迂回経路ー3
標識に戻り道なりに進み、突当りで小さな川にかかるを渡って車道に出て左折し、市場地内の真直ぐな道を進む。
  
約200先の小さな川にかかる橋の袂から左折し、川沿いに進み、約100m進んだところの小さな橋のところで左折する。
    
西大久保と市場との境界畑道を進み、突当りの右にカーブする辺りが旧道との接続点
ここから今来た道を戻る。
旧道との接続点から今来た道を戻り、小さな川にかかりを渡り突当りの分かれ道は右手を進み、
西大久保と市場の
境界道を道なりに進む。
    
車道を横断して反対側の住宅街の細い道に入り、その先で広い車道を横断して、反対側の未舗装の道に入り、
道なりに進む。
    
突当り小さな車道を横断して、反対側の草むらに入る。
この草むらは西大久保と市場の境界道で、地図にも載っているちゃんとした公道(旧鎌倉街道)。
前回来たときは野菜畑のようなところと人類未踏のような腰まで埋まる草薮の連る道であったが、
今回は少しは手入れがされているように思える。ただ、初めての人は、躊躇する旧道。
約100mの草薮の中を抜けると、坂戸市森戸の
舗装された道
      
舗装道のすぐ先で左から来る広い車道と合流してゆるい坂道を下り、
左にカーブし続いて右にカーブする手前の右側に風化した
野仏像。永い間ご苦労さま。
   
森戸地内を道なりに進み、車両制限ポールの間を通って高麗川にかかる森戸橋を渡る。
森戸橋は、2.4m巾の車両巾制限を受ける狭い橋で、車両は交互通行。人間も自転車も、隙を見て渡らざるを得ない。
現在、橋の左手に新しい橋を建設中で、前回2017年10月に来たときと比べるとようやく橋脚ができた、という感じ。
旧道は、橋を渡り終えたすぐ先の
丁字路辺りから右斜めに折れて東京国際大学キャンバスの中を通り、
約200m先の森戸と四日市場との境界道のカーブ辺りまで続いていた。
ここでは、キャンバスを迂回する。
    
迂回経路ー4
   
丁字路を直進し、東京国際大学キャンバス沿いに進み、突当りを右にカーブする。
    
キャンバス沿いに進み、突当りを左にカーブする辺りが旧道との接続点
     
旧道との接続点から左にカーブし、森戸と四日市場との境界道を道なりに進み、
ゆるく右にカーブして東武越生線の踏切を渡る。
旧道は、カーブしないで直進して踏切の左側を通り約150m先の鶴ヶ島市町屋地内の丁字路入口辺りに続いていた。
ここでは、踏切を渡ってその先の信号から左折して迂回する。
    
迂回経路ー5
    
道なりに進んで、東武越生線踏切を渡り、その先の信号から左折して鶴ヶ島市町屋地内に入る。
     
道なりに進み、約100m先の小さな橋の手前の丁字路辺りが旧道との接続点
橋を渡った右側に、「
鎌倉街道(上道)案内板
   
鶴ヶ島市町屋地内の旧道との接続点から右折し、用水路沿いに進み、突当りの変則交差点は小さな橋を渡り直進する。
    
道なりに進み、突当りの分かれ道は左手を進み、
その先で日高市駒寺野新田地内に入り「宮川鉄工」続いて「
ユニークテープ工場前を通る。
    
道なりに進んで左にカーブし、すぐ右にカーブして信号交差点を直進し旭ヶ丘地内に入り、(右側)高萩北中前を通る。
    
道なりに進み3つ目の信号交差点を直進して高萩地内に入り、ゆるく右にカーブし、
「井口ポリエチレン」の先の突当りの分かれ道は左手の只今
工事中の小さな別所橋を渡る。
     
