ベトナム食べある記 〜第2回〜
by chinatsu
●2001/10/26 (金) 気弱な泥棒

脱いでたたんであったジーンズのポケットの中にうっかり財布を入れっぱなしにして朝食を取りにでてしまった。部屋に戻ってみるとその間にベッドメイキングが入っていて、なんとその財布の中から50ドル札だけがなくなっていた!いつもはそんな大金財布の中には入れとかないんだけど、今日は両替えをしようと思ってたので入れてたのです。貧乏旅行者のあたしにとって50ドルとは大金。置き忘れた私も不注意だし、なにせ盗られたのが現金だったから絶望的だったんだけど(しかも英語も通じないし)ダメ元で訴えてみようと部屋を出たら、階段の途中でなにやら洗い物をしている従業員がいたのでその人に、ベトナム語の会話集(「地球の歩き方」の最後に載ってるやつね)を見せて、まず「だれ」そして「泥棒」という単語を指でさしてみせて、それからジェスチャーで財布から金を抜き取るまねをしてみた。すると彼はなにやらうなずいて奥の部屋へと入っていってしまった。分かった振りをしてやっかいな外国人からの訳の分からないクレームからうまく逃げおおせたんだろうと私は思い、あきらめて部屋に戻ってしばし落ち込んでいたら、ノックの音がしてさっきの彼がホウキを持って部屋に入って来た。てっきり泥棒退治に来たのかと思っていやそうじゃないのと彼を制しようとしたらおもむろに50ドル札を差し出す彼!ホウキで床を掃くジェスチャーをして床を掃いていたらこれが落ちていたから拾った、と必死で説明している。盗られた現金が返ってくるとは!後でベトナムに住んでるフランス人にこの話をしたら、それはたぶん彼が警察を恐れたからだろうと言っていた。ベトナムの警察は尋問がとても厳しくみんな怖がっているのだと。たしかに「泥棒」という単語の下には偶然だけど「警察」という単語が書いてあった。彼はきっとそれを目にしちゃったんだろう!それにしてもなんとなく声をかけた彼が張本人だったとはあたしってばついてたわ。
ハノイまでのドライブは天気も快晴で最高!朝の出来事もあって気分はハイ!途中名も知らぬ小さな集落でビールとフォーを食べたんだけど、このフォーが絶品でした。クリスピーな豚肉が上にのっているめずらしいフォー。フォーガーやフォーボーはどこでもあるけど、この豚肉のフォー(なんと呼ぶのかな?)は初めて見た。スープはコショウがきいていた。写真はそのフォー屋の店先でフォーを作るきれいなおねえさん。
バッカンからハノイまで約6時間。顔が真っ黒になる(ホコリで)。

●2001/10/27 (土) マッシヴアタックと雨とハノイの路地

ホーチミンまでのシンカフェのオープンツアーバスチケットを買う。ホーチミンに行くまでにフエ、ホイアン、ニャチャン、ダラットに寄ることができる。チケットの期限はナシ、27ドル。アルノの友達がホイアンにいるとのことでホイアンまで一緒に行くことにする。本当は列車で移動してみたかったんだけど、列車だと寝台で一番安くても約90万ドン(8000円くらい?)もするし、途中で他の町にも寄るとなるとさらに高くつくのであきらめた。
それからアルノとフランス人の経営するバーへ行ったらごきげんなCDがけっこうあって、バーのフランス人たちもナイスガイでみんなで一服しつつずっとおしゃべりしていた。外はものすごい雨が降ったりやんだり。マッドプロフェッサーのマッシヴアタックと雨とハノイの路地を行く人々が、眺めていると超ミスマッチでそれだけで楽しかった。
夕方、フエへの夜行バスに乗り込む。バスに乗る前に日本の肉まんのようなバインバオを食べてみた。道ばたでおばちゃんが蒸し器をおいて売っている。日本のより皮がほんの〜り甘くてふわふわで中の肉は薄味、うずらの卵入り。めちゃうまい。3000ドン(約20円)

