一千万年銀河  


窓の外には、満天の星が広がっている。
地上の汚染は広がっていると言われているが、この田舎町の空を見る限り、その実感はない。

「今日はね、器具を洗浄する手伝いをしたのよ。ウォッシャーに入れるだけなんだけど、その後のチェックが大変なの。完全に消毒できたかね...」

少女は、窓の真下に置かれたベットに横たわる少年に向かって、ゆっくりとした口調で話をしていた。けれど、狭い個室に響くのは彼女の声だけで、少年からのリアクションはない。うっすらと開かれたブルーの瞳は、天井を見ているのか、それとももっと遠くを見ているのか、誰にも知ることは出来なかった。もう半年以上彼に付き添っているファ=ユイリーにすら。

「ああ、もうこんな時間なのね。トイレに行っておきましょうね。ここは暖かいけど、夜は冷えるから」

ファはシーツと少年の背中の間に手を滑り込ませるようにして身体を起こした。パジャマの薄い生地を通して、少年の肩甲骨が彼女の指に触れた。

(痩せた...ね、カミーユ)

自分の言葉に答えてくれない現実より、カミーユ=ビダンという人間が日に日に弱々しくなっていくことがファには悲しかった。けれど、もう、泣かない。渇れてしまったわけではないが、泣いても誰も慰めてくれるものでもないし、そうしていても何も前に進まないことがわかっているからだ。
窓の向こうから、波の音が聞えてくる。
ダブリンを離れ、紹介状を頼りに南ヨーロッパのこの地方に流れ着いたのは1ヶ月も前のことだった。ジブラルタルに近いこの街の病院は、最新設備はないが、ダブリンでお世話になった先生の働きもあって、すんなりと個室を得ることが出来た。手伝い程度ではあるが、ファにも仕事をくれた。何よりも、地中海沿岸の穏やかな気候と、美しい風景が彼女は気に入った。ダブリンの重い空の下よりも、心も身体も穏やかに過ごせる。カミーユ=ビダンの病を治すのは、医療ではなく、時間と環境が必要だとファは思っていた。
ダブリンへのコロニー落下の衝撃以来、カミーユの症状は悪くなる一方だった。それまで、状況判断の能力がないとはいえ、ある程度の動作を行っていたカミーユだったが、最近はベットに横になったまま、無気力な様子で何もしようとしなくなった。表情の変化も乏しく、食欲も減っていた。

 

 

月の明かりが、キラリ、とそのオレンジの機体に跳ね返った。
3機編隊を組んで飛ぶ飛行形態のZ-plusは、一見、MSには見えない。
偵察飛行をするには派手なカラーリングのZ-plusコックピットの中で、アムロ=レイは不思議な感触にとらわれた。

「空を...?」

満天の星が覆いつくす夜の空は、何も変わりがない。ちょうど天の川-ミルキーウェイと呼ばれた銀河の帯が、彼の行く手に横たわっていた。地球から見上げる星空は、宇宙空間から見るよりも奥行きが感じられるように思うのは、彼の思い込みであろうか。スペースコロニーから見るよりも地上から見た方が、星々は絵画のようにロマンティックだ。

 

アムロがカラバに参加した頃から、状況は変わりすぎていた。自分が地上で抗ティターンズ活動を行っている時、ゼダンの門の陥落を知った。そのままカラバは残るネオジオン戦力の地球上での防戦組織となった。ティターンズ崩壊で混乱する連邦軍上層部は傍観派が多く、アテにはできなかったからだ。
ブライト率いるエゥーゴの艦隊も壊滅に近かった、という報告をアムロはアウドムラのデッキで知り、勝利を喜ぶクルーの影で持っていたヘルメットを床に叩きつけた。シャアの百式撃墜、カミーユの崩壊...。事実はメインスタッフのみに告げられたが、相打ちに等しい結果はアムロを後悔させた。それを傲慢だと罵ったハヤトも、このZ-plusの改良型を月に受け取りに行った間に死んでいた。

(俺の運は、ア・バオア・クーで使い果たしてしまったのだな)