坂道を上って直進し、別所公会堂前を通り突当りを左にカーブし、道なりに進みヤマザキショップ角の分かれ道は右手を進む。
      
そのすぐ先でJR川越線「鎌倉街道踏切を渡って道なりに進み、
踏切から約200m先の
分かれ道は右手のカーブミラーの立つ細い道に入り、左に大きくカーブして進む。
     
県道15号線を横断して反対側の細い道に入り、坂道を下り、突当りで川沿いに左に折れる。
    
旧道は、左に折れず突当りを直進して川を越えた先まで続いていた。
ここでは、道なりに左折して橋を渡って迂回する。
      
迂回経路ー6
     
突当りを左折し、川のガードレール沿いに進み、約50m先で右折してを渡ってすぐ右折してUターンする。
     
川沿いに進んで分かれ道は右手の川のガードレール沿い道を進み、突当りの左にカーブする辺りが旧道との接続点
      
旧道との接続点から左折し、高萩地内の川のフェンス沿いに進み、
約150m辺りで右にカーブして高萩と中沢との
境界坂道を上る。
     
突当りの分かれ道は右手の坂道を上り、次の突当りの分かれ道は左手に進み、
境界坂道を上り続ける。
     
上りきったところで広い車道を横断して反対側の細い道に入り、突当りを左折右折して、
少し急な
境界坂道を上る。
     
上り切ったところで広い車道を横断して反対側の細い境界道に入り、「松本鍼灸院」前を通り、
その先の突当りの
「山野経師店」前で左に折れる。
旧道は、左に折れず直進して約200m先の丁字路辺りまで続いていた。
ここでは、道なりに進んで迂回する。
     
迂回経路ー7
    
山野経師店前から左に折れ、道なりに進み、約150m先の交差点を右折して細い道に入る。
    
住宅街の中を通り、その先の交差点辺りが旧道との接続点
    
    
旧道との接続点から左折し、高萩と中沢との境界坂道を下り、左にカーブして道なりに進む。
    
その先で小さな川にかかるを渡る。
橋を渡ったすぐ左側に、大きくて立派な「鎌倉街道上道碑」と「鎌倉街道上道」案内板が立っているが、
ゴミの山で近づけない!
ここでは、2017年10月5日に通ったときの「
鎌倉街道上道碑」写真を再掲した。
     
境界坂道を上り、上り切って本田運送の塀沿いに進んで大谷沢地内に入り、
国道407号線日高バイパスの
鎌倉街道信号交差点を横断して反対側の道に入る。
      
日高カントリークラブ境界金網沿いに進んで外れで信号交差点を直進し、
道なりに進んで南小畔川にかかる
大下橋を渡り、その先で圏央道(茅ヶ崎~大栄)高架下を潜りゆるい坂道を上る。
    
上り切って「智光山公園」前を通り、「智光山公園入口信号交差点を直進て柏原と広瀬台2丁目との境界道を進み、
狭山工業団地の中を通る。
    
団地の外れから、この坂道が信濃の国に通じていたのでその名がついたという「信濃坂」を下る。
奥州道交差点信号の手前左側に「
鎌倉街道案内板。続いて同じ左側に「影隠地蔵」。
影隠地蔵:京都に兵を挙げた木曽義仲は、そのあと頼朝軍に討たれた。
鎌倉で頼朝の娘大姫の婿になっていた義仲の子義高は、自分に難が及ぶのをさけるため、大姫のはからいで脱出して逃れたが、
この入間川の地で追っ手の堀藤次らに追いつかれしまった。
一度は地蔵尊(影隠地蔵)の陰で難を逃れたが、ついに捕らえられ藤内光澄によって斬られてしまった。
ただ、この影隠地蔵は、身を隠せるほどの大きさでもないので、
後に土地の人たちが義高を哀れんで地蔵尊を建てたとのではないかという。

     
その先の奥州道交差点で左斜めに入り、道なりに進んで、突当でNEW TAIYOパチンコ店角の県道260号線丁字路に出る。
旧度は、丁字路を直進して入間川に出て渡し船で対岸に渡り、
狭山市の国道16号線の入間川2丁目と入間川3丁目との境界地点辺りまで続いていた。
ここでは、入間川にかかる新富士見橋を渡って迂回する。
   