●2001/10/28 (日) フエに到着

フエまでのバスはハードだった。夜行だというのに席は直角状態でリクライニングさえしない。ほとんど満足に眠れないししかも4時間近く一度もトイレ休憩がなかった(言えば止まってくれるけど)。朝10時頃やっとフエに到着。シンカフェオフィスのすぐそばのホテルにチェックイン。部屋は清潔で値段も安くて、1階には涼しいごきげんなカフェが付いていて居心地がよかった。ひと休みして町へ出てみる。明日の早朝にはホイアンへのバスに乗ってしまうのでここでは1日しかない。フエの町はとっても静かで清潔な感じがした。ハノイのよーにクラクションを鳴らしまくって走るバイクもない。交通量自体格段に少ない。
シクロ(自転車で押す巨大なベビーカーみたいなもの。インドではリキシャーと呼ばれていた)に乗ってブンボーフエというフエ名物のスパイシーな汁そばを食べに行く。麺がふやけた感じでガイドブックで言うほど大したことはなかった。ブンボーフエの次はシクロでプリンとヨーグルトの店へ行きデザート。ここのプリンはほんとおかあさんの味。子どもの頃風邪を引くとおかあさんが作ってくれたプリンの味がしたよ。ヨーグルトも素朴でとてもうまい。キンキンに冷えている。どっちも確か20円とかそのくらいの値段。日本に100個くらい持って帰りた〜い!
グルメの後やっと観光。阮朝王宮やフエ省博物館の周りを見物する。王宮の入場料は5ドル。バカ高なので中には入らなかった。あたしもアルノもあんまり観光には興味がない。あたしが興味があるのはやっぱ食と人間とそれからにおいです。風景は写真なんかで見れるけどにおいだけはそこへ行かないとかげないから個人的に注目することにしています。(でもにおいに関しては文章でさえなんと表現していいのやらわかりません。)
フエ省博物館はなぜか廃虚のようになっていた。とにかく今は開館していないようだ。米軍の戦車や大砲が野ざらしになっている。(写真)うろうろしていると2人の小さい女の子(女の人?)が近付いてきて、ベトナム語でなにやら話し掛けながらとても人懐っこく付いてくる。よくよく聞けば、ナム(ベトナム語で「暑い」)から日陰に入ればとか言っている。お金でもせびられるのかと思いきや廃虚から去るあたしたちにニコニコ笑って手を振ってお見送りをしてくれた。廃虚のはしっこに彼女達が住んでいるのであろうボロ布をはり巡らしたテントのようなものが見えた。フシギ。
夜はStop&Go Cafeというところで、牛肉と野菜をライスペーパーにくるんで食べる料理を堪能する。焼き鳥の牛肉版のような串刺しの肉をライスペーパーの上においてくるくると巻いてから串を抜いて食べる。とってもおいしい。ここのマスターはベトナム人にしては珍しく髪を金髪に脱色していてちょっと怪し気だった。

●2001/10/29(月) ホイアンまで6時間

朝7時半、ホイアン行きのバスに乗る。ハノイからフエまで680キロ(所要15時間30分)あったのに対して、ホイアンまでは140キロしかないのに所要6時間となっている。なんでこんなに時間がかかるのかと思いきや乗ってみて分かった。今度はやたらと休憩が多い。ある時には、山の上でなぜかいたるところにあるホースから水がいっぱいほとばしり出ている所でバスが止まった。何かと思ったら乗客を降ろしておもむろにホースの水でバスを洗いはじめた。見回すと他にもここで洗車している人がたくさんいる。ここでは水がタダなのだろーか?また別の休憩の時には、マーブルマウンテンといって大理石?とにかく石できた土産物、アクセサリーなんかをたくさん売っているところで降ろして買い物をさせていた。そんな具合にちんたら走って昼過ぎやっとホイアンに到着。フォーホイ1という市場のほとんど中にあると言っていい古いゲストハウスにチェックインした。
ホイアンは小さくて静かでとても趣のある町。アルノの友達オリビエ(37)をTam Tam Cafeで紹介される。ホイアンでは彼にほんとにお世話になったのです。オリビエはここ5年ほどほとんどベトナムに住んでいる。フランスに住んでいるお母さんが亡くなった後にはホイアンに永住したいと言っていた。オリビエの友達フレッドがタムタムカフェを経営している。タムタムで働くルードビッヒも紹介される。フランス人だらけになった。それにしてもベトナムにはこんなにフランス人が多いとはちょっと想像してなかった。昔占領下だったからということなんだろうけど。
お昼はホイアン名物カオラウという汁なしうどんをさっそく試してみる。ホイアンには日本の鎖国前までは日本人がたくさん住んでいたそうで、このカオラウも日本の伊勢うどんがルーツといわれているのだとか。なかなかおいしい。
夜、オリビエお気に入りのミニカフェというところで食事&飲み。ベトナム人リンさんが経営していてフォーホイ1のちょうど真向かいにある。オリビエとリンさんはとても仲がいい。アルノとあたしと4人で茶色い中国系の酒(老酒でも養命酒でもないフシギな味。薬草が原料とのこと)をテキーラのようにお猪口で一気に飲む。これがめちゃ楽しかった。お猪口のお酒を飲み干すことを彼らは「ハノイからサイゴンへ行く」と言う。途中までしか飲まないとだから「今フエあたり」とか「ダナンまで行く」とか言う。一杯飲み干してハノイからサイゴンまで行くと次はまたサイゴンからハノイまで帰らされる。そんな具合にハノイとサイゴンの間を何往復したことか。結局大きな瓶に入ったそのお酒を4人で空けてしまった…。その後もタムタムカフェに流れてたのしい酒宴はつづく…。
当初ホイアンには1泊だけと思ってたんだけど、ラッキーなことに明日は月に一度の満月のお祭りがあるとのことでもう1泊することにした。

