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この区間は、木曽福島宿に引続き2007.10.7歩いた。 この区間の特徴は、次の通り。
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7:35民宿むらちやを出発し、新鮮な朝の空気を胸一杯に吸い込んで北へ向かう(写真左)。 すぐ道は2つに分かれ(写真中)、左手の坂道を上り、左前方にJR木曽福島駅が見える |
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上り切った左側にかわいいミニ水車小屋(写真左)。何かいわれがあるのかも知れない。 JR木曽福島駅(写真中)は想像以上に大きく、さすが木曽谷地方の政治経済の中心地だけあると納得。 まだ開店準備中の駅前商店街を通り、外れで道が分かれる。 |
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御嶽神社(写真中)を挟んで、右手の坂道を下るのは県道268号線で、 旧中山道は左手坂道の歩道(写真左)を上る。 この分岐点から右手下方に見る町並みは、何故かことのほか美しい。 |
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右にカーブした歩道を進み、階段を下り(写真左)て途中の丁字路を直進(写真左中)する。、 突当りで右折し、擁壁沿い(写真右中)に道なりに進み木曽町役場正門に出て右折する。 なお木曽町役場は、以前大同製鋼があったところ。 |
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建物沿い(写真左)に進み、外れで左折すると道は2つに分かれる。 右側の坂道は、県道268号線に下る道で、旧中山道は左側の細い道(写真左中)を進む。 道なりに進み、ゆるい坂道になり、急傾斜地崩壊対策コンクリート擁壁(写真右中)脇を通り、 青屋根建物のところで車道に出て、左折する。 |
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塩渕集落(写真左)を進み、丁字路の左側消火栓脇の立札に「塩渕」地名の由来が記載されている。 「昔、中山道を馬の背中に塩を積んで運んできたところ、馬が木曽川の渕に転落して塩をまいてしまったことから、 塩渕という名がついたと伝えられている」とのこと。 丁字路を直進し、左側「塩渕くらぶ」敷地に一里塚跡之碑。 |
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その先丁字路左側(写真中)に、案内板(写真左)があり 「ここを上ったところに 二十三夜様、勢至大菩薩、新田記念、堤防記念・塩渕開発記念 の石碑がある」 とのこと。 いろいろな石碑があるものであるが、先を急ぐ旅の身につき訪問は遠慮させてもらった。 丁字路を直進し、突当りを道なりに右にカーブし、 日産自動車と木曽福島変電所の間を通り県道461号線に出て、左折する。 |
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すぐその先県立木曽病院標示板のある信号丁字路手前で、左側の坂道(写真左)を上る。 坂の上り口に、「木曽の桟 3.7km」標識。 坂の途中左手に、木曽川の巨大発電所ダム。 |
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坂を上り切り(写真左)、平坦な道を進み、右側草むらにひっそり佇む道祖神。 |
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ゆるい坂道を道なりに進み、車道と合流(写真左)し、右折して進む(写真右)。 合流点草むらに、「中平」案内板(写真中)には次のように説明している。 「1838年(天保9)の木曽巡行記に、ここに立場茶屋がおかれ木櫛が売られていた、と記されている」 |
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車道を3分ほど進み、左側石垣の脇に「左側に津島様を祀った祠があります」案内板(写真中)。 寄り道して細い川沿いに沿って斜面をちょっと上り、左へ橋を渡るととても小さな祠(写真左)がある。 元の道に戻り数分進み、左側の細い坂道を上る。 |
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上り切り平坦道を進み、19号線高架下(写真左)を潜り、その先でトンネルに入る。 旧中山道は高架辺りから左の山側に入り19号線と合流していたが、現在は道が消滅している。 トンネルは国鉄明治43年開通の国鉄トンネルで、入口右側に「列車注意」白文字の名残がある。 総延長166.37m、照明は天井に3カ所しかなく薄暗く、入るときはちょっと勇気が必要だった。 パッと開けた出口から、ゆるい坂道を下る。 |
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途中の分岐(写真左)を直進して下り続け、旧中山道の19号線と合流(写真左中)し左折して進む。 道は右に、左にカーブ(写真右中)し、右手前方にひときわ目立つ木曽川にかかる赤い元橋。 |
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その先の元橋信号丁字路(写真左)を過ぎ、すぐ左側に入る道(写真左中)を進み、 中央本線ガード下を潜り、右折して車も人影もないゆるい坂道(写真右)を上り神戸集落に入る。 |
