あるカメラマンの独り言
復刻版 No.001
イントロダクション 〜我がライバルに捧ぐ〜
(Japanese Text Only)


  デモフライトを呆然と見つめる一人の若者が居た。
蛇の舌のようにチロチロと車輪を出し入れしながらローパスするベル222、ジェット機のような金属音を響かせて高速で目の前を通過するドーファン2…

 これを機にすっかりヘリコプターに魅了されたこの若者の人生は大きく変わり始める。時に1979年11月24日、国際航空宇宙ショーでの事である。


1979年国際航空宇宙ショーのため、日本に初飛来した
ベル222デモ機“N222BX EXPERIMENTAL”。
この機体がH氏をヘリコプターの道へ引きずり込んだ。

   彼、仮にH氏(注1:実際のイニシャルとは異なる)としておこう。
それから数ケ月後、Hは大学でゼミの同期と出会う。たまたま彼が見ていたヘリ写真集を見てその同期は「あ、その機種なら何度も乗った」と意外な事を口走った。Hが次のぺ一ジをめくると「こいつも乗った」。

最初軽く受け流していた彼も少々腹が立ってきた。(このホラ吹き野郎め!…)
そして一言、「素人がそんなに簡単にヘリに乗れる訳がないだろう!」。

するとその同期はすました顔をして事もなげに「だってウチのオヤジ、○○ヘリコブター会社の重役だもん。」

 一瞬の沈黙の後、Hが握手を求め、翌日菓子折りを持ってそのお父上を訪ねたのは言うまでもない…

 彼はそこで世の中には仕事でヘリを飛ばしている使用事業会社というものが存在し、それは東京ヘリボートという所に集中している事を知る。

 はじめて東ヘリ(こう呼ぶのが"通"とも教えてもらった)を訪ねたのは奇しくも航空宇宙ショーからちょうど1年後の1980年11月。何か因縁があったのかも知れない…

そこから彼の東ヘリ通いが始まり、ヘリの機体を熱心に撮影するようになる。中古の一眼レフに50mmレンズ、これが当初の機材である。望遠ではないので当然豆粒程度にしか写らないがそれでも嬉しかったらしい。

 その後、撮影に必要なのは他にエアパンドラジオであることを知り、早速秋葉原へ出向く。懸命に値切って買ったラジオ、家でスイッチをON、聞こえてくるのは雑音と何やら全く分からない英語、エライものを買ってしまったとその夜後悔したという。

 やがて航空無線には法則があり、殆んど決まり文句が使われていること、航空機には登録ナンパーというものがあり、タービン単発ヘリには90××、双発は95××(現在はもっと増えているが)と決まっていることを学ぶ。

その後Hは“9”という数字に異常な程の反応を見せるようになり、居眠りしながらエアバンドラジオを聞いていても“9”と聞こえた途端に目が覚めるという、役に立たない…いや、大変有効な特技を身に付けるようになる。

 また、この航空機登録番号一覧表というものが出ており、世の中にはこれを片端から撮って喜んでいる「マニア」と呼ばれる連中が居る事も知る。普通ならそういう仲間に入るのだが、彼は恵まれていた。
たまたまヘリポートに撮影に来ていたブロの方から撮影に対しての姿勢、ルール、マナー等を指導される。彼の「撮影に際してはマナーを厳守、他人に絶対迷惑を掛けてはならない」という不文律はここから来ている。

 その後社会人となったHは給料2ケ月分を貯め、300mmズームレンズとボディを何とか揃える。彼は10年たった今でもこれを愛用している。

この頃になると撮影はライフワークへと昇華し、またさらに道を踏み外し…もとい、深みにはまって行く。

 やがて写真だけではもの足りなくなり「ヘリに乗りたい」と思うようになる。今や遊覧と言えばAS350が主流だが当時はそんなタービンヘリ等に乗れる筈もない。

 初搭乗の機体はレシプロ機の古典的名機ベル47G4A、場所は千葉の京成谷津遊園(今はもう無い)である。


ベル47G4A 日本ヘリコプター

  パイロットを含めて3名乗らないと採算が採れないとかでもう1人の客が来るまで3時間待たされ、ようやくTake off。

が、普通とは違う感覚に一瞬恐怖を覚える。空中に浮かんだ金魚鉢のように視界は抜群、飛んでいるというよりはぷら下がっているような感じ、航空機と呼ぶよりはフライングマシーンと呼んだ方が近い。そして不安定な乗り心地、最後は派手なバンクに肝を冷やし、「その晩は夢を見てうなされた」とHは笑う。

