歩く 中山道
 宮ノ越宿→福島宿
(木曽郡木曽町日義)
  (木曽郡木曽町福島)
 iー愛ロマンチカ
この区間は、2007.10.6歩いた。
前夜の豪雨も宿を出発する直前に突然止み、そして曇りから日中は青空になるとは!
何しろ天候に恵まれた一日であった。
いよいよこの区間から待望の木曽川が登場し、旧中山道は福島宿までの間この木曽川を9ヵ所渡ることになる。

     
..
        
    
奈良井駅7:17発、薮原駅7:23着。
駅舎はまだ照明がついたまま、左折し地下道で中央線を横断して昨日のところに出る。
7:33、左折して中山道歩きを開始。

   
中山道(写真左)は今朝までの雨の濡れが残り、
少し先左手に今降りた藪原駅の
駅舎と跨線橋(写真中)、道はそこで右にゆるくカーブをする。
カーブ右側に照明のついた
駐在所があるが、この時間帯開店前の休業中。
   
道なりに下るゆるい坂道(写真左)の途中右側に、突然機関車が現れビックリ。
昭和14年2月18日北海道苗穂工場製造「
D51238号蒸気機関車
デゴイチファンなら垂涎の機関車。それに「
JR やぶはら」駅名板。
昭和48年廃車で、同年木祖村に引き渡しとある。
JR発足は昭和62年であるから引渡は国鉄時代、JRでなく「国鉄」の駅名表示であって欲しかった。
そうそう機関車先頭のところに、
一里塚跡碑(写真左中)
   
元の道へ戻って進み、突当り(写真右)で左折して県道26号線(写真右中)を道なりに左へカーブし、
中央本線ガード(写真左中)を潜り、丁字路を右折してを上る。
   
上り切ったところの薮原信号(写真左)国道19号線(写真中)に出て合流し、
右側に山裾、左側に中央線に挟まれて、北東へ進む。
すぐ右手下方に木々の間から見隠れする待望の
木曽川が現れる。
ようやく木曽地方に来たという感激。
朝の空気はちょっと冷たくて新鮮で、足も軽く、ゆるい坂道を下り続ける。

   
薮原駅地下道から約30分のところに、木曽川にかかる獅子岩橋(写真右)があり、
橋の手前で、旧中山道は道の反対側にある旧国道へ進む。
ガードレールが切れている
旧国道入口(写真中)へはこちら側からの横断歩道もなく、
車が飛び交う中をガードレールを慌てて跨ぎ横断する。
ただこの行為は、お勧めできるものではないが、自己責任で。
(このホームページでは、いつの場面も車や人が写っていないが、
そういう瞬間を狙って撮っていることを理解して欲しい)
右側の木曽川沿いに
旧国道を進む。
   
旧国道はきちんと舗装はされているが、全く車や殆ど人が通らないようで。
草木が道路に張り出し(写真左)、そして雨で濡れたせいもありぬめりがひどく正常に歩けない状態。
木曽川の向こうの国道擁壁に、
鳥居峠の巨大壁画
   
旧国道を約5分進み、19号線に出て(写真左)左折しすぐその先の菅信号丁字路(写真左中)で右折して、
中央本線(写真右)架橋(写真右中)を渡る。
   
道なりに右にカーブ(写真左)して進み、木曽川(写真右)にかかる(写真中)を渡る。
   
橋を渡るとすぐ左の道角に新旧2つの道標(写真左中)があり、
道標に従い左折して
木曽川沿いに進む(写真左)
なお
新道標(写真右中)には「宮ノ越宿4.6km」、旧道標には(判読不可)」と表示。
   
約7分で丁字路(写真左)を直進し、JR中央線ガード下(写真中)を潜り進み、右にカーブする。
旧中山道はカーブせず木曽川沿いに進み前方の国道19号線と合流するが、現在は道が消滅している。

   
農道(写真左)を右に左にカーブして道なりに進み、左方に19号線の吉田洞門(写真左中)を見て、
左前方の木曽川にかかる
吉田橋(写真右中)を渡り、
吉田バス停留所建物脇
で旧中山道の19号線と合流し、右折して進む。
   
バス停前広場には派手な「ラーメン」「焼肉(写真左)が立ち、その先左側にその(写真中)がある。
19号線を約9分進み、木曽川にかかる
吉田側道橋を渡り、道なりに左にカーブして進む。
   
