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この区間は、2017.7.12に歩いた。 | ||||||||||||||||||
鎌倉街道を初めて歩いたのがこの上道で、2011年のことであった。 | ||||||||||||||||||
今回とは逆に高崎市を出発したのであるが、2月11日に隣の藤岡市で東日本大震災に遭遇し、 | ||||||||||||||||||
大勢の帰宅難民として本庄市役所庁舎に新毛布と食事で一夜お世話になりました。 | ||||||||||||||||||
大変ありがとうごいました。改めて感謝とお礼を申し上げます。 | ||||||||||||||||||
それからもう6年が過ぎてしまいましたが、 | ||||||||||||||||||
今なお復興半ばということで多くの方々が厳しい避難生活を送られていて、心が痛みます。 | ||||||||||||||||||
この上道を出発するにあたり、皆さまが一日も早く正常な生活に戻られることを、お祈りいたします。 | ||||||||||||||||||
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2017.7.12。6:19、JR横須賀線鎌倉駅に到着。 | ||||||||||||||||||
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二の鳥居、若宮大路段葛、そして鶴岡八幡宮三の鳥居。 段葛;鶴岡八幡宮の参道で、若宮大路のなかで、二の鳥居から三の鳥居までの車道より一段高い歩道をいう。 鎌倉時代、山を削り屋敷を多く造成したため山の保水力が低下し、雨が降るたび若宮大路に土砂や水が流れ込んだ。 その対策として、道から一段高い道を作ったのが、段葛の参道。 昔は、一の鳥居からの参道であったが、JR横須賀線建設で一の鳥居から二の鳥居の間が撤去された。 二の鳥居から、三の鳥居に向うにつれての段葛の道幅が狭くなっていて、遠近法により距離を長くみえるようになっている。 |
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出発 |
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旧鎌倉街道の基点は八幡宮前信号の三の鳥居で、鳥居から右折するのは下ノ道、左折するのが上ノ道と中ノ道。 6:47三の鳥居から左折し、鎌倉市雪ノ下地内の県道21号線を進み、突当り山安店前丁字路を左折する。右折は中ノ道 |
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左折するとすぐ左側に、鎌倉十井の1つ「鉄の井」。 鉄の井(くろがねのい):1258年(正嘉2)の大火で焼失した新清水寺の鉄造観音像の頭部が、 後年この井戸から掘りだされたことから、この名がつけられた。 約30m先で丁字路を右折し、雪ノ下1丁目と雪ノ下2丁目の境界道を進む。 |
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右側に、鎌倉市川喜多映画記念館。 その先右側の石柱の立つところの奥に、吾妻鏡に記されている窟堂跡といわれているほど古い岩窟不動尊。 |
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道なりに右に少しカーブしてJR横須賀線踏切を渡り、突当りを右折し、 英勝寺境内前で右折して再度JR横須賀線踏切を渡り扇が谷2丁目地内に入る。 |
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すぐ左折し分かれ道は左手の細い道に入り、扇川沿いに進みその先で車道に出て川沿いに左に大きくカーブして進む。 しばらく進んだ右丁字路角に、岩船地蔵堂。 岩船地蔵:日本3大岩船地蔵の1つで、再建建替えられた。 源頼朝の息女大姫の守り本尊で、1691年(元禄3)造立の地蔵立像と船形光背の石造の地蔵が安置されている。 大姫は人質として連れてこられていた木曽義仲の嫡男・義高と6歳のとき婚約するが、 父頼朝により義高が殺されたのち病気になり、1197年(建久8)20歳で亡くなった。 |
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その先でJR横須賀線ガード下を潜って右手を進み、扇が谷4丁目地内のゆるい坂道を上り、 ガードより約150m地点の「化粧坂切通」案内板の立つ丁字路を左折する、 |
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ゆるい坂道を道なりに約400mほど上り、突当りの通行止め柵の右手の道に入り国指定史跡「化粧坂」を登る。 化粧坂(けわいざか):鎌倉の北西から武蔵へ抜け出るための出入口にあたる交通の要衝で、鎌倉七入口の一つ。 1333年(元弘3)の新田義貞の鎌倉攻めでも戦場になったところ。 坂名由来には、平家の大将の首をこの坂上で検分したときに首に化粧した、 坂上に遊女屋があって女たちが化粧をして旅人に一夜の情を注いだ、などがある。 |
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坂は当時のままで、晴天続きなのに水で汚れて苔むし、巨岩が遮る急坂、坂を登り切って丁字路を右折する。 |
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よく整備された歩道を進んで源氏山詰所前を通り、その先でチェーン柵を乗り越えた丁字路を右折し、道なりに進む。 |
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しばらく進んだ左側に「国指定史跡日野俊基墓入口」石柱。その参道坂上に、「日野俊基墓」。 日野俊基:鎌倉末期後醍醐天皇に仕え、討幕計画に参加した朝臣。 1324年正中の変、さらに1331年元弘の乱で捕えられ、鎌倉のこの地葛原岡で処刑された。 入口から約30m先のバリケード手前から左折して細い坂道を下る。 |