空想にひたることの多かった少年時代の自分の感性を思いながら、アムロはキャノピーの向こうにすぅっと消える流れ星を見ていた。先ほどの感触は、あの流れ星を見せるために自分を呼んだのかもしれなかった。流れ星に願い事をすると叶えられる、という話をしたのは、母、カマリアだったか、フラウだったか。
大気を切り裂く轟音に包まれながら、アムロはずっと昔に捨てたはずの故郷--日本のなだらかな山並を思い出していた。
遠くに、ジブラルタルの街の光が輝いていた。

 

アウドムラを失ったカラバはその地上での機動力を失った。人の損失も大きい。実質、ヨーロッパを本拠地に活動していたカラバのリーダーはハヤト=コバヤシだったのである。彼を失ったカラバはその力を拡散する一方だった。地球に残存するネオジオンの戦力は所詮“取り残された”レベルでしかなかったが、その個々の小隊がゲリラ活動を起こす。力の低減したカラバではその鎮圧程度の仕事もままならなかった。
そこで宇宙へ出たばかりのアムロ=レイが呼び戻された。
名実共に拡散しかかっているカラバの勢力をまとめ上げられるのは彼しかいなかったのだ。
アムロはカラバの指導を行う自信などなかったが、ふたつ返事で地球へ戻ってきた。シャトルで月に向かった彼は言いようのない孤独感と絶望感に苛まれた。宇宙空間の呪縛はまだ自分を解き放してくれないのだろうか。ララァはもういないというのに。

 

「レーダーに反応、ミサイル?!」

微量ながらミノフスキー粒子反応の報告があった空域である。何かしらの障害があって然るべきだ。

「いたか!」

3機編隊を組んでいた戦闘機形態のZ-plusは、おのおのに機体を滑らせた。レーダー装置が生きているうちに、敵影を掴み、こちらも追尾式ミサイルを放つ。
シュルシュルと尾を引きながらセンサーの範囲外の目標を捉え、それは弾ける。
こういう戦闘を、アムロは久しぶりに経験していた。ミノフスキー粒子の影響下にない戦闘。ゲリラ戦ではミノフスキー粒子の散布は己の存在を暴露してしまうから、戦闘状態に入るまでレーダーが有効になる。相手の姿を見ない戦争は人が介在しないぶん、アムロには恐ろしいものに思えた。

「あの森か...」

アムロは機体を反転させながら、レーダーの捕捉位置をマップと照合する。

「ミマツ少尉、降伏勧告弾を!」

「無駄じゃないんですかね?」

「奴等だって死ぬことが目的じゃないだろう?」

「はは!俺たちに歯向かうなんてのが、そもそも自殺行為だ」

照明弾にも似たまばゆい光が、翼の下で輝いた。
その返事は対空ミサイルという形で返ってきた。

「だから言ったでしょう?無駄だって」

「しかし、我々の目的は敵のせん滅じゃないんですよ?」

若くて生真面目なジャングが言った。志願兵だが軍籍のない彼は、ヨーロッパにある輸送会社の貨物機のパイロットだった。

「んじゃ、敵さんを包囲する前に、この腹に積んでるオモリだけは外させて頂戴よ!」

そういうと、ミマツのZ-plusは高度を下げた。ミノフスキー粒子は拡散をはじめていたが、威嚇のための爆撃である。レーダーの捉えた核融合反応地点は、もうインプット済みだ。4基のミサイルは木々の間に埋もれ、破裂した。
ネオジオンは効果的な航空戦力を持たなかった。アクシズという小惑星地帯で戦力を整えていた彼らにとって、大気圏飛行の兵器は不得手だったのである。だから、Z-plusの有効性は高かった。
ミマツ少尉はZ-plusをMS形態に変形させながら、森の上を滑るようにして飛んだ。アムロはジャングに旋回飛行を続けさせ、ミマツの後を追った。その時だった。

(北側の山肌...)

「何?」

声のようなものが、アムロの頭に響く。彼はその声を自然に捉えて、軌道を変えた。

「ミマツ少尉、山側に注意しろ!」

アムロが叫んだのと、ビームカノンの輝きが襲ったのは同時だった。その一撃がミマツ機のウイング・バインダーを粉砕する。

「ちぃ!飾りを壊してくれたな!」

ミマツはビームライフルを構え直すと、攻撃のあった方向に向かって撃ち放った。相手も軽やかな動きでそれを回避する。飛行形態のMA!

