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この区間は、2007.8.11に歩いた。 下諏訪宿は甲州街道との合流点であるので以前訪れたことがあるが夕方遅い時間であったので、 今回は早朝でゆっくり楽しむ時間をとることができたは幸いであった。 今回の終点JR塩入駅で、来た時と同じ長野新幹線で横浜までの切符を購入しようとしたら、 駅員から中央本線の「スパー特急あずさ」の方が安くて速いと聞いて、改めて街道を進んでいることを認識した。 |
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下諏訪宿:中山道と甲州街道の合流点の日本橋から29番目の宿で、中山道唯一の温泉宿。 全国に一万余社の分社をもつ諏訪大社の門前町として栄え、また諏訪氏の城下町でもあった。 諏訪大社は、上社本宮(諏訪市)、上社前宮(茅野市)、下社春宮(下諏訪町)下社秋宮(下諏訪町)の 2社4宮で成り立っている。 本陣1軒、脇本陣1軒。 |
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時は、8:47。 温泉で十分休養したせいか、疲れは全くなし。 山の神バス停から約500mのところで、 142号線から斜め右に入り(写真左)、諏訪神社春宮境内横(写真中)を通り、突当りで左折し坂道を下る。 すぐ先で道は右にUターンして春宮の鳥居に進むが、 旧中山道は直進し建物の左側の細い下り坂道を進む。 寄り道をして右にUターンし、諏訪大社下社春宮を訪れる。 |
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下社春宮鳥居(写真左)、 1780年(安永9)建立の国重要文化財幣拝殿(写真中)で、秋宮と同じ構造で春宮の方が1年早く完成。 幣拝殿右手にある一之御柱。 |
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Uターンへ戻り、細い下り坂道の中山道の宿場通り(写真左)を進む。 宿場通りはなんとなく当時の雰囲気が漂い、朝の空気を一杯に吸い込む。 左側に慈雲寺への長い参道階段。 この辺りは階段上り口に龍の口から水が出る龍頭水口があるため、通称「龍の口」呼ばれている。 |
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軒下の「中山道」標識(写真左)は如何にも旧街道。 その先右側路地角に、江戸日本橋から55里の一里塚跡碑(写真左)。 街道雰囲気を漂わせる旧家。 |
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左側に、諏訪7不思議の1つの御作田の早稲と知られる御作田社(写真左)。 ここはまた、「春宮へ600m・秋宮へ600m」標識(写真中)のある中間地点。 当時の旅籠の雰囲気が残る温泉旅館街を進み、正面で坂を上る。 |
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上り切って、車道を直進(写真左)し細い道に入り、進む。 左側に、中山道で最大規模の本陣で問屋も兼ねていた岩波本陣跡。 本陣跡には建物の半分と中山道随一と言われた庭園が残されている。 また1861年(文久元)、和の宮が降嫁時宿泊されたところ。 |
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その先の丁字路は中山道と甲州街道終点が合流するところ。 丁字路の左側は、創業300年の聴泉閣かめやの駐車場で、 その奥の建物の前に、「下諏訪宿甲州道中・中山道合流之地」碑(写真左)が立っている。 建物の右端に、「甲州道中終点中山道下諏訪宿問屋場跡」碑(写真中)、 右江戸へ五十三里十一丁、左江戸より五十五里七丁、正面京都へ七十七里三丁と刻まれている。 53里は甲州街道、55里は中山道で、ここまでの両街道距離は約2里(8km)の差しかなく、 殆ど同じということになる。 |
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ここで、諏訪大社下社秋宮に立ち寄る。 秋宮鳥居(写真左)。 国重要文化財1835年(天保6)建立神楽殿(写真中)。 丑三っ時枝先を下げて寝入りいびきが聞こえる樹齢6〜7百年の根入りの杉。 |
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合流点に戻り、駐車場をバックに丁字路を直進する。、 左側の1689年(元禄3)創業で広重も泊った旅館桔梗屋(写真左)前を通り、 その先左側の旧家を利用した歴史民族資料館(写真中)。 突当りで左折し、「中山道下諏訪宿」提灯下を通り国道20号線と合流して、右折する。 |
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ゆるい下り坂の20号線(写真左)を西北に進み、 頭上に「左折 甲府・諏訪 直進 松本・塩尻へ」交通標識(写真中)。 続いて、下諏訪駅前信号交差点で、左折するとJR下諏訪駅へ。 ちなみに諏訪湖は、駅からさらに南に位置する。 |
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交差点を直進しその先で道は2つに分かれ、中山道は20号線と分かれ左手の道(写真左)を進む。 左側(写真中)に、相楽総三率いる倒幕先鋒赤報隊員の慰霊した魁塚がある。 官軍先鋒維新の魁としてのり込んできた赤報隊幹部8名が、 にせ官軍の冤罪で1868年(慶応4)斬首の刑に処せられた。 その後同志などにより1870年(明治3)処刑された地に慰霊塚を建立された。 |