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なお、バリケードを奥に進むと、とても簡素な造りの葛原岡神社。 葛原岡神社:1887年(明治20)、日野俊基を祀るため創建された神社。 元に戻り細い坂道を下って突当りを右に曲がり、続いて左に曲がって公園沿いに進む。 |
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道なりに進んで坂道を下り、突当ったところで車道に出て左折し、 梶原5丁目と山ノ内の境界の坂道を右にカーブして下って梶原3丁目地内に入り左にカーブする。 |
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山ノ内配水池前の坂道を下り、配水池から約70m先で左に少しカーブするが、 旧道はまっすぐ進み梶原3丁目の27、31、30の丁字路辺りに続いていた。 現在は、この間の約150mが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー1 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から左折し、閑静な住宅街を進み、分かれ道は右手を進む。 |
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道なりに進み、その先の突当りで左にカーブする。 旧道はカーブを斜めに進み、梶原3丁目1のコーナー辺りに続いていたが、 この間の約100mが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路-2 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から左折し、閑静な住宅街を進み、 突当りで梶原3丁目、梶原2丁目、寺分3丁目の境界変則交差点に出て反対側の道へ右斜めに横断する。 |
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梶原2丁目と寺分3丁目の境界道を進み、その先で長い坂道を下り、鎌倉市立深沢中学校正門前を通る。 |
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坂を下り切ったところの丁字路を右折し、さらに坂道を下り、突当りを左にカーブして寺分1丁目地内に入る。 |
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坂道を下り、只今早朝につき?閉門中の大慶寺前を通る。 大慶寺::創建は1280年頃(弘安年間)。1386年(至徳元)には関東10刹と列せられ、深沢周辺に広大な寺域をもっていた。この辺りの「寺分の地名は、「大慶寺の寺域」に由来。 その先の分かれ道は右手を進み、すぐ左折する。 |
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道なりに進み、湘南モノレール高架下の富士塚小学校入口信号交差点を横断し、 反対側の寺分地区に入って深沢住宅脇を通り突当りを左にカーブする |
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真っ直ぐ進んでクオーレ湘南深沢前を通り、そのすぐ先の「深沢小学校・富士塚小学校共同プール」角から右折し、 上町屋地内のゆるい坂道を上る。 |
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上り切って坂を下り道なりに左手に折れ、すぐ先の石仏・碑群のある分かれ道は右手に入り、 道なりに進む。 |
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変則交差点を左斜めに横断して進み、突当りで泉光院前に出て左折、右折して、泉光院境内沿いに右にカーブし道なりに進む | ||||||||||||||||||
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住宅街を通り、突当りで柏尾川手前の車道に出る。 旧道は、柏尾川を横断して反対側に続いていたが、現在は川を渡れないのでここでは迂回する。 |
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迂回経路ー3 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から右折し、草むら道を進み、丁字路を直進して金網柵沿いに進む。 |
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その先の突当りでJR東海道本線沿い道路に出る。 旧道は直進してJR東海道本線を越え、 前方に見える武田薬品研究所北西の村岡東3丁目と村岡東4丁目の境界辺りまで続いていたが、 この間の約500mが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー4 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点から、村岡東3丁目と村岡東4丁目の境界道を道なりに進み、 信号交差点を直進して村岡東3丁目、村岡東4丁目、渡内3丁目の境界にある変則交差点に出る。 交差点右高台に、渡内日枝神社。 |
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変則交差点を左折し、村岡東3丁目と渡内3丁目の境界道を進み、分かれ道は左手を進む。 |