●2001/10/30(火) 満月の夜

オリビエの案内でバイクでホイアンの周りを散策する。ホイアン中心部の町自体はゆっくり歩いて1周しても1時間もかからないくらい小さい。町の南にはトゥボン川という水の色は黄土色のベトナムらしい静かな川が流れていて、その向こうにアンホイ島とカムナム島がある。こちらの島の方には観光客はほとんど入って来ない。ベトナム風の小さなかわいらしい家が集落を作ってふつーの生活を営んでいる。エビを養殖している巨大な水田のような所を見たり、大きな椰子の木状のものが稲のように水の中から群生している(ウォーターココナッツとオリビエは呼んでいた)いかにも熱帯風の景色を眺めたり。また町の東約5キロの所にはクアダイビーチというナイスなビーチがあってそっちの方へ行ってみたり。ホイアンの町並みは1999年に世界遺産に指定されていて、去年からはこのクアダイビーチに大型リゾートホテルができて数年前と比べると様子もずいぶん変わってきているそうな。
夕方リンさんと待ち合わせて4人でお祭りへ。いろいろと説明しつつ案内してくれる。日本のお祭りと同じようにいろいろな出店がでている。空には煌々と光る満月。日本風と中国風とベトナム風がミックスされた独特の町並みに異様にマッチする。町は色とりどりのちょうちんに彩られてめちゃくちゃ綺麗!というか超幻想的。歌がたいへん面白い。歌にあわせて何かのゲームをやっているようだ。他にも至る所で中国式チェスなど様々なゲームにみんな興じている。祭りの夜は、普段チケットを買って入るホイアンの様々な歴史的建造物などがタダになっていた。ラッキー。日本人が建てたと言われている来遠橋や広東会館など趣のある建物を見物する。それから町中を流れる小さな川(運河?)でボートに乗って夕涼み。日本と同じように灯ろう流しをしている。カラフルなろうそくの光が川面を流れていく。無縁仏を供養するためのものなのだそうだ。また別の大きなボートの上では老人の男女が歌っている。昔の遊びで男女が即興で歌を詠みあうのだそーだ。地元の人たちはそれを聞いてなにやら笑ったりしている。時々おかしなことを歌ったりしているらしい。夕涼みの後はあたしたちもゲームに参加してみた。ぶら下がった素焼きの焼き物にお面をして近付いて(目隠しをした状態)、手にした棒でそれを割ることができたら景品をもらえるというやつ。あたしは割れなかったけどアルノが見事割った。このゲームのお金もボートのお金もみんなリンさんが出してくれた。
祭りの後はタムタムカフェで食事をした。リンは仕事があるからとここで帰っていった。アルノとオリビエはフランス風の肉料理を食べていた。あたしは蒸した魚に塩コショウとレモンのタレ(ベトナムではとてもポピュラーなつけだれ、ムォイティエウ)と野菜とライスをいただく。それからワインとデザートにシュークリーム。店のオーナー、フレッドやコックのベトナム人フォーさんも交えて楽しいディナー。フレッドがあたしたちのためにディスカウントしてくれたよ。
うだうだしてタムタムの営業が終わった後、オリビエ、アルノ、ルードビッヒとあたしの4人で深夜でも開いている店というか路上の屋台へ移動。3時くらいまで飲んでしゃべっていた。あたしは明日から、ダラットに行こうかそれともここがけっこう楽しそうだからもうちょっといようか迷っていて、その話をしたらみんなに(屋台にいた人々全員に)よってたかって1日でも長くここにいろと説得された。バスに一人座って郊外を眺めてホーチミンまで行くのとホイアンでいろんな人たちと会うのとどっちがいいか?と言われたら後者に決まってるさね。直角バスで夜中首をかくかくさせながら眠るのはもうごめん。残り時間も少ないことだし、オリビエのすすめで飛行機でホーチミンまで行くことに決定!でもこの決断マジで正解だったよ。

