103系 常磐線 我孫子 2002年5月3日撮影
 1963年(昭和38年)運転速度の低い線区用の車両として最高速度を下げて減速度を向上させると共に、MT比率1:1でも運転可能な高経済車両として先行試作車が作られました。
 車体は101系を基本とした4扉両開きの20m車ですが、先頭車の運転代が若干高くなっています。
 主電動機は出力110kWのMT55で、主制御器はCS20、電動車の車輪径は910mmとし、歯車比は6.07と大きくなりました。ブレーキ関係機器はユニット化を図り、コンプレッサーも容量が大きくなったC-2000となりました。
 1964年(昭和39年)から量産車が登場しましたが、若干の変更点があり、台車はDT33、TR201で制輪子は片押式とし、ジャンパ連結器は55芯としています。
 1965年(昭和40年)から京浜東北線・常磐線用としてクモハ103が製造されました。
103系1200番代(クモハ102−1205他)
総武緩行線 阿佐ヶ谷 2002年8月14日撮影

 1970年(昭和45年)には営団千代田線乗り入れ用として1000番台、東西線乗り入れ用として1200番台が製造されました。また、そのときに地上線用の試作冷房車が作られ、側窓はユニット窓を採用されています。後に標準的な冷房改造が行われています。
103系(2灯シールドビーム車)
総武緩行線 千葉 1999年9月5日撮影

 1972年(昭和47年)から製造された車両は、非冷房車ですが、前照灯が2灯シールドビーム化されています。
 1973年(昭和48年)から新製された車両は量産型冷房車で、AU75A形冷房装置や電動行き先方向幕を取り付けられました。
 1974年(昭和49年)から製造された車両は高運転台となり、前面にはステンレスの飾り帯を付け、乗務員室後方にATC機器を納めるための機器室が設けられ、ATCの準備車として登場した。ATC機器室を設けたため、乗務員室後部の戸袋窓は廃止されています。1978年(昭和53年)から作られた車両は新製時からATCを搭載しています。1979年(昭和54年)から作られた車両はATC搭載車と同じ前面をもっていますが、ATCを搭載してないため、乗務員室後方の戸袋窓が存在します。
 1982年(昭和57年)から筑肥線電化及び福岡市交乗り入れ用として1500番台が登場しました。 103系は1984年(昭和59年)までに3447両製造され、101系や、72系からの編入車も含め、国電最大の形式両数を誇ってきましたが、一部は105系化工事が行われたり、老朽化で廃車されつつありますが、延命工事など受け、東京や大阪の通勤線区で見ることができます。
 常磐線で最後まで残りましたが、2006年(平成18年)4月にJR東日本の103系電車は全て引退しました。
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