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交差点を直進し、すぐ先の「おしゃれサロンキノシタ」店辺りで道は右に折れる。 旧道は直進し、慈眼寺角の県道302号線信号交差点辺りまで続いていたが、この間の約300mが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー5 | ||||||||||||||||||
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慈眼寺角の旧道との接続点から左折し、県道302号線のゆるい坂道を上り、 村岡消防出張所前信号を直進する。 |
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すぐ先左側に、「藤ヶ丘中学校前」バス停。 旧道は、この辺りから右斜めに進み柄沢にある柄沢神社の南西角辺りに続いていたが、この間の約400mが消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー6 | ||||||||||||||||||
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柄沢神社参道階段手前辺りの旧道との接続点から、道なりに坂を上り、ヤオコー店前を通り、 突当りを道なりに左に折れて坂を下る。 |
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大鋸外原公園入口信号交差点を直進して坂を下り、すぐの交差点を右折し、真っ直ぐな道を進む。 |
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突当りを左折し、藤沢市(柄沢)と鎌倉市(関谷)の境界道を進みその先で滝川にかかる小さな滝ノ川1号橋を渡り、 道なりに進んで(写真では表現が難しいが)狭くてすごい急な坂を上る。 |
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上り切って横浜市(戸塚区影取町)と鎌倉市(関谷)の境界道を進み、突当りを右にカーブし、その先で左にカーブする。 旧道は、左にカーブしないで直進し横浜市戸塚区東俣野町の「藤沢バイパス出口」信号辺りまで続いていたが、 この間の約300mが消滅している。 ここでは迂回する。 |
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迂回経路ー7 | ||||||||||||||||||
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横断歩道辺りの旧道との接続点から左折し、横浜市戸塚区東俣野町地内のゆるい坂道を上って信号を直進し、 その先で道はゆるい下り坂となり介護老人保健施設ソフィア横浜前を通り左にカーブする。 |
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東俣野町地内の道を進んで右にカーブし、直販看板の立つ道を進み、そして真っ直ぐな道。 右側の赤坂神社の鳥居の手前に、「鎌倉街道西の道」案内板。 鎌倉街道西の道(案内板要約):鎌倉街道のこの「西の道」は「上の道」とも言われ、 1333年(元弘3)上州で挙兵した新田軍が鎌倉攻略に進撃した道と伝えられている。 |
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鳥居の先から坂道を下り、ゆるく左にカーブする。 カーブする右側に、1733年(享保18)創建の八坂神社。 |
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すぐ先右手に龍長院参道入口。 参道右側に野仏三体と「旧鎌倉街道の道筋」案内板。 旧鎌倉街道の道筋(案内板):龍長院を南に行くと東俣野町の鎮守八坂神社があり、 その鳥居を左に折れ堂坂を上り「旧東海道を横切って影取町に入り、大船方面に通じている。」(ちょっと大雑把過ぎる!) 参道奥に、龍長院。 |
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元の道に戻ってゆるい坂道を上り、続いて坂を下って大きく左にカーブして道なりに進み、突当りを右折し、 ブロック塀沿いに進む。 |
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突当りを左にカーブし、その先の突当りを右折して宇田川沿いに進み、 続く突当りを左折して宇田川橋を渡って俣野町地内に入る。 |
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俣野小学校前を通り小川にかかる鼻返し橋を渡って、突当りを右にカーブし、 その先の信号で県道403号線を横断して反対側の細い道に入る。 |
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住宅の中の細い道を進み、突当りを左折し、次の分かれ道は右手の坂道を上る。 |
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突当りの分かれ道は左手を進み、次の分かれ道は右手に進み、坂道を上る。 |
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突当りで、俣野神社の鳥居前に出る。 俣野神社(上俣野神社):創建不詳。俣野の里の鎮守で、昔は「欽明天王社」と呼ばれ、 この近くの天王の森の地名の由来となっている。 旧道は、鳥居前から左斜めに進み約200m先の車道の分かれ道に続いていたが、現在は消滅している。 ここでは、迂回する。 |
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迂回経路ー8 | ||||||||||||||||||