その時右側を突然有王本線電車(写真左)が走り抜けて行く。
電車を見て5分ほど進み正面の山吹トンネル手前で、
19号線と別れ右側の
入口に杭のある旧国道(写真中)に入り、右側に中央本線を見ながら進む。
   
左側は木曽川(写真左)でこの辺りにくると川幅も広くなる。
旧国道(写真中)は舗装されているが車も、人間も殆ど通らないようで草木が繁茂して道を狭め、
雨で濡れたせいもありここの旧道もぬめりで滑りまともに歩けない。
旧道を約10分進み、
ガードレールと門扉でガードされた出口が現れる。
入口は簡単に杭2本だけだったのに、出口をこんなに大袈裟にしてあるとは?
ただ左端が半間ほど空いていて、そこを通り国道19号線の神谷入口信号交差点に出て、右折して進む。
    
  
19号線(写真左)前方に「右折県道259号線 宮ノ越駅」交通標識。
その先で流れが激しい
木曽川(写真右)にかかる山吹橋を渡り、進む。
旧中山道は橋の手前から右折して巴ヶ渕へ通じていたというが、現在は道が消滅している。

    
橋を渡るとすぐ右手に県道259号線の入口(写真左中)があり、
入口左側高台に大きな「
宮ノ越宿看板(写真左)、右側に「山吹橋バス停
ここから巴ヶ渕まで300m、宮ノ越宿まで600m。
259号線に入り木曽川沿に進み、
中央本線ガード(写真右)を潜る。
   
ガードを潜ると前方に入口がバリケードで遮断された巴渕広場(写真右)があり、
正面に木曽川にかかる
巴橋とその右に巴渕碑(写真左)が立っている。
右手の展望台から見る
巴渕は、深淵に吸い込まれる静寂さの凄味が伝わってくる。
巴渕伝説:この渕が巴状にうずまくので、巴渕と名付けられた。
この渕に住む龍神が巴御前に化身し木曽義仲の愛妾となり、義仲の麗将として戦場で武勇をはせそして散った
という
またつややかな黒髪と白い肌の絶世の美女巴御前はここで水浴をし、泳いで武技を練ったと言われている。
   
巴橋を渡った正面に、
義仲が産土南宮神社を拝するとき手洗い水としたと言われる「
南宮神社手洗水立札(写真右)があるが、
草木が深く所在不明。
左折して舗装された山道を進み、のどかな
観音寺集落(写真右中)に入り
集落を出たところの
丁字路(写真左中)を直進して進む。
丁字路角の
道標は右「山吹山0.5km」、直進「旗挙八幡宮0.8km、JR宮ノ越駅0.9km」
   
車も人もいない道は突当りで2つに分かれ(写真右)、左折して木曽川(写真左)にかかる葵橋を渡る。
旧中山道は橋の袂辺りから斜めに木曽川を横断し、対岸の旭町へ行っていたが現在は消滅。
橋を渡り、丁字路で宮ノ越宿は右折するが、
寄り道し旗擧八幡宮を訪れるため、左折してすぐ右折し
中央本線ガードを潜り坂を上る。
   
丁字路から北東へ約7分の道の左側に、大欅がそびえる旗擧八幡宮
旗擧八幡宮と大欅:木曽次郎源義仲はこの辺りに館を構え八幡宮を祀っていた。
義仲27才の1180年(治承4)、
1千余騎を従いこの地で平家打倒の旗擧したので以降旗擧八幡宮と呼ばれるようになった。
境内には旗擧したときに植えられたという大欅があるが、落雷。台風などで幹は折れ、
さらに近年樹勢も衰えが激しくかっては胸高周囲12m、樹高30mの威容を誇った姿も今はさびしい限り。
ただ同じ境内に樹齢約150年の2代目欅が順調育っている。

    
宮ノ越宿:江戸日本橋から36番目の宿場で、中山道の中間地点に位置する。
木曽義仲の故事にまつわる地名や建物が多い。
木曽谷では珍しく平坦な土地が多いが、それでも森林92%に対して農地は3%にしか過ぎない。
本陣1軒、脇本陣1軒。