「バウか!まだあんなものが残っていたのか!」

バウはネオジオンの中でも比較的航行能力の高い変形MAである。

「空中戦は任せますよ!けっ!所詮レーダーなんてもんはよ!」

ミマツは木の葉を舞い上げながら、森の中へと機体をうずめた。辺りのミノフスキー粒子の濃度は戦闘レベルまで上っている。

「どこに潜んでやがる?」

20M級のMSを覆い隠すほど、木々の高さはない。ミマツはZ-plusをしゃがませた形で辺りを伺う。

(もっと広い場所だな...海側か?)

モニターの一角に表示させたマップを見ながら、ミマツは上空のジャングに連絡を取る。

「海側の様子はどうだ!何か動いてねぇか!」

宇宙空間と違い、大気のある分センサーの感度が下がるのはやむを得ないことだ。ジャングは機体を降下させながら、指示されたあたりを探る。

「待ってください、あ、何か光りました!」

「そこ、いぶりだせよ!」

叫びながら、ミマツはスラスターの出力を上げて、機体を跳躍させた。機体は露出するが、視界は広がる。ミマツは機体が降下するより先に、海側の茂みに向かって数回、ビームライフルを撃った。何かがそれを受けて爆発した。

「ざまぁみやがれ」

 

上空ではアムロがバウを引きつけていた。MSといえど、飛行形態では戦闘機の戦いと同じである。が、それは20世紀初めのドッグファイトに似ていた。後ろの取り合いである。ビームカノンの有効角度が広いことが救いではあるが。

「飛び慣れてるな、こいつ」

アムロは背負った2基のビームカノンを放つが、敵の回避も速い。地形をよく把握しているのか、山の稜線を上手く使い、姿を隠すのも上手かった。

「やるか!」

航空機戦の不得手なアムロは、急旋回をし、機体を降下させた。

「乗ってこい!」

バウはアムロのZ-plusが味方の方に回るものだと思い、追撃をしてきた。アムロの作戦に掛かったのである。バウが自分の機体を追ってきたのを確認するとアムロは急上昇をかける。アムロだから耐えられるG。そのGの中で、アムロはZ-plusをMSに変形させた。軌道はバウとクロスするコース。小刻みにバーニァを調整しながら、バウの放つビームカノンをかわす。瞬間、隠し持ったビームサーベルの出力を最大に上げる。2条の光の剣は、擦れ違うバウの翼を切り裂いた。失速するバウは、MSに変形しようとするが、もう遅かった。腿部に取り付けられたZ-plusのビームカノンはバウの機体を貫いた。

「爆発するなよ....」

アムロは動力部を外した自信があった。鉄の塊と化したバウは、森の中に落ち、炎上するにとどまった。

(海岸線に...)

また、あの声がアムロを包む。

「何があるって?!」

アムロは再び飛行形態に変形するとミマツ達の方へ機体を飛ばせた。

 

ジャングはセンサーの捕らえた物体を照合していた。ミサイルを撃つことも考えたが、それでは森を無駄に焼いてしまう。ミマツはそういうことに配慮のない男だから好きになれない。

「MSじゃないの?」

ジャングは機体をもう一度降下させて、その物体を確認しようとした。ミマツのZ-plusもそこに接近しつつある。
その時である、巨大なビームの光が、ジャングのZ-plusを襲った。
メガ粒子砲?
わずかにコックピットを外しているものの、ジャングのZ-plusは機体の半分を失い、砕け散った。

「ジャング!!」

脱出ポッドが砕け散るパーツの間から見えた。しかし、地上ではそれは落下するだけである。
アムロは急速に機体を飛行形態に戻し、ジャングを襲ったメガ粒子砲の発射された地点へと向かった。