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旧道との接続点の分かれ道は左手を進み、次の分かれ道は右手を進み、閑静な住宅街を通る。 |
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山道産業前の新旧3基の庚申塔が並ぶ分かれ道は右手を進み、その先で道なりに左にカーブする。 | ||||||||||||||||||
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次の分かれ道は左手を左にカーブしながら進み、突当りで車道に出て右折し、 横浜市泉区和泉町地内に入り境川遊水地公園沿いの道を進む。 |
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境川遊水地公園入口の先で和泉川にかかる新折越橋を渡り、その先で右にカーブして下飯田町地内入り、 公園沿いにゆるく左、右にカーブカーブして突当りで左にカーブするところは公園から離れて右手の道に入る。 |
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道なりに進み、分かれ道は左手を進み、突当りの丁字路を右折し、細い道を進む。 |
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下飯田信号交差点を直進し、すぐ先右側に東泉寺門柱。 |
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参道を上り切ったところに、東泉寺、隣接して琴平神社。 | ||||||||||||||||||
東泉寺 :創建年不詳。以前は境川べりにあったが、度々の川の氾濫で1582年(天正10)頃にこの地に移転再興された 山門(天明門)は、1783年(天明3)建立。この年、浅間山の噴火でこの地は8日間昼夜地震、1ヵ月もの間 雨が降り続き、飢餓などによる多くの被害者が出たため、世の平安を願ってこの山門が作られてた。 琴平神社::東泉寺がこの地に移転再興されたとき、寺の鎮守として建立された。 |
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元の道に戻り右に左に大きくカーブし、前方に高架が見える辺りの手前の右丁字路角に富士塚公園。 |
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富士塚にとても興味を持っている人がいますので、お手伝いできることがないかと公園を見渡したが、 きれいな花壇と遊具施設のある小さな公園で、片隅に「富士塚城跡」碑。 富士塚城跡:平安時代末期に、この地を治めていた飯田五郎家義の館があった、と言われるところ。 家義は、源頼朝が挙兵した石橋山の戦いで大敗し逃亡したとき、頼朝を危機から救い、 また富士川の合戦で活躍した論功行賞により、頼朝から飯田郷の地頭に任ぜられた。 頼朝は、家義を鎌倉武士の鑑とし、 鎌倉北に位置する重要な地である飯田郷の鎌倉往還の街道沿いに、家義の居館を築かせた。 残念ながら、公園案内板には、「富士塚」そのものの記載はありませんでした。 公園の先で、横浜市地下鉄「ブルーライン」高架下を潜る。 |
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続けて相鉄「いずみの線」高架下を潜り、高架下から約300m地点の「ウイン商会」広告電柱の立つところで右折して細い道に入り、 左にカーブしてゆるい坂道を上る。 |
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小さな森の中に入り左馬神社鳥居前を通り、その先の分かれ道は右手を進む。 (下飯田の)左馬神社:境川沿いに多く見られるサバ神社の一社で、祭神は 平安末期に飯田五郎家義が勧請したとも言われ、地域の鎮守さまとして信仰を集めている。 左馬・鯖(サバ)という神社は、全国で11社あるが、全てここ境川沿岸にあるという。 |
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畑道を通り突当りで車道に出て右折し、しばらく道なりに進み交差点を直進して上飯田町地内に入り、 立派な長屋門。 飯田郷の街道筋には、長屋門を持った家が多かったというが、もしかしたら当時の名残かも。 |
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その先信号交差点で県道22号線長後街道を横断し、右側に「無量寺」立看板、参道奥に1593年(文禄2)創建の無量寺 |
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道なりに進み「上飯田団地前」信号を直進し、右側に飯田神社鳥居。 鳥居前には、七観音像、庚申塔、道祖神、地蔵像などが並んでいる。 飯田神社:境川沿いにある、「サバ神社」の一つで、主神は源義朝。 縄文時代は、境川沿いは入り海で、神社境内からは縄文後期の注口土器が出土している。 |
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その先の「いちょう団地入口」信号を直進し、信号から約50m先の交差点を左折し、 道なりに進んで右にカーブする。 |
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分かれ道は右手を進み、ゆるい坂道を道なりに上り、突当りを左折して車道に出て右折する。 |
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歩道を進み、その先で本道と分かれて只今工事中の車道を横断して反対側の道に入り、 突当りを左にカーブして車道に出て右折する。 |
