機動戦士MZガンダム0093 目覚め
目覚め
「ファさん?」 病室のカーテンを開くファ=ユイリーの背後から、その部屋の主である、リィナ=アーシタが呼び止めた。 「まぶしいかしら?」 ファはゆっくり振り向くと、彼女の顔色を日の光のもとで確認した。もう、病人とは思えないほど血色がよく、表情も明るい。 「あ、そうじゃないんです。また、メールをお願いしたいんです」 「わかったわ。セイラさんに?」 「それと、兄に、です」 「あら、やっと出す気になったのね」 ファは思わず微笑んだ。入院してからメールが書けるようになっても、彼女は兄であるジュドーにメールを書こうとはしなかった。それが遠くで頑張っている彼に対する遠慮であることはファにもわかるのだが、勝手に連絡を取ってしまった彼女には、少し辛い行為であった。 「だって、もうすぐ退院できるんでしょう?私」 「ええ、今度の検査で問題が出なければ、退院よ」 リィナは顔をほころばせた。あどけなさを残す笑顔は、ファにも幸福感を与えてくれる。 「本当に、ファさんには感謝しています」 「あなたがこの病院に運ばれてきたときには、正直驚いたわ」 U.C.に入ってから、医学はまた新たな問題に取り組まなくてはならなかった。20世紀の終わり頃、地球上で未知の病原体が各種発見されたように、宇宙に出てからも、人類は新たな病と戦うこととなったのである。それは人々の活動範囲が広がれば広がるほど、数が増えていった。症例の多くは神経に作用するものではあったが。 「私、強がっていたけど、本当はすごく不安だったんですよ」 「あら、そんな風には見えなかったけど」 「いいえ、ダカールのお医者様がセイラさんを呼んだとき、私死んじゃうんだな、って思ってたんです」 それなのに、とファはちょっと不安に思った。この兄妹は何を遠慮しながら生きているのだろう。自分には兄妹はいないが、そんな気分になったとき、世の中でたった一人血を分けた兄に会いたいと思わないのだろうか。 「だったら、もう少し素直になればいいのに」 「兄のことですか?」 「そうよ。ジュドーくんがお見舞いしてくれたら、もっと早く治ったかもしれないわ」 リィナは笑いながら首を振る。 「そんなこと...。大丈夫ですよ。兄はいつも側にいてくれるって、そんな感じがあるから」 「...そうね、ジュドーくんなら、そうかもしれない」 いい感じなのだな、とファは思う。 「それに、セイラさんが...」 「?」 「セイラさんもお兄さんと生き別れているらしいんです。だから...」 その優さが仇となって、子供らしい感情を気配りによって打ち消しているリィナのことを、ファは、少しだけかわいそうだな、と思った。
「おい、シュリー、聞いたか?」 午後の実験が終わり、テストルームから出てきたばかりのシュリー=クライムこと、カミーユ=ユイリーを、実験室仲間のドワウフ=イブンが呼び止めた。その顔は青ざめている。 「ジオンの亡霊が、やりやがった」 「動きがあったのか?」 「ああ、シャアがスウィート・ウォーターってコロニーを占拠して、ネオ・ジオン総裁を名乗ったそうだ。さっきのニュースで速報が入った」 「シャア=アズナブル...」 「大人しくしてる気なら名乗りを上げる必要はないだろ、また戦争始まっちまうのかなぁ」 ドワウフの嘆きを、カミーユは聞いていなかった。彼は鋭い頭痛に襲われていた。 「...クワトロ..大尉...」 彼は、自分の知るシャアの名前をつぶやいていた。 (大尉はやっぱり許せないんですか、重力に魂を引かれた連中のことが...)