    
葵橋の袂の丁字路に戻り、直進し西へ(写真左)向う。
全く車も人も通らないのどかな道の左側に
旭町バス停(写真中)で、
この辺りに葵橋から消滅した旧道が接続していたのであろうか。
旧中山道となった道を数分進み、前方
十字路右側に「義仲館」看板。
   
寄り道をして、義仲館と徳音寺を訪ねる。
丁字路を右折し、木曽川にかかる
義仲橋(写真左)を渡り、
その先右側に平成4年に開館した義仲の生涯に関する歴史資料をおさめた
義仲館(写真左中)
門の正面奥に、左に長刀をもって立つ勇姿巴御前と右に床几に腰をおろした義仲のペアー像。
義仲と共に戦場を駆けめぐった女武者としての巴御前の姿がとても凛々しい。
義仲館前を通り突当りに、
木曽義仲の菩提寺(写真右)でかつ一族と今井兼平、巴御前、樋口兼光の墓碑が並ぶ徳音寺がある。
境内にある鐘楼門の鐘の音は、「徳音寺の晩鐘」として木曽八景の一つに数えられている。
なお、義仲の墓は滋賀県大津市の義仲寺にもあるが、どちらが正しいかなどはどうでもよいことかも知れない。

   
元の道に戻り、さらに西へ3分ほど進み左側に「本陣前バス停(写真左)
バス停左側の空地が
本陣跡(写真左中)で、建物は1883年(明治16)の大火で焼失している。
その脇に「江戸より六十六里三十五丁」「中山道宮越宿」
標柱(写真右中)
1軒離れて生垣に「
脇本陣・問屋跡木札(合成写真)が立つ茶色建物敷地が脇本陣跡
近所の奥さんの言では子孫は東京に在住していて、この建物には盆と正月にしか帰らないとのこと。
もったいない!とは、貧乏人の考えること !?

   
数分進み中町バス停前右側に、
明治16年の火災で持ち出した建具で再建した、宿場の典型的民家の
田中家建物(写真右)
2階は昔懐かしい障子戸で下の方が破れている。現在は居住してないのでは?
さらにその先左側に、「
御前水標札(写真左)の直径1.1m、深さ8.0m井戸があり石積は当時のまま。
1886年頃飲用水のため堀った井戸で、昭和初期まで近郷一の名水として生活を支えた。
宿場外れで道は上り坂となり、左側の下町会館前広場に
仏像や石碑群
   
坂を登り切り(写真左)、左手のJR線を横断する道は木曽町日義支所へ通じる道で、
中山道は直進しゆるい坂道を下る。
のんびりした
田園風景(写真左中)を進み、
右手の
奥行きのない田畑(写真右中)は山で囲まれているため平野に恵まれない証。
前方の
2つに分かれる道では、ナマコ壁蔵の右側を進む。
   
その先のSHOW生コンへ通じる丁字路(写真左中)の左側草むらに、
ポツンと寂しく、文字が殆ど読み取れない「
一里塚跡立板(写真左)は物悲しい
丁字路を過ぎるとゆるい上り坂となり、右下は
工場地帯(写真右中)そしてしばらく進み体育館
   
その先で木曽アスコン立看板のある丁字路(写真左)を直進し、
中央本線踏切(写真左中)を横断してすぐ右折し、線路と並行(写真右中)に真っすぐ進む。
踏切から約5分ほどの、
県道267号線標識の立つ辺りから原野集落に入る。
   
原野はもと間の宿で、
林昌寺バス停
(写真左)辺りが宿の中心となり両側に古い出桁造りの建物(写真左中)が目立つ。
すぐ先の
原野駅バス停の丁字路(写真右中)で、右折はJR原野駅と明星岩へ登る道の入口
   
道は下りとなり、左側に木枠で囲まれた庚申塔、青面金剛、仏像などの石碑群(写真左)
無佐澤橋を渡り左側の石積台上に、
仏像などの大小石碑(写真中)が並び、
多分区画整理などでここに集約されたのではないだろうか。
ゆるい坂道を上り、右手の山の中腹に朝日に当たり光るという巨大三角形の
明星岩
   
