永遠のフォウ 1章  


無機質な廊下が続いている。
シャアとカミーユは確かに『絶叫』ともとれる女の悲鳴を聞いた。
それが何とも判断がつかないまま、その声が聞こえてきたと思われる方向に向かって2人は歩いていた。このキリマンジャロ基地内にいるはずのジャミトフを探すのが目的の潜入ではあったが、カミーユの本意は別にあった。基地侵入の際、彼らは山の稜線から邪悪な気配を発する黒い塊--サイコガンダムを目撃していた。そこからはフォウの気配は感じられなかったものの、ニューホンコンで被弾したサイコガンダムを回収した以上、パイロットであるフォウの安否もここでわかるのではないか、とカミーユは考えていた。敵である自分をかばうような行動を取った以上、もうパイロットであるはずはないと思いってはいるが、万が一、ということもある。この基地内に彼女がいるかもしれない、という希望を捨てきれないカミーユなのである。

「ン...消えたか?」

断片的に聞えていた『悲鳴』がとぎれた。シャアは意識を集中してみたのだが、脊髄を薄く振るわせるような、あの感触はもうどこからも感じられなかった。

「医療ブロックでしょうか?警備が薄いですね?」

「うむ、とんだ方向違いのようだな」

通路の脇に、ストレッチャーや、測定器具の様なものを載せたワゴンなどが放置してある。ジャミトフがいるとすれば、もう少し上層なのだろうと、シャアは判断した。

「むっ!?」

前方から通路を白衣を着た男が数名、歩いてくる。シャアはすかさず銃を構え直したが、カミーユは壁に身を寄せる動作をした。その腕が、自動扉のスイッチを触った。

ウィィィン。

扉が開いた。室内は暗かったが、奥にダウンライトで照らし出された数名の人物。
その1人は間違いなくジャミトフ・ハイマン、その人だった。

「なにぃ!」

反射的に、シャアは室内に飛び込むと、銃をその男に向けた。カミーユもそれに従うように銃をかまえる。

「ジャミトフ、覚悟!」

シャアが引き金を引く。銃声が二つ、三つ、室内にこだまする。同時に、カン、カン、と乾いた音が跳ね返った。
うかつにも、ライティングの加減で二つの部屋を区切るガラスを、シャアは確認することができなかった。しかも、そのガラスは防護ガラスだったのだ。

「ほぅ、これは意外な獲物だな。シャア・アズナブルとは。」

ジャミトフがゆっくり腰を上げた。同時に、2人の背後の自動扉が閉まる。

「う?!」

カミーユは後ろ手でドアスイッチを探ったが、何度押しても扉は反応しない。どうやら、向こうの部屋からこちら側のコントロールが可能のようであった。

「もう少し、賢い男だと思っていたのは、私の過信であったか?」

2人のいる部屋のライトが照らされた。そのときである。

「ん、ん〜ん」

緊迫した雰囲気から程遠い、あどけない少女の声がひびいた。暗いときには気づかなかったが、部屋の中央にリクライニングされたシートが置いてあった。その背もたれから、白い二本の腕がのびる。

「今日のテストは終わりだな?部屋にもどるぞ」

「フ、フォウ?!」

シートから立ち上がったブルーのノーマルスーツに身を包んだ少女は、少しやつれた様子も見えるが、間違いなくフォウ=ムラサメだった。彼女は、まわりの状況をまるで気にする様子もなく、自動扉のスイッチを押す。

「これ!フォウ!」

向こう側のコンソール前にいる技術者風の男が慌て声をあげた。しかし、フォウはまるで聞えていないように、壁にある、タッチ・キーを押し、扉を開けてしまった。

「行くぞ、カミーユ!」

部屋を飛び出したシャアが、カミーユに指図する。しかし、その声は彼の耳には入らなかった。カミーユは、前を歩くフォウに吸い寄せられるように、ふらふらと反対側の通路へと歩き始めたのである。

「ちぃ!」

シャアが、そのカミーユの腕を引こうとした瞬間、開いていたドアが急に閉った。

「なにぃ?」

扉には、関係者以外の侵入を禁止する文字が大きく記されていた。こちらから開くためのスイッチは、どこにも見あたらない。

「カミーユ、戻れ!危険だ!」

シャアはドアを叩きながら叫んだが、それに応える気配は何もなかった。
と、背後から、靴の音が響いてくる。

「こっちだ!」

ジャミトフの指示による兵がやってきたようだ。

「まずいな、」

シャアは、その場を離れる決意をせざるを得なかった。

 