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歩道を進み、その先で「せせらぎ緑道」として整備された道に入り本興寺参道階段前を通って、東海道新幹線高架下を潜る。 |
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細い草むら道をすすみ、羽太郷土資料館前に大きな「江戸柳明」古地図看板。 江戸柳明古地図:江戸時代、この地柳明は「えどやなみょう」と称し街道に商家が立並んでいたさまを、地図で表示したもの この古地図で、現在歩いている道が高崎へ通じる上道で間違いないことが、確認できる。 その先で車道を直進して反対側の道に入る。 |
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道なりに進み、丁字路を直進してその先で坂道を上り、分かれ道は左手の道を進む。 |
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左にカーブし、道なりに進んで坂道を上り、その先の交差点を直進する。 |
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介護老人福祉施設ヴィラ泉前を通り突当りを右斜めに折れ、ゆるい坂道を上り、峠工房前を通る。 |
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その先で相沢川沿いに進み、藪山橋の前に出る。 | ||||||||||||||||||
(参考にしている「旧鎌倉街道 探索の旅」では、 当時この先の旧道は消滅しているとしているが、現在は旧道と同じような経路で相沢川沿いの道が復活しているので、 ここではこの相沢川沿いの道を「旧道」として進むことにした。) |
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藪山橋の前を通り、相沢川沿いに進む。 |
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藪山橋前から道なりに相沢川沿いに進み、最近整備されたようなきれいな道、 相沢川の反対側の大和市上和田中学校校舎を通り過ぎると、横浜市瀬谷区(下瀬谷1丁目)に入る。 相沢川のフェンスと階段の間の窮屈な道。 |
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国会議事堂の赤絨毯のような道は前回の2011年当時は確か建物があったところ。 突当りで相沢川にかかる東橋前に出て左折し、橋を渡り下瀬谷3丁目と下瀬谷2丁目の境界道を進む。 |
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「さくら小学校北側」信号を直進して下瀬谷3丁目と下瀬谷2丁目との境界道を進み、 突当りの分かれ道は左手を進み、下瀬谷3丁目地内の住宅街の道を進む。 |
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突当りの信号交差点で県道45号線中原街道を横断して反対側の北新地内の細い坂道を上る。 坂の途中右側に、1625年(寛永2)開山の宗川寺への参道入口。 |
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道なりに進んで北新自治会館前を通り、その先の丁字路を直進し、細い道を進むが民家で遮られる。 旧道は直進して橋戸3丁目23の道路のコーナー辺りまで続いていたが、この間の約900mが消滅している。 ここでは、先ほどの丁字路まで戻り、迂回する。 |
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迂回経路ー9 | ||||||||||||||||||
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橋戸3丁目23の民家の前辺りの旧道との接続点から、今上って来た坂を下る。 |
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丁字路を直進し、その先右側に鳥居があり、高い参道階段上に小さな稲荷神社。 |
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元の道に戻り、信号交差点で県道40号線厚木街道を横断して反対側の道に入り、 瀬谷6丁目と瀬谷5丁目の境界道を進んで突当りを左に曲がりすぐ右折して、境界道を進む。 |
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真中に文字が判読できないほど風化した地神塔の立つ三叉路を左折し、境界道を進み信号で車道を横断する。 地神塔:豊作を祈って、大地や天候の神を祀るためのもの。 |
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相鉄鉄道本線高架下を潜って本郷3丁目地内に入り、道なりに進んで、花で飾られた分かれ道を直進する。 |
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その先の大門小学校正門前の角で、今日はここまで。 |
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時は、16:21. 今朝6:47に鶴岡八幡宮三の鳥居を出発してから、所要時間約10時間30分。 ちょっと時間がかかり過ぎたかな。何故だろう? |
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参考までに; 歩く 鎌倉街道上道 (高崎→ 鎌倉) | ||||||||||||||||||
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