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その先の信号のない県道185号線との交差点を直進(写真中)する。 交差点右手に20号線に建つ諏訪大社春宮大門(写真右)。 のどかな住宅街を進み、通りの角にしめ縄のある道祖神。 |
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突当り丁字路を横断した正面民家の間(写真左)に中山道道標(写真中)があり、 民家の敷地の狭いところを通り抜け、砥川の堤防に上る。 |
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堤防の先は現在は橋はなく、対岸の続きの中山道は茶色屋根建物辺り(写真左)と見当をつけて、 右折し20号線に出て左折し富士見橋(写真中)を渡る。 すぐ左折し堤防上を歩き、茶色屋根付近で中山道を探したが、見つからず。 20号線に戻り左折し、ちょっと進み最初の小路を左折して進む。 |
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右側の「JA共済」ポール(写真左)のところから右折し、 フェンスに中山道標識のある丸茂ボデー工場脇道(写真中)を進み、突当りの車道を横断し、進む。 |
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真っすぐな道(写真左)を進み、突当りで十四瀬川(写真右中)にかかる橋(写真左中)を渡り、 下諏訪町から岡谷市に入る。 住宅街のゆるい上り坂の道を進む。 |
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右側に「おひぎりさま平福寺」看板(写真左)があり、その先の参道を右折する。 立派な山門(写真中)を潜り、左側に「おひぎりさま」の由来となった日限地蔵尊が安置されている。 日を限って願かけすると、その願いがかかえられることから日限地蔵尊と名付けられた。 |
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道に戻り、その先の長池東堀信号交差点(写真左)で国道14号線を横断する。 横断した左角に、「左いなみち 右中仙道」道標(写真中)がありここは岡谷街道との追分地点。 とても落着いた雰囲気の住宅街の、まっすぐなゆるい上り道を淡々と進む。 |
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交差点から約700mで20号線の東掘信号交差点に出て20号線を横断し、 岡谷自動車学校の看板の立っている細い道(写真左)を進む。 すぐ右側鉄塔のある資材置場に、ポツンと一里塚跡碑(写真中)。 いつまでも続く上り道の左側に、ツートンカラーの岡谷自動車学校。 |
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路傍に咲く花(写真左)を右に見て、 その先の丁字路の、手前角に花に囲まれて道祖神(写真中)、反対側角に「大黒?天神」。 |
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続いて、水の流れの殆どない横河川(写真左)にかかる大橋(写真中)を渡り、 ゆるい坂道(写真右中)を上り続け、最初の信号のない交差点辺りから長い坂道はようやく平坦になる。 次の信号交差点を直進し、左角の白壁土蔵前を通り、進む。 |
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信号交差点から約350m左側に、今井番所跡碑(写真左)。 道を挟んで斜め右側に、江戸時代の姿を継承し国有形文化財となっている今井茶屋本陣(写真中)。 当時のここ今井村は、塩尻峠の登り口で参勤交代大名など多くの人たちが、この茶屋を利用した。 茶屋本陣あたりからいかにも峠への登り道となる。 |
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茶屋本陣に隣接する右側の高くなったところに、 「右しもすわ 左いほじり峠」道標(写真左)があるが、どうも最近のもののような気がする。 道は20号線に接近するように左にカーブしながら上り、最接近て崖下に20号線(写真中)を見る。 その後20号線から離れるように右にカーブし、最近造成したばかりの道を進む。 |
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長野自動車道(写真左)の岡谷ICへの道の上にかかる陸橋(写真左中)を渡り、左折する。 道はすぐ先で2つに分かれ、右手の山へ向う道(写真右中)を進み、その先の交差点を直進して登る。 |
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その先で道は2つに分かれ、右手の道を登る(写真左)。 その右角に足腰の弱い人の信仰を集めている石船観音の急な参道階段(写真中)、 もう一つの階段上り口に、金名水と呼ばれる清水が流れている水飲み場があり、冷たくて美味。 |
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坂道(写真左)を登り、林の中のすぐ左側に 山賊が後ろに隠れ旅人を襲ったという諏訪七不思議の一つの大石(推定直径2.5m)(写真左)がある。 その脇に赤字で「注意・キケン!」立札があり何かと近づけば、 鹿・イノシシ等捕獲のための檻やわながあるので、立札付近には近づかないように、だって! |