●2001/10/31(水) ミーソン遺跡

朝起きて近くのマーケットへ行ってみる。(写真)色々な野菜や食料品などなど見ているだけで楽しい。市場の中で朝食をとる。後で聞いて分かったんだけど、満月の祭りの次の日はブッダデーといって肉を食べないのだそうだ。だから屋台の定食屋さんにいつものようにたくさん並ぶおかずにも肉を使ったものはひとつもなかった。「ソーリー、ノーミート、トゥデイ」とはじめ言われて意味が分からなかったんだけど。でもベジタリアンのおかずもバラエティに富んでいた。いくつか並んでいる屋台の中でもスープの鍋が熱々でもうもうと湯気を立てている屋台を選んで座る。ご飯の上に自分で勝手に好きなおかずを何種類ものせて食べた。ザーサイのような野菜、青菜炒め、もやしのあえもの、揚げ春巻き、ちくわのようなものなどなどなど、根菜のスープもおいしかった。
その後市場をうろうろしてたらマニキュアとペディキュアをしないかと声をかけられたので興味本位でやってもらう。2万ドン(約170円)。爪の形を整えやすりをかけて甘皮をとってレモンで消毒、なかなか気分がいい。関係ない物売りの女の子やらマニキュアをしてくれている彼女のお姉さんやら女の子たちが周りに集まってくる。ベトナムの女の子は特に同性に対してとても人懐っこいというか日本的感覚でいったらなれなれしいと言うか…。初対面でも平気で髪の毛に触れてみたりほっぺたをつねったりする。親愛の表現なんだろうね。マニキュアをぬったあたしの手を持ってふうふうやっていると思ったらいきなり手にキスをした。別に彼女は変な趣味ではないんだと思うけど…。
オリビエとアルノと3人でバイクでミーソン遺跡へ行く。ホイアンの南西約45キロ。天気も景色も最高!遺跡の入場料は5万ドン。ガイドブックによるとチャンパ王国の聖地なのだそうだ。草木に埋もれたレンガの瓦礫の山。遺跡の価値には詳しくないもので…でもとてもよい雰囲気でした。というかしんとしていて日本の神社とかにあるような清い雰囲気が感じられました。日本人の女の子3人組に遭遇。ひさしぶりに日本語が話せて嬉しい。彼女達はなんとたった4日間のベトナム滞在。日本語の話せるベトナム人添乗員付きで来ていた。
夜はリンが地元の人しか来ないという店に連れていってくれた。ここからルードビッヒも合流。奥まった路地にある店。薄暗い庭先に例のおままごとの小さいテーブルと腰かけを並べて大勢のベトナム人たちですでににぎわっている。フエで食べた牛肉のライスペーパー巻きに似たような料理。ここでは豚肉のミンチやみそ?味の豚肉を野菜や酸っぱいスターフルーツ、青いバナナ(甘くない)などと一緒にライスペーパーに包んで食べる。それだけでなくバインセオ(ベトナム風お好み焼き)やエビの揚げ春巻きまで(もうライスペーパーで巻いてあるというのに)野菜と一緒にライスペーパーでくるんで食べることになっている。タレは豚のエキス(レバー?)の入ったちょっと甘めのピーナッツソース。とてもうまい。
食事をしながらリンにいろいろとヌクチャム(ベトナムのポピュラーなつけダレ)の作り方や春巻きの作り方などを教わる。
食事の後、みんなでコーヒーショップと呼ばれるところへ行く。アムスのそれとはまったく違う代物で地元の若者のデートスポットとして人気なのだそう。フランスの古いポピュラーソングがえんえんかかっている。(フランス人達は一喜一憂していた。あたしはよくわからなかった)みんなとおしゃべりしているのがとても楽しい。フランスには「友達の友達はみな友達だ」という意味のことわざがあるのだそうで。みなそれを地でいってる感じ。