坂を上りきった左側に、「中山道中間地点案内版
ここが、江戸、京都双方から67里38町
(約268km)の地点。
まだ先は長いということで、感動もそれなりに。

  
道なりに進み、案内板から約7分のところの正面に「スーパーイズミヤ(写真左)
イズミヤ手前から
右側の細い道(写真中)に入り、そのすぐ先の変則三叉路を左折する。
   
舗装道(写真左中)を進み、すぐ右側のまだ新しい小沢センター建物(写真右中)前を通り、
道の左側には「
中山道 この下の橋を渡り木曽福島へ道標(写真左)
近くに橋など見当たらず「この下の橋」の意味するところが分からず、現場で面喰ってしまった。
道標のすぐ先で道は2つに分かれ、
左側にガードレールのある坂道を下る。
   
右手に畑をみながら約1分ほど坂道(写真左)を下り、
左側のガードレールの切れたところで、「
中山道この下の橋を渡り木曽福島へ道標(写真中)に従い、
折り返して坂道を下る
  
坂下は草むらで全く道跡なく(写真左)
経験と勘で右に大きくUターンして、進み前方の
林の中の明かり(写真左中)に向かう。
林を出て
正沢川護岸を右折し前方の橋へ(写真右中)進み、小さな鉄の橋を渡り右折する。
この鉄橋が、中山道道標の「この下の橋を渡り木曽福島へ」の橋であることがここで初めて分かる。

   
川沿いの草むら道(写真左)を進み、
車道を横断(写真中)
して前方の赤屋根建物の左側を通り、ゆるい坂道を上る。
    
突当りで国道19号線からの分岐道に合流(写真左)し右折して進み、
木曽義仲を養育した中原兼遠屋敷跡案内板が立つ
栗本集落を通る。
   
集落を出て道なりに進み、突当り手前左側(写真左)に、
巨大な
廿三夜塔と平成8年再建の薬師堂(写真中)
続いて中原兼遠が義仲の学問の神として勧進した
手習天神
   
突当りを右折して道なり(写真左)に進み、丁字路(写真中)に出る。
旧道は直進するが途中道が消滅しているので迂回し、
通常は丁字路を右折し
中央本線跨線橋を渡り、左折して線路沿いに進み19号線木曽町出尻に出る。

ここでは、参考にしたマップの「徒歩通行可能「に従い丁字路を直進したが、
途中中央本線横断がとても危険で、絶対に勧めることのできない旧街道である。

以下参考まで出尻まで歩いた旧街道経路を紹介する。
    
丁字路を直進し、すぐ先右側で分かれる細い坂道(写真左)を下りて集落を道なりに進み、
19号線コンクリート構造物脇(写真左中)を通り、その先で左折して19号線ガード(写真右中)を潜り、
ブロック擁壁沿いの道なき畑の草むらを進む。
たまたま草刈をしていた地元の人に、「ここは旧中山道か?」と尋ねると、「YES」のこたえ。
但しこの先は線路で遮断されしまい、通行できないようになっているが「絶対ではない」という。

   
それならばと、さらに草むらを進み突当りの垣根(写真左)で右折して垣根沿い(写真中)に進み、
敷地の外れの前方に
複線の線路
この線路上に、写真ではわかりにくいが跨ぐには高過ぎ、潜るには低過ぎる絶妙の高さのロープが、
横断防止のため長い区間で張られている。
電車の来ないのを十分確認してロープをなんとか潜り抜けたが、
ここはやはり
危険で横断すべきところでは絶対ないと反省している。
   
線路を横断し、左折して線路沿い(写真左)に進み、正面建物のところで右折して、19号線に出る(写真中)
中央本線架橋丁字路から19号線の間、約10分弱。
左折してゆるい坂道の
19号線を西へ下る。
   
その先で出尻歩道橋(写真左)と右側に出尻バス停
さらに下り、右手に木曽川にかかる
矢埼橋
   
頭上に「木曽警察署看板のあるところの分かれ道で、右の細い道(写真中)に入る。
この地点の19号線の左側に、
右に
経塚1701年(元禄14)建立)と左に大日如来坐像(1702年(元禄15)造立)(写真左)が並んでいる。
分岐道の右手に
木曽警察署。   
    
右の舗装された細い道を下り、
木曽大橋(写真左)の下を潜り、突当り(写真左中)を左折して右手の木曽川(写真右中)沿いを進む。
細い道を5分ほどで、前方の
坂道を上り19号線に合流し、右折する。
   