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全く人家なくマンホールのある登り坂(写真左)、 一気に登りつめて行く坂道(写真中)と熱射で次第に体力消耗し、 石船観音から約15分くらいのところで前方が開ける。 |
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塩尻峠頂上(写真左)に到着。 正式には塩嶺御野立公園の一角で、自動車道がクロスし近くにはキャンプ場もある。 また展望台(写真中)があり、下方に今朝出発してきた諏訪湖と周辺の町並みを見ることができる。 実は参考にしたHPに、頂上に浅間神社と御嶽遥拝所があるという記載があった。 確かに小さな石祠があったが「浅間神社」と証明するものはなく、 また碑はあったがこれは明らかに御嶽遥拝所ではなかった。 |
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頂上からの下山口は登り口の反対側にあるが、ご丁寧に「旧中仙道」道標(写真左)がある。 今迄は「中山道」表記だったので、この「旧中仙道」以外の下山口があるのではと探し回ってしまった。 「旧中仙道」下山口から舗装された道(写真中)を、楽々と下る。 数分先のマンホールのある左側に、立場茶屋本陣跡の民家。 山奥の一軒屋で現在も人の住んでいる様子につき、安全上建物の影(写真右)だけを写させてもらった。 ところでこの先で、道の半分を占めて横断して寝そべる大蛇の姿、思い出すのも恐怖。 |
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林の中の道(写真左)を下り、右側のちょっと奥に入ったところに、 天明飢餓で峠で行き倒れになった旅人を弔ったという親子地蔵(写真中)。 ただその脇に、「伝説夜通道 昔片丘辺の娘が岡谷の男に会うため夜この道を通った」白杭が立っているが、 この道と言っても道の姿なく、この親子地蔵とも関係なさそうで意味不明。 さらに下り左側に、江戸日本橋から53番目の東山一里塚跡があり、 対となる北塚は開拓時崩されて消滅している。 |
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その先で道は2つに分かれる、左手を進む(写真左)。 分岐角に、「高ボッチ高原8km 塩尻峠1km」案内板があり、右手の道は高ボッチ高原方面へ行く。 ここから左手を並行して走る国道20号線合流点東山バス停まで下って行く間に、 何度も分かれ道があるが1ヶ所を除いて左手の道を進む。 次の分かれ道も、左手を進む。 |
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その次の左側下に神社のある分かれ道は、唯一右手の道を進む(写真左)。 道にはエンゼルトランペット(写真左中)が一杯並び、尋ねたら鑑賞用販売で栽培しているとのこと。 ちなみに左手の下り坂を進むと国道20号線に出る。 マンホールのある分かれ道も左手を進み(写真右中)、 次の分かれ道も左手の民家の間の細い下り坂を進む。 |
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坂を下り切り、正面の国道20号線にかかる横断歩道橋(写真左)へ進む。 歩道橋下の東山バス停(写真左)で20号線と合流し、塩尻峠から約30分。 バス停から右折し、20号線を道なりに下り、 坂の途中の東山食堂看板手前で、右側に入る細い坂道(合成写真)を上る。 |
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その先で道は下り坂(写真左)となり、木立の中(写真中)、宗教団体の巨大な建物がある石垣の横、 緑のトンネルを通り、下り続ける。 |
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坂道は国道20号線で遮られ(写真中)、左側に入口があるトンネル(写真左)を潜って横断する。 トンネルを出て、真っすぐな下りの坂道を進む。 |
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しばらく下り坂を進み、長野自動車道(写真左)にかかる陸橋(写真左)を渡り、さらに坂道を下る。 途中右側のブロックの陰に、1853年(嘉永6)建立の馬頭観世音がひっそりと立っている。 |
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長い下り坂は、とてもきれいに手入れされた垣根が続く柿沢集落(写真左)に入る。 左側に「首塚胴塚」標識(写真中)があり寄り道して→に従い左折し、数十m行ってまた左折し、 その先100mほどの畑の一角に「胴塚」碑、「首塚」碑がある。 首塚・胴塚:1548年(天文17)甲斐の武田信玄と松本林城主小笠原長時と戦い、小笠原軍が敗れた。 武田信玄は家臣の戦功を賞するため、小笠原軍の首実検をした後、その遺体を放置して引き揚げた。 柿沢集落の人々は哀れに思い、放置された遺体をここに埋葬した。 |
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元の道に戻り、反対側の丁字路角にとても古そうな夫婦道祖神(写真左)。 さらに坂道を下り右側に、道祖神(写真中)。 塩尻峠頂上から延々と続いた下り坂が終りになるころ、 道路を挟んで鳥居のような鉄骨がどんと構えているが、これって何だろう? |