●2001/11/01(木) さよならホイアン

タムタムカフェでコックをしているベトナム人フォーさんの家によばれて、お昼にシーフードをごちそうになる。オリビエとアルノと3人でおじゃまする。フォーさんの家は1週間ほど前に水が1メートルくらいの高さまで入って来たということで、棚とかの家具をはじめ荷物が全部天井裏に上げてあった。壁にも水の跡がまだ残っている。(写真にも写ってるの見える?写真:左から、オリビエ・私・アルノ・フォーさん)そう、1週間ほど前フエでは大洪水で死者も出たというニュースをあたしも聞いていた。フォーさんの家は床がコンクリートで(たぶんこのへんの一般的な家の造りだと思う)床上も床下もない。浸水したらそのまま。でもコンクリートなので水ハケはもちろん良い。あたしたちが行った時もきれいに乾いていた。だから天井裏に上げてある家具をなぜ戻さないのかとたずねると、2週間後にはまた大水が来るのが分かっているからだと言っていた。ホイアンはこの時期ちょうど雨期の始まりだそうで。だいたい毎年同じサイクルで水が来るのだそーだ。それにしてもあたしがホイアンにいた間は初日をのぞいてまったく雨は降らなかった。ラッキー。
フォーさんの料理はシンプルだけど絶品でした。まずは大つぶのエビを茹でたもの。塩コショウレモンの例のタレをつけて食べる。冷えたビールをどんどん出してくる。シンプルだけどエビはフォーさんが今朝市場で仕入れてきてくれたものだそうで超新鮮。海水のエビと淡水のエビは若干違いがあるそうで、茹でた時に白っぽい方が淡水、ピンクっぽいのが海水。淡水のエビの方が若干食感が柔らかい。値段も少し高めなのだそうだ。次はツナ(といってもツナ缶じゃないよ)とトマトのサラダ。フレッシュなツナを4時間ほど大量のレモン汁に漬けておくとまるで茹でたかのように白っぽくなって臭みがまったくなくなる。これをトマトとチャイブ等のハーブ、赤唐辛子で和えて塩コショウで味をととのえるというもの。ベトナムのレモンは青くて小さいみかんのような形をしている。香りも少しそういうすだちというかみかんぽい香りで、日本で手に入る黄色いレモンよりも酸味がマイルドな気がする。だから魚を漬けておいても酸っぱすぎなくて非常によい塩梅。生の魚というのが信じられないほどにまったく臭みがぬけている。あたしはてっきり魚を茹でてあるのかと思ったんだけどそうではないのだ。フォーさんはちなみに4人家族。2人の子持ち。行った時はちょうどフォーさんちの隣にお姉さん(妹さん?)の家を新築しているところだった。フォーさんのお姉さん(妹さん?)はフォーさんそっくりの顔をしている。
ランチの後、オリビエの知り合いの旅行代理店へ行って、昨日予約しておいたホーチミン行きの航空券を受け取る。70ドル。それから3人でクアダイビーチへ。泳ぐには最高の天気!飛行機の時間まで泳ぐとする。でもすぐに空港に行かなくちゃならない時間になってしまった。ホーチミン行きの飛行機は8時40分発。ホイアンには空港はないので隣町のダナンまで行かなくてはならない。夕方シャワーを浴びてミニカフェのリンや奥さんやオリビエとお別れをして、アルノに空港までバイクで送ってもらった。ほんとみんなによくしてもらって涙なみだのお別れでした…。さよならホイアン!
寂しいお別れの後、泣きながら空港で搭乗を待ってたら、なんと先日ミーソン遺跡で会った日本人の女の子たちが声をかけてきた!これからホーチミン経由で東京へ帰るのだという。旅行をしてると会う人にはホントなぜだか何度も会ってしまう。
飛行機に乗り込んで「地球の歩き方」でホーチミンの予習をしている間にあっという間に、たぶん1時間足らずで着いてしまった。空港からタクシーで市内へ。オリビエの紹介してくれた安くて比較的静かな、デタム通り(バックパッカー達の間で有名な安宿街)の裏手のBettyというゲストハウスにチェックインした。さようならホイアン。