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道は林の中(写真左)に入り、 すぐ右側の「御嶽遥拝所」案内板の階段(写真中)を登り、広場に1856年(嘉永9)建立の御嶽神社鳥居。 木曽路で御嶽山を仰げるのは鳥居峠とここだけであるというが、 現在は両方とも四方が木々で遮られ見ることはできない。 |
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元の道に戻り、ここからゆるい下り坂道(写真左)となり道なりに進む。 中央本線沿い道(写真左中)を下り、下り切ったところで右折しガードを潜り、19号線と合流し左折する。 |
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19号線を2分ほど進み、左側の坂道(写真左)を上り、分かれ道では右側の道(写真中)を進み、 板敷野集落の坂道を下る。 |
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坂道を下り切った突当りを直進(写真左)し草むらの道に入り、中央j本線沿い(写真中)に進む。 約200mほど進み左手前方のトンネル手前で、舗装道路に出る。 |
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舗装道路を右折(写真左)し、右下に19号線を見ながら急坂(写真中)を下り、19号線と合流し左折する。 この坂道が木曽福島町と上松町の境界。 合流する左側に、上松の北の入口にあたる江戸より71里の沓掛一里塚跡碑。 |
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木曽川沿い19号線の歩道を進み、右にゆるいカーブ(写真中)を描くところの桟バス停(写真左)辺りで、 右手前方に木曽川にかかる赤いアーチ橋が見える。 この赤い橋が「木曽の桟」と思っていたら翌日地元の人から、木曽の桟ではないという。 中山道最大の難所木曽の桟: 川を渡るための橋ではなく、断崖に沿って作られた柵のような道。 1400年(応永7)木曽川沿いに丸太柱と板を並べて新道を架けたのが始まりで、その後焼失してしまった。 1648年(慶安元)尾張藩が中央部を木橋とした延長102mの石垣を築き、 1741年(寛保元)木橋の部分を石垣に改修した。 この改修が完成したとき刻銘された磨崖銘文が、バス停の先に残されている。 昭和30年代の国道19号線拡張工事で石垣の殆どがコンクリート壁に埋め込まれたが、 磨崖のある道路下に当時の木曽の桟の石垣の一部が残されている。但し対岸からでないと見ることができない。 |
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個人的には、この赤い橋周辺の木曽川が一番景観がよかったと思う。 対岸に渡る赤い橋(写真中)、 橋の左手下流(写真左)は幅広いゆったりとした流れの見せる対岸の桟温泉旅館、 橋の右手上流側は神秘的な景観を呈する木曽川、 |
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ゆるい下り坂の19号線歩道を進み、 ちょっと橋とは気がつかない新茶屋橋(写真左)(道の左側に新茶屋橋の標示あり)を渡る。 旧中山道は、新茶屋橋の手前から山側に入り、川を渡って橋の先の19号線に戻るコースであったが、 現在は道が消滅している。 赤い橋から約15分ほどのところで19号線の歩道がなくなる(写真中)。 そこに「木曽桧専門東洋材工株式会社」看板の建物(廃墟?)(写真中)があり、 そこから木曽川を横断する長〜い木の吊り橋(写真より実際にはぐっと巾狭く感じる)がかかっている。 ちゃんと使用できるようにも思えるが、足がすくんでとても歩けそうもないこの橋。 地図で調べると対岸に東洋材工株式会社があるので、もしかして通勤用吊り橋? |
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これ以降歩道は単に白線で仕切られている(写真左)だけで、右側のスペースはとても狭く、 多少はましな左側へ強引に横断し、後ろからビュンビュン飛ばしてくるトラックに身を縮めて歩く。 左側を約5分ほど歩き、コンクリート架構道路からその狭い白線スペースまで消えてしまう(写真中)。 道路一杯に飛ばしてくるトラックをもう避けることはできない。 万事休す、もうこれまでとあきらめて引き返そうかと思ったら天の助け、一瞬車が途絶える。 体裁など構わず、もう脱兎の如く走りまくった。 この間無我夢中で距離など測れなかったが、100m以上はあったと思う。 命をかけた区間。 それにしても運がよかったと思う。現在の旅人はここをどのようにして歩いているのだろうか。 この辺りから旧中山道は、左の山側に入り、上松宿入口十王橋へ通じていたが、現在は道は消滅している。 心を鎮め、道はゆるく左にカーブし中央本線ガード下を潜ぐる。 |
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その先前方の上松トンネル手前、笹沢信号(写真左)から19号線と分かれ右へ進む。 左にカーブし、ゆるい坂道(写真中)を下り、約13分で十王橋信号交差点となる。 |