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その先の下柿沢信号交差点(写真左)を横断し、右角に道祖神(写真中)。 直進し、正面火の見櫓のところで道は2つに分かれ、中山道は左手の細い道を進む。 |
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数分進み、四沢川(写真左)にかかる作並橋のたもとで国道153号線と合流(写真中)し、 右折して橋を渡り西へ進む。 右側の永福寺へ通じる小路の右角に、抱き合っている(?)夫婦道祖神。 |
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塩尻宿:中山道、伊奈街道、五千石街道、松本道の分岐点にあり、交通の要衝となる宿場町であった。 また宿名の示す通り牛馬で運ばれて来た日本海からの北塩と太平洋から南塩との、 南北最終地点でもあった。 明治15年の大火で本陣など殆どの建物は焼失し、旅籠「いてふ屋」(国重文)しか残っていない。 本陣1軒、脇本陣1軒。 |
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153号線を200mほど進んだところに、仲町信号交差点(写真中)。 左側の信号機の下に、巨大な道祖神、右側に塩尻宿碑でこの辺りから宿場に入る。 |
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真っすぐな153号線の宿場通りは、 この時間凄い交通量で史跡を見るため横断歩道でないところを右左に横断するのは命がけ。 その上きちんとした歩道がないので、通り過ぎる車の合間を縫っての路傍写真撮影で、ビクビク。 宿場通りに入りすぐ側に、松本藩塩尻口留番所跡碑(写真左)、 続いて右側に新しい十王堂跡碑(写真中)、 十王堂:仏教では、人が死ぬと地獄や極楽などの世界に行くと信じられているが、 その行き先を決定するのは閻魔大王を筆頭とする十人の王たちが勤める裁判官で、 この十王を祀ったのが十王堂。 その左側に古い石碑群があり、男女抱合う道祖神(写真右端)、念仏供養塔(写真左から2番目)、庚申など。 |
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その先右側に、明治15年火災を免れ国指定重要文化財の元旅籠「いてふ屋」の小野住宅(写真左)。 塩尻信号(写真中)の先右側に、参議院選挙後の余韻残る旗に挟まれて高札場跡・下問屋跡碑。 |
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道路左側に、上問屋跡碑(写真左)、続いて本陣跡碑(写真中)、さらに続いて脇本陣跡碑。 |
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その先左側の笑亀酒造ブロック塀脇に、塩尻陣屋跡碑(写真左)。 その塀の上に杉玉(写真中)が飾ってあるが、 よく見かけるのは軒下にぶら下がっている杉玉であるが・・・。 100mほど前方の横断歩道橋手前で、153号線と分かれ右折する。 |
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右折した左側角(写真中)に、鉤の手跡碑(写真左)がありこの辺りが宿場の桝形通りであった。 通りを進み、突当り右側に延喜式の中に名をつらねる格式高い1300年歴史を持つ阿礼神社。 |
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阿礼神社に隣接した突当りの塩尻東小学校校門前に、 塩尻宿碑(写真中)が立ちこの辺りが桝形通りの始まりで宿場入口となる。 通り(写真左)はここから左折し、右側に当宿場で再三見かける抱合う夫婦道祖神。 |
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さらに進み右側の国指定重要文化財堀内家住宅(写真左)は、約200年前の豪農・名主の本棟造建物。 正面棟端にあるカラスオドシ(写真左)と呼ばれる飾りは、松本平特有のもの。 道なり(写真中)に左折して進み、153号線の大小屋信号丁字路に出る。 |
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丁字路左角に、左から順に蠶大神、秋葉大神、庚申などの石碑(写真左)が並ぶ。 蠶大神とあるのは、昔この辺りは養蚕が盛んであった証。 丁字路を右折し、153号線を西へ進む。 |
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田川にかかる塩尻橋を渡り、 その先で、「右折:153号線松本へ、直進:301号線塩尻駅へ、左折:平出遺跡」交通標識。 |
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住宅街(写真左)を進み、下大門信号4差路(写真中)で、中山道は左折する。 時は16:05。 何故か道中時間がかかり過ぎ、予定より1時間以上の遅れ。 横浜への帰りの時間も心配になり、今日はここまでとして信号を直進してJR塩尻駅へ。 中央本線スーパーあずさ30号17:07発で、八王子へ。 ちなみに来たときは、長野新幹線で佐久平駅到着。 |
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