「何がいる?!」

アムロ機がその断崖を回り込もうとしたときである。岩の間から男が一人飛び出してきた。

「なんだって?!」

男はバズーカを構えると、それをZ-plusに向かって放った。回避は容易いものだ。男はもう一度バズーカを撃とうと身構えた。しかし、その背後で激しい爆発が起こった。

「ミマツ少尉か?」

「いや?俺は、まだ...」

アムロはZ-plusをMSに戻すと、その岩場に降り立った。当たりを警戒しながら爆発のあった地点をモニターに拡大する。
それは砕け散った砲台であった。いや、正しくはバウのシールドを改造し、大型エレカにくくりつけただけのものだったようだ。エネルギーを得るためだろうか、解体されたMSのエンジン部分がその脇で溶け、周りには身動きせず倒れるネオジオンのノーマルスーツがいくつかあった。

「なんでこんな戦いを!」

アムロは拳を強く握った。ミマツは森の中で自分が破壊した物体を確認していた。砕け散った対空ミサイル砲は、一基。その脇に倒れた木々に乗り上げたザクタンカー。生存者はいなかった。
地上に取り残されたネオジオン兵は見捨てられていてもなお、その地球に対する憎悪を失ってはいなかったのだ。

「意味がない...なさすぎる」

アムロは、そうつぶやくしかなかった。

 

 

ファ=ユイリーはその日の最後の仕事--病室の戸締まりの点検を終え、カミーユの病室に戻ってきた。就寝までの時間をこの病室ですごすのが彼女の日課だった。

「カミーユ?」

いつも精気のない表情でぼんやりとしているカミーユの表情が、今夜に限ってこわばっている。目を開き、遠くを見つめているようにも見えた。

「どうしたの?」

体調の異状があるのかと、ファはカミーユの額に手をかざす。熱はない。脈も正常である。表情だけが、なにかしらの変化を伝えている。

「何を...みているの、カミーユ」

そう、カミーユは何かを見ている。

「私にも、教えて欲しい」

ファはそういいながら、カミーユの額をなでた。髪をすくように、何度も何度も撫でた。カミーユの表情が次第に穏やかになっていく。ファはその指を、カミーユの頬に触れた。すっかり白く、少女のような細さになってしまった彼の頬は、ひんやりとしていた。ファはその顔にそっと自分の顔を近付けた。けれど、カミーユの視線は、自分を通り越して、遠くを見たままだった。

「私のことも、たまには見てね」

そういいながら、頬を合わせた。柔らかく、しっとりとした感触にたまらず、ファの腕は、カミーユの頭を抱く。

「私も、見てよぅ...」

泣きたくなる気持ちをこらえようとしたファの、のどの奥がククっと鳴った。
それは、動物的ともいえる音だ。その音に触発されるように、ファはゆっくりと自分の唇をカミーユの唇に重ねた。暖かい吐息を直接感じて、ファは少し嬉しくなる。

(生きているんだもんね。エマさんも、クワトロ大尉も、みんな死んでしまったけど、カミーユはこうやって生きているんだもんね)

ファは、自分の腕の中にカミーユがいることを素直に喜ぼうと思う。迷いやすいカミーユの心が、今は自分だけのものになっていることに満足感を得よう。それは少し狡いことかもしれないけれど。
ファはもっと近くにカミーユを感じたくて、毛布の中に身体を滑り込ませた。カミーユの体温で暖かくなった毛布は、優しくファを包んでくれる。そしてその奥にあるカミーユの身体を抱きしめると、気持ちが穏やかになっていくのを感じた。トクン、トクンというカミーユの脈の音を聞きながら、ファはささやかな幸せに包まれて朝を迎えるのである。

 

 

 

アムロは、ジャングの脱出ポッドの落下地点を発見できずにいた。メガ粒子砲で弾け飛んだ時、そのポジショナル・シグナルが故障したのか、落下予測地点をいくら旋回しても、センサーに掛かることはなかった。夜の闇もその捜索を困難にしていた。

「一旦戻りましょうよ」

Z-plusのウイングバインダーを破壊されて、飛行形態に戻れないミマツはいらだっている。やりきれない戦闘の後だ。酒の一杯もあおりたい気分であろう。

「ポッドは完全な形で排出されたの、俺確認していますから。ここはソラじゃないんだ、ヤツだって目が覚めりゃ、自分で這い出してきてベースに連絡してきますって」

「そうだな...」

アムロは機体をミマツ機の側へと戻した。

「乗っていくか?」

「お願いしますよ...歩いてベースに帰るなんて冗談じゃない」

ミマツはスラスターの出力をあげてZ-plusを飛翔させた。アムロはそれに合わせるように機体を降下させる。バーニァの調整は至難のワザだが、ミマツはそれをさらりとやってのける男である。アムロのZ-plusに接触すると、そのアームをがっちりとボディに固定させた。アムロもまたその衝撃を機体の各所に付けられたバーニァをコントロールして受け止めた。