●2001/11/02(金) やっとホーチミン

残された時間はあと2日。さっそく朝食にバインミー(ベトナム風フランスパンのサンドイッチ)がとてもうまいというニューランという店へシクロに乗って行ってみる。ハノイではこのバインミーあまり見かけなかったのでずっと食べたいと思っていたのです。「地球の歩き方」にはシクロは危ないので(法外な値段をふっかけられたりするとのこと)乗らない方がいいと書いてあるけど、ぜんぜんそんなことない。シクロもバイクタクシーもきちんと相場を知って愛を持って値段交渉できればこんなに便利で楽しい乗り物はない。ちなみにこの時は短距離だったので2000ドン(15円くらい?)。バインミーには色々なハムやベトナムらしい大根や人参などが入っている。7000ドン(約60円)。パンがハノイよりもおいしいと思う。その後はひたすら街をうろうろ。パスター通りにあったzakkaというカワイイお店で、お土産用にシルクのポーチなどを購入。他にもベトナムらしいシルクのバッグやらコーヒー豆やらバチャンでガマンした陶器の茶器セットなどなど色々な所でここぞとばかりに買い物しまくった。
疲れたのでキムタインというヨーグルトとプリンで有名な店でひと休み。フエで食べたヨーグルトとプリンもめちゃうまだったけど、ここのもなかなか。プリン3000ドン(20円くらい)、ヨーグルト2000ドン。ここのヨーグルトは酸味が効いていておいしい!プリン1コとヨーグルト2コを日記を書きつつ平らげる。その後、国営デパートの食品売り場へ行ってベトナム食品をたくさん買う。ミーソン遺跡で会った女の子たちから、市場は観光客すれしていて値段をふっかけられてかえって高くつくと聞いてたので。それにしても思う存分買い物して5万ドン(約400円)。ヌュクマムやライスペーパー、フォー(麺)などなどなど。東京の輸入食材屋で買い物することを考えたらなんという安さ。
夜はブイビエン通りで偶然見つけたハマグリ屋台で夕食。屋台に何種類もの貝が山積みになっていて、貝を指定するとその場で茹でて出してくれる。ぬるいビールに氷を入れて(ベトナム風)飲む。お店のおばちゃんも大スイセンのはまぐり(1皿5000ドン約40円)と、はまぐりよりちょっと大振りで肉がオレンジ色っぽい貝を茹でてもらい、あとその横で香ばしいにおいを立てて焼かれているもの(じゃがいもかと思った)を指差してオーダーしてみる。あとで調べたらそれはボッチンという焼きもちの卵とじで、店先で焼かれている焼きもちに、オーダーが入ってから卵を流し込んで卵とじにしていた。お醤油をかけて食べる。貝もこれもビールと最高に合う!
屋台のおままごと腰かけに腰を降ろして貝が来るのを待っていたら、隣で東洋人のおっさんが英語で「この貝はなんという貝なのか」と聞いている。あたしはてっきり日本人かと思って声をかけたら韓国の人だった。でもフランス語、ドイツ語、日本語、英語が話せるというので、日本語と英語ミックスでおしゃべりする。屋台でひとりビールを飲むのもつまんないなーと思ってたところだったので渡りに舟。おっさんは大学で数学を教えているそーなんだけど、旅好きで、今回は1学期分休んでここに来たとのこと。おっさんの旅はここホーチミンからまだ始まったばかり2日目だそうで、これからハノイへと北上していくと話していた。ホイアンやハノイでのあたしの情報を熱心に聞いていた。
韓国人キムさんとお別れして、インターネットカフェに寄ってBettyに戻ってきた。ブイビエン通りにある小さなインターネットカフェは店員さんが超フレンドリー&良心的でお気に入りでした。1分100ドン(1円未満)。ちゃんと日本語のOSも入っている。ハノイでは同じような条件の店で1分300ドンだった。しかもだいたいどこでも使った時間が数分多めに計算されることが多かったけど、ここだけはいつも少し少なめに計算されていた。冷たいお茶もタダだったし。