迂回経路ー8
    
突当り丁字路を右折し、県道260号線を進み、突当りの広瀬東信号を左折する。
    
ゆるい坂道を上り、入間川にかかる新富士見橋を渡る、
    
渡り終えてイオン手前から左折して、国道16号線を進み、
約250先で16号線から右折する入間川2丁目と入間川3丁目との境界辺りが
旧道との接続点
       
旧道との接続点から右折して、入間川2丁目と入間川3丁目の境界坂道を下り、「やきとり備前屋」前を通る。
    
その先でイオン駐車場脇を通り、突当りの交差点を直進して、ゆるい境界坂道を上る。
     
信号交差点で県道340号線を横断し、さらに坂道を上り続け、突当りで右に少しカーブして市立中央図書館前の信号に出る。
旧道はカーブしないで直進し、約300m先の西武新宿線狭山市駅東口の南にある日拓ビル角辺りまで続いていた。
ここでは、信号を渡って広場のマンション前を通り狭山市駅東西自由通路を通って、迂回する。
    
道なりに進んで信号を横断して広場に上がり、マンション前を通り、突当りの階段を上る。
   
バス停脇を通り、突当りのエスカレータに乗り、左折して「東西自由通路」へ進む。
    
突当りを右折して商店街を進み、東口のエスカレーターで降りて右折し、駅舎前を進んで突当りを右折する。
    
小路のようなところを通って左折し、日拓ビル前を通り、外れで左折する辺りが旧道との接続点
    
旧道との接続点を左折し、道なりに進み、外れの「白山神社大立看板の先で県道227号線に出る。
    
すぐ信号を直進して富士見一丁目地内の227号線を進み、
次の富士見一丁目信号から県道50線となり富士見二丁目地内に入って
狭山工業高校前を通り、
入間川続いて北入曽地内に入って
北入曽信号交差点を直進する。
    
北入曽信号から約300m先右側に常泉寺観音堂と裏に復元された七曲井。。
観音堂:1202年(建仁2)創立で、1708年(宝永5)に再建。
本尊は江戸時代後期川越の彫仏師大覚作の聖観世音菩薩像で、
大旱魃のとき観世音菩薩に祈り七曲井をさらったところ、忽ち清水が湧き出したという、七曲井の守り菩薩。
七曲井:飲料水を得ることが難しかった武蔵野台地では、地面を漏斗状に掘り下げて井戸を掘っていた。
この七曲井もその一つで、平安時代中頃に掘られ江戸時代まで使われていたもので、上縁直径26m井戸底まで深さ11.5m。

境内の脇を流れる
不老川
不老川:昔は、冬になると必ず水が涸れるので「としとらず川」と言われ、不老川と名づけられた。
     
不老川にかかる入曽橋を渡って南入曽地内に入り、
すぐ右側の入間野神社境内に絵入で「上道」の歴史が記載されいる「
鎌倉街道(うえみち)大案内板
その後ろに、「
入曽の獅子舞案内板と入曽の獅子舞
入曽の獅子舞:埼玉県西部を代表する郷土芸能で、その起源は江戸時代中期頃までさかのぼると言われている。
毎年10月第3土曜日と日曜日に獅子舞が行われ、南入曽の金剛院と入間野神社に奉納されている。

     
入間野神社創建は、1179年(建久2)。石造ご神体には天正六年(1579)の年号が刻印されている。
旧号は、国井神社、後に御岳大権現そして明治元年に御岳神社と改称し、明治44年に浅間神社を合祀し現在の名称になった。

県道50号線を進み入曽信号続いて
入曽駅入口信号交差点
    
今日はここまで。
時は、14:45。
今朝、福島瓦店前を7:56に出発してからの所要時間は約7時間。

近くの入曽駅から、横浜へ。
    
西武新宿線入曽駅
        
    

旅と旅行と
    
参考までに; 歩く 鎌倉街道上ノ道 (鎌倉→高崎)