エヴァに関して気付いた細かいこと

完全に枝葉なのでこういうところへ突っ込み始めると素直な鑑賞の 邪魔でしかないことはよく理解した上で、気付いた細かい部分のう ちWWWで見て歩いたデータページ群に載っていないことに触れたい と思います。

残念ながら、私の鈍感さを反映して、ここには細切れが数少なくし か存在しないので、それを束ねて全体として何かの意味を引き出す ようなことがこれだけではできません。その手のをやっている方が これを役立てられそうでしたら、材料の一つとして使ってみてくだ さい。


エヴァを媒介にした記憶の伝達

第14話「ゼーレ、魂の座」後半の機体交換試験で、エヴァの中にパ イロットの記憶が染み出すことが示されました。この実験でレイが 自由連想の種にしているのはシンジの記憶ですよね。山・空・太陽・ 水・花は第4話「雨、逃げ出した後」で逃げたシンジが見た風景だ し、街は第2話でミサトが「あなたが守った街」として見せた風景 だし、エヴァは第2話でシンジが見たエヴァの素顔ですね。

で、このことから言えるのは、第20話「心のかたち、人のかたち」 でシンジが見た、シンジの幼少時ないし生前の記憶は、シンジので はなく、ユイの記憶じゃないかということ。ユイが消えた実験のと きのシンジがガラスの向こうにいてこちらに手を振っているのは初 号機にエントリーしたユイの視点だし、乳を含むシンジの絵にユイ とゲンドウの会話がかぶる場面もユイが自分の胸を見下ろす視点だ からユイの顔が映ってないわけです。シンジが生まれる前にゲンド ウとユイが交わす会話「名前、決めてくれた?」「男ならシンジ、 女ならレイ」もユイの記憶だとした方がすっきりしますね。生前の 記憶があるって設定は結構取り扱いが厄介ですから。


レイの生理欠損

第14話「ゼーレ、魂の座」の後半の機体交換試験で、初号機にエン トリーしたレイは、初号機の中に染み出していたシンジの記憶を種 に自由連想を繰り広げます。この中で、不可解な言葉が登場します。 「血を流さない女」です。

どこからこんな妙な言葉がひねり出されるのでしょうか? レイは前 代未聞の特異なアニメキャラクタであるところの元祖包帯少女とし て、第1話で登場するなり血を流してます。負傷するのが主要な仕 事である(笑)レイが「血を流さない」とはどういうことでしょう?

すっきりする解釈はこうです。「血を流さない」という特性で限定 されるところのある女、という存在を考えるには、女は血を流すの が当たり前だという前提が必要だ。そう、ここで言っている血はた だの血じゃない。生理出血です。

レイは「血を流さない女」を体験的に知っている。つまり、レイ自 身に月経がない。だから常人があまり思い付かない「血を流さない 女」という特殊な存在が自由連想に出てくる。

さて、じゃ、なんでレイは無月経なんでしょうか。

単純に、まだ初潮を迎えてないというのはこの際考えないことにし ます。年齢が14歳ですし、体の外観からしても既に第二次性徴が現 れていますから、初潮だけまだというのは不自然。妥当そうな理由 は4通りくらい考えられます。穏当そうなのから順に挙げます。


エヴァ=創世記第0章

エヴァがセルビデオやレーザーディスクとして店頭に並び始めたの がテレビ放送の時期に対していつごろからなのかは知らないのです が、ともかく、これらビデオやLDの巻数を数えるのにGENESIS 0:n (nは負でない整数)という表記が使われています。さて、この表記、 一体何なんでしょう。何のための「0:」なんでしょう。

ずーっとわからなかったのですが、ある日、開眼しました。これ、 実は私にとって結構見慣れた表記だったのです。

巻の名前と二組の数字というのは、聖書の文言の記載箇所を示すの に一般的に用いられる表記なのです。例えば、マタイによる福音書 10章34節といったら、日本語ならマタイ10-34、英語ならMathew 10-34などとします。んで、このときの章番号と節番号の間の区切 り方はこれといって決まっていなくて、エヴァのようにコロンで区 切るのも、たぶんありです。

というわけで、エヴァは実は「創世記第0章」を標榜しているのだ、 ということがここから読み取れます。これは何を意味するのでしょ うか?

第0章の次に来るべき第1章とは何か? 旧約聖書の創世記第1章には、 天地創造、それも虚無からの創世が記されています。つまり、こう いうことです。エヴァの物語が終わると、次には虚無からの創世が 始まる。すなわち、エヴァの物語の結末は、虚無である。……第弐 拾五話のあの台詞を思い出しませんか? 「すべてを虚無へと返す、 人類の補完が始まる」「すべてを始まりへ戻すに過ぎない」

何とまあ、セルビデオやLDにGENESIS 0なる巻名を与えることによっ て、第壱話から既に物語の結末を明示しちゃってるんですね。


ゲンドウの背負った十字架

第21話「ネルフ、誕生」で、ユイが帰らぬ人となって傷心のあまり ゲンドウが1週間失踪したのち帰ってきて、「今日から新しい計画 を推奨する」と言って人類補完計画を持ち出すとき、ゲンドウの影 が壁に映っていますが、このときゲンドウの姿とともに窓枠か何か らしい十字の形も一緒に映っていて、ちょうどゲンドウが十字架を 背負ったような像を作っています。

明らかにわざとそのような視覚効果を作ったというところまではす ぐわかることですが、十字架を背負うということの意味を深く考え てこのシーンが制作されているかどうかは知りません。

が、十字架を背負うというのはキリスト教(オカルトじゃなくて顕 教のですよ)でよく使われる表現です。キリストが磔刑に処せられ、 その執行のために自分が磔にされる十字架をゴルゴタの丘まで自分 で背負って運ばされた故事になぞらえて、つらい状況を救いに至る 試練として受け入れそれと付き合いながら生きてゆくことを指しま す。

最愛のユイを初号機に取り込まれてしまい、サルベージにも失敗し た。ゼーレとともに歩みつつゼーレの理想の実現を阻止するという ユイの遺志だけが残された。自分一人で実行しなければならないそ れは、苦難の道程が予想された。ゲンドウがゼーレを釣る餌として 提唱しネルフの存在意義とした人類補完計画は、まさしくゲンドウ が自ら背負った十字架だったのです。


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