●2001/11/03(土) 大買い食い大会

バスに乗ってホーチミンの西約5キロの所にあるチャイナタウン-チョロンに行ってみる。(運賃3000ドン約20円)ベトナムの路線バスはテレビがついていたりラジオも当たり前、運ちゃんはそばにお菓子やらお茶のポットなんかをおいて楽しそーに運転している。チョロンはものすごいバイクの数と人いきれ。チョロンの中心にあるビンタイ市場は大きい。(チョ=市場、ロン=大きい、なんだって)ありとあらゆる物が売っている。中国風の建物の中に入るとすぐにエスカレーターがあったのには驚いたけど、大分前から動いてないようで(壊れたのか?単に動かしてないのか?)荷物置き場になっていたのが面白かった。右の写真がその中国風の市場の建物。ちなみに友人の高木壮太氏が1999年にサイゴンに行った時に、この建物の2階部分から撮った写真がこちらで見れるよ!)
生春巻きの屋台を発見。あたしの世界3大好きな食べ物のうちのひとつ。でもハノイでは高級レストラン以外ではほとんど見かけなかったので喜びいさんで突進する。ここのはめずらしくエビではなく何かの甘辛い肉とシソのような味のする葉が入っていた。これも一風変わっていてとてもおいしい。揚げ春巻きもつまんで4000ドン(約30円)。下の写真がその屋台のおばちゃん。
ベトナム最後の日ということでここで大買い食い大会を敢行することに。だってものすごい食べ物の数々。あと今日のミッションは干しえびを買うこと。昨日どこかの路上市場で買おうとしたけど結構高いしなぜだか絶対にまけてくれないのであきらめた。うろうろしているとおいしそうな定食屋があったので遅めの朝ごはんとする。揚げた魚と豚肉のローストしたのとご飯。魚には青いパパイヤの千切りがついてきた。ヌクチャムにつけて食べる。青いパパイヤの酸味が揚げた魚ととてもよく合う。
そうこうするうちにやっと干しえび地帯を発見。何種類もの干しえびがいくつもの山を作って店先に並んでいる。色々な店で値段を聞きまくって手ごろな値段の所で買う。でもやっぱりどこでも絶対にまけてくれなかった。市場はだいたい1キロ単位で売っているようで、だからあたしのような観光客が100グラム単位とかで買ってもまけてはくれないんだろうな、と思った。干しえび200グラムで4万ドン(350円くらい)
ココナッツミルクに寒天が入った甘い氷水を食べる。暑いから甘いものがおいしい!生き返った。ミッションを遂行したので市場を離れてチョロンの街へ歩き出す。天后宮という中国式のお寺などを見学。渦巻きになった巨大な線香がいくつも屋根からぶら下がって燃えていた。途中おいしそうなパン屋を発見。中華街にはたいていおいしいエッグタルトがあるけどここのは絶品でした。プリンの部分が厚くて濃厚でパイの皮も柔らかくてしっかりとバターと小麦粉の味がした。素朴でリッチ。
チョロンの東の端から再びバスでサイゴンへ戻った。その後もベンタイン市場やタイビン市場、コープマートなどなどバイクタクシーをフル活用して行ってみる。ホーチミンは街が大きいし道路も交通量が多くて長距離を歩くのは酷。でもタクシーは高いしシクロは遅いのでバイクタクシーを乱用してました。バイクタクシーの運ちゃんはみんないい人たちだったよ。君は痩せてるからもっと食べなきゃダメだよとかお節介をやく人もいた。気さくに話をするととても面白い。料金交渉も運ちゃん連中がみんな集まってきてけんけんがくがく。でも相場を把握していれば冗談なんかも飛び出したりしてこれもまた楽しい。あと特に夜のバイクタクシーはすごいスリル。まるでTVゲームの中ように道路を走っていく。信号のある交差点の方が少ないから慣れてないあたしから見るともうめちゃくちゃな運転。逆走や信号無視も当たり前。交通事故発生率異様に高いんじゃないでしょうか。実際この旅でも何度か目撃したし、ホーチミンにもたった2日しかいなかったけど目撃したよ。それによって起こる渋滞もまたすごいんだけど、野次馬もすごかった。
午後は持ってきたお金も少し余ったことだしリラックスしようとビューティーサロンに予約を入れてみた(当日でも大丈夫だった)。「サイゴン・トレードセンター」という目立つ超高層ビルの2階にサロンはありました。ハリウッドの女優さんたちもご愛用という化粧品を使ってのアロマボディマッサージとフェイシャルトリートメント。いいにおいのするジェルを全身にぬってくまなく優しくマッサージ。最高に気持ちよい。ひさびさにゴージャスな体験。顔も体も全身つるつるすべすべになりました。
最後の晩さんはホーチミンのフォーをやはり食べてみなければということで、またバイクタクシーでフォー屋が並ぶというレバンタム公園の西側の地域へ行ってみる。「ベトナム怪人紀行」にのっていたフーンビンという店に最初に行ったんだけどここのフォーボーはぜんぜんおいしくなかった。(きっとデータが古いからでしょう。現在は改訂版が出版されてます。)最後の晩さんがこれではとても悔しいので、さっきバイクタクシーで通りかかったたいへん繁昌していた店へ、そんなに離れてなかったので歩いて行ってみた。フォーのハシゴだ!フォーホアというその店はベトナム人達でごった返していて濃厚なフォーボーがとてもおいしそう。でもさっきフォーボーを食べてしまったのでフォーガーと333ビールを注文。このフォーはとてもおいしかった。これでやっと満足。やはりガイドブックよりも現地の情報(視角・嗅覚)を信用するべきですな。