19号線を進み、前方に見える福島トンネル(写真左)の手前で右に分岐する道へ入る。
右折するとすぐ左上に「
水と緑と史跡のまち 木曽福島大看板(写真中)が出迎えてくれる。
そこから5分ほど進み、正面に道路巾一杯の巨大な
鳥居形関所門
大きさにちょっとビックリ。
門の右側にさすが観光地と思わせる立派なトイレ施設。
    
福島宿:木曽11宿の政治・経済・文化の中心地で、木曽代官所や福島関所が置かれていた。
関所は木曽川断崖と左手は山という取締に最もよい地形に設置されていた。
また木曽檜とならび日本三大馬市でも有名であった。
本陣1軒、脇本陣1軒。

   
門を潜りゆるい坂道を下り、「福島宿」標柱の立つ左側の細い坂道(写真左)を上る。
上り切ったところこに天下の4大関所
(箱根、碓氷、新居)と称された福島関所跡がある。
当時は木曽川に臨む断崖に建てられたが、明治2年廃止取り壊された。
東門(写真中)を入り、中は庭園のようになっていて「番所跡がポツンとある。
   
中央付近北側の一段低いところに、
関所の設置時から関所守達の生活用水であった
関所水(写真左)は、現在もコンコンと湧き出ている。
西門(写真左中)を潜り抜け、高瀬資料館へ通じる舗装道路の右側にある階段を下る。
下方に宿場通りが見える。
なお西門の左側に、関所建物が復元され資料館となっている。
   
宿場通りを数分進み、支所前信号交差点(写真中)に出る。
交差点を左折し、突当りの木曽福島町役場玄関前に
白木本陣跡碑(写真左)
信号から右折し木曽川にかかる大手橋を渡り突当りに、
木曽義元の重臣で、江戸時代には木曽谷の徳川直轄地支配を任された
山村代官下屋敷跡
山村代官は福島関所の関守も兼ね強力な権力を誇り、明治2年までの274年間木曽谷を支配していた。

   
元に戻り支所前信号を直進し、右角に岩谷旅館(写真右)のある交差点(写真右中)で、
反対側の
真岡薬局角(写真左中)から左折し、横宿通り小路を進む。
   
突当りで右折し、ゆるい上の段坂(写真左)を上る。
坂の途中右側に、実際の2/3の大きさで縮小復元された
高札場(写真中)
高札場:江戸時代、御条目やお触れは制札として一定の場所に掲げたが、これを高札という。
高札場は柵で囲み近寄れないようにし、中には栗石が敷き詰めてあった。
高札場は宿村間の里程(距離)を測る基準となっていたので移設はできなかった。
また高札の文字が不明になっても勝手に墨入れはできず、領主の権限で行われた。
ここの高札場に掲げてある高札は、1837年(天保9)に掲げられていたものを再現したもので、
「福島より上松への駄賃銭」「親子兄弟人の道」「駄賃荷物の定め」「きりしたん禁制」「徒党強訴の禁止」
「毒薬売買にせ金禁止」「火付け盗賊5ヶ条の定め」の八枚の札。
坂を上り切った右側に、よく整備された
上の段休憩場がある。
   
休憩場から左折し、古い町並みの上の段通り(写真中)を進む。
右側に木曽家殿様の館に八沢川から取水したのが始まりという、
上の段用水施設(写真右)
その先左側にも
上の段用水施設
   
通りの突当り(写真右)で左折し坂を下り、丁字路(写真中)を右折してさらに坂を下る。
丁字路左角に、大変珍しい工法で作られ数度の地震にも耐えた深さ6.5mの江戸時代の
古い井戸
   
坂の下方で、八澤川(写真左)にかかる中八澤川橋(写真中)を渡り、突当り丁字路で右折して進む
   
すぐ先左側の立派な家(写真左中)の格子のところに、地蔵さんコケシが6体(写真左中)並んでいる。
宿場通りをさらに進み、右側に30分前に宿泊予約した昔旅籠の
民宿むらちや(写真右中)
昔の雰囲気が漂う建物の
くぐり戸(写真右)を潜ると頭がゴツンとぶつかり、これが江戸情緒の名残?
日はまだ明るいが、今日はここまで。

   
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旅と旅行と