「ああ、嫌な汗かいちまった」

ミマツの言葉を聞きながら、アムロは機体をベースに向けて飛行させた。

 

翌早朝、アムロがベースのオペレーションルームに顔を出したときには、ジャングの脱出ポッドの情報はもう届いていた。落下地点付近に住む住民の手配で、ジャングの身体はその地区にある病院に運び込まれたという。意識は失ったままだが、命に別状はない、という報告だった。カラバに協力する一般市民はかなりの比率でヨーロッパ全土に広がっている。これもダブリンでの救助活動の効果だった。

「俺が迎えに行ってくる」

「アムロが?」

オペレーションルームに居合わせたベルトーチカ=イルマは、小さく首をかしげた。リーダーとして迎えられても、それを上手く演じきれない男、それがアムロ=レイ。

「貴重なZ-plusを1機失ったんだ。パイロットだけでも俺は..」

「止めてなんかいないわ。行ってらっしゃい」

そう言うと、ベルトーチカは優しく微笑んだ。彼女ももう、カラバの兵器を伴う活動意義に疑問を持っている一人だった。

 

 

ファ=ユイリーの朝の仕事は病院の玄関前の掃除である。日課だからもう手順も決まっていて迷うことはない。海の側に建つこの建物は、砂の侵入が多く、毎日の掃き掃除を怠ると、ドアの開閉さえままならなくなるのだ。
待合室のドアと窓を開け、朝の空気を室内に呼び込む。旧世紀のように古めかしいインテリアが、その光を待ちわびたように色を取り戻していった。

(ああ、今日もいい天気)

すぅ、っとその両腕が伸び、深呼吸をする。そのとき、彼女は玄関に向かってくる一人の男の姿を見つけた。
その男はゆっくりとファ=ユイリーの前に歩み寄ってきた。
ファは自分の目が男に吸い寄せられるのを止めることが出来なかった。匂い...らしきものが自分の感覚を刺激する。

(なに?懐かしさ...?ジュドーくんのような...アーガマのような...)

パイロット用のノーマルスーツに身を包んでいるからなのだろうか?けれど、戦いの匂いがするものを、懐かしいと感じてしまうことはない、とファは思う。

「病院の方?」

男の声が、人気のない待合室に響いた。声質はまったく違うのに、元気だった頃のカミーユのような気がした。

「え、ええ。何かご用ですか?」

「昨日、これと同じノーマルスーツを着た人が、ここに運び込まれたって聞いたのだけど、知っているかい?」

「その方でしたら..あ?」

すぐ傍らに立つ青年の匂い、いや鼻腔のさらにその奥を刺激するものの連結する先を、彼女はやっと思い浮かべることが出来た。

「ブライト...キャプテン?!」

青年はおや、っというように眉を動かした。

「その名を、なんで...?君は?」

「いえ、あの...」

ファは口ごもった。エゥーゴの名前を出すことを躊躇したのだ。

「あなたは...誰?」

「失礼した。僕はカラバのアムロ=レイという。昨日ここに運ばれた男は、仲間の...」

「あ...アムロ=レイ!あなたが、アムロ...」

ファの中で、はじけていくものがあった。泣かない、と思っていたのに何故かこの人の前なら泣いていい、と感じた。

「アムロさん、あなたがアムロさん....!」

その名前を、何度も反芻するようにして、ファは泣いた。アムロと名乗った青年は当惑しながら、彼女の顔を見つめた。

「どうしたというんだい、僕がなにかしたのかい?」

ファ=ユイリーはアムロと会うのは初めてだったが、「懐かしさ」と共に、「優しさ」を感じていた。戦闘をするためのノーマルスーツを着ていても、人としての包容力を感じてしまったのだ。

