわ...)

ベルトーチカの中に、新しい悦びが込み上げてくる。それは涙となって、瞳の縁に溜まる。

「どうしたんです?」

「いいえ、ちょっと嬉しくって」

カミーユは彼女が嬉しくて泣くような人ではないと思っていたので、意外な気がしたが、「母」という立場がそうさせているのだと納得するようにした。

「そうだわ、もし、女の子が生まれたら、うちのオルマと結婚させましょうよ」

「オルマ?」

「長男よ。私に似てハンサムだから」

「気が早いな、ベルトーチカさんは」

カミーユは笑った。当時、自分のことをあまり好いてくれていなかった彼女が、なぜそんなことを言うのか彼にはわからなかったが、嫌われていない、と思うとイヤな気はしなかった。


「なに、浮気してるんだ?」

太く、たくましい声が、2人の席に近づいてきた。カミーユが振り返ると、背の高い日焼けした男がこちらにやってくる。大きな身体でベビーカーを押しているのが不釣り合いだ。

「何言ってるの」

ベルトーチカが微笑みながら軽く手を振った。この人が彼女の夫のシーン=フェルリであることはすぐにわかった。私服ではあったが、肩や腕に、軍人特有の固さがあった。

「また、カラバの頃の知り合いかい?」

「彼はね...、いいでしょ、ホントのこと言って」

「あ、ええ」

「彼、カミーユよ」

「女みたいな名前だね?」

「あら、これだもの、ごめんね。」

彼は、カミーユの名前を知らないようだった。でも、その方がいいと2人は思った。

「手続きが予定より早く済んじゃってね。こいつもお前がいないとすぐ泣きそうになるから、探してたんだよ」

「ごめんね、オルマ。」

ベルトーチカは慣れた手つきでベビーカーの子供を抱き上げた。彼女譲りの細くしなやかな金髪が白い帽子の間からこぼれている。すでに泣いた後なのか、鼻が赤くなっていた。母の胸に抱かれたオルマは、そのしかめっ面をとたんにほころばせている。そういうたわいないことが、カミーユには羨ましく感じられた。
ふ、と、息子をあやすベルトーチカの姿に、以前見た光景がかすかにだぶる。それは暑い日で、東洋系の女性だったように思う。が、はっきりしたことはわからない。カミーユ自身もそれを深く思いだそうという気にはならなかった。

「今日は、ありがとう。また会いましょうね」

「ええ、ベルトーチカさんも元気な子、生んでくださいね」

「じゃあ。」

ベルトーチカは夫に寄り添うように歩き出した。その肩ごしに、オルマがカミーユを見ている。その顔は、真顔である。

「え?」

そこにいるのは、アムロ=レイだった。金髪、碧眼の子供の顔をしていながら、発散する『気』の様なものは、かつてのカミーユの知る、アムロと同じものであった。

(そういうことなんですか、ベルトーチカさん)

2人の姿が見えなくなっても、カミーユはまだカフェのチェアーに座っていた。
コーヒーカップの底に、干からびたコーヒー豆のかけらが2、3、貼り付いていた。
日ざしは、プログラムされたフィルターを通して、少しづつ夕暮れの色に変わりつつある。

「オルマ、か」

女は、恐いものだな、とカミーユは思った。

 


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