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上松宿:古くから木曽五木(ヒノキ、サワラ、アスナロ(ヒバ)・コウヤマキ・ネズコ))の良産地で、 江戸時代尾張藩はこの地に材木役所を設置し、 「ひのき一本首ひとつ」と言われるほど厳しい伐採の管理を行った。 現在も町面積の約94%の森林面積を有している。 宿場は北口の十王橋から上町、本町、仲町、下町で構成されていたが、 戦後度重なる大火で焼失し、火災を免れた上町だけに江戸の面影を残している。 「寝覚の床」が古くから名勝地として知られている。 |
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交差点左側から横断(写真左中)し、 左折し「中山道上松宿入口」標柱(写真左)から右折して十王沢川にかかる十王橋を渡り、 左手のゆるい坂道(写真右中)を上る。 坂道の両側には、火災を免れた上町の江戸時代の面影を残す家並みが続く。 |
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その先の十字路(写真右)で寄り道し、 左折200mのところに木曽家16代目義元の二男玉林が創建した玉林院(写真中)があり 山門は1766年(明和3)造営。 境内の隣接山斜面に、「天神山木曽氏館跡」案内板。 それによると木曽家19代義昌の弟義豊が上松蔵人と称して、この天神山に居館を構えていたとこのと。 |
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元の十字路に戻り、進み左側の塚本歯科医院跡が塚本本陣跡(写真左)。但し現地には表示なし。 道を挟んで右側の「といや」表札のある建物が原脇本陣跡(写真中)。 正門脇の格子戸から見える、「脇本陣 総庄屋 問屋役」と刻まれた当時の看板には、感激。 |
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道はゆるい坂道となり右にカーブ(写真中)し、カーブ左側石段に江戸より72里の一里塚跡碑(写真左)。 その先で19号線と合流し、左折して進む。 |
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宿場通りであった下町の19号線には当時の面影は全くなく8分ほど進み、 横断歩道橋手前下町バス停から左側の坂道(写真左)を上り、道なり(写真中)に進み階段を上る。 |
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上り切ったところで車道(写真左)に出て、右折して進む。 上松小学校角交差点(写真中)を直進し、小学校敷地沿いに進む。 |
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小学校の門から入った校庭に、 藤村文学碑(写真左)「山は静かにして性を養い 水は動いて情をなぐさむ」 門に戻り、続いて左側に「尾張藩 上松材木役所御陣屋跡」碑(写真中)。 尾張藩は木曽5木(ヒノキ、サワラ、アスナロ、コウヤマキ、ネズコ)を無断伐採を取締るため 上松の原野に周囲を高土手や丸太で囲い、大砲まで備えた広さ3,500坪の役所を作った。 その先の左側に京都から勧請したので御柱がないという諏訪神社鳥居。 社殿はなんと学校のグランドのはるか向こうで、参道はどこに? 参道階段に腰掛けて、今日は野尻駅まで行けるはずと自信過剰の判断で阿寺温泉のホテルへ今夜の宿泊を予約。 これが大甘であったことが後でわかるのであった。 |
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さらに進み、交差点(写真左)を直進して坂道を下り、突当りの県道266号線(写真中)を左折し、 中沢橋を渡りゆるい坂道を上る。 |
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のどかでゆるい上り坂の266号線(写真左)、右手下方には19号線のハットするような開けた景色(写真中)。 さらに進み、道は下り坂となる。 |
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「南みかり」バス停(写真左)の名前、その脇に「南見帰」地名表示板(写真左中)。 「見帰」を「みかり」と読む、むずかしい読み方はどんな謂れがあるのだろうか。 266号線を約12分進み、丁字路角手前に当時の旅籠の面影を残す民宿「たせや」(写真右中)、 道を挟んで向こう側に当時茶屋の民宿「越前屋」。 民宿たせやの角の赤いポスト脇に、「めざめ」バス停。 この丁字路を右折すると、中山道最大の景勝地「寝覚の床」へ通じる。 |
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寄り道し、丁字路を右折して急な坂道(写真左)を数分下り、19号線を横断したところに、 「めざめの床」立看板の立つ、浦島太郎伝説のある臨川寺山門(写真中)。 境内に入り向正面から眼下に、中山道最大の景勝地「寝覚の床」。 木曽川の侵食で出来た真白い花崗岩が連なる美しい景観で、京の貴族の多くの歌に読まれた。 浦島太郎伝説:1200年前のこと、竜宮城から戻った浦島太郎は放浪の末この地に住みついた。 ある日竜宮城でもらった玉手箱を開けたとたん300歳の老人になってしまい、びっくりして目が覚めた。 目を覚ましたということでこの地を「寝覚」と呼ぶようになった。 その後浦島太郎は行方知れずになったが、龍宮から授かってきた弁財天像や遺品があったので、 村人はこれを祠に納めて寺を建てて菩提を弔った。この寺が寝覚山臨川寺。 |