 やがて一般人でもタービンヘリに乗れる時代が到来する。

1985年、筑波博で始まった実験コミューター、以前の冷汗体験も何のその、「乗りたい」、彼のこの欲求は何ら変わることはなかった。

 ある日TDA(現JAS)がヘリを使うという広告を見て驚いて間い合わせると「使用機はシコルスキーS76で往復料金約4万円」(注2)という。
Hは耳を疑った。僅か(?!)4万円であの高嶺の花、瞳れの“ナナロク”に乗れる。その日から彼の生活残業ならぬヘリ残業が始まった。
「たかがへリコブターごときに4万円も出す馬鹿がどこにいる!」という周囲の冷たい視線に耐え、彼は黙々と働いた。そして搭乗予約カウンターでその料金を払った時、初めてそれが高額である事に気付いたという。

 羽田〜筑波問約20分、だがその価値は十二分にあった。振動も騒音もなく乗り心地は最高、安定した飛行は正に固定翼機並み…と驚くことしきり。
ベル47からS-76、車に例えれば軽自動車から一挙にベンツに乗り換えたようなもの、Hのヘリ搭乗の印象はガラリと変わってしまった。


憧れのシコルスキーS-76に搭乗!

   その後各社とも双発の機体を投入という「筑波博の恩恵」(注3)に預かり、臨時ヘリポートにせっせと足を運び搭乗機種を増やして行く。
やはりこの手の人間は珍しいのだろう。ここで彼は顔を知られるようになり、そのヘリ運航会社の事務所へ時々出入りするようになる。

 そしてそこで出会った美しい受付嬢と恋を実らせ、やがて結婚…

めでたし、めでたし (おしまい)

 …と小説ならばこうなるのだが、どっこい現実は厳しい。

ここはまだまだ男の世界。「航空業界にもっと女性を!…」と提唱する彼は末だ独身である。(注4)


世の中、好きなことでメシが喰えればこんなに素晴らしいことはない。

しかし現実はそう甘くない。言い忘れたがH氏は航空業界不況の時期に当たり、その方面には就職出来ず普通のサラリーマンになってしまった。

「こういう人間を放っておくのは航空業界の、否、国家的な損失である!」と飲みに行った時など酔ってクダを巻かれ閉口している。

たまにその通りと思うこともあるが好きなだけでメシは喰えない。で、「隣の芝生(…は良く見えるもの)さ」と慰めている。

しかしそんな彼がどこのルートからか空撮やデモフライト同乗の“仕事”を貰ってくるのだから腹が立つ。こちらもあやかりたいものだ。

 その酒の席上、酔った彼が突然「あまり可愛いかったのでポッチャリ美人のオシリにタッチしてしまった」と不謹慎なことを口にした。

よく聞いてみると何のことはない。彼の友人が飛ばしているヘリをハンガーにしまう際、後部を押すのを手伝っただけの話である。

勿論彼流のジョークなのだが、実に嬉しそうに話す様子を見て彼が何故未だに独身なのか良くわかったような気がした…



ポッチャリ美人の“おしり”に タッチ!?

  最近は本誌でも取り上げられているように各地でヘリポート設置計画や開港の報告が続々と来ている。こうなるとまた我がライパルH氏の出番である。

今目も彼はどこかのヘリポートに出没し“美人のオシリ”を追いかけまわしているに違いない… (S)


<読者の皆様ヘ>

 取材等で出会った人々、ヘリポートで見かけた珍客、体験談等を綴った「カメラマンの独り言シリーズ」を連載予定です。ちょっとした息抜きに読んで頂げれば幸いです。(S)

HELI AND HELIPORT’1990/5月号より加筆、修正


あるカメラマンの独り言を10倍楽しむために

当記事の連載にまつわる裏話や暴露コーナーです。
併せてお読み下さい。


 

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