「フォウ、俺だよ、カミーユ」

確かに自分が視野に入っているだろうに、無視するかのように先を歩くフォウの態度にカミーユは不安を隠しきれなかった。

「あ、カミーユ」

フォウがゆっくり振り向く。それはまるで今、街の中でばったりであったときのような素振りだった。

「元気だった?会いたかったんだよ、とっても」

フォウはゆっくりとほほえみを返す。それは、以前よりも痩せてやつれた顔になってしまっていたが、ニューホンコンで見せた柔らかく、涼しげな笑顔と同じであった。

「俺も、俺もフォウに会いたかった」

「私の部屋に来なよ。冷たいのみのもがあるよ。私、のど乾いちゃって。」

フォウはさりげなくカミーユの腕をつかんだ。

(おかしい...)

敵基地の中で、自分とあったことになんの疑問も感じていない様子のフォウ。カミーユはその不自然さにとまどいながらも、彼女の微笑みやしぐさが演技や偽りのものでないように感じていた。
1ブロックを過ぎたところに、彼女の部屋はあった。入口に薬のようなものを積んだワゴンが無造作に置いてある。

「どうぞ」

彼女はドアを開けると、まず自分が先に入り、カミーユを招くように中へ引き入れた。ドアをロックするような操作はしない。カミーユは天井を仰ぎ、監視カメラらしきものが無いことを確認した。

(ワナ、ではないのかな...)

一応、疑ってはみるものの、彼女の口からこぼれる鼻歌の心地よさのほうに気を引かれる。それは1年ほど前に流行った流行歌だった。空手部に好きな先輩がいて、部室でよくかかっていたことをカミーユは思い出す。

「カミーユは、オレンジジュースでいい?」

「あ、俺はなんでも...」

フォウは冷蔵庫からオレンジ色のペットボトルを取り出すと、大振りのグラスに注ぎ始めた。部屋はこじんまりとして、家具らしいものはいくつかの作り付けのクローゼットと、ベット、サイドテーブルくらいしか見あたらなかった。女性らしい装飾など一切ない。カミーユはそのベットに腰をおろした。
そのとなりに、両手にグラスをもったままのフォウが座る。スプリングが軽く2人の身体を揺すった。

「はい」

「あ..ありがとう」

カミーユは、自分がグローブを付けたままなのに気づき、あわててそれを外した。
グラスをカミーユに渡したフォウは、オレンジジュースを勢いよく飲みはじめた。白いのどが、クックッと揺れる。

「俺のことなんか、忘れてしまったかと思った」

「忘れるわけないよ、カミーユ・ビダン?」

振り向いたフォウの唇はオレンジジュースで艶やかに濡れていた。
カミーユはその唇にそっと顔を近づける。フォウもそれにしたがった。
ニューホンコンの夜を思い出すかのように、2人はキスをした。

(あいたかった)

(もう一度)

フォウの柔らかい唇の間から、温かい舌が割り込んできた。カミーユもそれを受け止めた。はじめての経験であった。

 


幼い頃、カミーユにとって、女の子は「異性」ではなかった。
母-ヒルダは、女の子が欲しかったのだ。それは父も同じだったらしい。なぜなら、母の決めた「カミーユ」という名前に反対しなかったからだ。もちろん、父はあまり子育てに熱心なほうではなかったけれど。
ヒルダの着せる服は、どれも中性的で、どちらかといえば可愛らしいものが多かったので、幼い頃カミーユはよく女の子と間違えられた。