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元の丁字路に戻り、民宿越前屋(写真左)の前を通り進む。 最初の分かれ道は右側(写真左中)を進み、郵便局のところで左側の坂道(写真右中)を上り、 道なりに進み上松中学校の前を通る。 |
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突当りの民家(写真左)の左側の坂道(写真左中)を下り、 道なりに左折して当時の名残の石畳の坂(写真右中)を下る。 県道266号線に出て左折し、次の十字路を直進する。 |
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滑川(写真左)にかかる滑川橋(写真左中)を渡り、道なりに右にカーブし、 滑川沿の坂(写真右中)を下り、養護老人ホーム前を通り道なりに左折して、中央本線と平行に下る。 |
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下り切ったところで右折して中央本線ガード(写真左)を潜り、道なりに坂(写真左中)を下り、 19号線小野の滝信号丁字路(写真右中)に出て、左折してゆるい坂道を下る。 |
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すぐ先の左側小野の滝バス停のところで、19号線から分かれる細い道(写真左)を進み、 左手の中央本線鉄橋の奥に、 木曽八景の1つで広重・英泉合作中山道69次浮世絵に描かれている高さ9mの小野の滝(写真左中)。 すぐ先で19号線に戻り、約7分のところにある石垣のところで左の細い坂道(写真右中)を上る。 坂を上るとすぐ右側に、江戸より73里の萩原一里塚跡案内板。 |
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短い坂を上り切り、萩原集落(写真左)を進み、左側に廿三夜塔(写真左中)。 下り坂を道なりに右折し19号線萩原信号(写真右中)に出て、左折して進み、萩原沢の橋を渡る。 |
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橋を渡った左側に木曽古道道標(写真左)があり、左折する道は木曽古道。 この古道と後で宮戸集落で合流する。 19号線(写真左中)を2分ほどで左側の細い坂道(写真右中)を上り、中央本線ガードを潜り、右折する。 |
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線路沿いの細い道(写真左)を進み、右側に付近民家12軒の集合新聞受け(写真左中)があり御苦労さん。 坂道(写真右中)を延々と上り、右手下方に中央本線とその向こうの校庭で元気よく遊ぶ子供の声。 |
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ガードから約9分ほどで道は下り坂となり、宮戸集落(写真左)に入る。 その先のブロック擁壁前に、「木曽古道」標識が2本(写真右)倒れている。 その左手から下りてくる道が、萩原沢の橋の標識の木曽古道でここで合流する。 |
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さらに下り、新しい「木曽古道」標識(写真左)。 その先の道は、まさに民家の庭(写真中)でご迷惑をかけたが、怒鳴られることもなく無事通過。 こういうところが中山道では他にもあるが、本当に身の縮まる思いで改めてごめんなさい。 さらに進み、高台の緑の道を下る。 |
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右手の線路沿いの坂道(写真左)を下り、 下り切ったところで右折して再度中央本線ガード(写真左中)下を潜り、 道なりに左へカーブ(写真右中)して下り、19号線と合流し左折する。 |
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すぐ先で左側に入る道(写真左)を進み、中央本線沿用水路のある道(写真中)をしばらく進む。 歩道橋のかかる19号線に出て、信号のない19号線を慎重に横断して反対側の道に入る。 |
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立町集落のゆるい坂道(写真左)を下り、突当りで道なりに左折して木曽川と並行(写真中)に進み、 この辺りに立場があったが不明。 右手に木曽川にかかる木製吊り橋。 |
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しばらく進み(写真左)、突当りで19号線(写真中)に出て右折し、約9分進み左側にJR倉本駅に上る階段。 旧中山道は倉本駅手前100m辺りから左へ入るが、現在は道は消滅している。 |
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その先の倉本信号で左に入る道(写真右)を進み、中央本線ガードを潜り、分かれ道で左手を進み、 ゆるい坂道(写真左中)を上り突当りで道なりに右にカーブする。 カーブに左から合流する道が、倉本駅手前で消滅していた旧中山道。 |
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ゆるい坂道(写真左)を上り下りして進み、右下方に倉本駅(写真中)。 途中の分かれ道は右側を進み、倉本集落を通り、 道なりに左にカーブして坂道を下る |