「カミーユが...カミーユを....知っていますよね、アムロさん...」

「カミーユ?カミーユ=ビダンのことか?」

「そう、カミーユです!」

「まさか、ここにいるのか!?」

「はい...」

アムロはファとカミーユの関係を知らなかったが、自分を見て涙を流す彼女の様子に、強い因果を感じた。彼女の服装や、自分の知るカミーユ=ビダンのその後から想像すると、

「苦労を...しているようだね」

自然に、そういう言葉が出てくる。

「...いいえ、私なんか...私よりも...!」

聞きたいようで聞きたくなかった言葉を耳にして、ファの涙はいっそう量を増す。アムロはゆっくりと彼女の肩に手を置いて優しく言った。

「カミーユは、独りぼっちじゃなかったんだ、よかった」

不器用な少年だったアムロも、少し、男になっていた。

「会ってあげてください。彼も会いたがってます、きっと」

「僕も、会いたい、彼には」

ファはしゃくり上がるものをこらえて、大きくうなずいた。

「こっちです」

エプロンで涙をぬぐうと、ファはグローブを付けたままのアムロの手を掴んだ。

 

病室のドアを開いたアムロは、リクライニングされたベットにいる、変わり果てたカミーユの姿を見て躊躇した。鋭角的だった当時の印象はどこにもなく、内向的な少女のように弱々しい表情で、カミーユは自分を見つめている。その肢体はか細かった。

「久しぶりだな、カミーユ」

アムロは冷静を装って、そう声をかけた。

(なぜ、あなたはこんな所にいるのです)

「え?」

(あなたのような人が、自分が何をすべきなのかわからないなんて事はないでしょう!)

その声は、アムロの頭に直接響いてくるのだ。もちろん声の主はわかっている。目の前で精気のないうつろな視線を投げかけるカミーユ=ビダンである。責めるような強い口調はさらに高まる。

(宇宙にはまだ、憎悪の念が渦巻いているのを、あなたは知っているはずです!もう、倒すべき敵はハマーン=カーンひとりではないのですよ!)

「カミーユ、君は...」

アムロは軽い目眩に襲われた。

(戦っているというのか、そんなになってまで...)

カミーユは、いつも遠いところを見たままだとファは言った。その理由が、アムロには判ったような気がした。昨日の戦闘で聞こえた声も、カミーユのものだと確信した。

「そんな風だから、近くにいる人を悲しませるんだ、カミーユ...」

「何を言っているの、アムロさん?」

ファは、2人のやり取りを感じることは出来なかった。ただ、何だか判らない力で、2人が引き合っている事は判っていた。

(今の君には、何もすることは出来ない。何故、休もうとしない?何故、戦うことをやめない?)

(僕はひとりじゃない。僕だけが休むことなんてできない!)

アムロはふらり、とカミーユに寄り、その腕を掴んだ。

「君は、何様のつもりだ!」

激しい叱咤の声と逆に、アムロはカミーユの身体をふわりと抱いた。その背中が小刻みに揺れるのを、ファは身動きも出来ないまま見守っていた。自分の入り込む隙がないことに嫉妬しながら。

(ハマーンは、生きているんです!戦いは、沢山の人を殺すんです!)

「それは君だけが感じていることではない、カミーユ。悲しいのは、悔しいのは君だけじゃない」

(だったら、なぜあなたは!)

「人間は、そんなに器用な生き物ではないんだ、それを判れ、カミーユ...」

(僕は....!)

「心は、戦うためにあるんじゃない。君の力は、戦争をするためにあるんじゃないということを...それを受け入れろ、カミーユ」

「...ア...ムロ...レイ...」

カミーユの口から、彼の名がこぼれ、空を見据える瞳から、涙が流れた。

「カミーユ!」

ファは、カミーユの異変に気づくと、抱き合う2人の側に走り寄った。アムロの肩ごしに涙に潤んだ青い瞳が見えた。それはゆっくりとファへと焦点を合わせた。

(カミーユ?)

(ファ...)