「お嬢ちゃん、いくつ?」

「お転婆ねぇ」

それが大人達が彼に投げかける決まり文句だった。しかし、そんな言葉を聞いても、ヒルダはうっすら笑うだけで、否定すらしなかった。
戦争が始まり、物資が不足してくると、軍の研究者であるヒルダは、どこからかおもちゃや子供用の食器などを手に入れてきた。それはどれもこれも女の子用のものであったが、「物が不足しているのだからしょうがない」との言葉と、他のうちよりも裕福である現実から、拒否することはできなかった。
しかし、ジュニアハイスクールに上がるまで、ヒルダはそんな物しか買い与えなかったので、入学式を間近に控えたある日、初めてカミーユは母と本気で口論をした。
あまりの血相にヒルダは、自分の物は自分で買うようにとお金を渡す約束をしてくれた。しかし、その目に涙が浮かんでいるのをカミーユは見逃さなかった。
それ以来、母とはあまり口をきかなくなった。
ジュニアハイスクールに入学したカミーユは、気がつくと、男の友達を作るのが苦手になっていた。幼いときから母が遊びの相手に選ぶのは女の子ばかりだったせいか、男とのつき合い方が良くわからなくなっていたのかもしれない。さらに成績が良く、華奢で美少年であったカミーユは、あからさまな女教師の贔屓や女子のかばいだてがあった為、クラスメイトの男子からは煙たがられていたのも原因の一つだった。
カミーユはこの頃から女っぽい自分と、女の名である自分の名前を嫌悪し始めた。
女の子を同性から異性へと変換させることは、表面的には難しいことではなかった。その時期ちょうど、自分やまわりの女の子たちは性的変化を遂げつつあったからである。しかし、意識の下で、どこか「同属」の様な関わりを断ち切ることはできなかった。そのような曖昧なカミーユの行動を、男子クラスメートはしだいに「女好き」と噂するようになったのである。

 

唇をあわせたまま、カミーユはフォウの身体を抱き締めた。フォウの腕も、カミーユの頭を抱いた。そのはずみで、2人の唇は離れてしまったが、そのままカミーユは彼女の首筋へとキスを移した。うっすらと汗の匂いがするにもかかわらず、フォウの首筋はひんやりと冷たかった。

「ん...うん...」

フォウが小さな声を洩らす。カミーユの全身の血が、ドクっと、大きく脈打った。

「フォウ!」

カミーユは、フォウをゆっくりベットへ押した。従うように、また彼の身体を引き込むように、彼女もまた倒れ込んでいった。カミーユの指が、彼女のノーマルスーツのシールを剥し、ファスナーを探した。それは彼女の身体のラインに沿って、なめらかに滑り下りていった。薄いインナーウェア越しに、彼女の柔らかい肌の感触がある。
たまらず、そのインナーウエアをたくし上げると、そこには、透き通るように白い、フォウの腹部があった。白さから連想されるように、その腹部もひんやりと冷たかった。それは生きている人のようには思えなかったが、感触は柔らかくしっとりとしていた。その触り心地が珍しいように、カミーユは何度も撫で回した。

「うふふ...」

くすぐったいのか、フォウが薄く笑う。そして自分の手を彼の手の上に重ね、もう一方の手で、衣類を脱ぎはじめた。

(...そう、だよな。はじめてじゃないんだよな...)

カミーユは自分の幼さを少し恥じた。

 

フォウの腹部をなでながら、カミーユは空手部の部室に置いてあった雑誌のことを思い出していた。
『彼女をその気にさせるテク』『女が嫌うベットでの“こんなこと”』etc...。
しかし、タイトルだけが浮かんでは消え、内容は全く思い出せなかった。もちろん、アダルトディスクも、何度となく借りて活用させて貰っていたのだが、いざとなると、裸体のカットバックしか思い出せない。
よくクラブの先輩たちは、練習後、自分の武勇伝を誇らしげに後輩たちに語って聞かせた。興味のないフリをして聞き耳を立てていたカミーユは、想像を膨らませながらも、自分とは少し遠い世界のことのように感じていた。話が終わると、先輩たちは必ずこう言ったものである。

「おまえ、ファとはヤッたのか」

最初は、その質問に怒りをおぼえるカミーユだったが、ある日を境に、曖昧な笑いを浮かべるようになった。

その日、ファの家に借りていた本を返しに行った彼は、偶然ファの着替えるところを覗き見してしまったのだ。その瞬間、いきなりファは「女」という存在に変ってしまった。その夜、カミーユは想像の中で彼女を裸にし、マスターベーションをした。実在の女を思い浮かべたのは始めてのことだった。実際SEXをするまでの想像をしたわけではなかったが、翌朝、彼女を正視することができなかった。その日からだろう、彼女に付きまとわれるのが恥ずかしくなってしまったのは。

(俺は、ファのこと、好きなのか?)

よそよそしくしてしまう自分に、問いかけたことがあった。
しかし、肝心なところでもやもやした気持ちになってしまい、結論は出なかった。

しかし、カミーユの苦笑いは、部員たちに肯定の意味にとられていたようだった。一人前、と背中を叩く先輩の力は、不必要に強いものだった。


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