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左側斜面に、1727年(享保12)建立で「庚申塔」ではなく「除三尸之罪」と刻まれた珍しい庚申塔(写真左)。 その先突当り丁字路(写真中)で、旧中山道は直進し小さな駐車場を通り草むら道を下る。 |
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なんとなく道に見える草むら(写真左)を下り、舗装道(写真左中)へ出る。 旧中山道は舗装道を横断し川を越えて19号線に出るが現在は道が消滅しているので、 右折し川沿いに下り(写真右中)、突当りで19号線に出て左折して大沢橋を渡る。 |
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19号線を下り、 大沢橋から約7分の右側パーキングエリア(写真左)奥に江戸より74里倉本一里塚跡碑(写真中)。 この一里塚は、上松の北から4番目の一里塚で、同じ町村で4つも一里塚があるとろはないという。 そのすぐ先池の尻信号で、19号線から分かれて右の坂道を下る。 |
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木曽川と並行(写真左)に進み、右手対岸には童話に出てくる白亜のお城のような発電所(写真左中)。 しばらく進み、右にカーブするところで舗装が切れ草むら坂道(写真右中)を19号線沿いに上がる。 右下に、養魚池。 |
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上り切り、廃業した「ていしゃば」店(写真左)の脇を通り、 19号線と合流(写真左中)し右折して境の沢橋を渡り進む。 その先で道は左にカーブし、池の尻地区から上郷地区に入る。 旧中山道は上郷地区に入ると、左手の中央本線を横断して進むが現在は道が消滅している。 中央本線を横断するため、19号線を約5分進み左側の細い坂(写真右中)を上り、 「線路横断禁止」立札の左側をそっと通り線路を渡る。 |
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草道のゆるい坂道(写真左)を道なりに上り、車道(写真中)を横断して斜め左手の道をさらに上り続ける。 多分この辺りから旧中山道となると思われるが、養魚池の間を通りその先の大木を目指す。 |
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坂道を上り切ったところに、村天然記念物「エドヒガン桜」大木(写真左)。 実はこの先の旧中山道をみつけるのは、とても難解。 正解は道の突当で坂を下るのであるが、夏場草木が繁茂しているときはわからないかも知れない。 ちなみに突当りを左折し道なりに進むと、 民家の生け簀のある庭を通り、その先は沢へ下る道と山へ入る心細い草道があるが、 果たしてどこへ行くのやら…。 突当りの坂は急でとても道には見えないが、下の谷底のようなところに道のようなものが見える。 急坂(写真左中)を滑るように落ち、草むらを右折すると3本の丸太橋(写真右中)で、確かに道と確信する。 前方で先に横断した車道に出て、左折する。 ここはわずかな距離であるが、鬱蒼としたとても気味の悪い道であった。 |
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車道(写真左)を1分ほど進み、右側に分かれる草むらの坂道(写真左中)を下り、 「線路横断禁止」立札の前をまたも通り、お詫びの心で中央本線(写真右中)を横断し、 19号線に出て左折する。 |
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そのすぐ先右側の「阿寺渓谷12km フォレスパ木曽12km のぞきど森林公園14km」巨大看板(写真左)のところで、 右に分かれる道(写真左中)に入る。 緑の中の今どき珍し砂利道(写真右中)を進み、19号線に出て右折し坂を下る。 |
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約15分進み、左側の上り口に「歩道案内」標識の立つ坂道(写真左)を上る、 車の通らない安全な道は緑豊か(写真中)で、右下に雄大な木曽川の流れ。 |
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「歩道案内」標識から約8分で橋(写真左)を渡り、その先で19号線と合流(写真中)し、左折して下る。 すぐ先で、19号線から左側に分かれる上り坂道の265号線。 |
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この分かれ道の三角地帯に、「水舟の宿 須原宿」看板と「須原宿」看板(写真左)が並ぶ。 左の坂道を上るとJR須原駅。 旧中山道は19号線を少し進んで、左側の細い坂道(写真中)を上り、道なりに進む。 |
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当時の面影を残す黒塀の前を通り(写真左)、石段を上り(写真中)、 先ほどの265号線に出て右折し、須原宿へ入る。 この時間まだ15時頃であったが、到底野尻駅まで行くのは無理とわかった。 途中日が暮れたらタクシーなど期待できない世界、 潔く今日はここまでとし近くの須原駅から野尻駅へ行き、阿寺温泉でゆっくり過ごすことにした。 明朝は、265号線に面したJR須原駅から歩きはじめる。 |
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