●2001/11/04(日) 帰りたくない…

Bettyをチェックアウト。ここのおじさんはいつも鼻毛が出ていたけどとても親切だった。電話(市内)もタダで貸してくれたし、今朝の空港までのタクシーもおじさんが呼んでくれた。屋台でバインミー(ベトナム風サンドイッチ)を買ってタクシーに乗り込んだ。最後のベトナムの味ですな。タクシーの運ちゃんは若くてカワイイ。ちょっとジャニーズ系な顔。80年代のダンスミュージックをのびのびのテープで大音量でかけながら走る。クラクションも鳴らしっぱなし。途中ポストカードを投函したかったので、郵便局に寄ってと頼んだら一生懸命探してくれた。思わずチップをはずんでしまった。
帰りもやはりクアラルンプールで約6時間のトランジット。今度はぬかりなく荷物を成田まで直行にして、念願の?トランジットラウンジを利用してみた。しかしまあ旅の初日、ここに来ることができてたらなんと楽だったことか…。ラウンジで日本人夫婦と出会う。奥さんと話がミョーにあって6時間ほとんどしゃべり通している間にあっというまに搭乗の時間になっていた。シャワーを浴びてからいよいよ成田行きの便に乗り込む。途中コタキナバルでも数時間のトランジットがあって、日付けが変わって翌日の早朝、美しい朝焼けの中、太陽が昇ってくるのと同時に成田空港にランディング。
機内で約3週間振りに日本の新聞を読んだ。テレビ欄を眺めていたらひしひしと現実感が戻ってきてなんだかとっても哀し〜い気分になってしまった。帰国するのが現実に戻るのがこんなに厭に思える旅もめずらしい。たいていは、旅の終わりの哀しさはもちろんあるんだけど、ココロのどこかに安堵感のようなものがあるものです。ところが今回はこれがあんまり感じられなかった。できることならこのままどこかへ行ってしまいたい。旅を続けていた〜い。
旅に出る前に今日のでぃな〜日記で書いてたんだけど、あたしはこの旅に何か予測不能な事態を期待していたのです。それによって自分が変わるキッカケをつかめないかと。あたしの行動に対して何か決定的な神様の審判が下るのを、この旅でひそかに期待してたのね。旅での行動の責任は100%あたしにあるわけで、だからこれほど分かりやすい審判はないと思ったのです。心のどこかで私を否定してほしかったのかもしれない。あるいは自分に自信がなさすぎてたのかもしれない。でも結局こうやって旅を終えてみると、あたし全開のこの旅の内容に、私が決定的に変わらなくてはならない理由はうまく見つけられなかった。もちろん予測不能な事態ばかりだったんだけど。期待していた探し物は見つからず終い。だから旅を終わらせたくないのかも。
ずっと前にヴォイスヒーリングに参加した時に、渡辺満喜子さんに言われた言葉を、旅の終わりになぜかふと思い出していた。
「人とちがう自分を恥じないで誇りに思って生きなさい。」
どんなに嫌気がさそうが自信をなくそうがあたしはやっぱりあたしでしかない。結局は自分で審判を下すしかない。そんな神様なんていないのかもしれません。
旅はつづく。