ファは間違いなく、カミーユが心で自分を呼ぶ声を受け取った。だから、その目が自分を見ていることを確信した。

「あ...」

アムロがその腕を離したとき、カミーユはゆっくりまぶたを閉じた。すぅっと、微かな寝息が聞えてくる。

「疲れたね、カミーユ。ゆっくりおやすみ...」

ファはカミーユの髪を撫でながら、リクライニングされたベットを水平に戻した。カミーユの寝顔は、子供のようだ、とアムロは思った。

「すまない、カミーユ」

(偉そうなことを言った...。だが、俺はもう迷わない。地上にはもう俺の居場所はないのだから...)

アムロはドアの隙間からカミーユに礼を言った。

 

別れ際、アムロ=レイはファの肩に手を置いて、ゆっくりとした口調で言った。

「カラバではZガンダムのパイロットは死んだことになっている。だから、カミーユは僕のように追い回わされることはいないよ。ゆっくり、時間を掛けて治してやってくれ。僕にできることは、これくらいしかないのだから」

「ありがとう、アムロさん...」

ジャングを載せた車椅子を押すアムロの後ろ姿を見送りながら、ファはエプロンの端を握り、寂しい笑みを浮かべていた。

(また、来てください...)

ファ=ユイリーには判った。自分がカミーユをなおすことなど出来はしないのだと。

 

 

アムロ=レイに会って以来、ファはカミーユの容態にわずかだが変化を感じていた。いつものように語りかけると、カミーユは自分を見ることはないが、ゆっくりと微笑むような表情をみせる。それが嬉しくて、ファは今までより長くカミーユに話しかけるようになった。
その日も、ファは昼食時間をカミーユの部屋で過ごしていた。流しっぱなしのラジオからは、他愛も無いトークショウが流れている。アクシズ---ネオジオンとの抗争は地球圏の果て、サイド3の空域に移ってから、その情報が巷に流れることが少なくなっていた。結果、人々はその戦いを、あまり大きなものと捉えなくなってきた。
ファはふと、今も戦っているはずの旧アーガマのクルーたちを思い出した。戦況は届かないが、彼らの無事はいつも願っていることだ。

(なにかしら...)

予感のような胸騒ぎが、ふっと彼女の意識をよぎった。
ファは、カミーユに飲ませるためのスープのスプーンを置いた。

「うっ...うっ...」

同時に、カミーユが苦しそうな声をあげる。また、瞳が空を見つめていた。

「カミーユ?どうしたの?」

額に吹き出す汗を拭きながら、ファはカミーユの体温や脈をチェックしはじめた。

「うわぁぁぁっ!」

カミーユの叫びが、病室に響いた。頭を抱え、苦しそうにもだえるカミーユの身体を、ファはベットに押しつけた。

「何がおこっているの!どうしたの!カミーユ」

朝から、ぶつぶつと何かを口の中でつぶやくカミーユの様子を、ファはおかしいと思っていたが、その衝撃はピークを迎えつつあった。ファの触れるカミーユの身体は熱く、汗が吹き出している。

(かみーゆ、ダメよ、もう...)

念じながら顔を上げたファは自分の目を疑った。自分が抱きついているのはカミーユではなく、ジュドー=アシータなのだ。

「何?どうして?教えて!カミーユ!」

ファは、ジュドー---カミーユにしがみついたまま、宇宙へリープした。

 

引きちぎれた金属片、砕け散った岩壊...そんなものが無数に漂う空間に、ファはいた。
人の魂の渦が、濁々と激しく逆巻きながらあたりに満ちている。その暖かくもあり、胸苦しくもある衝動は、ある一点を中心に捲き起こっている。
そこにジュドー=アーシタとハマーン=カーンがいた。二人だけではなかった。その空間にファの知る人々の懐かしさもある。カツ...ロザミィ...プル.....そしてひときわ激しく、強い意識の塊があった。あの頃のように、鋭角な視線を放ちながら叫ぶのは、カミーユ!

「ハマーン!どうして判ろうとしない!いや、気付いているはずだ!人の進むべき本来の姿が、自分の押し通す正義と違っているということを!」

(しかばねが、何を言うか!おまえに何ができた!男共の正義を貫く手助けをしただけであろうが!)

「人に、男も女もないっ!あなたが女を誇張するから、シロッコが男を誇張するから、俺は迷わされた!ジュドーを見ろ!彼の見ているものをおまえも見てみろ!」

(ジュドー=アーシタ...それが「強さ」なのか...?)