カミーユ=ビダン。彼はグリプス戦争の後、精神崩壊と肉体の疲労のため、植物人間の一歩手前にまで追いやられた。その後、1年程の時間と、幼馴染みであるファ=ユイリーの献身的看病を経て、現在普通の健康な人間と同じ生活を送ることができるまでに回復した。しかし、ファ=ユイリーは、それが自分のせいだとは思っていない。彼女はハマーン=カーンが死んだとき、カミーユの魂を封印したパプティマス=シロッコの呪縛を冥土に連れ去ったのだと信じている。そうでなけれはこのような急激な回復は有り得ない、と医学に携わりながらもファはそんなことを思っていた。そして回復したカミーユには、悲惨なグリプス戦争末の記憶がなかった。とりわけ「人の死」についての記憶がまるで消去したかのように失われていたのである。それは彼の回復にとって好都合だった。新しい生活を送るには、あまりにも辛い過去なのである。ファはあえて記憶を思い出させるようなトレーニングはせず、また彼もそのことにこだわらなかった。現在、カミーユはユイリーの籍に入り、ファと一緒に暮らしつつ、工科大へ通っていた。しかし、アムロ=レイ同様、戦争で秀でたニュータイプの噂は民間でも思いもよらぬ広がり方をするものである。
カミーユの頭痛はさらにひどくなる。まるで過去の記憶を思い出すことを妨害しているかのようである。 「う..うっ..」 「シュリー、おい、どうしたってんだ!」 頭を抱えるようにして、廊下にうずくまるカミーユをドワウフは心配そうにのぞき込んだ。額にびっしょりと汗をかき、見開いた目は宙を見据えたままである。 「シュリー、しっかりしろ!」 遠くにドワウフの声を聞きながら、彼は別のものを見ていた。本来、プラスチック製の床材が見えるべきところが、まるでぽっかりと穴が空き、さらにその下層---コロニーの外壁を素通ししたかのように漆黒の宇宙空間が広がっている。星の霞むような瞬き。 (またっ、この感じ....) その闇は、彼を身体ごと引きずり込もうとしている。カミーユは意識が遠のいてゆくのを感じた。 「どうしたか?」 「シュリーが...」 通りかかったのは、作業機械科過負荷研の助手、シレノワ=ケイであった。選択のちがう2人は面識はないが、お互いのIDプレートを見れば所属から名前まですぐにわかる。 「手を貸す。医務室へ連れていこう」 そうドワウフに指示すると、大柄な彼女はカミーユの脇に肩を入れ、カミーユを支え起こした。 「彼女のかみさん、隣のラ大で看護婦やってます」 「では、彼を運んだら、すぐ呼んでくれ」 「は、はいっ!」 噂には聞いていた「豪傑シレノワ」の現物を側に、ドワウフはすこし舞い上がっていた。30歳は過ぎているのだが、外見はかなりの美人である。軍人の経験があり、自主退役後大学に来たため、口調がキツい女、というのが学生の評判だった。もちろん、動作そのものも軍隊調が抜けていない。彼女はカミーユの重い身体を支えながら、ドワウフよりどんどん先に行ってしまうので、彼は歩調を合わせるのに苦労した。
目を覚ましたカミーユが最初に目にしたのは、さっきまで自分が羽織っていた作業衣だった。それが、ベットのフレームにだらしなく下がっている。 「目が覚めたか、シュリー=クライム」 少し癇に触る声質だ、とカミーユは思った。 「ああ、俺...?」 「持病でもあるのか?過去に同じことは?」 その不躾な質問に、カミーユはちょっとむっとして、声のする方向に顔を向けた。いつもいる医務室のミセス・レルフィンではない。女の胸には工学部の助手を意味するブルーのラインが入ったIDプレートが下がっている。 「あなた、誰なんです?」 「答えたくないなら、かまわんよ。私は過負荷研の助手、シレノワ=ケイだ。ドクター・レルフィンがもう帰ってしまったのでな」 あ、この人が、とカミーユはまじまじと噂の彼女を見た。 「今、ドワウフ=イブンがお前の女房を呼びに行った」 「あ、俺..どうしたんです?」 「貧血だと思うか?頭痛がした、といって気を失ったらしいぞ」 そう言われると、頭が鈍く重い。確かに持病だと言えばそうなのだ、とカミーユは思う。 「お前、ニュータイプだろう」 「?!」 いきなりのシレノワの言葉に、カミーユは彼女の方を向き直った。睨みつけた、という方が正しいかもしれない。 「ふ..ん。その目、確かにアムロに似てるな」 「知ってるんですか?あの人を」 「ああ。知ってるとも。私はホワイトベース上がりだからな」 「ホワイトベース?一年戦争のニュータイプ部隊の?」 「それは尾鰭ってやつだ。あの時みんなアムロの能力に触発されたのは確かだが」 シレノワ=ケイはそこが医務室であるというのに、胸ポケットからタバコを取り出すと火をつけた。 「だが、全くのオールドタイプ、というワケではなさそうだな、私も。こうしてお前の存在がわかる」 「勝手に決めないで下さい。自分は普通の人間で...」 「私の研究を手伝ってくれないか?助手の身分では予算が無くてね」 シレノワ=ケイは彼の言葉を無視すると、ベット脇までにじり寄りカミーユの瞳を見つめた。彼女のつり目気味の瞳は冷たいブルーに輝いている。 「なんの研究なんです?」 「精神感応増幅機構。ふふ...平たく言えば、サイコミュだよ」 カミーユの全身に悪寒が走った。それは、彼女の気迫からくるのか、『サイコミュ』という言葉からくるのかわからなかった。悪寒は次第に吐き気をもよおしはじめる。 「こ、お断りします。言葉を聞いただけで、拒否反応が出ます」 「過敏なヤツだ。まぁ、よかろう。気が向いたら私の研究室へ来い」 彼女はすっと立ち上がると、タバコを指で挟んだままカーテンの向こうへと消えた。同時にバタバタという足音と、ドワウフのダミ声が聞えて来る。 「あ、シュリーは...」 「目を覚ましたよ。もう平気なようだ」 「ありがとうございます」 ファの声もする。その声が、彼にかすかな安堵を与えた。
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