少女小説における続編の法則

 あるいは金井美恵子『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』について

 少女小説における続編のパターンはだいたい次の通りに分類できます。

 @ミドルティーンだった主人公がハイティーンあるいは二十代の美しい娘になって結婚するまでを描く(『赤毛のアン』→『アンの青春』『アンの夢の家』 『八人のいとこ』→『花盛りのローズ』)

 A主人公が正編の周辺人物にシフトする(『足長おじさん』→『続・足長おじさん』 『そばかすの少年』→『リンバロストの乙女』) 

 B正編のエピソードの拾遺集(『少女レベッカ』→『レベッカの青春』)

 これ以外に私が「オルコットの法則」と呼んでいる「正編におけるメインの登場人物が一人死ぬ」というお約束の展開があります。(オルコット実は商売人)

 『スクリーム』シリーズのジェイミー・ケネディのセリフを借りなくても、「続編が正編を凌駕することはまずない」なんてことは少女小説においても同じなのですが、この中で意外に成功する確率が高いのがAのパターンです。

 正編ほど有名ではありませんが、バッサー女子大でジュディのルーム・メイトだったサリーが、ジュディがかつていた孤児院の院長を任されて奮闘し、偏屈だけど実は暖かい心の持ち主である隣家の小児科医師と恋に落ちていく様子を、正編と同じく書簡形式で描いた『続・足長おじさん』は隠れた傑作ではあります。

 でも、主人公を変更して続編を描いたウェブスターの冷徹な計算をそこに見ることも可能です。『足長おじさん』のジュディは作家になることを夢見るいきいきとした素敵な少女でした。この「作家になることを夢見ている」というのは、ほぼ全少女小説の主人公に当てはまる事項です。少女小説もまた、それを書いている女流作家が自己を投影しているわけですから当然の結果ではあります。

 しかし。ここで私たちは苦い現実に突き当たります。「果たしてジュディは作家になれたのだろうか?」ジュディは作家にはなりませんでした。代わりに足長おじさんの奥さんになったのです。お金持ちの奥さんを主人公に少女小説を続行させることは出来なかったので、続編を望まれたときウェブスターは主人公を変更せざるをえなかったのです。

 少女小説の中で主人公の少女たちは「作家を夢見ること」は許されていましたが、「作家になること」は許されていなかったのです。各少女小説の時代背景を説明して女性の独立に対する世間の風向きから続編の動向を解析することも可能ですが、もっと簡単に理由をいうと、主人公が作家になってしまうとそれは「過激な自己表現の道を選んだ特殊な女性の小説」になってしまって、自己実現が難しい沢山の少女読者たちが取り残されてしまうことになるからです。

 そんな訳で、世間一般の自立した女性への反発と読者の保守的な見解によって、ぐずぐずになってしまったのが実は正編から数えて七編ものシリーズものがある『赤毛のアン』ということになります。

 アンのシリーズは、変わり者で素敵な少女だった女性がその後の人生をいかに敗北して生きたかという悲しく辛気くさい一代記なのです、実は。(『少女ポリアンナ』の場合は正編そのものが辛気くさいので、続編の『ポリアンナの青春』が辛気くさくなるのは仕方がない話ですが)

 双子を含む八人の子持ちになって、小姑と夫の浮気疑惑に悩まされるアン。誰が彼女のこんな末路を想像できたでしょうか?to be continue→

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