「ハマーン!!」

ハマーン=カーンはその口もとを少し緩めたように見えた。

(少年達、見せてみろ、お前たちの夢見る正義とやらを!)

ジュドーの差し伸べる手を、ハマーンは払いのけた。その瞬間、眩しい輝きが、ファを包んだ...そう、ファは感じた。同時に、意識がフェードアウトしていった。

 

 

ねぇ、カミーユ、もうお帰りよ。ここはあなたのいるところじゃないよ。

でも、フォウに会えなくなるのはイヤだな。

ううん。そんなことない。そんなことないよ、カミーユ。私たちはいつも一緒だよ。私はもう、カミーユの一部なんだから。

俺の?

そうだよ。忘れてしまうような記憶や、肌がふれ合う所にいることだけが人のつながりじゃないから。それができる力を、私たちは持っているから。

だけど、俺はこうやって、フォウに抱かれている方がいいな。

ふふふ、甘えん坊なんだ、カミーユ。

.....!悪いか!

悲しい思いをいっぱいしたからね、辛かったからね。でも、もう大丈夫。カミーユは強いから...。

フォウ...俺、強くなんかない。

私にはわかるよ。ほら、あなたの中に広がる、星の輝きが私には見えるもの。

星の、輝き?

そうだよ。カミーユの中の力。それがだんだん明るくなっていくのが私にはわかる!

その中の一つはフォウ、君だね。

うん。だから!生きている力を信じて、カミーユ!

俺の...生きている力....。

さあ、立ち上がって!あなたのいるべきところへ!

うん、行ってくるよ、みんなのところへ。

 

 

ファは、自分の髪を撫でる心地よい感触で目を覚ました。ベットの縁につっぷしたまま、眠っていたのだろう。もう少し、こうしていたい。そう思うほど繰り返される指の流れは、安らぎを感じさせた。

(誰...?)

ふと、ファは顔を上げた。そこに優しく自分を見つめるカミーユの笑みがあった。

「目、覚めた?」

「!」

「疲れているようだったから...」

「カミーユ...?!」

(夢を...みているの?)

「夢を見ていたのは、俺の方だよ...長く苦しい夢...」

「覚めた、というの?現実に、戻ってきたと言うの?」

「わからない。身体がふわふわしてて、自分のじゃないみたいなんだ。けれど、ファがここにいるから....」

「カミーユ!」

ファはカミーユの手を握った。その手が暖かく握り返してくるのを、ファは全身の感覚で受け止めた。夢ではない。身体が小刻みに揺れ、涙が頬を伝う。

「ごめん...」

カミーユがそう言ってファを見る。

「ううん、何故あやまるの?私ね、私...」

言葉が続かない。ファはカミーユに謝るのは自分だと思っていた。自分の幼い接し方が、戦いに出るカミーユを追い込んでいたのだと判っていたから。

「ファ...」

カミーユはそっとファの腕を引いた。そして柔らかく彼女を抱いた。

「ありがとう...」

ファの嗚咽が激しくなるのを治めるように、カミーユはファを抱き続けた。
波の音だけが彼らを包む、二人の時間が流れた。

「外に出たいんだ」

カミーユがぽつり、と言った。

「1年も寝ていたわ。無理かも...」

カミーユはファに身体を預けるようにして、ゆったりとベットサイドに下りた。筋力の衰えはあるが、その足はしっかりと床を踏み締めた。
病院の外に出ると、満天の星が2人を包む。

「走れるかな?」

「無茶よ...あ!」

カミーユは掴んでいたファの腕を離すと、砂を蹴った。軽やかな足取りが砂を舞いあげる。

「待って、カミーユ!」

カミーユは振り返らず、波打ち際まで走っていく。心配そうにファはその後を追った。

「星が...」

ふと立ち止まり、カミーユは空を見上げた。その輝きは、何もなかったようにひっそりとしていた。すっと、何もない夜空に腕を伸ばす。そして何かを掴むように、拳を握った。

(俺...いきているんだな)

ファが荒く息を切らしながら、カミーユに追いついてきた。
2人の頭上には、光の帯--銀河の輝きがある。
カミーユはファを抱きしめ、言った。

「ファ、帰ろう。宇宙へ」

 

終 


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